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第三話 果たして繋がりは結果に至る

 シャリエラ・セイヴの部屋から血判状を見つけてから暫く。

 アルフは学生生活を続けながらも、血判状に書かれている名前の生徒を、カニャーサと共に追い続けていた。

 ピッグオークのダン・ディッチン。イプピアーラのセイレン・ジャセリンナ。陸河童のサイゾウ等々。名前の主の種族は様々であり、さらには誰もが人間種族に対して思うところがあるという共通点以外は、その内容も色々であった。

 例えばダン・ディッチンはその外見を昔、人間に馬鹿にされたから(他種族の外見は、他の種族からは異質に見えるのが普通だ)だったり、セイレン・ジャセリンナは自分の故郷の住処を奪われた(二百年程前にだそうだ)だったり、サイゾウは何か見ていてムカつくから(一応、一番納得できる理由ではあった)だったりした。

「誰も彼も、過激な行動を始める素養はあったけど、中心人物になれる程の相手じゃなかった」

 今日は風が強く吹く学園の屋上。髪にばたつかせるその風をあえて気にしない風にしながら、アルフは屋上端の手すりに背中を預けながら、隣にいるカニャーサに話し掛けていた。

「やってる事も地味でしたよね。地道なチラシ配布活動や、人間が関わる陰謀論の喧伝とか。実際に他者に危害を加えるというのは……そんなにしていなかった」

「まだ過激な事をする前段階とかかな? シャリエラ・セイヴなんかは、実際に君を眠らせたりしてたから、穏当な連中とも言い難いけど……」

 血判状は確かな証拠であると思えたが、そこから何か、大きな進展があるわけでも無かった。

 いや、血判状に書かれた者達が、確かに人間社会に恨みつらみを持っており、その状況を打破したいと手を組んでいる事は事実なのだ。

 ただ、その思いに対して行動がそれほどの物では無いというだけで。

「妙な話と言えば、騎士警察側へ引き渡した生徒さんの後情報が無い事も妙なんです。後の情報だって私の方に流れて来ない」

「そっちに関しては本当に妙だ。騎士警察が生徒をずっと、無断で連れ去ってる状況で、誰にもその事を報告していないって事だろう?」

「はい。そうなります。かなり変ですね。学園内で済む話じゃなくなりますよ」

 他人事の様にカニャーサは言うが、実際のところ、学園内の反社会的勢力などよりもっと深刻な話に思える。

 生徒には家族だって居るだろう。学園内の敷地で寮に部屋を持って暮らしている生徒が大半だから、まだ騒ぎになっていないだけで、それだって時間の問題だと思われる。

「……一つ尋ねたいけど、君はそういう何某かに関わってるわけじゃあ無いよね?」

「だったら今、ここで眉間に皺を寄せて考えたりはしないって思いません?」

 彼女の表情については分かる様になってきたため、確かに彼女はこの瞬間に不満を感じている事を理解する。

 少なくとも、彼女には裏はあるまい。いや、そんな事を断言は出来ないが、アルフはそう思って後悔は無い。

「学園も妙だし、騎士警察も妙で、世の中、疑心暗鬼になる事ばかりだ。ちょっと前まで、俺は普通な日常を送る生徒だったって言うのにさ」

「周囲から距離を置かれるのが普通な日常ですか?」

「それは言わないで欲しいんだけどさぁ……」

 今、こうやって授業の合間にカニャーサと頻繁に話せるのも、他に友人関係が少ないからというのは否定出来ない。

 だからこそ、触れられると何とも言えない惨めさが心に浮かんでくる。

「うーん。血判状に書かれてた生徒達も、自分を取り巻く環境に不満を持っていたんだろうか」

「そうでなければ、反社会的活動になんか参加しないと思いますが」

「けど、そんな不満は誰でも、俺だって持ってる。稚拙だろうと、彼らは思うだけじゃなく行動を初めてた。その違いは何だろう」

「殊の外、特別な事情がある。というものではありませんでしたよね」

 頷く。何人かに実際に接触出来た結果、他の生徒とは違う環境であったという訳では無いと分かった。

 では、彼らの共通点はどこにあるか。どういう経緯でもって、血判状を書くに至ったのか。

「良し、次に彼らの内の一人と接触するとなったら、そこを主に聞いてみようか」

「聞けますか? 今から」

「どうだろう? まあ、余裕があればだ。ただでさえ、これから手加減しなきゃならない!」

 言いながら、アルフは振り返り、そうして屋上の柵を越えた。

 その先には、勿論、地面へ真っ逆さまの中空がある。ただ、既に鎧姿になっているアルフにとっては、そのまま落下したところで、傷が付く事は無いだろう。

 今の問題は、屋上から見える真下に、誰からも見張られていないと信じ切って、他の生徒に何かを渡している、大柄な生徒がいる事だろうか。

 種族と名前はミノタウロスのケーイーフー・デラという男子生徒。

 大きな牛頭とそれを支えるがっしりとした身体を持つ、カニャーサ曰く、危険度はBクラスのその種族は、肉体な見合った身体能力と、外見に見合った性格の狂暴性を持つと言う。

 それと、重要な特徴がもう一つ。

「ケーイーフー・デラ。日課になってる途中で悪いが、話がある」

「なんだ!? 誰だ、貴様はぁ!」

 いきなり上から落下してきた鎧姿の男に対してのありきたりな反応を返される。

 彼の隣に居た、恐らくはケーイーフーの取引相手に関しては、悲鳴を上げて逃げ出して行く。

 まあ、半ばケーイーフーに脅される形でそれを受け取ろうとしていたと思われるので、隙が出来ればそうもなるだろう。

 結果、アルフとケーイーフーは二人で向かい合う形になる。

「俺については……お前が、わざわざ自分の角を削って作っているその粉末を、他の生徒に売りさばいている事を知ったからここに居る。で、そっちは何でそんな事をしている?」

「見れば鎧人か……もしかして、最近、仲間を襲ってるって言う……」

 ケーイーフーの牛頭には太く長い角も生えている。その尖端は鋭く、恐らくは毎日の様に研磨しているのだろう。

 重要なのは、その研磨された結果出る角の粉末だ。ミノタウロスの角の粉末には興奮剤としての効用があるとの事。

「粉末を摂取すれば、多少なりとも気分が良くなる程度とは聞くけど、基本的に、学園内で種族が出す様な分泌物は売買禁止だろ。もう一度聞くぞ。何でそんな事をしている」

「貴様に関係あるのか!? おおう!」

 と、さっそく鋭い角をこちらへ向けて、勢い良く突進してくるケーイーフー。

「話より殴り合いを希望か? ケーイーフー!」

 ケーイーフーの体格と速度。そして角の鋭さを考えれば、ぶつかればアルフの鎧とて砕いてくるだろう威力はあるはずだ。

 だが、そんな真っ直ぐな破壊力を正面から受ける程、アルフは悠長では無い。

 身体を半身ズラすやケーイーフーの身体のその横側を抜ける。いや、半ば擦れた状態で、片腕だけをケーイーフーの腹部に置くのだ。

「ぐふぉあっ!?」

 アルフの腕が痺れるものの、悲鳴を上げたのはアルフでは無くケーイーフーの方だった。

 突進の勢いをそのまま、アルフの拳を通して自らの腹部へと返された形だ。彼の悲鳴は、彼の力にこそ原因がある。

「単なる喧嘩なら、力を振り回すだけで済むんだろうけど、こっちは別にそのつもりじゃあない。今以上に痛めつけられたくなければ答えろ。売買が禁止されてるものを、どうして無理矢理、他の生徒に買わせようとしている。しかも、子どもの駄賃程度の額でだ。金が欲しいわけじゃあ無いんだろう?」

「ぐっ、ぐほっ……誰か、何を―――

「はぐらかす事は想定してますから、こっちから聞くだけにしますね。単なる答え合わせになるかもしれませんが」

 屋上から落下したアルフに遅れて、カニャーサもやってくる。若干、肩が上下しているので、急いで来てくれたのだろう。

「禁止されてるものを売るのは、金銭目的では無く、その行為そのもの。違いますか?」

「……」

 ケーイーフーは黙り込む。だが、未だ腹部の痛みは続いているはずだから、それは強がりであり、強がる以上は、図星を突かれているという事なのだろう。

「そう。やってはならないとされる事を行うというのは、例え片方が強要した事とは言え、弱みを共有するという事です。これ、なんというか、仲間意識が生まれる手法なんですよね。どう考えてもまともな関係では無いですけど、それでも人同士って、どうしてかそんな繋がりが出来たりする」

「ふ、ふざけるな。そんな甘ったれたものを作っているわけじゃあ―――

「ええ。結構繊細なやり口なんですよ。存外に深い関係を作った上で、例えば意識の方向を特定に向けさせられたりもする。例えばあなたの角の粉末は興奮剤ですから、そういうもの持つ事になる人の集団になるわけで、暴発させやすい集団が作れる」

「あ……くっ……」

 カニャーサの言葉に、饒舌になりかけた。そんな風にケーイーフーは考えたのか、暴言を吐き始めたその口をすぐに閉じた。

 アルフはそれを見て、今さらだと感じる。こと、会話のみに関しては、既にカニャーサはケーイーフーを手玉に取りつつあるからだ。

「これ、粗暴そうなあなたに限らず、一般の生徒ですら考え付くのが難しい事です。学園の生徒の中で、期せずして一定数の暴動者を作り出せるって事なんですから。上手くやれば……良い手駒になる。あなたも含めて……ですよね?」

「そ、それは……」

「あなたに対して、何かを指示した相手がいる。心当たりが無いのであれば、誑かしたとか、促したとか、そういう人です。そっちには心当たりがありますか? ありませんか?」

「う……うあ……」

 カーイーフーは圧倒されている。これならば、カニャーサが望む情報を引き出せそうに思う。

 アルフはただ、その光景を眺めて居れば……。

「う、あ……あああああ!」

「っ!」

 いいや、まだアルフの仕事は続いているらしい。

 アルフに腹部を殴られた痛みが続いているはずのケーイーフーが、それでも叫びながら起き上がる。

 やせ我慢か。いや、それも違うだろう。

「カニャーサ。離れてるんだ。こいつ、どうにも正気を失った!」

 アルフは叫ぶや、カニャーサへと向かい始めるケーイーフーを横から蹴る。鎧人の脚力はケーイーフーの大きな身体を地面に転がす事が出来るものの、それでもまた立ち上がる。

 次はアルフへと目標を変えてだが、そこは脅威には感じない。むしろ今、それでもケーイーフーが立ち上がれている事にこそ驚愕していた。

(別に戦闘訓練を受けてるわけでも無いだろうに!)

 どんな種族だろうと痛みには弱く、ダメージを負えば膝を折る。

 だというのに、ケーイーフーは立ち上がり、そうしてアルフを襲い続けていた。

 暴走したり興奮したりと言った状態なのだろうが、それにしたって、自分の敵に対してばかり襲い掛かり、多少の痛みにだって耐えられるというのは、都合が良すぎる暴走だろう。

(奴自身が売っていた興奮剤……それを自分でも摂取したのか? いざという時に、口の中にでも含んでいた?)

 用意周到なのか、行き当たりばったりなのか分かったものでは無い。というより、誰かにでも入れ知恵されたかの様なやり口にすら思える。

 もっとも、現時点で分かるのは、単純に地面に転ばせるわけにも行かなくなったという事。

 アルフは鎧の腰部より伸びた紐を一本引き抜き、それを剣へと変える。

 自分の身体の一部でありながら、相手を傷つけるための武器にもなるそれだ。

「先輩……こういう時に言うのもあれですが」

「分かってる。出来るだけ怪我はさせないさ。出来るだけの話なっ」

 突進するケーイーフーの脇を掻い潜り、そのまま走り抜けて距離を取ろうとする。

 が、ケーイーフーは興奮した様子のまま、地面に手を突っ込むや、足元のコンクリートごと引き剥がし、こちらへとぶつけて来た。

 それはまるで散弾の様にアルフへと届き、その身体を打ち砕かんとしてくる。

 まあ、それが届く前に、アルフは自分が手に持った剣を放り出すのが早く、さらには剣がアルフの眼前で爆発するのもまた、コンクリートの破片が届くより速かった。

 結果、剣の爆発はコンクリートの破片を飲み込み、そのまま勢いごと粉砕する。

「わぁ……やっぱりそういう事が出来るんですね」

「これが俺の本質でさ!」

 カニャーサに答えながら、次は腰に残ったもう一本の紐を推進力へと変える。これもまた、本質は爆発だった。

 力の爆発。そんなイメージがアルフの中にあり、それが鎧姿になった時に腰紐の形となって現れるのだ。

 使い方を間違えれば、自分自身を巻き込み、周囲を破壊するだけのその力を、時に剣に、時に自身が移動するための力へと変え、制御する事こそ、アルフの鎧人としての道。

 その道の先には、とりあえず、大きな牛頭の男がいるわけだが。

「ぐおおおおお!」

「叫ぶのは良いからっ……倒れておけ!」

 身体の勢いと共に、ケーイーフーの大きな牛頭の額に手の平を置く。そこに全体重を乗せてしまえば、ケーイーフーの体格がどれ程良くても、アルフの方が押し倒せるというものだ。

 ダンッという勢いのある音と共に、アルフの掌底はケーイーフーを地面へ叩き付けた。

 頑丈な頭をしているだろうが、それでも、脳震盪くらいは起こせたはずだ。意識を無くし、四肢の力が抜けた様子からして、これ以上の聞き取りも難しいだろうが……。

「結局、こいつからも、碌な情報を引き出せなかったってわけか……」

「いえ、そうでもありませんよ?」

 と、一旦、距離を置いていたカニャーサが近づいてくる。状況はとりあえず、安全になったと判断したのだろう。

 そうして、彼女はケーイーフーの牛頭を見下ろしつつ、考える仕草を始める。

「結構、不可解な事が起こっています。それってつまり、そこに合点がいく様になれば、それが正解って事になると思いませんか?」

「難しい事はさっぱりだ。俺はこうやって、誰かを殴り倒す事しか出来やしない」

 言いつつ、アルフは鎧姿から生身へと戻る。

 鎧姿になっていたところで、別に疲れやしないのであるが、それでも、物々しい格好をし続けるというのは、アルフとて嫌になってくる。

「そんなに自分を卑下する事も無いと思いますけど。少なくとも、今回の事件の解決は、先輩の力のおかげで順調に進んでいますし、これからさらに進ませるために、先輩の力が必要です」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、先が見えなければ、そっちだって嫌になるもんじゃない?」

「それが事件の調査ってものですよ。けど、そうですね……次くらいが、最後の仕事になりそうって、私は思いますよ」

 騎士警察としての勘。そんなものなのだろうか。

 アルフにはそれとて良く分からなかったが、次で最後という言葉を聞くと、思うところも生まれてしまう。

(そうか。これからどうなったところで、この女の子とは何時か別れる事になるんだ)

 カニャーサは騎士警察で、アルフはただの学生だ。

 今の、奇妙な関係性は、特別であるからこそ、一時的なものであるのだろう。

「……どうかしましたか? 先輩」

「いや、何だろう。別に悔いとか名残惜しさとか、そういうのじゃあ無いんだけど……こう……ああ、駄目だ。言葉にし辛い」

「だとしたら、私なんてもっとさっぱりなのですが」

 結局のところ、これはアルフの個人的な感傷であり、自分の中で決着を付けるしかない心情なのだろう。

 だから、カニャーサに向ける言葉については、この程度のもので終わる。

「兎に角、今はその最後の仕事とやらに、全力を尽くそう」

 その先に何があるか。見てからでも、内心を決めるのは遅くはあるまい。




 今日も今日とて終業のベルが鳴る。

 カニャーサは今日も今日とてアルフの教室へと向かっている。

 いや、正確に言うのであれば、教室の前で待ち伏せをしている。そうしなければアルフが調査から逃げ出す事があったからだが、最近はそうでも無く、カニャーサが教室前に居れば、自然と二人して調査へ向かうという状況になっていた。

 では今日はと言うと……。

「あら、ミキタさんだったかしら。待っているところ悪いんだけれど、今日はあの子、昼から早退したわよ?」

 教室からアルフの教室の担任である夜魔のカネバラ・リントがまず顔を出し、カニャーサにそんな事を告げて来た。

「えっ、先輩、何かあったんですか? 体調が悪いとか」

「ううーん。そういう風じゃあ無かったんだけど、何か急ぎの用が出来たみたいな雰囲気だったわねぇ」

 カネバラはアルフの早退理由について、分かっていない様子。ならば深く聞いたところで仕方あるまいとカニャーサは考える。

「もしかしたら、道場の方に行ったんじゃないかしら。あ、道場については知ってる?」

「はい。先輩が鎧人としての修行とか訓練って言ったら良いんですか? そういうところをする場所の事ですよね?」

「そうそう。あの子のお爺さんなんだけれど、同じ鎧人で、これが結構、凄い人物らしいの。だから学園のある島の一角に、そういう施設を作る事を許可されてるらしくって。寝泊りする場所は別にあるらしいけど、学校から帰るのは、ほぼ必ずその道場の方らしいわね」

 カネバラの言葉に頷く。確かに、アルフの日常とはそういうものであると聞いている。

 カニャーサがこの学校に来る前でもずっとそうだったのだろう。学業が終われば、自身の力の制御方法について学び続ける。

 それが鎧人としての生き方だと言うのなら、力のある種族というのも考えものだと思う。

 ストイックにしか生きられない種族は、種族として安楽に生きられないという事なのだろうか。

「あの、リント先生はアルフ先輩について詳しいんですか?」

「まあ、担任としてはってところかしら。教師と生徒っていう関係性で言えば、その字面通りでしか無いけれど、担任をするうえで、多少は知っておくべき事がある生徒ではあるから。アルフ・コートナって子はね」

「なるほど……あのあの、これから職員室へ向かうのでしたら、その間だけでも、アルフ先輩の事についてを教えてくれませんか?」

 是非に聞きたい内容があったため、カネバラに提案してみる。すると彼女の方は、少し考えた後に、構わないと頷いてくれた。

「あらあら。隅に置けないって言えば良いのかしら。けど、不純な事をする様だったら、教師として注意するわよ?」

 冗談と注意を付け足す事を忘れない。こういう点を考えれば、カネバラは良い教師と言えるのだろうか。

「先輩と先生は、それなりに知り合いだったりするのですか?」

 二人して歩き出す中で、カニャーサはさっそく質問を始める。広い学園ではあるが、職員室までの距離を考えれば、そう悠長に話すのも損だろう。

「なんというか、本人の性格は良いけれど、種族が種族だから。こういうのは言いたくないけれど、問題児の一人ではあるじゃない?」

「はぁ。確かに、鎧人というのは、面倒な種族ではありますよね。先生として、そういうところを注視しているという事ですか」

「そうそう。力が暴走するって言えば良いのかしら。鎧人って、そういう部分とは切っても切り離せないところがあるって聞いているし」

 アルフが訓練を欠かしていないのも、何時、自分の力が自分に牙を剥くか分かったものでは無いかららしい。

 自らの肉体すら凌駕しかねない力。そんなものを生まれながら抱えているから、鎧人は何時しか少数種族となったのかもしれない。

 伝承に残ったりするような、そんな凄い力でありながら。

「実際、本当に本気を出せば、どれくらいの事が出来るんでしょうね。例えばアルフ先輩は」

「そうねぇ。これも聞いた話だけれど、何年か前に、生徒同士、集団になって喧嘩って言えば良いのかしら。諍いがあったのね? 動機はくだらない物……例えばどこかの生徒の角の形がどうとかそういうのだったんだけど、それがどうしてか大変な事態に発展しちゃって」

「諍い……そういうの、この学園で多いんですか?」

「そうね。時々あるわ。みんな、何某か抱えちゃってるんだと思う。けど、その時は危ない状況にまで発展しかねない状況で……けど、それは未然に防がれた」

「アルフ先輩がそれを止めた……?」

「というか、関係者のだいたいが叩きのめされた。校庭で集団での殴り合いが始まったと思ったら、赤い鎧が現れて、その場に居た全員が次々と倒れる事になったのよ。どっちの陣営にも参加していなかったみたいだから、倒された側にとっては、何が起こったか理解するのにも時間が掛ったんじゃないかしらね」

 混乱するその場で、アルフだけが、明確な目的でもって、一人一人殴り倒して行ったのだろう。

 鎧人の力と、日々、力を扱う訓練を続けて来た経験が、それを実現させた。そう思われる。

「ああ、だからアルフ先輩、色んな人達に顔を知られていて、距離も置かれているんですねぇ」

「そうなのよ。その通り。あれは本当に、驚きの光景だったわね」

「聞いた話……」

「ん?」

 ふと、カニャーサは立ち止まり、またカネバラに尋ねる。彼女の方も釣られて止まり、カニャーサの方を見つめて来る。

「聞いた話なんですよね? まるで見たみたいに話してます、先生」

「あら、そうだったかしら。けど、印象的な話だし、臨場感持って話した方が盛り上がるでしょう?」

「そういう事もあるかもしれませんね。けど、その大勢の喧嘩があった時、やっぱり先生もその場に居たんじゃありません?」

「話し方に臨場感があったら、そうなるのかしら?」

「さぁ、どうでしょう。おっと、足、止まってますね。また歩きましょうか」

 今度はカニャーサが先に歩き出す。まるでお互いの立ち位置を変えるかの如く。

「こう、その話を聞いて疑問なのですが、生徒同士の諍いって、この学園でそんな大規模になるかなって思うところがあったりします」

「まだまだ、この学園に来て日が浅いから、そう言えるのかもしれないわよ? この学園は、生徒同士の諍いが本当に多くって」

「そちらについては、嫌と言う程に理解してるところです。けど、問題が不必要に大きくなるのは、やっぱり違和感があるというか……あのですね、この学園、少数種族が沢山混ざり合っているせいで、問題が大規模化する前に、どうにかそれを収める様な警戒が働いていると思うんです」

 例えば食堂で少数種族が暴れてやると叫んでも、暫くすれば、他の生徒はその光景を見なかった事にする。生徒の中には、発生した問題を解消しようと、勝手に動く者もいた。

 おかしな儀式を行う生徒がいたら、それを日常の一風景として納得する生徒もいる。

 当たり前の話かもしれないが、隣にいる相手が、自分とはまったく違う価値観と力を持って存在しているという事実があるからこそ、日常に戻ろうとする力が強いと思うのだ。

「恐らく……みんな、根っこのところで分かって居るんですよ。隣にいる相手は自分とは違う存在だ。だからこそ、行くところまで行けば大変な事になる。だからお互いに踏み込まない部分を作って置こうと」

 そんな感情が、この学園に奇妙なバランスを与えている。カニャーサはそう見ている。

「あらあら。じゃあ、それこそ、生徒の子たちが深刻な争いなんてする事にはならないんじゃないかしら。もっとも、実際には起こり掛けたわけで、やっぱり、この学園は油断ならない場所なのかもしれないわよ?」

「ええ、対立を煽ったり、方向性を与えたりする人がいますからね?」

 カニャーサは歩きながら、カネバラを見る。どこにでもいる教師だ。いや、むしろ生徒の面倒見が良さそうな、溌剌とした先生に見える。

 相応に、信頼されたり慕われたりするのだろうとも思う。

 それを確認して、また再びカニャーサは歩く先へと視線を移した。

「もしかして、教師として、そういう存在がいるとしたら、注意しろって言われてる? ちゃんと生徒を管理しなさいって」

「……最近、生徒の失踪者が多発しているのはご存じですか?」

 ある意味で、今回の本題へと入る。カネバラとこうやって話を続けていたのは、こういう話をし始めるためであったのだ。

「……そうね。生徒に不安を与えるから、大々的には言われていないけれど、知ってるなら言っておくわ。教師の間では直近の問題になってる。どうにも生徒の多くが最近、失踪して行っているみたいなの。あなた、もしかして、それが生徒の扇動に関わっていると?」

「ええ、そうですね。関わっていると言えるかもしれません」

 生徒の連続失踪事件。直近ではこれが大きな事件と言えるだろう。

 この学園で今、起こっているそれは、生徒達が何者かに扇動されているというカニャーサが持った考えと、無関係では無い。それだけは断言出来た。

「生徒が失踪していけば、生徒達が不安になって、暴走する。そういう事もあるでしょうね」

 考え込む風のカネバラ。そんな彼女を見て、カニャーサは呟いた。

「まあ、そういう目的での事件では無いんですけどね」

「うん?」

「その事件は、単に、やる事をやった結果として、そうなってしまっていると言いますか。ええ、言ってしまいましょうか。その事件の犯人。私です」

 立ち止まる。そうして振り返る。後ろにずっとついてきていたカネバラを再び見た。

 彼女の顔は、思ったよりも、動揺はしていない様子だった。

「いえ、ほんと、別にそんな連続失踪なんてさせるつもりは無かったと言うか。ただ怪しい活動を続ける生徒を緊急逮捕して、騎士警察に引き渡していたら、何故か誰一人として帰って来ないので、そういう事になってしまっているんですよねぇ」

 カニャーサは頭を掻きながらぶっちゃける。

 集団失踪事件とやらは、要するに、カニャーサとアルフがこれまで行った行動の結果としてあるのだ。

 生徒達の扇動者と話が繋がるのも当たり前だ。だって、その扇動者を見つけるために、生徒を失踪させている様なものなのだから。

「あなた、何を……言っているのかしら?」

「分かりませんか? じゃあ話を変えて、ここ最近に失踪している生徒達についてを話しましょうか」

 窓際にありながらも、どこか薄暗い廊下の突き当り。人通りも少ないそんな場所で、カニャーサはカネバラに言葉を向け続けていた。

 今、こうする事が自身の仕事であったから。

「クイーンフェアリーのシャリエラ・セイヴは、良くあなたに相談していたそうですね。何でも、友達が少ないから、増やし方を教えて欲しいとか、そういう相談だったと聞きます」

「あらあら。いったい誰がそんな話をしていたのかしら。そうだったらあれよ? 彼女に失礼だわ」

「ええ。勿論、教師としては内密にしないとな話ですけど、秘密なんてどこから漏れるか分かったものじゃあありませんしね。そう、例えばミノタウロスのケーイーフー・デラさんなどは、どうやら特定の教師から金銭的な借りがあったとか。わぁ、いったいどなたから何でしょうねぇ」

 じっと、カネバラを見るカニャーサ。

 ここに話している二人だけで無く、あの血判状に書かれていた生徒達すべてが、何らかの形で、このカネバラと関わっているのだ。

 時に親身に相談に乗った相手、時に部活動の顧問として、良く良く非行を注意していた相手であった時もある。

「私、実はこの学園に、反社会的な活動をする集団がいるという話を聞いて、騎士警察から送り込まれて来たんです。で、生徒同士の力が時々、暴走するこの学園で、まずは生徒についてを調べ始めたのですが……やっぱり、どこの誰であろうと、大人じゃない人が、そう大それた事が出来るわけでも無さそうでした」

「それ、あなただって子どもなのだから、言われたくも無い言葉だと思うけれど?」

「ええ。私も子ども。だから、目線が生徒の方に向き過ぎてました。巧妙に他人を扇動する輩が、大人……要するに教師の側にありそうなんて、もっと早く気が付くべきだったのに」

 怪しい活動をする生徒達。血判状を書く生徒達。だというのにやり口はまだまだ拙いものばかり。

 そこで漸く気が付いた。裏に誰かがいる。もっと機知に富んだ者が、まだまだ世の中を知らない生徒達に、子どもらしい軽挙妄動をさせていると。

 人生経験の浅い相手を、ある程度操作できる誰か。学園という空間において、そんな都合の良い存在となれば、勿論、教師であろうとまず考え始めたのだ。

「一度気が付けば、共通点として見つけ出すのは結構簡単でした。あ、簡単って言うと、評価点にならないから、やっぱり少しは苦労したって言った方が良いですかね?」

「……ごめんなさいね。ミキタさん。その……あなたの言っている事が、いまいち理解出来ないというか」

「今さら、そういうのは言わないでくださいよ。こうやって、職員室とは見当違いの場所にまで、わざわざ付いて来てるって事は、私の事を、相応に敵だと判断したからなんでしょう?」

 今なお、カニャーサはカネバラを見続けていた。その目を。

 きょとんとしたそれから、鋭く、何かを見据える様になったそんな目を。

「騎士警察って言うのは、あなたみたいなのを雇うくらいに人材不足なのかしら?」

「どうでしょう。学校みたいな場所で、誰かを送り込みたいってなった時に便利だから、確保してるだけかもしれませんね。となると、私が成長したら、また違う私みたいな年齢の子が雇われるのか」

 どうであれ、まだまともな職業の範疇なのだから文句を言われる筋合いは無い。特に目の前の、教師の皮を被った扇動屋などには。

「ふぅん。じゃあ、別に自分をまともで善良だとは思っていないみたいね」

「そこはあなたと同じですよね。これまでの生徒達みたいに、正義のための行動やらに染まってはいない」

「勿論。世の中をどうこうするって、勢いだけじゃどうにもならないでしょう?」

「けど、勢いが無くって、いったい世の中をどうしたいんです?」

 そこら中にいる一般人は、当たり前に世の中を生きている。不満があろうと無かろうと、それを覆してやろうなどとは思いも寄らない。

 良く良く知っているからだ。放っておいたところで、多くの場合、社会なんてものはなる様にしかならないと。

 世の中をあらゆる手段を使って変えてやる。そんな風に考える連中の大概は、勢いだけの考え無しだろうとも。

「そうね。言ってみればそう……寿命を縮めたいってところかしら?」

「寿命?」

「そう。どんな種族にもあるでしょう? 何時かは死んじゃうの。社会だって同じ。どんな集団も、何時かは死ぬ。寿命っていうのがね、あると思うの、私」

「あなたが縮めたいその寿命とやらは、いったい何の寿命だって言うんです?」

「この国よ。ちょっと、そんな顔しないで。大それた事を言っている風に見えたかしら? けど、存外、簡単な事なのよ。大層な物に思えるけれど、所詮は人の集まりで、時間が経てば経つ程に複雑なそれになっていく。それは分かるでしょう?」

 人間関係、制度、法律、文化に至るまで、確かに人と時間が重なれば重なる程に、それは複雑さを増して行くものだと思う。

 それくらいなら分かるが、カネバラはそれをどう考えているのか。

「そんな複雑さを、壊したいのですが?」

「いやねぇ。逆よ逆。寿命を縮めさせたいって言ったでしょう? 複雑になった物って、何時かは壊れるものなのよ。誰も彼もが複雑になり過ぎて、それが何だったか分からなくなるタイミングで、国みたいな人の集まりだって、自然と壊れる。早いか遅いかの違いはあるけれど……私はそれを早めてるってだけの事かしら」

 目の前の女教師は、思ったよりも変わった感性をしているらしい。常人とは違う、やや狂人に近いそれだろうか。

 彼女の話をただ聞く中で、カニャーサが得た感想はそれくらいだ。

「生徒に反社会的な思想を植え付けて、世の中にただ送り出す。なるほど、確かに、世の中は不安定になりますね」

「分かってくれて何より」

「ええ、分かりました。別にここで逮捕したところで、誰から文句を言われる事も無さそうだなと」

「あらあら、聞いてくれないのね?」

「っ!」

 視界がブレる。いや、視界の多くを占めていたカネバラの姿が、まるで湯気の様に揺れたのだ。

「そもそもどういう動機で、私が、生徒を扇動していたのかって」

 ブレたカネバラの姿が、どうしてかカニャーサのすぐ前で輪郭を取り戻す。

 距離を縮められた。言ってしまえばそういう結果なのだろうが、いったいどういう理屈でかが分からず、カニャーサの首元にはカネバラの手の指が掛って来た。

「聞けば、気分でも良くなって、この手を放してくれたりするのですか?」

「どうかしら。気分は良くなるでしょうけれど、手は放さないかもしれないわね?」

「そうですね。あなたは夜魔ですし」

「あらあら。ちゃーんと調べてから来てくれたのね?」

 カネバラ・リント。その種族である夜魔は危険度においてはC程度のそれだ。知性があるし、人間の価値観への順応性も高いとの判断なのであるが、それでも、種族として危険な部分があるとカニャーサは知っている。

「夜魔は人を誑かす。そういう趣向なのではなく、そうする事で自身の価値観を安定させる……と、そういう話は知っています」

「そうそう。普通はね、ちょっと人を騙したり、むしろ良い方向に扇動したりする程度なんだけれど、私の場合、この学園で教師を続けている間に、ふと、思っちゃったのよ」

「この学園も、続く社会も、取り巻く国だって、同じく弄ぶ事が出来る。そんな風に、ですか」

「ええそう。だって、どうしようも無く不安定じゃない? 何時かは潰れるんだから、私がそれに手を加えたって、どうって事無いと思うけれど」

「どうって事無くは無いから、私が働いているんですよ」

「あらそう。けど、ここからどうす―――

 カネバラの言葉が途中で止まった。

 まあ、いちいち長話をしていたのは、こうやって止めるタイミングを計っていたというのもある。

 話の最中に、ポケットに手を入れ、一本の棒を取り出し、カネバラに向ける。それだけの時間は、十分に話し込めていた。

「騎士警察は携帯魔法杖を持つ許可が与えられてるって、知りませんでしたか?」

「そうね。知ってるけど、実際に向けられるのは初めてかもしれないわ」

 携帯魔法杖。大層な名前だが、文字通りの道具でもある。

 かつて、多くの国を巻き込んだ戦争が繰り返された時代に開発された武器の一つだ。

 魔法と呼ばれる神秘の力を解析し、棒状の物体に形式化された魔法を込めたのが始まりだそうで、現代に至ると、それはポケットに数本入れておけるサイズにまでなっていた。

 ちなみにカニャーサが持つ携帯魔法杖には、豆粒大の質量を高速で相手にぶつけるという魔法が込められている。通称、魔法弾などと呼ばれているそれ。

 人体に食い込み、痛みと損傷で明確にその戦闘力を奪う道具であるという事。勿論、当たり所が悪ければ命を奪うだけの威力がそこにあった。

 騎士警察における奥の手であり、一本につき一発を放てる。ちなみに現在、カニャーサはそれを服のあちこちに、合計六本程仕込んでいた。

「手を上げて大人しくしてくれませんか? 手荒な事はしたく無いって、そういう風に提案するのが、こういう時の常道なんですけどね」

「そ。じゃあごめんなさいね」

「っ……!」

 カネバラがその手を動かす。

 こうもなれば、躊躇してもいられないと、カニャーサはその魔法杖の力を発動させた。そこまでは良い。そこまでは想定はしていたが……。

「うそっ!」

 魔法杖から発射された魔法弾は確かにその威力を発揮した。ただし、カネバラの身体にでは無く、それを通り過ぎて、近くの床に力を食い込ませ、消滅する。

「夜魔がどういう種族か、調べたのでしょう? なら、よく理解しておくべきだったわね」

 目の前に居たはずのカネバラの輪郭がまだブレる。そうして、絵の具の様に空間に広がると、徐々に薄くなって消えて行った。

 首元には指の感触だけが残り続け……。

「夜魔はね、人を誑かすのよ」

 カニャーサの背後からカネバラの声が聞こえる。背後から伸ばされた彼女の手は、変わらず、カニャーサの首元に置かれ、それを擽る様であった。

「……理解はしていました」

「あらそう? なら、ちょっと注意が足りなかったかしら?」

 首元に置かれた指の力が強くなる。夜魔の特徴の一つだ。彼女らはその身体能力も並の人間を上回る。

「その無粋な武器が、あなたから注意力を奪ったのかもしれないわね? それだって、昔は魔法っていう不確かなものだったのに、人間種族が解析し、確かな技術にしてしまった。人間という種族の傲慢が形になったもの……とでも言えるかもしれないわ?」

「そんな言葉を生徒に向けて、彼らの自尊心を擽った。そういう手口ですか。あなた自身は……どうなのです? 人間種族に恨みがある?」

「さあ、どうかしら。ほら、私みたいな種族って、自分だって騙してしまえるし……けど、あなたが私の話を聞いて、思うところの一つでも生まれてしまえば、さらにあなたの注意を乱す事が出来る。そう思わないかしら」

 蠱惑的な響きがカネバラの声に混じり始める。

 いや、もしかしたら、普段の会話の中ですら、随所にそういうものを仕込んでいるのかもしれない。

 そんな夜魔という種族が危険度Cクラス程度というのは驚きだ。もっと警戒するべき相手であろうさ。

「注意? してないわけが無いじゃないですか。だからちゃんと、ここへ誘導したんですし」

「え?」

 今度はこちらが驚かせる番だ。

 窓が割れ、そこから一人の男が廊下側に飛び込んできたのだから、驚かない方がおかしい。

 その男が鎧人という種族であれば猶更だろう。

「すみません先輩。やっぱり後は、頼みます!」

「そうなるんじゃないかと思っていたよ!」

 彼は飛び込んだ勢いのまま、カネバラを蹴飛ばすや、入れ替わる形でカニャーサの背後に立っていた。

「まったく、嫌になるな。信頼してる教師の一人だったのに」

 そんな風にぼやきながら、アルフは自身が蹴飛ばし、廊下の壁に叩き付けられたカネバラを見ていた。

 既にその姿を、赤い鎧姿のそれへと変じながら。




 正直なところ、目の前で自らが蹴飛ばした教師が、生徒を扇動していたという事実はショックな話であるとアルフは思う。

「酷いじゃない、アルフ君。これまで、それなりに仲良く出来ていたと思うのだけれど?」

 壁に叩き付けたはずであるが、カネバラは無事な様子だ。話す余裕はしっかりあるらしい。

 一方、ふらふらと立ち上がって来る彼女の姿を見れば、ダメージは通った様にも見える。

「俺も、あなたは立派な大人の一人だと思っていたんですけどね」

「大人よ? 大人だから、子どもに出来ない事も出来るだけ」

 言いながら、カネバラの姿が視界の中でブレた。

 その場で消え去るわけではあるまい。そういう風に見せられているというだけだ。

 アルフはそう考えて、身体を後方に引いた。何か、現実とは違う光景を見せられていると言っても、向こうは現実と同じ様な動きしか出来ないはずなのだ。距離を置く事には意味があるはず。

 結果、アルフの視界もまた引き、より廊下全体を見る形になる。そうして分かる事はと言えば、やはりどうにも、アルフが見ていたカネバラの姿は幻覚の類であろうと言う事。

 先ほど、アルフが居た場所の丁度横側から、実際のカネバラが腕を伸ばして来ていたのだ。

 正面に、ふらふらと立っていたはずのカネバラは、どこかへ消えている。

「良いじゃない。反応が鋭い」

「良くは無いでしょう。今から、その鋭さがあなたを襲うんだから!」

 いったいどういう仕組みと力で幻を見せられていたかは知らないが、幻覚の後に来ている以上はそれが本体だ。

 アルフはそう考えてカネバラの方へと向かった。

 そうして、そんな安易な考えは裏切られる。

「なにっ!?」

 手応えはあった。手応えは確かにあり、それが幻では無い事は分かる。

 だが、カネバラの胸部を狙って振るった拳は、何故か向こうの手の平に収まったのである。

「鋭い動きでも、正面からぶつからなければどうとでもなると思わない?」

 受け流される様に、アルフの身体はその勢いを利用され、カネバラの身体にはぶつからず、その後方にあった壁へと叩き付けられる。

 本当に、流れる様な動きだ。流麗を通り越して艶美さすら感じるその動きで、アルフは自分の勢いをそのまま自分の身体に返される形になってしまう。

「ぐっ……」

 歯を食いしばり、そんな勢いに耐える。さっきと意趣返しと言ったところなのか。ダメージこそあれ、こちらも立てない程でも無い。

 壁に伝わった衝撃は、すぐ近くの窓にも伝わって割れるものの、やはりアルフの鎧はまだ砕けていないのだ。

「あなたの力は怖い。今の一撃だって、正面から受けていれば、私はその時点でノックアウトしていたのに、あなたなりに手加減をした攻撃だったのでしょう? 鎧人は、だからこそ恐ろしい」

 そんな事は、今さら言わなくても分かっている事だろうに。

 鎧人はそういう存在だ。他者の誰よりも驚異的な力を持って生まれて来て、後はその力の制御だけに人生を費やす。そんな歪な生き方をしている、そういう種族である事を。

「だからか? 俺の世話を良くしてくれて居たのも、俺を取り込むためだっていうのか?」

「どうかしらね。教師としては真面目に接していたつもりだけれど……けど、そうすればあなたは慕ってくれるかもしれない。そう考えた事も実際よね?」

 鎧人の力は、さぞや社会とやらをいたぶれる事だろう。自分自身ですら時々、嫌になる程の力なのだから。

 だがしかし、そんな力であろうとも、カネバラへは通用してくれない。

「しゃらくさい!」

「そう言いながら、ちょっと前まで親しくした相手を殴りつけられるって、そっちは割り切り過ぎじゃあ無いかしら!」

 突進し、殴りつけ、そうして何故か殴った場所以外のところを殴る形になり、時には受け流されて壁や床へ叩き付けられる。

 繰り返す中で、身体の痛みは増して行き、目の前の教師には何も通用しないのでは無いのかという気にまでなって来る。

「……なんだ? 転移とかそういうものじゃあ無いだろう……幻覚にしても、どういう種類か」

「そうやって急に冷静になる。そうね。本当に鎧人って恐ろしい。あなたは良く、面倒な力を抱える種族で、碌でも無いなんて言っていたけれど……どんな種族だって、そうなった意味がある。あなた達のそれは、強大な何かに立ち向かうための力。身に余るその力を得る必要があったからこそ、心の中も、戦いに対してとても鋭くなっている」

「何を言いたい……?」

「その力をぶつけるべき相手は何か。考えた事があるかしら?」

 空気が冷たくなる。いや、実際には動き回り熱く感じるのであるが、それでも、温度が下がった様な、そんなぞくりとした感触もまたそこにあるのだ。

「私は弄ぶだけのそれだけれど、あなたなら力づくで壊せる。そうは思わない? 人間が作ったこの社会を!」

「ほら、結局、先輩を誘う事を目指してる。前もって言って置かなければ、乗せられていたんじゃないですか? 先輩」

「さすがにわざとらしすぎて、そうはならなかったはずだ」

 と、話に入って来たカニャーサに対して返しておく。

「……前もって?」

「あなたが相応に出来る人なら、こういう事態にもなるって話は、前もってしていたって事だ」

 血判状に書かれた生徒達は、あくまで誰かに扇動されている側で、その全員の関係者としているカネバラが怪しいという考えに至った時点で、ここまでの事態を想定はしていたのだ。

「結局、先輩だって不安定な少数……えっと、差別表現ですかね?」

「別に構わない。俺だって不安定な少数種族である以上、あなたの言葉に惹かれるかもしれない。他の生徒と同様に」

 だからこそ、覚悟はして、そうして、やはり乗らないと決断している。

 カネバラが何を言ったとしても、それは所詮、誰かに暴挙をさせて、自分だけはその外側にいる卑劣なやり口なのだから。

「世の中に苛立ちを感じているのは本当の癖に」

「ああそうさ。あなたはそれを弄ぶんだろう? そういう種族だ。結局、他の種族が他の種族を自分の力で振り回してるだけの、それだけの話だ。社会を壊すとか人間を憎むとか、そんな話以前の問題だ」

 それは、要するに犯罪なのだ。深く考える必要も無かった。

 悪い事をしている相手に対して、然るべき罰を与える。いや、罰を与えるための環境へと持って行く。それだけを、この世の中に生きるただ一人として行う。

 そう覚悟したからこそ、カネバラの言葉に誘われる事は無い。

「学校で習う話だ。悪い人に出会ったら通報しましょうってさ!」

「なら、こうも習わなかったかしら? 怖い人に出会ったら逃げなさいって!」

 また、カネバラの身体がブレ始める。まだだ。まだ対処は出来ない。その力の仕組みがまだ分かって居ないのだから。

「先輩! 目です! 目を擦って!」

 カニャーサのその言葉。助言の類で、いったいどういう意味かとアルフは尋ね……無い。

 これもまた、覚悟をした事。アルフが戦うのなら、カニャーサは観察を続ける。そうすれば、カネバラが何をして来たとしても、アルフよりさらに早く、カネバラのやり口に気が付けるはずだと。

 だから、その言葉を疑わず、今は顔すべてを覆う兜の様な顔を、手で擦る。

 それだけの仕草で、目の前は開けた。

 もっと具体的には、カネバラの位置が変わった。

 ブレたと思っていた場所から横にズレ、こちらに近づこうとして来たカネバラの姿がそこにある。

 そうして、今度は迷わずその彼女の腹を殴りつけた。

 今度は違う場所に当たる事も無く、狙った場所へと届き、そうして再びカネバラの身体を壁へと叩き付けた。

 手加減はやはりしている。命を奪っても、取り返しの付かない傷を付けても失敗だ。彼女を捕らえる事こそがただ一つの正解なのだ。

 だからまたしても立ち上がろうとしているカネバラに向きながら、アルフは腰の赤い帯を引き抜いた。

 引き抜いた帯は剣の形へと変わり、それをアルフはカネバラへと投げつけた。正確には、立ち上がろうとしていたカネバラの肩の上。壁に突き刺さったその剣は、カネバラを傷つけるものでは無かったが、ほんの少しだけ、動きを阻害する。

「まだやるのなら、こっちも本気を出さないとならない。それはもう、遊びの範疇では無くなりますよ? 先生」

「あら……言うじゃない」

 こちらを睨みつけて来るカネバラ。彼女は同じ姿勢のまま、身体に力を込めようとして……。

「……そうね。そう。本気になるのは夜魔のやる事では無いものね」

 カネバラはそう呟き、その場で脱力した。

 立ち上がろうとするのは止めて、ただ視線をアルフとカニャーサへ、それぞれ順番に向ける。

「私の力のタネもバレちゃったみたいだし……すぐに気が付いちゃうんだもの。嫌になっちゃう」

「あなたの種族としての危険度はCクラス。これは、どうしたってそれほど大それた力は持っていないという事です。他より優れた身体能力だけでも、その危険度を与えられている種族もいますから、それ以外の力となると、そう大げさな力では無いとは思って居たんですよね」

 カニャーサのそんな説明を聞いて、アルフは自らの手のひらを見る。先ほど、顔を擦った手のひらだ。

 赤い色をした鎧の色の他に、やや薄い紫色した粉の様なものがそこにはあった。

「息にね。含まれているのよ。常にその粉みたいなものが。相手の目に入れば、視界に映る自分の姿を惑わす事が出来る。それだけよ? それだけの力が、常に息と共に周囲に影響を与えるの。私達は夜魔。息をするだけで、他人を惑わす。嫌になる力でしょう?」

 ふと、これまでに無い、どこか疲れた様な言葉を漏らすカネバラ。

 これが彼女の本質か。他者を惑わし、弄ぶ事でしか社会への接点を作れないのだとしたら、こんな風になってしまう。それが彼女なのだ。

 いや、それとも、この言葉や仕草ですら、アルフに罪悪感や同情を与えるための行動なのか。アルフには分からない。

 この学園には少数種族は多く集まってはいるが、それでも、それぞれの種族が少数であり、お互いに何か、大きな違いがある事はずっと変わらないのだ。

 けれど、そんな場所においても、通用する言葉はあるのだろう。

「カネバラ・リント。あなたを騎士警察の権限により逮捕します。抵抗はしないでくださいね。それもまた、罪になる可能性がありますから」

 カニャーサのその言葉は、事件の解決を意味している。

 長く続いた様で、存外、短かったこの学園の事件は、こうして、黒幕の逮捕により終わりを告げたのである。




 コンクリートの壁で形作られた無機質な部屋。

 騎士警察少数種族対策課の事務室。

 再び、ここへと戻って来たカニャーサ・ミキタであるが、あまり感慨というのは湧かないものだなと、ぼんやり考えていた。

 これではいけない。少なくとも何か変わった部分はあるのだろうと心しなければ。

 そうも思うのは、カニャーサが真面目だからでは無く、今、事件の報告を上司、ラドルフ・ルッゾに対して行っているからだろうか。

「ま、それほど大事では無かったのだから、これからも大事にはならないと思うがね」

 ラドルフは事務室の仕事机に座りながら、じっと、机の前にいるカニャーサを見つめて来ていた。

 向こうが座っているとは言え、カニャーサの背丈は小柄であるから、目線はちゃんと合っている。

「少数種族が通う学園での、教師が生徒に反社会的活動を扇動するのは、大事では無い……と?」

「組織立ってのものじゃあ無かったんだろう? なら、やっぱり大した事じゃあない。個人でそこまで生徒を煽れるというのも大した才能だが……それだけだ。一般人と同じ罪状で、同じ刑罰が与えられる。それだけの話だろうさ」

「実際、騎士警察としても学園内のこの事件については穏便に済ましたい。みたいな形にはなりましたよね?」

 カネバラ・リントに煽られて過激な行動をしていた生徒を、カニャーサは捕らえて、騎士警察に引き渡していたわけであるが、彼らが学園に戻る事は無かった。

 それはどういう事かと言えば、逮捕されて取り調べをした後、故郷へ返していたからだそうだ。

「やった事がやった事なので、そのまま学園に送り返す事も出来なかったしな。彼らに関しては、確かに罪はあってもまだ子どもだ。大人に騙される程度のな。故郷の親御さんと一度きっちり話し合えと、そういう事になっている」

 なんとも人情に満ちた話であるが、学生相手に騎士警察という組織が出来る事とは、そういう類のもの程度なのだろうか。

「子どもと言うのなら、私がそもそもそうですし、学園の生徒であろうとも、彼らは少数種族として、恐るべき力を持っていたと思いますが……」

「だから厳罰にすべきだ。なんて事を、お前さんだって考えて居ないんだろう? ま、教師のカネバラ・リントか。こいつがやった事だけは無視出来んが、それ以上を追求する必要は無い。自分が子どもだって言うのなら、それで納得しておくと良い」

 淡々と、上司は決定事項を再度、カニャーサに説明し続ける。

 要するに、そうやって言い聞かせないとならないと思われるくらいには、カニャーサの事を子ども扱いしているのだろう。

 その事について、カニャーサは何も言わない。あの学園での一件で、自分なぞまだまだ半人前である事を思い知らされたのだ。

 子ども扱いなんて、それこそ現実のカニャーサに見合った扱いなのだろうと思う。

「あの学園はな、結局は臭い物への蓋だ。人間社会が今後も発展し続ける限り、あそこには臭いものが詰め込まれ続ける。それが一時溢れたとしても、やはり蓋であって貰わなければ困ると考える連中がいるのさ。壊して中身を取り出すなんてとんでもない……とな」

 そう伝えて来るラドルフであるが、彼の言葉にもどこか、疲れの様な物が感じ取れる。こういう仕草をする事が、大人という事なのだろうか。

「ま、この件に関しての話はだいたいこれくらいなのだが……個人的に気になる事が報告書には書かれていたな。現地の協力者が居たらしいが」

「あ、はいはい。そうです。アルフ・コートナって学生の人。先輩なんて呼んでいましたけれど、これで学生さんながらなかなか役に立つ―――

「鎧人。だったな?」

「え……ええ。そうですけれど。鎧人、じゃあダメでしたか?」

「いいや? 駄目でも無いし、ちょっとした奇縁かなと思う程でもある」

「奇縁?」

 これに関しては、ラドルフの言っている意味が分からず首を傾げる。

 もっとも、ラドルフの方はいちいち説明はしてくれなさそうだ。何やらそのまま考え込む様子のままとなり、もしやこれからカニャーサは自分のデスクに戻れという意思表示なのかとすら思う。

「話が終わりなら、私はこれで……」

「ちょっと待て」

「な、なんでしょうか?」

 無駄に威圧感のある上司に対して、恐怖を覚えるところが無いかと問われれば嘘になるだろう。

 振り向きかけた身体をまた元に戻しながら、カニャーサは上司の次の言葉を待った。

「どうだった?」

「何ですって?」

「だから、学園の調査を行って、どうだったかと聞いているんだ」

「どうと言われても、報告書に書いた通りで……」

「そんなものを聞きたいわけじゃあ無い。報告書に書くべきでは無い内容の部分で、どうだったかと聞いているんだ」

 何かしらの頓智だろうか? あまりそういう話題は得意で無いので、頭を悩ませるも、良い言葉が浮かんで来ない。

 あまり待たせていても目の前の男の機嫌が悪くなりそうなので、思い付いた事をただ答える事にする。

「えっと、勉強になりました」

「ふむ? 件の協力者のおかげでか」

「その協力者……だけの話じゃあなく、なんとも自分は、見識がまだまだなんだなと、素直に受け入れる事が出来たというか」

「ま、そういうものだろうな。促成栽培も甚だしい君にとっては、世の中、学ぶ事だらけだ」

「そうは言いますけどねぇ……孤児院なんかに居て、何時、社会にほっぽり出されるか分からない若者を、騎士警察で働けるぞと勧誘した悪い大人側に言われるのはどうにも……」

「そういう制度がこの国あるのだから仕方あるまい。要は、その立場になった上で、どうするかだ。本人にとってはな」

 偉そうな事を言う割には、何か当たり前の事を言われて、丸め込まれた気がする。

 どうせ、これからも変わらぬ騎士警察としての日々が続くのだ。社会に疎い人間の一人として、散々に学んでやろうとは思う。

「で、だ。まあ、今さらな話だが、君も普通なら学校に通う様な人間ではあるだろう?」

「一応、騎士警察の研修なら、人よりは受けさせられている身でありますけど」

「それはまあ、子どもを働かせる以上、こちらとしてはやらなければならない事だろうが、そういう意味では無くてな」

「なんです? かなり遠回しな言い方に聞こえますが」

 急にもごもごとし始めた上司に、首を傾げる事しか出来ないカニャーサ。そんなカニャーサの視線に対して、ラドルフは意を決した様に口を開いた。

「あれだ。これはあくまで私からの提案なんだが―――




 学園内で何か、大した事が起こっていた。

 そんな余韻だけを残して、ハタカ学園は日常を取り戻している。

 教師が一名と、生徒が複数名。突然に居なくなり、それぞれが故郷へ帰ったとの説明だけが後から行われた。

 それだけで何事かがあり、その何事かは終わったのだと生徒達は考える。そんなどうしようも無い惰性の様な空気がハタカ学園にはあるのだ。

「なんとも、考えさせられる状況だと思います」

「と言っても、前から続く状況でもある。考えたところで、何も得るものは無いかもしれんぞ?」

 アルフ・コートナは何時もの道場にて、正座をしながら、目の前で同じく正座をしている師、ゲイル・コートナと対面していた。

 アルフ唯一の家族であり、向こうもそれほど厳しくは無いのであるが、この道場で会う時は、どうにも厳粛な気持ちにさせられる、そんな相手。

 そんなゲイルが、深く何かを考える必要は無いのではと問い掛けて来る。

 だからこそ、アルフは首を横に振った。

「何も意味が無かったとは思いません。それほど長い期間ではありませんでしたが、自分を先輩だなんて言って仕事に付き合わせてくる後輩と出会って、少なくとも、俺は思うところが生まれましたから」

「それを成長……と呼ぶのも、何やら納得が出来ない。そんな目もしているな」

 それはどういう類の目だろうか。自分で自分の表情が分からないのであるが、鏡があったとしても、ゲイル程に他人の感情を読み取れるわけでも無し、何時も通りの自分の顔があるだけだろう。

 それでも、それでもだ。今はこの師に対しても言える事がある。

「師匠は、どこまで分かって行動していたんですか?」

「どこまで……とは?」

「この際、はぐらかしは止めましょう。カニャーサが学園に送り込まれて来たという事は、誰かがいち早く、学園の状況を察して、騎士警察に通報した人がいるって事でしょう?」

「それが私だと言う理由も無いと思うが」

「一度、俺が暴走した時の事ですが、行動があまりにも早すぎましたよね?」

「ふん? どう返すべきか。言い訳するにしても、確かに行動が早すぎた。まあ、話してこそいないが、特に隠す事も無かったから、バレるならすぐにバレるか」

 もう少し隠して来るかと思えたが、師はすぐに認めた。

 結局、師に見守られていた形なのだ。どうせ、騎士警察から送り込まれた人員の手助けをするつもりで動いていたら、予想外に弟子が協力を始めたので、裏方に徹する事にでもしたのだろう。

「それに気が付くくらいは……成長したんでしょうかね」

「自分一人で何もかもが出来ると嘯ける者よりかは、上等なのだろうさ。だが、本当に一人で何もかもが出来るまでは、まだまだ精進だな」

 笑う師に対して、言える事は無くなる。

 まだまだ未熟者。それが今回の件で学べた事なのだとしたら、自分の鎧人としての道のりはまだまだ遠いのだろう。

「それにしても、騎士警察に通報して、わざわざ学園内に潜入できる人間が送り込まれるって事は、師匠の人脈ってどうなっているんです? 今さらながら、そんなに信用のある立場だったんですか?」

「老人なのだから、それだけ他人との繋がりはあるというだけさ。だが、そうさな、昔、似た様な事をした記憶があって、そういう繋がりもある」

 昔。どういう場所でどういう具合に似た様な事をしていたのか。アルフにはそれは分からない。

 だが、もしかしたらそれは、カニャーサとアルフの関係性に似ているものなのかもしれない。

 もっとも、アルフの方は、早々に途切れた繋がりなのだろうが。

「これから、また学園での日常が戻ると思います。そうなった後でも、そういう繋がりっていうのは、残ったままになりますかね?」

 今、アルフの心の中にある心配なんてそんなものだ。いろいろあったが、これからはまた元の日常が戻って来る。

 他の学園の生徒と同じく、アルフもまたそんな感性を持っているのだ。

「二つ、間違いがある」

「間違い?」

「一つは、元通りになる事などない。何かが起こった以上、何かが変わったのだ。問題が去ったから、問題が起こる前に戻るなどと考えるのは子どもの考えで、そういうものから脱したくて、自分を半人前だと自覚したのだろう?」

 じっと、こちらを見据えてくるゲイル。その目は何時も通りと言えば良いのか、真剣な目をしたものであったが、それでも、何時もとは違う何かがある様に見えた。

 そんな師に返す言葉も無く、アルフはただ二つ目の間違いを聞く事になる。

「二つ目の間違いは……繋がりなんてものはな、無くなったりするかを心配する様なものを言うのではない。どうしたところで中々に途切れないから、それを繋がりと呼ぶんだ」

 なら、カニャーサとの繋がりとて途切れはしないのだろうか。

 アルフはそれを尋ねたくなり、そのまま発さずに飲み込んだ。

 こういうものの答えを、誰かに求める事を止める。それが半人前から脱するための行動の一つに思えたから。




 今年の夏は暑くなりそうだ。

 やや汗ばむ陽気の中で、どうしてかそんな陽気が降り注ぐハタカ学園校舎の屋上にいるアルフはふと、そんな事を思った。

 少なくとも春ではもはや無いし、そんな時期に転校してくる生徒も珍しい。

 その珍しい生徒が今、何故か隣に並んで、校舎から見える校庭を眺めているわけであるが。

「いやまあ、なんでいるの」

「失礼な言い方ですね。居ては悪いのですか? 私、これでもバリバリの学生な年齢なのですけれど?」

 隣にいる珍しい生徒、カニャーサ・ミキタの、相も変わらない、嫌味のつもりが無い嫌味の籠った声が聞こえて来る。

 暫く学園と学園のある島を去った後、どうした事か、彼女はまた学園へと戻って来たのである。

「前の時は、正式な転入では無く、一時の見学の形だったんですよ。そうして学園を気に入った私は、この度、正式に学園の生徒となった……という形になる」

「そういう形ね……」

 あくまでそういう事になっているという話。彼女がどういう立場の人間か分かっているアルフであるから、そんな建前だけの話は、前フリであると分かる。

「で、どうして戻る事になったんだよ。例の事件については、黒幕の逮捕で終わっただろう?」

「一応の決着はつきました。後のややこしい話については、騎士警察の本部がどうにかしてくれるかと。あ、こっちも一応の報告として、学園が今後、どうこうなるという程の事態にはならないと思いますので、ご安心を」

「安心できる話なのかな、それ」

 とりあえず、学園に燻り続ける反社会的……というか、反人間種族的な考え方は、どこかで残り続けるという事でもある。

 カネバラ・リントが煽った部分もあるとは言え、元々、学園のどこかにはあった考えであり、一度は火の粉となって散った以上、やはりまだ、学園にはそういう考え方が残り続けていると言える。

「学園が無くなれば良かったと、そんな風に考えてます?」

「良くは無いよ。全然良く無い。けど、それはそれとしてって話なんじゃあないか? 人間種族としてはさ」

「そんな事、人間側だって考える人は少数だと思います。結局のところ、世の中なんて大きく変わって欲しくないっていうのが、大半の人の考えなんですから」

 その部分だけは、人間も少数種族も変わらない。

 希望のある話では無く、世の中は惰性に寄り動くという表現が正しいやもしれない。

「そういう惰性から、また君がこの学園に来たとか、そういう話はしないよね?」

「しません。惰性で君はずっと学生のままだなんて言ってくる程、騎士警察は暇じゃないですし、予算に余裕もありませんからね」

 世知辛い現実程に説得力のある物もあるまい。

 彼女がまたここに居るという事は、何かの理由が必ずあるのだ。

「結局、どういう風に学園の雰囲気が変わろうとも、学園は無くせないって話とも繋がっているんですよ。だからって放置もできないでしょう?」

「結果、君が暫くは監視を続ける事になったって、そういう事?」

「ほら、私、これでも学生らしい年齢ですし? ついでに学生として学んで来いと、そういう指示を受けまして」

「それを聞いて、騎士警察も随分と人道的だって思えば良いのかな?」

「別に、騎士警察は騎士警察ですから。特に何かを思い直す事は無いと思いますけれど」

 それは正直、有難い話であった。

 カニャーサの様な年齢の少女が騎士警察の一員として、少数種族が通う学園へと潜入させてくる。

 そういう類の組織であるという認識を、これから変える事は難しいだろうから。

「ちなみに、他に言う事は、あったりしません?」

「他にかぁ……そうだね。なんで居るの」

「さっきまで説明してたじゃないですか!」

 勿論、聞いたし説明も理解した。

 だがそれはそれとして、なんでまた彼女はここに居るんだという思いは消えない。

 師が言っていた事を思い出す。

 繋がりなんてものは、切ろうとしたって切れない。むしろそういう物を繋がりと言うのだと。

「……君はさ、これからも学園内で危険人物の監視みたいなのを続けるって、そういう事で良いんだよね?」

「そうですね。差し当たって、この人というのは無いですけれど、この学園、結構な頻度で危ない事が起こってそうですから、暇にはならないかなと」

「それはその通りだ。この学園に居る限りは、厄介な事態に事欠かないし、君は忙しい日々を送るんだろうさ。だからさ……」

「だから?」

「今後も、俺が手伝う事だって出来る。どうだろう? 前みたいな協力関係を継続する事は出来るかな?」

「……」

 そんなアルフの問いかけに、ふと、カニャーサの表情が固まった様な気がした。

 かなり、無茶な事を言ったからかもしれない。

 所詮は一般人が騎士警察の仕事に協力するなど、臨時的なもので、継続して行う様な事では無いとはアルフも思うから。

 しかし、そんなアルフの考えを他所に、カニャーサは表情を笑顔に変えて来た。

「そうですね。半人前同士、頑張って行きましょうか。一人前くらいの仕事をして、周囲を見返してやるっていうのはどうです?」

 そうやって笑うカニャーサの顔を見て、今は鎧に覆われていない顔で、アルフも笑い返した。

 ハタカ学園は少数種族ばかりが集まる、問題と危険が多い学園だ。

 だが、こうやって、立場も種族も違う者同士が笑い合っている場所でもある。こういう部分を増やして行く事も、目の前の少女となら出来る気がしたのだ。


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