第14話 ねむり姫
廊下を並んで歩きながら、冬月さんは僕へ不満を漏らす。
「なぜあなたが飛鳥さんと……」
「な、なんでさっきからそんなに怒ってるの?」
「あの人は……私の憧れだった。綺麗で大人っぽくて優しくて勉強も出来て、将来、本当のお姉さんになる人だって、思っていたのに……」
マズイ……冬月さんが思い出したくないことを思い出してしまった顔をしている。僕は取り繕ったように事の経緯を説明した。
「実は飛鳥さんも僕と同じ園芸部の部員だったんだ。それが分かって意気投合したというか……」
「そうだとしてもお互いを下の名前で呼び合うようになるの、早すぎないかしら?」
「それは、そうかもしれないけど……ほら、園芸部はウチの叔母が顧問をしているから紛らわしいって飛鳥先輩が……」
「……あなたもしかして、彼女の弱みを握って脅したりしていないでしょうね?」
――思わず僕の口からギクッという声が漏れそうになった。
「そ、そんな訳ないじゃないかっ!」
「花守君、そんなに大きな声出せたのね。余計に怪しいわ」
相変わらず光のない瞳で冷たい視線を送ってくる彼女のカンの鋭さに背筋が凍る思いだったけど、なんとか白を切リ通した。
午後からの授業を終え帰ろうとしていたところを、またもや冬月さんに呼び止められる。
「花守君、園芸部ってまだ部員を募集しているの?」
「……なぜそんなことを聞くんです?」
「私も入部しようかと思って」
単なる思いつきなのかもしれないけど、僕はその言葉を見過ごすわけにはいかない。
「あなたは、花壇の花を燃やそうとしてるんですよ?」
「そうね……だからこそ、自分で育ててあげたいじゃない」
「認めません、誰がなんと言おうと僕は絶対に認めません……!」
断固として拒否したけど、彼女は僕の腕を掴み無理やり職員室へと連行した。
「いいんじゃない? 部員2人しかいなかったんだから、ふぁ……」
冬月さんから入部希望の旨を伝えられた園芸部顧問である叔母は、気怠そうに眠そうに、あくび混じりに適当な返事をした。それを受けてフンッと、勝ち誇った鼻息を立てて僕を横目で見る白雪姫の顔が鼻につく。
「でも、別に部員が居なくたって僕ひとりで今までやってこられたし……」
体育教師でもないくせに色気のないジャージ姿の叔母は、短い黒髪をフワっと揺らしながらこちらを向いた。
「は? じゃああんたは一体ここへ何をしについてきたの? 良かったじゃないこんな可愛い子と同じ部活になれて」
叔母は今年で34歳、もちろん独身。歳の割には美人だけど、まあこんな感じの気の強いオバさんだ。
「分かったよ……おばさん」
「あんた……オバさんって呼ぶなっていつも言ってんでしょうが。せめて学校では先生って呼びなさい。なんなら家でもそのまま先生と呼びな! その為にわざわざあんたをこの学校に入れたんだから」
「また婚期逃しちゃえ……」
僕が聞こえないだろうとボソッと嫌味を呟くと、叔母はギロリと睨みを利かせた。
「花守春人君……罰として中庭の掃除してから帰んなさい。冬月さんはもう帰っていいわよ。入部届、確かに受理しました」
「ありがとうございます先生。じゃあ花守君、さようなら」
冬月さんは去り際、僕に肩をわざとぶつけていった。
悔しくなった僕は叔母に抗議をする。
「体罰だ! 越権行為だ!」
「なに言ってんの、愛の鞭よ」
「嘘だね、男に相手にされなくて溜まったストレスのはけ口にしてるだけでしょ」
「おいてめぇ……それ以上言ったら海沈めんぞコラァ」
流石は田舎の元ヤンキー。ドスの効いた声と鋭い目つきだけが、20年ほど昔にタイムスリップしたみたいだった。まぁ、その時まだ僕生まれてないけど。
ほうきとちりとり、ゴミ袋を持たされて職員室を追い出された僕は、肩を落としながら中庭へと向かう。そこに植えられている桜の木は、もう半分くらいが緑色に変わっていた。鮮やかに彩られたピンク色の花道は、放っておいても自然に還るというのに、それを掃除するのはなんだか罪悪感を感じてしまう。なるべくゴミだけを選別して掃き掃除をしていると、まるで宣材写真のような光景を目にする。
――中庭のベンチに腰掛けて眠っている、赤ぶちの眼鏡をかけた女の子。肩までのブラウンの髪と、座っていても分かる幼さの残る小柄な体型……そしてなにより、清楚な白いソックスが似合う美しいおみ足に、僕は思いがけず目を奪われてしまった。よく見ると膝の上には、さっきまで読んでいたであろう分厚い本が置かれている。
僕がその場で動けなくなっていると、近くを通った1年生らしき生徒の話し声が聞こえた。
「あ、また『ねむり姫』が眠ってるよ、今日も可愛いな畜生……」
「お前、声かけてこいよ」
「でも気持ち良さそうに寝てんじゃん、邪魔したら悪いだろ」
「それもそうだな」
一体、この学校には何人の姫がいるんだ。そんなことを考えていると、彼女が「ふぁあ~」と、可愛らしいあくびと共に伸びをしながら目を覚ました。
――目が合ってしまった。気まずい。
数秒見つめ合って不思議な時間が流れると、彼女はポロリと、一筋の涙を流す。
「やっと会えました……マスター」
僕は酒場の主人でも、世界中を旅してジムバッジを集めるモンスター使いでもない。それなのに彼女は確かに、僕の目を潤んだ褐色の瞳で見つめながら「マスター」と、そう呼んだ。




