第15話 爆殺
「えっ? マスターって、もしかして僕のこと?」
「はい、間違いなくあなたはあたしのマスターです。ずっと……探していました」
頬を伝う涙を指で拭う際に一瞬だけ彼女が眼鏡を外すと、ただでさえ幼かった印象がさらに強まる……それはまるで、お人形さんのような愛くるしい童顔だった。
「僕たち、どこかで会ったことあるかな? 僕、去年こっちに越して来たんだけど、もしかしたら人違いしてるんじゃ?」
「いえ……あたしとマスターは前世から共に悪と戦っていました。その様子だと、まだ記憶は戻っていないのですね……」
……あぁ、分かった。さすがに僕でも分かっちゃったもんねー。この子はアレだ、ヤバい子だ。最近出会う女の子はみんな何かしらヤバいから、なんか耐性がついてきたぞー。こういうのは深く関わらないほうが得策だよねー。
「なんのことか分からないけど、僕は掃除しなくちゃいけないから。じゃあ……」
「行かないで下さいっ!」
立ち去ろうと背中を向けた僕に、彼女は後ろから抱きついてきた。
「え、ちょっと君、何してるのっ!?」
「あたしを……また一人にしないで下さい……」
僕のお腹周りに回されていた彼女の両腕にグッと力が入る。
「ご、ごめん、僕、君のこと知らないんだ! きっと人違いだよ!」
「今は忘れていたとしても……あたしがマスターの失った記憶を必ず取り戻してみせます……!」
「僕は何も忘れてなんかないよ!」
「ま、まさかマスター……奴らに前世の記憶をコントロールされてるんじゃ……!」
「奴らって誰!? 僕は今まさに君にマインドコントロールされそうだよ!」
「それでいいんです。怖がらないで、あたしに身も心も委ねてください……今、あたしの魔力をマスターの体内へ直接流し込んでいます。どうですか? 何か思い出せましたか?」
僕はこの状況を抜け出したい一心で、話をそれっぽく合わせてみることにした。
「あ、なんか思い出せそうな気がする……」
「ほ、本当ですかっ!?」
「うん……でもこれ以上は君の魔力が心配だから、一度離れてくれるかな?」
「分かりました!」
僕たちはベンチに並んで腰かけた。たとえ謂れのない言いがかりをつけられていたとしても、咄嗟に嘘をついてしまったことをなんと切り出して謝ろうか悩んでいると、彼女が先に口を開いた。
「マスター……それで、前世でのお名前は思い出せましたか?」
「え、それはまだ……」
「そうですか……あたしの口からは恐れ多くてお伝えできませんが、また今度魔力を送ります」
「そういえば君の名前は? あ、前世じゃなくて今世の名前ね?」
「あたしの今生の名は、風間 夏樹といいます。それと前世の名前はマスターも知っての通り、アネモネです……思い出してくれましたか?」
アネモネ――花言葉は少し悲しい意味合いが多いけど、とても可愛らしい花と同じ名前だから、彼女にはピッタリだと思った。
「ごめん、思い出せなかったけど、どっちともいい名前だね……」
僕の何気ない社交辞令を受けた風間さんは、またスーッと涙を流してしまう。
「え、ごめん、僕何か気に障ること言ったかな!?」
「い、いえ……嬉しいんです……あたしの妄想の中でも、マスターは同じ言葉をかけてくれたので……」
そうか、前世の僕はそんなことを……
「って、今妄想って言ったよね!?」
「い、言ってませんっ……! 今のは嬉しすぎてつい設定を忘れてしまっていただけで……あっ……」
彼女は慌てて目を反らすと、体を小さくさせておずおずと僕を覗き込んだ。
「風間さん、怒らないから本当のこと話してくれないかな……?」
「分かりました……」
――彼女はおもむろに自分語りを始める。
「あたしは小学校を卒業するまで、体が弱く病気でずっと入院していました。だからほとんど学校にも通えなくて、友達も出来なかったんです。でもそんなあたしにも生きる楽しみがあって、それが漫画とかアニメでした。病室で一人の時間を寝たきりで過ごす内に、段々と自分の中でもお話を考えるようになっていったんです。その世界では、あたしは魔法使いで、マスターと共に悪の組織をいくつも壊滅させて……恥ずかしいですけど、恋してみたりもして、いつの間にか妄想と現実の区別が曖昧になっていきました……」
昔を懐かしむように話をする風間さんは、僕の目にはどこか寂しそうに映った。彼女は自分の膝の上に置いた両の掌を見つめながら続ける。
「中学生になって、体調が良くなり普通に学校へ通えるようになってからも話の合う友達がいなくて、余計に妄想に没頭してしまったんです。そしたら……3年間なんてあっという間でした。こんな妄想、所詮あたしの頭の中だけの物語だ……高校ではみんなみたいに普通に過ごさなきゃと思って、全部卒業しようって決めました。でもそんな時、マスターに出会ったんです」
風間さんは僕の方へそっと視線を移した。
「えっと、そのマスターって、僕のこと?」
「は、はい……すみません。お名前が分からなかったので……」
「あぁそっか、僕は2年生の花守春人だよ」
「……花守先輩は、あたしがずっと想像してたマスターと、どことなく雰囲気が似ていました」
「前世じゃなくて、僕らは本当にどこかで出会ってたってこと?」
「はい、あたしが先輩を最初に見かけたのは、海です。中学卒業をきっかけに妄想をやめたのに、高校に進学しても友達が出来なくてふらふらと町を彷徨っていたら、ちょうど花守先輩が海へ向かって手を掲げているところでした。何をしているんだろうって不思議に思っていたら、その後すぐに大爆発が起こりました。信じられない光景でしたけど、あたしはあの時、自分が信じてきたものは間違いじゃなかったって気付くことが出来たんです!!」
彼女が言う海の大爆発には、もちろん覚えがある。冬月さんから送られてきた時限爆弾を捨てた時だ。周りに人がいないのを確認していたつもりだったけど、まさか見られていたなんて……迂闊だった。
「あ、あれは……ただの――」
彼女は僕の弁明に被せるように割り込んだ。
「いいんです! あたしは花守先輩の秘密を守ります。あの日見たことは誰にも言いません。だから……あたしを弟子にして下さい。さっきはカマをかけるような真似をしてすみませんでした……もしかしたらこの人は本物のマスターかもしれないと思うと、どうしても確かめたくなってしまったんです。でも、たとえそうじゃなくても……やっと会えたんです……あたしのことを、分かってくれそうな人に……」
――僕にありのままの心の叫びをぶつける彼女の瞳は、沈みかけた夕日に照らされて、さっきよりも輝いているように見えた。




