プロローグ クロユリ姫殺人記録。
僕――花守 春人は、命を狙われている。
高校2年生にもなって何を妄想の与太話を……と、思われるかもしれないが、これは紛れもない現実で、一つひとつを深堀れば、そのどれもが新聞の記事になりうる立派な殺人未遂事件が頻発していた。
――とは言っても、なにも犯人探しをしようとしている訳ではない。何故なら……犯人は既に分かっているから。
僕は今朝下駄箱に入れられていた、綺麗にラッピングされた小さな箱を、机から取り出して溜息をついた。
すると、後ろの席に座るクラスメイトであり学年一の美少女から声をかけられる。
「あら、もしかしてそれ……女子からのプレゼント? 花守君は意外とモテるのね」
「はは……そうだったらいいんだけどね……」
いつも通り渾身の愛想笑いで応対する。こんな時でも僕は、一瞬も気が抜けない。
「中身は何か確認したの?」
「してないけど……たぶん毒入りクッキーかな……」
僕が箱の中身を危険物だと予想した刹那――乾いた舌打ちと共に、彼女の目つきが鋭くなる。
「今日はチョコレートよ」
「それで、今日はなんの毒なの……?」
彼女は、片側の口角をクイっと上げて答える。
「家の生簀に、偶然にも新鮮で活きの良い河豚が泳いでいてね……」
「ごめん、もうそれ以上聞きたくありません……」
そう……何を隠そう……学年一の美少女で通称「白雪姫」と呼ばれている彼女――冬月 雪乃こそが、一連の事件の容疑者だった。
彼女は冬月リゾートという大企業の会長の一人娘で、この田舎の港町には珍しい、家柄も大層ご立派な正真正銘のお嬢様。そのお嬢様とひょんな事からとある契約を結んでしまった僕は、毎日こうして命を狙われているという次第だった。
冬月さんが悔しそうな表情を浮かべて立ち上がり教室を出ていくと、僕はすぐに鞄から黒いノートを取り出す。花好きの僕は、今では彼女のことを密かに「クロユリ姫」と呼んでいる。それは彼女が闇堕ち……つまり彼女の瞳から光が失われた原因が、黒百合の花言葉にピッタリだと思ったからだ。一応、今までに起きた事件全てを、「クロユリ姫殺人記録」として、このノートに記録している。
今日もしっかりとデスノートに記録する。
「4月17日、毒入りチョコでの毒殺……フグ毒……っと」
この生活が始まってから、既に2週間近くが経とうとしているけど、彼女の繰り出す殺害方法は多種多様でバラエティに富んでいる。中でも一番驚いたのは、僕の家にタイマー式の時限爆弾が届いたことがあった。いくらなんでも冗談だろうとは思いながらも万全を期して爆発予定時刻にそれを海へ投げ入れてみたところ……海面からまるでクリスマスツリーのような、僕の背丈の何倍もある水飛沫が爆音と共に上がった時は、冷や汗が止まらなかった。
これで殺されかけること累計27回。1日2回ペースで彼女は何かしらを仕掛けてきている。恐らく今日も、もう一度くるに違いない。でも僕は……黙って殺される訳にはいかないんだ。
「花守君、先生に仕事を頼まれたのだけど生物準備室まで一緒についてきてくれないかしら?」
昼休み――何食わぬ顔でそう切り出した冬月さんが、放課後でもないのに何故か鞄を持っているのが引っかかる。
「い、いいけど……その鞄は、何かな?」
「乙女が鞄を持って席を立つ理由を尋ねるなんて……花守君はもう少しマナーを学んだ方がいいんじゃない?」
最もらしい返し言葉になす術をなくした僕は、しぶしぶ席を立つ。
薄暗い生物準備室で、僕に背中を向けて屈み込み、鞄をガサゴソと漁る冬月さん。
「それで、頼まれた仕事って……?」
「不要品の整理よ」
彼女は立ち上がると、不自然に腕を背中へ回していた。なんだか嫌な予感がして、一定の距離を保ったまま会話を続ける。
「でも……見たところ、今のままで十分綺麗に片付いているように見えるんだけど……」
「そうね……でも、そこにあるじゃない……」
彼女は僕を指差す……後ろに何かあるのかと思い振り返ると、そこには薬品や標本などが収納されたガラスケースしかなかった。「何もないじゃないか」と、再度体を捻ると、ガラスに反射して何かがキラリと光る。
命の危険を察知した僕は、運良く腰を抜かして尻餅をついた。一体何が起きたのか確認しようと目を凝らすと、僕の股の間で、鋭利な刃の斧が床に刺さってめり込んでいる。その柄を握る冬月さんは「外した……」と、ボソッと呟くと、斧を引き抜こうと力を込めた。
「ちょ、ちょっと待って!」
この状態でもう一度振り下ろされれば次は避けられないと思った僕は、斧の柄を掴んで抜かせないよう彼女とは逆方向へ力を込めて押さえつける。
「離しなさいよ」
「離す訳ないだろ!」
――こんな状況だけど、冬月さんの顔が近くて、さっきまでとは違う種類の緊張で心臓が追いついていないのが分かる。透き通るような肌、薄めの唇、綺麗な鼻筋、その目には相変わらず光はないけど、本当に美しいと思った。ついつい見惚れてしまった僕は、心の声をうっかり漏らしてしまう。
「綺麗だ……」
「……は?」
「あ、ごめん、こんな時に……でも、冬月さん美人だから……緊張しちゃって」
「…………」
彼女は――ゆっくりと斧から手を離した。そのまま無言で踵を返すと鞄を持ち上げ、スタスタと扉を開けて出て行こうとする。
「ちょっと冬月さん待って、この斧は!?」
「あげる……」
「え、こんなのいらないよ!」
「私ももう要らないから、それは花守君が代わりに捨てておいて!」
廊下から入り込む光に照らされながら振り返った冬月さんは、少し頬を赤らめながらそう叫ぶと、勢いよく扉を閉めた。心なしか、彼女の死んだような目には、少しだけ……潤いが戻っている気がした。
これは――闇堕ちして殺人に取り憑かれた女の子を、更生させる物語。ラノベに登場するようなキラキラしたヒロインまでとはいかなくても、せめてヤンデレヒロインくらいには、落ち着いてくれたら嬉しい。だから少なくともその時まで……僕は、誰にも殺される訳にはいかない。