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第二話 そうして縁とやらは繋がりになる

 鎧人という種族についてを、カニャーサは良く知っている。

 人間の社会において、彼らは危険な存在だと認知されているし、他の少数種族からの認識もその様な物だ。

 つまり、どんな種族からも、彼らは危険だと思われている。

 彼らは基本的に、普段は人間と同じ外観をしている。それが彼らの本来の姿だと言う説もあれば、もう一つの姿。全身に鎧を纏った様に恰好になった時が、本当の彼らだという話もあった。

 何にせよ、彼ら鎧人が語られるものの中で、もっとも有名な物が一つある。

 彼らであれば竜とすら戦える。

 あくまで、かつては……という話であるが。

「存在が伝説に近いって事なんですけど、実際にまだ生き残りが居たわけですか」

 ふと、すっかり日が落ち、暗くなった自分の部屋で、微かなガス灯の明かりで照らされた机を前に、カニャーサは呟く。

 机の上には資料の紙束が幾つかと、報告書用のやはり紙が数枚とペンが一本。

 本日拘束し、島内の騎士警察駐屯所に数名の学園生徒を引き渡してからそのまま部屋へ帰って来たのであるが、疲労困憊な状況にあって、なかなかに仕事が進まない。

 結果、今日あった事を思い出してばかりいる。

 主には自分が仕事の手伝いを頼んでいたはずのあのアルフという青年についてだ。

「鎧人は危険度Aランク……であるとは知っていますけど、話してみる限り、社会への適応性は別にそこまで悪く無いんですよね。能力は飛び切りなのでしょうけれど……」

 鬼にも勝る身体能力と、確か自分で武器を生み出せる力もあったはずだ。

 便利で力強いと思えるが、性格が人間寄りというか、違いが無さそうに見えた。もしかしたら、何かが致命的に食い違っている可能性もあるが。

「ううーん……いえ、そういうのは本人に聞くのも手ですし……」

 ちらりと、カニャーサは机の上を見る。まだまだ進んでいない、白紙に近い報告書がそこにある。

 そこには、勿論、アルフに関しての事柄も書かなければならない。寄りにも寄って、鎧人に仕事を手伝わせているというその状況に関しても。

「それは明日からに、しましょうか」

 何時もと比べれば寝るにはまだ早い時間。それでも眠気を感じたカニャーサは、結局、ベッドに身を投げ出す事を決めた。

 疲労を回復させるのだって、やはり仕事の内であろうから。




 夜が深くなっていく。そろそろ人々が寝入り始める時間。島内にいる人の大半は学生なのだから、その時間はもっと早いかもしれない。

 そんな時間に、アルフもまた目を閉じている。が、ベッドの上では無く、木の床の上で、正座をしながらであった。

 暫く、そんな状態で居た後、耳に声が聞こえて来た。

「最近は、随分と帰りが遅い様だな」

 アルフがその声を聞いて目を開くと、同じく、木の床に正座する老人の姿があった。

 雰囲気からして落ち着いた様子の、和装をした翁。白髪一色になった髪を短く切りそろえ、皺が多い顔ながら、眼光はどこか鋭さを感じさせる。そんな目で、アルフを真正面から見つめてくるのだ。

 どうしたって、こういう時は緊張してしまう。

「ええっと……はい。すみません。ちょっと後輩と、やる事がありまして」

「何か、打ち込める事は良い事だ。良く良く励めば良い。お前が、この訓練をサボるという事は無いだろうから」

「は、はい!」

 それは絶対に、違える事が無い約束だ。

 この場所。島内にある木造の道場にて、アルフは訓練を続けている。

 場所がここで無くても良い。ただ、一日の幾らかの時間を訓練に費やす。それが目の前の老人との約束であり、アルフの人生と言っても良い。

 冗談でも無く、物心が付いてからずっと、アルフはその訓練を続けている。その頃から、訓練を教えてくれるのは、目の前の老人。

 名をゲイル・コートナと言う。アルフの祖父にあたる人物だ。勿論、アルフと同じく鎧人という種族でもある。

「ではそろそろ、鎧姿になると良い。今日の訓練はそれで終わりだ」

「はい。では……行きますよっ」

 アルフは正座した状態から立ち上がり、赤い鎧の姿へと変わる。

 鎧人としてのその力。そのすべてを発揮できるその形態への変化は、どこかアルフに陶酔に似た気分を抱かせてくる。

 事実、鎧姿となった鎧人は強大な力を持つ。身体能力は他の種族を圧倒し、さらにその姿には鎧人個人個人で違う特徴を持っていた。

 アルフのそれで言えば、鎧が赤いのがそれであるし、腰に現れる赤い紐と、それを引けば剣へと変わるという特徴もまた、アルフだけの力と言える。

 かつて鎧人達はこの個性豊かな力を行使し、世界に存在感を示したと言う。

 そんな力が今、この道場に寄り振るわれ、最終的にこてんぱんにのされる事になる。

 勿論、ゲイルにアルフの側がである。




 疲れていても、寝不足であったとしても、朝というものはやってきて、起きなければならない状況というのも同じくやってくる。

 そうなると、人間というのは欠伸を噛み殺しながらその日を過ごすしか無くなるのであった。

 寮から学園の校舎へと向かう道の途中で、そんな様子のカニャーサはとぼとぼと歩いている。

「おっと、おはよう。朝からっていうのは奇遇だね。どうしたの? どういう具合の顔なのさ。それは」

 と、疲れている背中に向かって声を掛けられる。

 背中だけで無く、疲れた顔を向けてみれば、そこに居たのは確かに奇遇なアルフの顔があった。

「朝から仕事をお手伝いして貰うつもりは無いのですが」

「俺だって朝からなんて嫌だよ。っていうか放課後も嫌だからね。けど、見掛けたのに声を掛けないでいるっていうのも、何だか今後の関係がギクシャクしそうじゃないか」

 そんな事を言うアルフを見れば、彼は結構元気そうだった。

 昨日の一件を考えれば、よくよく体力を使ったのは彼の方な気がするが、いったいどういう事だろうか。

「今日は放課後も無しです。せっかく拘束した方々がいるのですから、そこからの話が出るまでは、わざわざ学園内を調査する必要も無いですし、さすがに私も、連日の調査活動には疲労を禁じ得ません」

「考えてみれば、学業をしながら労働までするんだから、大変と言えば大変か」

 アルフは言いながら、カニャーサに並んでくる。結果、並びつつ学園への道を進む事になる。

 見る人が見れば、随分と親しげに見えるかもしれないが、その実、さっきから仕事の話しかしていなかった。

「大変……確かにまあ大変です。これからもそれを続けて行くというのは、少々、骨が折れる仕事になりそうですね」

「これからもか……君を警戒して襲い掛かって来た連中が、学園内で反社会的? そんな事を仕出かそうとしていた連中だったわけで、昨日の件で問題が解決したって感じでは無いのかな?」

 そうであって欲しいのであるが、まったくもって問題は解決していないとカニャーサは考えていた。

 勿論、拘束した連中が騎士警察の尋問に対して何を話すのかに寄るのだろうが、わざわざニヤつきながら相手に近づいてくる様な連中が、何かを策謀できるわけも無いと思うのだ。

「この話で一番重要な部分って何だと思います?」

「分かんないけど……やっぱり悪い奴を捕まえる事?」

「悪い人が、本当に悪い事をしているかどうかを調べる事ですよ」

 昨日は、向こうからわざわざ襲って来たからこそ、こっちが反撃する形で捕える事が出来たわけであるが、普通は、相手がどんな事を話したり考えたりしていたとしても、実際に他人に害を与えなければ、見過ごす他無い。それが騎士警察という組織の限界とも言える。

「騎士警察が動く事態というのは、今後、放置していれば社会に対して危険性が大きくなると予想出来る事態って事なんですよ。昨日の連中を放置したとして、そう危険だとは思いますか?」

「確かに、せいぜいがチンピラもどき候補ってところだったけども……」

 どう見たって、騎士警察が動かなければならない様な連中では無かった。カニャーサはそう思うし、この学園へカニャーサを送り込む事に決めた上役達もそう考えているはずだ。

「ああいう連中が徒党を組んでいるということは、それなりにカリスマ性のある纏め役が居るはずなんです。あくまで、学生レベルでの話ですけれど」

「じゃあ、今後、君はそういうのを見つけるために動くつもりで?」

「かもしれません。と言っても、何かしら新しい情報が入ってくるまでは、何かありそうな事に探りを入れるって程度ですけど」

 例えば、目の前にいる、特大の危険として人間種族に目されているはずの鎧人に関してとか。

「何? なんでじろじろと見てるの」

「いえ、先輩はほら、そういえば鎧人だったんですねと」

「そうだけど。それで何か思うところが?」

「思われる様な種族ではありますよ?」

 危険度Aランクの種族とはそういう事だ。存在するだけで、何かしらの害がある。そんな風に思われる種族なのだから。

 そうして、その害というのは人間社会に対してだけで無く、鎧人以外の他の種族に向けてのものでもあるはずだ。

 この青年からは、とてもそんな雰囲気を感じられないが。

「ううーん。思われる様な種族って事は正解なんだけどさ。おかげで他からも距離を置かれてるっぽいし……」

「なるほど。だから友達がいない」

「友達はいるし。いるはずだし。世間話程度ならえっと……多少はクラスメイトとかとする場合もあるし」

 まあ、危険と知って近づく相手も居ないだろう。こうやって話していると、さっぱり危険人物には思えないし、本人の自覚も薄そうであるが。

「分かりました。今後も可哀そうな先輩へは、気にせず話してあげる事にします」

「変な義務感抱いているところ申し訳ないけど、今後、君との付き合いを深めるっていうのは、面倒な仕事に巻き込まれそうなんで嫌かな」

「またまた、そういう恥ずかしがりは、人生に対して良い影響を与えませんからね?」

「どうしよう。どうしたらこの娘は意地でも俺が仕事を手伝う事に意欲的じゃない事を認めてくれるんだろうか」

 本気で悩み始めるアルフを見つめつつ、やはり、恐ろしい種族としては見えないなと結論を出し、カニャーサは校舎への道に視線を移動させた。

 この道を、あと何度辿る事になるのだろうか。カニャーサにも、それはまだ分からない状況であった。




 カニャーサの言う通りならば、放課後の仕事が暫く無いという事は、学業に励める様になったという事でもある。

 アルフはそう考えて、自らの座席で、本日の学業を始めるつもりだった。

 これでも勉強に対しては熱意がある方なので、授業だって真面目に聞くつもりでもあったのだ。

 そんな心持ちだと言うのに、今日のホームルームにて、担任のカネバラ・リントはこう告げて来た。

「アルフ・コートナ。昨日は派手にやったみたいね。この後で話があるから、ホームルームが終わったら職員室へ来る様に」

 そんな内容だったので、アルフは学業を始める予定の座席から離れ、結局職員室へ向かう事になった。

 そうして、担任のカネバラ先生が座る席の近くで、彼女の説教を聞く事になるのである。

「端的に言ってしまうと、暴れるないでちょうだい」

「暴れてません。正当防衛に近い状況でした」

「近いという事は違うという事でしょう?」

「少女が暴漢に襲われてピンチだったんですよ? 男として助けなくちゃいけない状況だったというか」

「そんな学生が授業を聞き流しながら妄想する様な状況が現実にあると思って居るのかしら?」

 どうしよう。こちらは事実を話しているのに、カネバラ先生の言う事が正しい気がしてくる。

 本人がこうなのだから、目の前の教師はより、疑念に満ちた目でアルフを見ているのだろう。

 彼女から見れば、どうにもアルフは問題児に当たるらしいのだ。真面目に学業を続けているつもりだというのにである。

「しかもあなたに無惨にも襲われた生徒達だけれど、どうにも学校に来ていないみたいなの。これのせいで私は昨夜、本日になるまで残業をしていたわけだけど、あなた、もしかして殴り殺して―――

「そんな事態になってるなら、俺なんてこんな場所で悠長にしているはずないでしょう! 残業はご愁傷様としか言えませんが、俺はそんな大それた事出来ませんって! 学校に来ていないっていうのも、あれじゃないですか。こう、家庭の事情があるとか」

「家庭の事情って、その家庭から出て来て、この学園に在籍しているんでしょうに。けど、本当に無関係? 今頃、あなたのお爺様にも連絡が行っているはずなんだけれど」

「げ……師匠にもですか!?」

 自分の祖父を師匠などと呼ぶのは奇妙に思われるかもしれないが、鎧人にとって訓練と称して教えを与える側を師、受ける側を弟子とする文化が存在する。

 その師弟関係はある種、能力を伴った絶対的なものであり、師に弟子の醜聞が伝わるというのは、出来る限り止めて欲しい事態であった。

 もっとも、これが祖父と孫という関係性であったとしてもそう変わらないだろうが。

「あなたのお爺様は、あなたの監督役でもある。わざわざ島にまで来てあなたを見て貰っているんだから、苦労をさせる様な事はしないように」

「そこについては勿論……十二分に分かってる事ですよ。今回の話だって、悪い事したつもりはありませんし、取り返しの付かない事態でも無い……はずです」

「ま、それはあなたじゃなく周囲の大人が決める事だけれど。今はまだ、こうやって呼び出して説教する程度の事態ではあるわ。けれど、今後の展開に寄っては、深刻な事になる。そこだけは理解しておくよーに」

 と、漸くカネバラ先生の口調が柔らかくなって来たので、説教もここまでという事らしい。

「あ、そうだ。先生。ちょっと良いですか?」

 さっさと教室に戻れというジェスチャーをするカネバラ先生であるが、あえて、アルフの方から、話を続ける事にした。

 どうせ一限目の時間に食い込んでいるのだ。別にここから延長したって、お互いにそこまで困る事はあるまい。

「なぁによ。今後、大人しくするつもりだっていう話なら幾らでも話は聞くけれど」

「この学園に、何やら社会に反発する生徒が増えてる話とか聞きません?」

「そんなの、年頃の生徒ならだいたいそうでしょう?」

「そりゃあまあそうですね」

 多感な時期というのはそういうものだ。かくいうアルフとて、世の中についてなにくそと思うところは多々ある。無理矢理仕事を手伝わせて来る騎士警察の存在なんかは特にそうだ。

 だが、この話題に関して言えば、そういう精神的な部分の話では無く、もうちょっと具体的な話であった。

「なんというかこう、不良グループ的な? そういうのが居たりは」

「何の話題をしたがっているのか知らないけれど、これだけ大規模な学園なら、不真面目な連中は幾らでもいるし、そういう連中が集まってしまうのもありがちな事でしょうに。教師としてそれを言うのはどうかと思うけどね」

 本当にどうかと思う。ただ、的を射た答えにも聞こえた。

 反社会的な活動なんて、言葉の意味に大小含めてしまえば、学園内であればありがちな物でもあるのだ。

 全員が全員、真面目に勉学に励んでいるわけでは無いし、学業以外の事に逸れようとするのならば、だいたいは社会に反しているという事になってしまう。

(騎士警察が探っているのは、そういう類のものでは無いんだろうけど……そういう類の話が間違って伝わってしまっているって可能性は無いのか?)

 ふと考えてしまうが、たかが学生のアルフに答えが出せる話でも無かった。

「えっと、ありがとうございます。とりあえず教室に戻る事にします」

「なによ。今日はずっと様子がおかしいけど、本当に大した事はしてないでしょうね?」

「はいはい。してませんって。学生らしく日々を過ごしてますから」

 今のところは。

 カネバラ先生に辞儀をしてから、そそくさと職員室を去っていくアルフ。

 学園らしい無駄に長い廊下を歩きながら、それでも答えの出ない考えは続いていた。

(カニャーサが探っている学園内の反社会的集団について……探ろうとすれば、らしいのは出て来るかもしれない。けどそれって、やっぱりただの学生の活動でしか無いんじゃないか? だとすれば、それはただの学生に対する締め付けで……)

 むしろ世の中への反感を増す結果にはならないだろうか。

 社会を良くしようとする圧力が、むしろ悪い方向に進ませる。そういう話もまたありがちなのでは無いか。そんな風にも思う。

「どうせ居なくならない様なのなら、むしろ何もしない方があらゆる面で無駄が無くて良いのでは」

「そうも言っていられないんですよ」

「うわぁ!」

 ふとすぐ背後から話し掛けられて飛び退く。

 話し掛けて来た相手は間違えるはずも無くカニャーサ・ミキタであった。気配無く他人様に近づくのは止めて欲しいし、そもそも何時もは放課後に待ち構えているはずの彼女。

 今朝は彼女の仕事の手伝いは暫く無いという話であったはずだ。

「な、何の用だい? 今日は朝からカロリーの消費が多そうな説教をされたばかりだから、後はゆったり過ごすって決めてるんだぞ、俺は!」

「そんな警戒しないでくださいって。暫く仕事の手伝いはして貰わないっていう話は変わりませんし、言い忘れてた事があったので、忘れずに伝えて置こうって、探していたところなんですから」

「探していたって、僕が職員室に呼び出されたって事を誰に聞いたのさ。もしかしてクラスのみんなに聞いて回ったとか?」

「勿論そうしたからここへ来たんですけど。っていうかあれですよね、先輩。私が先輩の知り合いだって言うと、みなさんこう……なんとも言えぬ表情を浮かべらたのですが……いったいクラスではどういう扱いなんです?」

「知らない。そんな事は理解しようとも思わない」

 そうしてこの妙な後輩と親しいという要素が追加された自分への視線がどう変わったのか。それについても誰からも聞きたくは無かった。

「……で、忠告って何さ」

「いえ、もしかしたらこれから、学園内で何時もとは違う感じの事件なり何なり起こるかもしれませんけど、そうなった場合、関わらない方が良いですよとだけ伝えたくて」

「何? 妙な事件? そんなのが起こるって?」

 嫌な事を聞いてしまった気がする。聞かなければ無視出来た事だと言うのに。

「いえ、まあ、ただの予想でしかありませんので、気にしない方が良いかと」

「だったら言って欲しく無かったなぁ! 忠告だとしてもさぁ!」

 そうカニャーサに叫ぶものの、彼女はどこ吹く風という様子で、さっさと手を振ってアルフから離れて行く。

「それでは私はこれから授業ですので、先輩は今後にお気を付けを」

「気にしない方が良いのか気を付けた方が良いのかどっちなんだよ!」

 そんなアルフの叫びだってカニャーサは無視して、自分の教室へと向かって行った。

 残されたアルフはと言えば、この後、いったい自分はどうすれば良いのかについて、無駄に悩む事になったのである。




 騎士警察がわざわざ学生の授業を受ける事に対して、何を思うのか。

 カニャーサは以前、そんな事をアルフ・コートナに尋ねられた事がある。

 こうやって大人しく、教師が黒板に何かを書き、話している光景を見ていると、なかなかこれで楽しいという感想が湧いて来るので、そう返しておくと、奇特な人間を見る様な目を向けられた。

「つまり、少数種族という言葉は、現在でこそ、そう呼称されているのだけれども、反発も大きく、近いうちにまた違う呼び方がされると予想が出来るわけで……」

 今、受けている授業は歴史であるのだが、どうにも現代社会に関する事に話題が発展しているらしい。

 この学園においては時々、こういう事があるのだ。

 目を向けている問題が、他の学校とは違うのかもしれない。そういう点が不可思議で、面白くあるのだが、そんな視点で授業を受けているのは気持ち悪いぞとアルフから言われた記憶もある。

(気持ち悪くは無いと思うんですけど。っていうか勉強を面白いと思う事を否定的に言うべきでは無いと思うんですけど)

 と、そんな風に思うのだが、学生はそもそも勉強を面白いと思う人間が少数であるという衝撃的な発言も飛び出して来たので、それ以上に話は発展しなかった。

 大変に嘆かわしい事であると社会人として思うのであるが、クラスの人間に尋ねてみても、だいたいが授業は退屈だとか眠たいだとかの答えが返って来た。

(ううーん。そういうものなのでしょうか……)

 と、思考を続けつつ、授業も並行して受けていると、思いの外、その退屈だと言われている授業が早く終わった。

 教師が腕時計を確認し、ここで授業を終りますという言葉を発すれば、次の授業までは生徒達の雑談の時間へと変わって行く。

 カニャーサが見るに、どうにもクラスの生徒達の大半にとって、学園に来ている主目的はこういう時間の方に重きが置かれている様に感じていた。

「ねーねー。ミキタさん、ちょっと良ーい?」

 と、この様に、普段親しくしてない相手に突然話し掛けるのだって、彼らにとっては重要な意味を持つのだろう。

「えっと、何ですか。ネツミカさん」

 話し掛けて来るのは、カニャーサの前の席に座るネツミカ・テテギスという女子であった。

「ほらほら、噂で聞いたんだけど、コートナって先輩と仲良いって聞いたんだけど、ほんと? 転校してきたばっかりなのに気が早いじゃん」

 どうやら下世話な恋バナを希望しているらしい。

 確かに目の前の同級生は他の同級生と比べて垢抜けているし、それを過ぎてちょっと軽過ぎる雰囲気がある。

 良か不良かを判断するなら後者の表現にもなりがちであるが、世間話の内容としてはむしろありがちと言えた。

「気が早いかどうかは分かりませんけど、あの先輩と私がただならぬ関係にある事は事実です」

「きゃー! 言っちゃう? それ言っちゃうんだ!?」

 何か喜ばせてしまった様子だ。嘘は吐いていないので罪は無いと思う。実はカニャーサが騎士警察より送り込まれた立場で、アルフにはその手伝いをして貰っているという関係性は、一言で言い表せるものでは無いだろうし。

「やっぱり、そういう事が気になるんですか?」

「それって、女子だからってこと? それとも種族として?」

 言いながら、彼女は背中から生える透明な羽を少しだけ動かした。

 そうして、他の人よりも随分と小さい身体をカニャーサの机に乗せてくる。

 彼女の種族はフェアリーと呼ばれるそれだ。危険度に関してはEランク。教育に特別な何かは必要なく、大凡、人間社会に適応できると考えられている、そんな種族だ。

 身長がカニャーサの膝くらいまでしかない程の小柄である事が難点であるが、彼女らは短時間であれば羽を用いて浮けるという特徴も持っている。

「妖精というのは、惚れた腫れたが好きなのですか?」

「きらくーに話せる話題が好きかなー。逆に勉強は苦手。そうじゃないのもいるけどね、あたしは典型的な方」

 ネツミカがけらけらと笑う姿は、確かに妖精らしいと感じてしまう。

 こうやって少数種族に対して、典型的な像を押し付けるというのも、ある意味では人間種族の傲慢であるらしいが……。

(いちいち、そんな事を気にしたって仕方ないか……別に不快に思わない人だっているわけだし)

 と、心の中で呟いて置きながら、授業と授業の間にある短い休憩時間で、思いがけなく近くの席の同級生と話を続けてしまった。

 一応、学生という身でもあるのだから、歓迎するべき状況ではあるのだろう。

 何時までこの学園に自分がいるのかはまだ分からないが、らしくあろうとする努力は必要だと思う。

「あ、そうだそうだ。ミキタさんってさ、転校してきたばっかりだし、あの話知ってる? 最近、この学園で流行ってる事があるんだけどー」

 らしくしていれば、結構得難い情報が飛び込んで来る時だってあるのだから。




 この学園で過ごしていると、人のざわつきというのに、反応が鈍くなってくる……と、アルフは時々思う。

 授業が終わり、放課後がやってくるくらいに、どうにもクラスで何やらの話が盛り上がって来ている事に気が付くのだ。

「いや、本当だって。中等部の連中が試したみたいだぜ?」

「うっそー。あれってまだ流行ってるの?」

 何時もはさっさと教室を去っていく連中が留まり、話をしている話題。

 それが耳に入って来たせいか、どうにも机から離れられず、アルフは意味も無く机の整理など始めてしまっていた。

(いや、気にする様な話では無いんだよ。気にする様なさ)

 そう思いつつ、その話題に聞き耳を立てるのが止まらない。どうにも昼頃から、クラスメイトの間でちらちらと噂になり始めている様子なのだ。

「俺らの時も、誰かしらやってたよな。蝋燭を用意するんだったっけ?」

「誰かしらって程じゃなくない? だいたい一年に一回くらい噂になってたって言うか。バレちゃいけないの。けどバレてた子も居た。ほらほら、隣のクラスのあの子、憶えてる?」

「あーあーあったあった」

 噂が別の方向に進みそうになって来たため、アルフは席を立ち上がって教室を出る。いったい彼らが何についてを話しているのか。だいたい把握出来たというのもある。

「ゴゴガガ様の儀式か……ほんと、まだ噂されてるんだな、ああいう話」

 廊下に出て、ふと呟く。

 ゴゴガガ様の儀式というのは、学園の怪談の様なものである。

 アルフが聞いた事がある内容では、誰にも見つからず、どこかの教室で、蝋燭を頂点とした三角の空間を作る。だいたい人一人が入れる程度の空間だ。

 そうして蝋燭に火を点けた後に、三角の中心に立ち、ゴゴガガ様に祈るのである。

(自分達の種族に繁栄を……だっけ? 祈ったらその種族にゴゴガガ様の祝福があって、次の世代の繁栄が約束される……みたいな。なんというか、変な話だし、そもそもゴゴガガ様ってなんだよっていうか)

 バリエーションも聞いた時点で既に豊かだった気がする。蝋燭は四本用意して四角を作るとかだったり、教室じゃなく校舎裏だったり。

 聞いた時点で、そんな馬鹿な話と鼻で笑いたくなる内容なのだが、共通点として、蝋燭はその場に置いておく事と、誰にもバレぬ様にする事。

(結果的に、誰かがその儀式をしたっていう事実だけが残って、周囲はちょっと怖がる事になるんだ。ああ、確かに、一年に一回くらいはそういう事がある)

 クラスメイト達はまだあの話が流行っているのかと言っていたが、思い出してみれば、その噂は流行り続けているのだ。

(学校なんて一年過ぎれば新しい生徒が入って来て、古い生徒が出て行く。それを考えれば、馬鹿らしい噂でも、一度流行るタイプの噂でさえあれば、そこに残り続ける……って事になるのかな)

 幾つもの種族が入り混じるこの学園とて、共通の噂が残り続けるというのも、考えれば数奇な話かもしれない。

 結局、少数種族と区別されたとしても、どこか、根本のところは皆、同じ感性みたいなものを持っているのかも。

「いや、そっちの話こそ眉唾ものだな」

 と、足を止める。

 ハタカ学園は無駄に広く、学園の校舎もまた不必要なまでに増改築を繰り返されている。結果としては、誰も使っていない教室なんてものが時々あって、普段、生徒の立ち入りが禁止されているせいで、より中で何が起こっているか分かったものじゃあない空間が出来上がっている。

 今、アルフが足を止めた場所にある教室もまたその一つだ。

 ここで確か、噂されるゴゴガガ様の儀式とやらが行われたらしい。

 近くには中等部の教室があり、恐らくはそこの誰かがそれを行った。初めてこれを発見したのもその中等部の学生らしい。

「……なんで俺はここに足を運んでる?」

 と、教室の扉に手を掛けたタイミングで自問自答する。

 わざわざ、やってくる様な場所ではあるまい。幾ら周囲が噂していたって、年に一回程度は起こる話であるし、もっと珍しい話であったとしても、やはりわざわざやってくる様な場所では無いだろう。

(妙な事件が起こるとか……そういう話を聞いたせい……かな?)

 原因としては、某後輩から、不吉な印象を持つ話を聞いた事があるのだろう。

 だが、だからと言って、まるで自分からそれに近づこうとしている自分にアルフは戸惑う。

 これは影響だ。悪い影響だ。どこのどいつからの影響かは決まっている。だからそんな影響を振り払おうと、教室を開けようとする手を止めて、この場から離れようとするのだが―――

「っ……」

 教室の中から物音が聞こえた。

 勿論、誰も使っていない教室での事である。中にはゴゴガガ様の儀式に使われたらしき蝋燭が残されていると思われるが、蝋燭は物音を自ら立てたりはしない。

 もしかして……ゴゴガガ様とやらが本当に現れたか? そんな妄想すら頭を過ぎり、そんなのは思い浮かべたく無いとアルフは結局、教室を開く事になった。

 果たして、開かれた扉の向こうには、当たり前にゴゴガガ様は居なかった。代わりに蝋燭で区切られた三角の空間に倒れるカニャーサの姿がそこにある。

「カニャーサ!?」

 咄嗟に彼女の名前を叫びながら、アルフは倒れるカニャーサに走り寄る。

 薄暗い教室の中、火が消えて解けた蝋燭を周囲に置きながら、カニャーサは目を瞑ったまま反応を示して来ない。

 まさか、おかしな事件が起こるというのは、彼女に危害が及ぶ可能性があるという事だったのか。

 驚きながらも息を確認するが、とりあえずは生きている様子。

「なんだ? 眠っている? 横で俺がこんなに騒いでるのに?」

 静かに深く息をしながら、胸が上下しているカニャーサを見れば、とりあえず一大事では無さそうと感じるのだが、試しに肩を揺さぶってみても、カニャーサは変わらず眠ったままだ。

「何が起こって……彼女は何をされた……?」

「ふふふ」

「誰だ!?」

 笑い声が聞こえた。丁度アルフの背後からだ。

 咄嗟に振り返ってみるものの、そこには誰もいない。

 笑い声の残響だけが耳に残り続け、やはり先ほどまでの、倒れたカニャーサ以外は誰も居なさそうな教室へと戻って行く。

「ゴゴガガ様? まさかだろ?」

 ふと、おかしな想像をしてしまいそうになったので、言葉でそれを振り払う。

 そうして、とりあえずはカニャーサをこのままにはしておけない。そう考えて、アルフは彼女を抱えて教室を出る事にする。

 そこまでしても、彼女は起きる素振りを見せて来なかった。




 ふわふわとした夢を見る。ここ最近は見なかった夢だ。

 というよりも、夢を見ないくらいに疲れて熟睡してしまうのがここ最近だったなと……カニャーサはふと思う。

 思えるという事は、この夢は明晰夢の類なのだろう。

 どうにも自分は道を歩いているらしい。夢と同じくふわふわとした道。

 足を止めようと思わないのは、これはそういう夢だと考えているからだろうか。夢には支離滅裂ながら物語がある……と、カニャーサは思う。

 その夢が夢としてあるために作り出した様な、夢の中だけの設定みたいなもの。

 夢は現実と違ってあらゆる事が出来る様に思えるものだが、その実、その設定に沿った事しか出来ない……と、カニャーサは考える。

 思っても考えても、移動する視界は変わらず、道を進むだけなのだが。

(なんだろう。どういう夢? そういえば何時寝たっけ。私)

 何時もは夜遅く。仕事の報告書を書いてから、ベッドに身体を放り出す様に眠る。

 この夢はその続きなのだろうか。どうにも違和感があるが、夢というのは判断力を自分から奪うらしい。現実がどうだったかの記憶の方が、酷く曖昧だった。

 道は途中で途切れている。だから自分も立ち止まる。道の途切れ。そこには何かが居た。

「あなたはだぁれ?」

 何か、夢と同じでふわふわとした何かが話しかけて来た。ぼんやりとした頭の中で、カニャーサはそれだけを理解していた。




「どういう事だ? いったい何が起こってる……?」

 学園内の保健室近くの廊下で、無駄に右往左往しながら、アルフは呟いた。

 カニャーサを教室から運び出し、とりあえずベッドのある保健室へと運んだアルフ。丁度、保健医が居てくれたので、彼女を預ける形になったのであるが、その医者にしたところで怪訝な顔を浮かべていた。

 保健医曰く、こういう事は起こり得るが、原因の候補が複数あって、特定出来ない限りは対処が難しいとの事。

(そんなの、医者が言う事じゃあないだろう……?)

 医者が病気の理由が分からないからと匙を投げるのはどうかと思う。だが、そう言われてしまう状況が学園にはある事も、アルフは理解していた。

(要するに、相手を眠らせるみたいな力を持った種族が居たりするんだ、この学園は。そうして、それをカニャーサに使われたんだとしたら……)

 適切な治療方法は、その種族が判明しない事には分からないという事になる。

 学生同士の諍い。それが原因だと保健医は見ているのだろう。ではアルフの方はどうか。

(学生同士で何か仕出かした。そうは思うけど、単なる諍いじゃないはずだ)

 肝心のカニャーサが単なる学生で無い以上、彼女が厄介な事態に巻き込まれているのだと考えられる。

(だから……ええっと、俺はそれに……その……何かする必要あるのかな?)

 ふと、厄介な問題に対して、わざわざ首を突っ込み続けている自分に気が付く。

(いや、倒れていた女子生徒を保健室へ運んだ。それだけの話だろう? これはさ。深く考える必要は無い。そのはずなんだ。その―――

 と、考え事をしている最中に、また背後に気配を感じた。

 振り返る。今度は咄嗟に、驚いた風には動かない。ごく自然に、そう行動するのが当たり前と言った風に動いてみる。

 こう動作すれば、向こうの反応は遅れるはずだ。

 実際、ワンテンポ、それは動きが遅れたらしい。姿を確認する。背格好は低い。むしろ小さい。

 視線が合ったという事は、小さいはずのそれが地面から浮いているという事だ。一応、人型だろう。

 透明な羽が背中から生えた小さなそれを、フェアリーであると判断した瞬間、向こうは漸く逃げ出そうとこちらに背中を向けている。

 しかしもう遅い。こちらは鎧姿になっている。向こうは何かをしようとアルフに手をかざしていたので、それを防ぐために鎧姿になったのが吉と出た。

 フェアリーはその羽を用いて短時間飛行する事が出来るそうだが、学園の廊下という空間であれば、鎧姿のアルフの方が縦横無尽かつ迅速だ。

 鎧姿になった時の大きな手ならば、フェアリーの胴すらも掴める。

「ひぁっ……や、やめて! 謝る。謝るからさっ!」

「その声、さっきの教室で笑った奴だな? 謝る前に話せ。カニャーサ・ミキタに何をした? ついでに君の名前も聞かせろ。答えなかった場合は……どうされるのが良い?」

「わ、分かった! 分かったから潰さないでっ。私は、私の名前はネツミカ・テテギス。ほ、ほら、その、ミキタさんと同じクラスの生徒でさっ」

「名前は分かった。けど、優先順位は彼女に何をしたかだ。余計な事を続けずに端的に話せ……」

 フェアリーのネツミカ。それを頭の中に入れつつ、重要事項は忘れない。彼女はアルフに何をしようとして、カニャーサに何をしたのか。それを聞くまでは、相手の胴を掴む手に、多少、力を込める事もあるだろう。

「あ、アタシはそんな大した事してないって! 出来もしないんだよっ。ほ、ほら、見ての通りのひ弱なフェアリーじゃん!?」

 彼女の言う通り、フェアリーは弱い種族として見られがちだ。

 幾ら羽を使って飛べると言っても、ハーピーなどより空を飛ぶ能力は低いし、他の種族との体格の差は如何ともしがたい。

 だが、それでも、まったく力の無い種族とも言えなかった。

「聞く限りじゃ、君らは催眠術みたいなものを使えるらしいじゃないか。カニャーサを眠らせたのもその力か?」

「ちがっ、違うって! あたしはたださ、あんたが例の……カニャーサの良い人……ってやつ? あれなのかなと思って、警戒していたっていうか……」

「良い人だったりあれがなんだったりは知らないけれど、警戒される謂れは無いかな」

 カニャーサがアルフの事を、彼女にどう伝えたのかも知った事では無い。今は彼女の被害がどの様なものであるかだ。

「アタシはあの娘がどういうのか探れって言われただけなんだよ! だからゴゴガガ様の儀式に誘って、その時に力を使っただけで……」

「やっぱり君の力が原因か?」

「人を眠らせるだけの力なんてものも無いんだって! ちょっと、短い時間、頭をふらふらさせるだけしか出来ないんだってアタシの力はっ。その、その後の仕事は別というか……うう、言えないんだよぉ……」

 反応を見るに、ネツミカが首を垂れるのは、アルフに脅されているからという理由以外にもありそうだ。

 もっとも、だから同情なんてするつもりも無いが。

「君をこのまま解放する気になるには、少なくともカニャーサが目覚める方法を教えて貰わないとね。で、そっちはどうなんだい? 話す気になったな?」

「あ、アタシの力じゃないから無理って、力込めないでよっ。息、息できなくなったら喋れもしないでしょ!」

 今、こうやって早口で喋れている以上は、まだまだ息は出来るだろうに。これでも鎧姿での力加減については生まれたその瞬間から訓練をしている。間違って相手を潰すなんて事はしないし、丁度良く、脅す力加減も心得ていた。

「本当に、アタシじゃあ人を眠らせるなんて無理だし、眠らせ続けるのも無理! あの娘、揺さぶったりしても眠ったままなんでしょう? じゃあ、もっと強い力で眠らされてるんだ……まさか、そこまでするなんて思わなったけど」

「どうにも、そっちには複雑な事情があるみたいだけど、君とゴゴガガ様の儀式だっけ? それをしたって事は、カニャーサは多少、君に親しみを憶えたからしたんだろう? それに対する罪悪感は無いのか」

「あるにはあるよっ。あの娘、転校してきたばっかりで、話してみれば結構面白いしさ、けど、上から言われたから……いや、今の無し。聞かなかった事にして」

「上ねぇ」

 事情がやはりある様子。もっとも、ネツミカはフェアリーらしく、口が軽い様子だ。上手くやれば、もっと詳しく情報を聞き出せるかもしれない。

 だから、あえて解放してやる事にした。

「え!? さ、さっきまでの話で何か、あった!?」

 ネツミカ本人は驚いた様子でこちらを見る。彼女にしたところで、まさかこのタイミングでアルフが手を離すとは思わなかったのだろう。

「君はカニャーサにした事に対して、肯定的に捉えていない。けど、それでもしなきゃならない状況に置かれている。そういう事だよね?」

「えっ、え……えっと」

「それは君にとって不本意な状況であるはずだ。それもそうだろう? フェアリーってのはもっと、気楽な性分のはずだし」

「どうかな……そりゃあ、あれこれ言われて指示されるのは困るっていうか……」

「で、君の今の立場っていうのは、力尽くでなんとか出来るもんだったりしない?」

「ちょっと待って。アタシさ、頭があんまり良く無いからさ、わっかんないんだけど、怖い事言おうとしてない? 違う?」

 解放してやったのに、怯えた様な表情を変えてくれないネツミカ。だけれど、それでも構うまい。彼女に提案しているのは、その恐ろしさに起因するものなのだから。

「君を縛る何かがあるなら、俺が何とかする。力尽くで。だから君もカニャーサを回復させるのを手伝って欲しい。それって、それほど怖い事だろうか?」

「鎧人がそう言ってるなら、そうなんだけど?」

 まあ、そういう感想だってあるだろう。だが、今の問題はそこでは無い。ネツミカがアルフの提案に乗るかどうかだ。

 そうして、彼女がどう結論を出すのか。軽い頭で、どの様な答えを返してくるか。アルフはただそれを待つ事にした。




 道を歩いている。何度か知らないけれど、道を歩き続けている。

 カニャーサは夢の中でそう認識する。こんな夢をもう何度も見た気がするが、曖昧な頭の中ではそれも判断出来ずにいた。

 足は止まらない。夢の中だから疲れもしないが、それでも、どうしてだか道を進むのを止められない。

(けど、そんなのは現実でも一緒。社会に生きていたら立ち止まる事なんて許されない。どこへ向かうのか分からないまま、ただ歩き続ける事をだけを強要される)

 なら、この夢はそんな世知辛い世の中の暗喩みたいなものなのだろうか。

(そんな上等な夢じゃない……はず)

 この夢には自由が無い。少なくともカニャーサに選択肢が無い。

 歩き続け、進み続けるしか無い道。そうしてその奥には必ず……。

「あなたはだぁれ?」

 こう聞かれる。はっきりしない頭の中では、その問い掛けに何を答えるべきか分からない。ああ、そうだ。思い出す。この夢はここで終わりなのだ。

 聞かれて、答えられず、そうしてまた……最初から……。




「ほらー、アタシ達ってさ、基本的に群れるのが好きなんだ。アタシはそうでも無いけど、やっぱ一人じゃ心細いから、友達いっぱい作りたくなっちゃう」

 さっきまで脅していたはずの相手が、こうも気軽に話し掛けてくると、どうにも調子がおかしくなる……と、アルフは校舎近くにある学生向けの喫茶店で考えていた。

 ソファー席に案内されたものの、鎧姿から戻ったアルフと、目の前のフェアリー、ネツミカ・テテギスの二人だけではやや広くて居心地の悪さを感じてしまう。

 もっとも、このフェアリーは違うらしいが。

「けどさ、いっぱい友達がいると、いっぱいこう、面倒な事って増えるわけじゃん? 楽しいより面倒だなって思う事が多くなるし、なんだかなーって感じ。分かる?」

「人付き合いはあんまり良く無いから分かんないかな」

「はー……」

 思いっきり溜息を吐かれてしまう。確かに友達の少ない人生を送って来たが、この態度を向けられる謂れも無いのではなかろうか? 

「君な、とりあえず、自分の立場が分かってるかい?」

「分かってるってー。自分のより大きい男の人に踊らされてるってやつ。きゃー、アタシったらピンチ。助けてくれるヒーローはいないのかなっ……まあ、居なくなっちゃったから、そっちの提案に乗るんだけどさ」

 急に、深刻ぶり始めたネツミカ。それとも、こういう躁鬱激しい態度が普通のフェアリーの在り方なのか。

 フェアリーでは無いアルフには一生分からない事であろう。だが、それでも、彼女にしたって思うところがあるという事だけは分かった。

「君から聞く話を纏めると、学内にゴゴガガ様の儀式って奴を……作り出した連中がいるってのは本当かい?」

「作り出したかどうか分かんない。噂が先にあって、それに便乗したってだけかもしれないし。けど、今、定期的に噂を流したり、儀式をさせたりしてる連中がいるっていうのは本当。だってアタシがその一員なんだから」

 あっけらかんと言ってのけるネツミカ。

 そうして、彼女は今日、噂になっていた儀式についても、実際にカニャーサを誘ってそれを行った側であるらしい。

「ノルマがね、あるんだ。儀式の話を知らない人に、噂でそういうのがあるって言わなきゃいけないの。それでほら、ミキタさんが丁度興味を持ってくれて」

「彼女がまあ、学内の噂に興味があるってのは、実際そうなんだろうさ」

「良く知ってんね。何? 相手の趣向まできちんと理解してあげる派?」

「彼女のとりあえずの事情を知っているだけだ。で、彼女はのこのこと君の誘いに乗って、儀式っていうのを始めたわけだ?」

「準備に蝋燭がいるから、次の日にでもって言ったんだよ? けどあの娘、予想より行動的で、どっかから蝋燭とマッチ持って来ちゃった。だからもう、空いた教室見つけてやるしかないわけなの。アタシとしてはさ」

 どういう義務感なのかは知った事では……いや、むしろ今は知らなければならない内容なのだろうが……。

「あの儀式をして、いったい何の意味が?」

「アタシの場合は、あれでアタシの力が一時的に増すの。フェアリーサークルって知ってる?」

「フェアリーが自分の縄張りだと主張する場所に意地汚く付ける印だっけ?」

「めっちゃ悪意あるじゃん。いや、違うの。大事な場所にああいうの作るのは本当だよ? けど、あれって、アタシ達の力を増す効果があるの。こう、何かで囲った場所には、アタシ達の力が籠るって表現すれば良いのかな。分かる?」

「だから分かんないって」

 種族それぞれの、細かいニュアンスなんて、理解出来た試しが無い。

 向こうだって、それが分からない訳ではあるまい。フェアリーも比較的数が多く残る種族ではあれ、その個体数は減少傾向にあると聞いた事がある。

「とーにーかーくー、蝋燭をああいう風に置くのは、フェアリーにとっては都合が良いの。人をくらくらとしか出来ない力が、もうっちょっと強くなって、ある程度の時間、そうさせられる」

「……その内に、儀式に誘った相手を連れ去るっていうのは」

「人聞きが悪いなー。仲間に誘うんだって。ふらふらと頭なら、お友達になってって誘うと、案外上手く行くって言うか」

「ゴゴガガ様仲間にか」

「ゴゴガガ様仲間に。そうやって仲間を増やしちゃうの」

 いったい何のために。既にそれは彼女に尋ねていた。

 そうして彼女から返って来たのは、学園卒業の後も継続する関係性を作る事らしい。

「学園に色んな種族がいるって言ってもさー、付き合いが深くなるのは同じ学年の同じクラスの人間くらいじゃん? けど、ゴゴガガ様の儀式は色んな学園の人が知ってる。で、ゴゴガガ様仲間になると、それだけ関係が広がってくれるっていうかさー。卒業した人も、これから学園に来る人も、仲良くなれる」

 儀式の後に恐ろしい事が待つのでは無く、関係性が出来上がる。

 儀式をした者だけで作り上げる関係性だ。傍から見れば怪しい儀式を面倒な方法でやったというのは、表立って喧伝出来ない。けれど、同じ馬鹿な事した同士ならば、むしろ仲良くなれる切っ掛けにはなるのかもしれない。

(それで……えっと、そもそも儀式は自分の種族の繁栄を願ってするものだから、この儀式で作られた仲間はどの種族であっても、今の現状に不満を持ってるって事になって……)

 もしかして、それは学園内に社会に対して不満を持つ連中の集まりとも言えるのでは無いか。

 そんな予感をさせてくる。それがネツミカから聞いた、ゴゴガガ様の儀式に関する話であった。

「けど、最近はどうにもおかしいって言うか……さっきノルマがあるって言ったじゃん? けど、そんなしっかり守れって言われる様なものじゃなかったはずなの。けどけど、最近は上役から……あ、この上役っていうのは、あれね。ゴゴガガ様仲間の間で、中心になって動いてる人の事」

「互助会みたいな仲でも、上下関係が出来るっていうのは、嫌になる世の中だ」

「でしょー。お友達なのに何時の間にか目の上にある、なんていうの? 面倒な人になっちゃう」

「で、僕にその面倒な人をどうしろって?」

「だから懲らしめて欲しいの。力づくで出来る事なら協力するって、そういう話でしょ?」

 そう。その様な話をアルフから提案したのである。

 そうする事が、結局のところ、カニャーサを助ける事に繋がると考えたのである。足りない頭で考えた事であるが、それでも、結構良い線行っている気がする。

「懲らしめるのは良いとして、君にとっては暴力でどうにかなる状況かな。聞く限りは、仲良しな集まりが、誰かのせいでぎすぎすしているって状況で……その解決に暴力的な行動は状況を悪化させるだけかもしれない」

「全部壊さなきゃ、また仲良くはなれない時ってのもあるものだもん。それに、やっぱり、人をずっと眠らせたままでいるって、アタシでもおかしいと思う」

 人の頭をくらくらさせるのは良いらしい。まあ、彼女にしたところで正義感とか価値観とかがあるのだろう。

 実際、転校してきたばかりの生徒を誘い出し、夢の中へ閉じ込めるなんてのはやり過ぎの類だろう。

 仲間内から離反者が出るくらいには。

「で、君が俺の暴力をぶつけたい相手ってのはその……高等部二年の同じフェアリー、シャリエラ・セイヴって女生徒で良いのかい?」

「うん。今のゴゴガガ様の儀式関係の中心になってる人。あ、けど単なるフェアリーじゃないからね。クイーンなの。身体だって普通の人並。アタシ達みたいにちっちゃくないし……さっきも言ったけど、力だってとびっきり」

 聞くところに寄ると、フェアリーとは元々、女王を中心とする社会を構築する種族であるらしい。

 それぞれが勝手気ままな性格をしている種族でありながらも、女王からの命令は絶対であるらしく、種族としては統一的な行動が出来ると、そういう話であるそうだ。

 通常のフェアリーが使える力が、他人の頭の中をくらくらさせる程度であるならば、クイーンのそれは完全に催眠術と言える。いや、これもネツミカから聞いた話であるが、それ以上の力だろう。

「夢に閉じ込める……君はそう言ったけれど、そこはいまいち理解出来ない。具体的にどういう事?」

「なんかね、眠らせた上で、自分の作った夢に閉じ込めちゃうっていうか、人を誘い込めるそうだよ? 閉じ込められた人は、勿論、起きれなくなっちゃうし、夢の中で変な事もされちゃったり」

「それはどっちも厄介だ。さっさと終わらせたくなってきた」

「本当にね。昔なんか、住んでる森とかに迷い込んだ人を、夢の中の理想郷に誘って、そのまま永遠に眠らせたままにするとか、そういう事をしてたって話もあるし」

「それをこの学園に再現されるっていうのは、一生徒としても看過できない」

 聞く限りにおいて、シャリエラ・セイヴの夢に閉じ込める力とやらに対処しなければ、カニャーサが目覚める事も無さそうだ。

 アルフはそう考えたから、ネツミカとの話をここまでとする。既に時間は夜が近くになっているのだ。

 一夜をこのまま過ごすというのも、悠長な話であろう。カニャーサの身体にダメージが出始めるかもしれない。

 さっさと眠ったままの少女を起こしてやる必要がありそうだった。




 また道を歩いている。

 カニャーサがそんな風に思えるくらいには、この夢を繰り返しているかもしれない。

 そろそろ、曖昧でふわふわとした頭の中でさえ不快に思えてくるくらいに、同じ道を何度も何度も歩かされていた。

 一度、意地でも立ち止まってやろうと思うのであるが、この夢の中でカニャーサは自由を与えられていないらしい。

(この夢は、何? ただ夜に眠って見ている夢じゃあない)

 そんな思考へ辿り着いた瞬間、どうにも頭の中にあった霧の様なものが、少しは晴れた気がした。

 思考が、先ほどよりも回る。これから、自分は道の先でまた尋ねられるのだ。

「あなたはだぁれ?」

 そうして、答えられずにまた最初から。

 いいや、違う。答えられないのでは無く答えなかった。道の先で尋ねられたその瞬間に、はっきりとしない思考であろうとも、自分の立場を明かさないという意思が常に生まれていたのだ。

 カニャーサは何者かという問いかけ。それを答えるわけには行かない。それをこれまで、ずっと続けて来た。

 だってカニャーサは騎士警察なのだから。

「答える必要がありません。あなたこそ誰? 私をどうするつもり?」

「っ……!」




「シャリエラ・セイヴ! そっちが何を狙っているは知らないが、他人を夢の中へ閉じ込めるってのはやり過ぎじゃないか?」

 アルフは走る。学園のある島の道を、唯々疾走する。

 既に姿は鎧姿となり、その速度は風の如く。

 だが、それでも追い付かない。いや、地面を走る限りは手を届かす事は出来まい。

 道というよりも空を進む様に浮かぶ彼女。長い黒い髪を揺らしながら、その背から生える大きな蝶の様な羽で飛翔するシャリエラ・セイヴには、どれほど地面を走ったところで追いつく事が出来ないだろう。

「愚かで短慮な暴漢め! 襲い掛かりながらいったい何を責め立てるつもりか!」

 クイーンフェアリーらしい仰々しい喋りながら、向こうの言い分はもっともな物であった。

 シャリエラ・セイヴが部屋を持つ寮を調べ、彼女がそこで眠ってしまう前に、寮の前でシャリエラ・セイヴの名前を叫び、呼び出した側のアルフとしては、暴漢の類と思われたところで、納得しか生まれない。

 ただし、名前と同時に、ゴゴガガ様の儀式に関して言いたい事があると叫んでやると、まんまと寮を出て来たのだから、こちらが一方的に悪意だけで行動しているわけでは無いはずだ。

(いや、出て来たというより逃げ出してるところだけどさ)

 ただ、逃げるくらいなら寮に籠っていれば良いと思う。

 アルフが寮の前で叫んだところで、どうせ、どこぞの馬鹿がある事無い事を叫んでいると思われるだけで、彼女が多少なりとも恥を掻くだけで終わるのだから。

 だが、こうもなってしまえば、アルフは向こうが言う、短慮な暴漢として振舞えるというものであろう。

「責め立てる必要も無いかな。何せ、口論したって決着が付く状況じゃあない」

「馬鹿め。地を這う蟻が、空を舞う鳥に何が出来るというのか」

「フェアリーってのは軽薄で何時も考えが無さそうって印象なんだけど、君もそうなのか?」

「何だと? 私を他の虫達と一緒にするか!」

「上下関係があったとして、同族に虫ってのは酷いだろう?」

「何も知らぬ者が何を語るか!」

 激高し、空を浮くのは止めないが、移動するのは止めたらしいシャリエラ。

 意味が無かろうと、口論を続けるつもりらしい彼女を見て、やはり彼女とて深く考えないフェアリーという種族であるとアルフは思う。

「私は姫だ。生まれついての姫なのだぞ? お前の方とて、頭が高―――

 シャリエラの声が止まる。

 多分、見下していたアルフの頭が、自らに並んできた事に驚いたのだろう。

 勿論、比喩でもなんでも無く、実際にそうなったのだからそれはもう驚いて貰わなければ困る。

「悪いけど、こっちだって飛べる」

 正確には跳ねる事が出来る。

 アルフの赤い鎧から生える二本の帯は、引き抜けば赤い剣となり、一方で、それは力の塊でもあるのだ。

 剣とせずにその力をただ解放すれば、アルフの身体ごと跳ねさせる推進力にもなる。むしろ剣の形になっている事こそが力の制御の賜物であり、本質的には、この単純な力での解放こそが、アルフの、鎧人としての力だと言えた。

 もっとも、ただの爆発に近いそれであるから、浮遊は出来ない。だが、空を飛ぶシャリエラへ手を届かせ、さらにその身体を掴み、地面へと引き釣り落とす事くらいは出来てしまうのである。

「うぐっ……!」

 手加減をしたとて、先ほどのアルフが発揮した推進力は相応のものだ。その勢いはシャリエラにうめき声を上げさせるものであったらしい。

 そんな彼女にアルフが話しかけるのは、身を心配した言葉では無く、質問だ。

「カニャーサ・ミキタに力を使ったな? 彼女は今、寝た切りだ。それを解消する方法を教えろ」

「げ、下郎に教える言葉など―――

「おっと、話さない場合はどうするかについてを先に話すべきだったかな。少しでも俺が不機嫌になれば、この手は君の身体のどこかをへし折る事になる」

「お、お前……鎧人か?」

「ああ。知っているなら話が早い。さっき言った事は、別に脅しでも何でもなく、事実だって事も知っているだろう?」

「くくく……ははは!」

「……?」

 笑える状況でも無いはずだが、どうした事かシャリエラは笑う。

 気でも狂ったかと思うのであるが、どうにもそうでは無いらしい。

「カニャーサ・ミキタか。あの女なら、今頃、自分で目を覚ましている事だろうさ。忌々しくも、自分で私の夢から脱したのだからな!」

「……なるほど。笑いたくなる状況だ」

 手を放す。相手の言葉には何の確証も無いだろうが、わざわざ自分からアルフと対面する事を彼女が選んだ理由が、何となく分かったのだ。

 自棄になっているだけだ。この女は。

「いや、まあ、彼女なら、自分で何とかしてしまえる強さはあるか……心配し過ぎだよ俺も。妙な事件が起こるから関わるなってのも分かる話で……何をやっている?」

 と、視線をシャリエラに移す。

 いや、そもそも彼女を視界に一時でも入れていなかった事が問題なのであるが、助けようとしていた相手が自力で何とかしてしまったという話に気が抜けてしまったのである。

 それが失敗だった。

「私が、ここで終わる女だと思わない事だ! 何のためにお前と遊んでいたと思っている!」

 腕を伸ばし、手のひらをこちらに向けているシャリエラ。

 遊んでいたというよりかは、ひたすらに逃げ回っていた様に思えるのであるが、その実、違う意味もあったらしい。

 アルフがそれに気が付くのは、自らの意識に、何か靄が掛った様な感覚に至ってからだった。

「こ、これは……」

「ははは。その鎧姿は、精神とて頑強になるというのか? まったく、私の力が通用するまで時間が掛ったわ!」

 思考の混濁が酷くなっていく。もしやこれが、夢に閉じ込めるというクイーンフェアリーの力なのだろうか。

 危険だ。酷く危険な状況になってしまった。寄りにも寄って、こんな事態になるなんて。

「鎧人か……伝説なんぞは幾らか聞いた事はあったが、結局は私の力の方が上らしい! この力が、これほどの力があるというのに、人間共は世界の支配者顔をする! 貴様はそうは思わないのか? 次の夢の虜囚はお前だ。その中で、お前に人間への憎しみを受け付ける事だって―――

「逃げろ……」

「は?」

「すぐに……俺を、この状態から回復出来ないのなら、逃げろ!」

 叫ぶものの、やはり意識が遠のいて行く。

 不味い状況になった。そうは考えるものの、その思考とて吹き飛んでいくのだ。このままでは大変な事になる。目の前のシャリエラはそれを分かっているのか? 彼女は鎧人についてどこまでを知っている?

 心の中の不安がどんどん浮かび上がって来ながら、その心配すらも吹き飛んで……。

 アルフは、その真の力を解放する事になった。




 目を覚ましてみれば、さっそく、自分はどうやら学園近くの診療所のベッドに居るらしいと確認するカニャーサ。

 すぐさまに自分の記憶を確認した後、同じクラスのフェアリー、ネツミカ・テテギスに誘われてゴゴガガ様の儀式を行い、そうしてそこからの記憶が無く、今の状況に至っている事を理解する。

 窓の外を見ればすっかり夜。お腹の空き具合と身体の固まり具合を考えれば、自分が意識を失ってからそう時間は経っていない様にも思えるが……。

「何にせよ、現状確認をしないと。診療所にいるっていう事は、誰かに運ばれたはず。心配もしてくれているだろうから、誰か近くに……何?」

 ふと、窓を見た。

 夜。すっかり暗くなった窓の向こうの景色が、何か輝いた様な気がしたのだ。

 いや、違う。どちらかと言えば、これは爆炎による明かりだ。

 一瞬輝き、その後に残火の様な小さな灯が残るだけのそれ。

 それが何度も、何度も繰り返されていた。

「確認……しないとっ」

 身体の動きはやや鈍いが問題は無さそうだ。自分の状況確認はここまでにして、今、起こっている事を把握しなければ。

 ベッドの脇には丁度良くスリッパが配置されており、それを履くや窓から外へと飛び出した。

 自分が居た部屋が診療所の一階部分であった事は幸いだ。だが、目に移る爆光は今なお、何度も発生しており、まったくもって安心できる状況では無いだろう。

 スリッパでは走るのも難しいが、悠長にしていられる事態では無いという直感に動かされる。

 果たして、現場に辿り着いたカニャーサ。そこには実際、急いで辿り着いて良かったと思える光景が広がっていた。

 赤い鎧姿の男。見間違えるはずも無い威圧感を持ったアルフのその鎧姿を中心に、あちこちに破壊の痕跡が広がっているのだ。

 いや、広がり続けている。

「―――」

 アルフが吠えた。いや、言葉で表現できぬ圧を広げている。アルフの鎧からは何本も生えた帯の様な物がさらに伸び、その尖端からは爆発的な威力が発揮され、周囲の物質を破壊し続けていた。

 抉れた道路、へし折れた街路樹。それらはまだ、破壊前の状態が想像できるだけマシだった。

 彼の周囲には元が何だったかも分からぬ物が散らばっており、次の爆発の瞬間にはそれすらも散っていく。

 まるでアルフを中心とした爆発の嵐だ。もし、今が昼間であれば、この嵐に巻き込まれる人が何人も居た事だろう。

 今のところ、この嵐の近くにいるのは、それを目撃しているカニャーサ。そうして、カニャーサの足元にすがりつく様に現れた黒髪の女が一人。背中から大きな蝶の様な羽を生やしているその姿は、どうにも見た記憶がある様な。

「た、助けてくれぇ……」

 そんな女は、何故かカニャーサに助けを求めて来た。良く見れば片足を怪我しているらしく、この現場から逃げ出せずに居るらしい。

「……ああ、思い出した。あなた、私と夢の中で会っていますね? 何度も何度も」

「ひっ、お、お前はカニャーサ・ミキタ! もしやあの鎧人と貴様はグルか!? わ、私にトドメを刺しに来たというのか!?」

「グルはグルですが、あなたは別にトドメを刺す程の相手ではありませんし……いえ、後で事情聴取は行わせていただきます。それと、この状況の釈明については今すぐに」

「私は、私はただ、お前にした様に、私の力で夢を見させようと―――

「鎧人に精神的な攻撃を行ったのですか?」

 信じられない事をする女も居たものだとカニャーサは足元の女を見る。

 だが、この少数種族ばかりの学園の生徒であろうとも、他種族への知識はそれ程でも無いという話も思い出す。

「鎧人は……強力な力を持つ代わりに、その制御訓練を常に行うそうです。そうしないと、生来から持った自分の力が暴発する危険があるからとか」

「暴発というものでな無いだろうあれは!」

「確かに。かなりのヤンチャですね。どうしたものか」

 一人だけなら、安全圏へと脱し、周囲への警告や避難誘導を行うところであるが、今、足元にいる女一人。命を失わせるには惜しい状況だろう。

(それに、先輩だって他人の命なんて奪いたくも無いだろうし……)

 ならばどうするか。考える必要がある。

 今、着の身着のままで飛び出したカニャーサである。取れる手段なんてそう多くは無さそうだ。

(しかも先輩。あの状態で移動し始めてるし……)

 じっとさえしていれば、少しずつでも逃げ出す事も出来ただろうが、ふらふらとしたまま、その力を解放し続ける。

 これが鎧人をAクラスの危険度に押し上げている原因だ。

 彼らの強大な力は、時々、彼らの意思すら飛び越えて発揮される。あらゆる少数種族が人間社会に対して抱えている問題の、その飛び切りが鎧人にはあるのだ。

 ああ、本当にどうしたものだろうか。

 選べる行動なんてそんなに無い。いや、考える前から決まっている。それが問題だった。

「あなたはここでじっとしていてください。ちょっと、あれ、何とかしてきますので」

「あ、あれをだと!?」

 あれことアルフ・コートナを指差す女に対して、カニャーサは何も返さない。

 どうせ女の方は逃げられない身体なのだ。話をするなら後で幾らでも出来る。

 今、アルフがまき散らす破壊の嵐に巻き込まれなければであるが。

「どう、あなたが向かう先はこっち!」

 あえて、本当に乗り気で無いが、アルフの前へと躍り出る。

 完全に正気を失っているアルフであるが、移動している以上、歩いたり周囲を感知する機能は残っているはずだ。

 ならば、目立つ行動をする者が目の前に居れば、そちらに気を取られるはず。

 そう考えての行動であったが、幸運な事にそれは正解であった。アルフは目の前に現れたカニャーサの方へとふらふら近寄って来る。

 さらに不運な事として、彼がまき散らす破壊の方向すら、カニャーサの方を向いてきた。

「ああもう! こうなるって分かってるのにっ」

 自嘲しながら、次の瞬間には走り出す。背後で、自分が先ほどまで居た場所が爆発した事を、音と爆風で知る。振り返る余裕は無さそうだ。というか、爆風に煽られて、転ばぬ様にするのが精一杯。

 周囲の熱量が上がっていく。動き回ってカニャーサの体温が上がっているのもあるが、アルフが発生させる爆発は炎を伴うものなのだ。

 あちこちで発生するそれらの爆発は、その場に燃え盛る火を残し、周囲を熱くしていくと共に、カニャーサの逃げ場まで奪っていく。

(スリッパじゃなくて、ちゃんとした靴を履いてくるんだった……)

 今さら後悔しても本当に遅いのであるが、足が痛くなってくる。この状況で、身動きに難が出始めるのは、正真正銘に致命的だった。

 ふと、足が止まる。止めたのでは無く止まる。

 足の痛みも限界が来ていたが、何時の間にか周囲に火が回っている。人がいない場所へと思って移動したせいか、道を外れた林の様な場所で、木と火に寄って行く道を塞がれたのである。

 結果、カニャーサは振り返るしか無くなった。

 ゆっくりと、こちらへ近づいてくる赤い鎧の男の方へと。

「先輩……聞こえているなら、もうちょっと手加減して欲しいのですけれど」

 残されている、良い結果に至りそうな選択はすべて試す事にした。アルフが正気に戻る事に賭けたいところであったが、彼はまだ、夢見心地のままで破壊を撒き散らしていた。

 今頃、いったいどんな夢を見ている事やら。

「……」

「ここではっと目が覚めてくれないでしょうかっ!」

 撤退が不可能であるならば、前に進むしかあるまい。アルフの脇を掻い潜り、また逃げる。それだけのために全力を振り絞る。

 足の痛みは一旦忘れ、思ったよりも速度が出た。命賭けの必死さには、結構身体が答えてくれるものだ。これで逃げ切れなければ、それはもう命運尽きたと言ったところだろう。

 実際、そこでカニャーサの運は尽きたのだ。

 足が疲労に寄り動かなくなったわけではない。地面に這えた木の根に躓いたのである。

 スリッパで林の様な場所を走り回ればそうもなる。

 むしろこれまでが幸運だったのだ。その幸運が尽きた以上、カニャーサはその場に転び、アルフの鎧から伸びる帯がカニャーサの傍を通り過ぎ、そうしてその帯から発する破壊の威力がカニャーサの身体を砕かんと―――

「やれやれ、訓練を忘れるなと言っているだろうに」

 瞬間、カニャーサの身体が浮いた。何か突拍子も無い幻でも見たかと思えたが、耳元で何者かの声が聞こえる事から、身体の無事は確からしい。

「あっ、別に浮いてもいない」

 カニャーサは抱えられていたのだ。アルフのそれにどこか似ている、黒い鎧姿の誰かに。

「無事かな、お嬢さん。不肖の孫が悪い事をした」

 耳元で聞こえた声もこの鎧姿の何者かが発したものであるらしい。

 その声は優しく、そうして歳を重ねている。そんな印象を受けた。

 鎧姿の、恐らく男はカニャーサを抱えながらその場を跳躍しているらしく。暫くの間を置いて、アルフから距離を置いた場所へカニャーサの身体を降ろした。

「え、えっと……あの、あなたは……?」

「あれの祖父だ。師でもあってな。監督役として……ああなった場合の処理責任が私にはあるのだよ」

 どうやら黒い鎧姿の彼は、アルフの家族であり、尚且つ黒い鎧人であったらしい。

「処理……で、ですが、先輩、えっと、アルフ・コートナさんは、悪意を持って行動しているわけでは……」

「分かっている。どうにもお嬢さんのおかげで、取り返しの付かない事もしていないらしいが……それはそれだ。器物を破壊する様な状態を放置してはいられない……だから」

 黒い鎧人はアルフへ向くと、ふらふらとしているアルフへと瞬時に移動した。

 それは鎧姿となったアルフが発揮する動きと同等か、それより速く鋭い。

 意識を朦朧とさせたアルフが反応できるはずも無く、彼はそのまま腹を思いっきり殴られるに至った。

「ぐがっ……はぐっ!?」

 アルフの呻き声が聞こえて来た。四肢の力が抜け、その場に倒れるアルフを、黒い鎧人は見下ろし続けている。

 アルフが振り撒いていた爆発はそのまま発生しなくなり、爆炎に寄る残り火も、どうしてか急速に鎮火し始めていた。周囲は夜の静寂を取り戻したのである。

 破壊の痕跡は残ったままではあったが……。

「鎧人の力とて、当人の意識が無くなれば力を無くす。起こした結果だけは覆せないから、これと今後も仲良くしてくれるのなら、憶えておいて貰えると助かるが……」

 そう言われても、カニャーサは驚いた顔のまま、すぐに言葉を返せずに居た。

 ただの一瞬だ。ただの一瞬で、黒い鎧人はアルフが撒き散らしていたはずの爆発を掻い潜り、アルフの鎧越しにその拳を叩き込み、その戦闘力を奪ったのだ。

 今はただ、カニャーサはその光景に驚き続けている。

「ふむ? どうだろうか? とりあえずこの場は私が何とかするから、君はうちの道場でとりあえず待機しておくというのは。そちらが聞きたい事があるだろうし、私も……これに関わる事で聞きたい事がある。こうもなってしまえばな?」

 黒い鎧人の言葉に対して、カニャーサが出来る事。

 それは、ただ頷きを返す事くらいであった。




 夢を見ていた気がする。どこかを彷徨い、ちらちらと動く何かを追って、そうして、その後に来た腹部への痛み。そんな夢だ。

 その後、アルフはすぐに目覚めたつもりなのであるが、その実、夢の原因となっであろう現実での出来事からは、暫く時間が経った後、道場に寝かされている状態で目が覚めた。

「いや、本当に申し訳ない」

 起床してからも暫く。まだ夜が明けない時間帯で、どうにも痛む腹部を我慢して、アルフは道場の床に直接座るカニャーサに対して頭を下げた。

 現在の状況はだいたい把握出来ていたのだ。要するに、事態を解決しようと動いたアルフは、結果的に暴走し、むしろカニャーサを危険に晒してしまったという事を理解したわけである。

「あ、いえ。私の方も、ずっと寝ちゃってたみたいで……危ないところだったのかもしれません」

 カニャーサの方も、アルフに釣られる様に頭を下げて来たので、どうにもお互いに間抜けな姿になってしまったと感じる。

 結局、今回はいったいどういう状況だったのか整理する必要がありそうだった。

「カニャーサ。君の方は、ゴゴガガ様の儀式をしてから、あのクイーンフェアリーに眠らされていたって事なのかな」

「はい。恐らく、儀式の間に、私の同級生であるフェアリーの……」

「名前はネツミカ、だっけ」

「そうです。ネツミカ・テテギスさん。彼女に儀式を初めてから朦朧とさせられて、クイーンフェアリーに夢を見せられたと、そういう事だと思います」

「恐らく、一旦は攫われた形なんだと思う。君が儀式を行った噂立ったのはだいたい昼頃で、俺が眠っている君を発見したのが放課後だ」

「結構、凝った夢を見ていた気がします。私が何者かを聞き出す様な夢。そういう夢を見させるには、少しだけ時間が必要だったのかもしれませんね」

 だが、その夢から自力でカニャーサは脱したのである。アルフの心配については、不必要だったのかも。

「分かってしまえば簡単な話で、俺は君の言う通り、余計な事に首を突っ込むべきじゃあ無かったのかな」

「いえ、そんな事は無いと思いますよ。先輩が私を助けようとしてくれなければ、私は無防備な状態が続いていましたし、何をされるか分かったものじゃあ無かった」

「なら、お互いに半端な行動で半端な結果になったって事さ。上手くやれたとは言い難い」

「かも……ですね」

 お互い、沈痛な面持ちというやつになってしまった。それぞれが何かの役に立つと思った行動が、結局は周囲への害にしかなっていない。そんな結果だったのだ。

「あのクイーンフェアリーの……名前は確か……」

「シャリエラ・セイヴ」

「そう、シャリエラ・セイヴさんから話を聞ければ、まだ何か進展があるやもと思うのですが……」

「どうだろう。そっちに関しても、師匠に後を任せてしまった形になるし」

 師匠。アルフの祖父にして、鎧人としての師。さらには周囲から危険な種族だと見られているせいか、アルフの監督役でもある老人、ゲイル・コートナ。

「あの方は、先輩の祖父と伺っていますが、同じく鎧人なのですよね?」

「勿論。君だって、暴走した俺を止めるために鎧姿になった師匠を見たんだろう?」

「はい。一瞬でしたが、先輩と同じく強大で危険な力……お爺様には、監督役はいないのでしょうか?」

「居ないって聞いてる。以前、どうしてか聞いた時ははぐらかされたけれど、何か特別な事情があるらしい。もっとも、師匠の力が暴走する事なんて世界がひっくり返ったって無いと思うけどさ」

 鎧人は一生涯、自らの力を制御するために訓練を続ける。そうしなければ、その力は容易く暴走し、自らにまで牙を剥くからだ。

 鎧人は少数種族の中でもさらに個体数は少なく、その原因の一つが、幼少期、自分の力に寄って自分の命を奪ってしまうというものがあった。

 自らの内にある力の訓練は、鎧人にとっての生きるための行動でもあるのだ。息を吸って吐く様に、訓練を続ける。

 結果、ゲイル程の老人ともなれば、その力の円熟具合は達人と言える程になるのだ。

「戻ったぞ。まだ起きているか」

 と、噂をすればゲイルが帰って来た。足音こそ聞こえるが、落ち着いた様な、それでいて均質な、そんな音でもって、アルフ達がいる道場へゲイルはやって来る。

 歩き方一つ取っても、力みを感じさせない、そんなのがアルフの目指している師であった。

「すみません師匠。何から何まで任せてしまって」

「まったくだな、アルフ。こうなるというのは、鎧人にとっての恥だ。それは分かっているな?」

「はい……」

 恥だから自分も恥ずかしい。そんなありきたりな事をゲイルは言っているのではない。

 結局のところ、自らの力を制御できないというのは、アルフの命に関わって来る。それが問題だとゲイルは言っているのである。

「そちらについては、私のためでもあります。私が無茶をさせた原因を作ってしまったのもありますので……」

「お嬢さん。そちらも事情持ちだろうし、その幾らかをこれから説明して欲しくはあるが……それでもだ。お嬢さんの命だってアルフは奪い掛けた。それはそれで、やはり厳しくする必要があるのだよ」

 ゲイルはアルフの保護者であり、そうして、理解がある方の保護者である。少なくともアルフ自身はそう思っている。

 だからこそ、彼の言葉はアルフに刺さるのだ。今後をどうするべきか。アルフ自身もまた、考えて行く必要があるだろう。

「師匠。ここ最近、遅くに帰って来る事が多くなりましたが、力が暴走する原因がそこにもあるのなら、俺も考えるつもりです」

「お前がそう考えるのであれば、私から言える事はそう多くは無いな。叱る必要だってない。そう、良く考えると良い。だが、それはそれとして―――

「事情のお話ですね。はい。私から、話をさせていただきます」

 カニャーサからの返答を聞き、ゲイルは道場の床に正座しながら、彼女に面と向かう。

 こうなってしまえば、アルフに言える事は無くなる。

 出来る事はと言えば、カニャーサがゲイルに話す内容を聞き続ける事くらいだろうか。カニャーサは自らが騎士警察であるという立場。そうして、どうしたわけか、アルフがその仕事の手伝いをしている事も。

 正直、他人が聞けば驚く様な内容ではあると思う。だが、その話を聞くゲイルは驚いた様子を見せず、顎に手を置き、こう呟くのだ。

「ほう。それはそれは」

 何故か感心した様な声。

 ゲイルという男は、何事にも鋭い目と穏やかな感情を向けてくる人であるとアルフは認識しているが、今回に限っては、彼の興味の様なものがそこにあった。

「それで、学園の調査というのは、まだ続けるつもりなのかね?」

 アルフ達の行動を止めるでも無く、ゲイルはそんな事を尋ねて来た。返す言葉なんて、そう多く無いと思うのだが。

「俺は……あまり上手くやれていたとは思えません。今回の件なんかは特に……カニャーサ、君には申し訳ないと思うけれど……」

「いえ、私の方も、やや性急に動き過ぎました。こちらから何かのアクションを続ければ、向こうから反応があるだろうと思っての事でしたが、結果、自分の身に余ってしまったというか」

 どうやら近々、妙な事件が起こるぞとの彼女の忠告は、彼女がそれを引き起こす餌になるという話であったらしい。

 結果としてはその通りの事態になったわけだが、事件そのものを上手く解決出来ないとなれば、不十分も甚だしい。

「なるほど。つまり二人とも、上手く行動出来ないのだから、今後は行動慎むと、そういう事になるのかね?」

「そうなりますけど……何で残念そうなんです?」

 尋ねて来たゲイルの口調には、注意味以外の感情が込められている様に思えた。

「いや? 一保護者として、大人として、小僧どもが無茶を控えるというのなら、何も言える事は無くなるだろうさ」

 止める事も叱る事もしないというのなら、それはやはり、無茶をしろと言っているのと同様なのでは無いか?

 そんな風にも思えたが、実際にゲイルはそこで言葉を止めてしまったため、会話が続かない。

「あー……それで師匠。後始末の方はどうでしたか? 怪我人が一人……少なくとも居たはずですけど」

「ああ、あれな。多少、トラウマなんぞが出来ているだろうが、この学園ではままある事だ。暫くは停学するとして、また復帰でもするだろうさ。子どもというのは、取り返しが付く立場だからそう呼ばれるのだよ」

 ゲイルは簡単にそう言ってしまうが、簡単に収まる様な事態では無かった様にアルフは思うのだ。

 少なくともアルフは自らの力に寄って人を傷つけ、そうして辺りを破壊したのだから。

「ちょっと……外を見て来ます」

「なら、このミキタ君を送ってあげると良い。それと、現場には行くなよ。頭を冷やすにしても道場の周りだけにしておけ。自分が未熟だと思って居るのならだ」

「はい。分かっています」

 そもそも頭を冷やす目的もあるのだ。熱狂してしまいかねない場所になど向かうつもりが無かった。

 アルフはカニャーサが立ち上がるのを待つと、道場を出るために動き出した。




 暗い夜道をカニャーサは進んでいる。

 夢とは違い、道の先には何も待ってはいない。向かう先にはカニャーサ自身の寮だけがある。

 そんな道を、アルフと並びながら歩いている。とても暗いそんな道。今日はもう随分と過ごしたつもりだが、まだ夜は深そうだった。

「身体が冷えるし、頭も冷えて来ると、何してたんだろうって思えて来ますよね。思えて来ません?」

「夜に寝る前はマイナス思考になりがちだって話は聞いた事がある。朝起きて暫くすれば、何を馬鹿な事考えてたんだって思ったりするらしいけど」

「けど、私は今、落ち込んでるんですよ」

「慰めて欲しいのなら、ごめんだけど、明日にしてくれないかなぁ」

 別に慰めて欲しかったわけでも無いが、それはそれとして、拒否されると癪に障るものだ。

 ちょっと足の裏でも間違って踏んでみたくなる。

「あ、何、痛い痛い! 何だよいきなり!」

「悔しいです。私、今、絶賛悔しい状態ですよ」

「だからって、上手くやれない者同士で慰め合ってどうするって言うんだ」

 そんなのは分かっている。不毛だとも思う。けれどカニャーサは騎士警察で、これからも仕事を続けなければならない。

 半端者として、上手くやれないままで続ける必要があるのだ。自分でも未熟だという自覚があるのに、暗い道を進み続けなければならない。

 そんな状況なのだから、慰めの言葉一つでも掛けたらどうなのだろう。

「……明日からどうするべきか。それを考えると、やっぱり落ち込みます」

「俺の方は……頭をどう冷やすかに悩んでる」

「まだ冷やせる頭があると?」

「なんかそれ、頭が悪いみたいな言い回しで腹が立つんだけど」

 そんなつもりは無いというのに、アルフは何時もカニャーサの言葉を悪い方に取るのだ。嫌味な奴だと思われていないか心配になってくる。

「どっちかと言うとさ、俺の方は、また馬鹿な事をしてしまいそうになるのを、我慢してるって言ったら良いのか……」

「馬鹿な事って、また暴走するって言うんですか?」

「しない。それは絶対にしない。何なら誓っても良い。鎧人が暴走するって言うのは、本当は一生に一度だってあってはならないんだ」

 彼らにとっての彼ら自身の力は、むしろ不俱戴天の仇みたいなものなのかもしれない。大きな力を持って生まれる彼らにとって、力とは求めるのではなく、どう共存していくかの大きな課題でしか無いのだろう。

「では、何に頭をカッカさせてるんですか」

「君は気付いていないかもしれないけど、うちの師匠に煽られたんだ俺達は」

「煽られた? 何を?」

「お前達はその程度で立ち止まるのかって、そう態度で示されたんだよ。口で馬鹿な真似は止めろと言っておきながら、あれはこっちを鼻で笑っていた」

「それこそ、気にし過ぎな様な……」

 カニャーサがそう言うと、アルフは首を横に振った。そうして立ち止まり、カニャーサの目をじっと見つめて来た。

「そうかな。じゃあもっと単純な話をしようか。挑発されて、乗らないでいられる程、俺達は大人じゃない」

 語り掛けて来るその声。暗い夜道で見えるその目。別にカニャーサを待ち受けているわけでも無いだろうに、それでも、道の先にはアルフのそんな姿があった。




ゲイル・コートナはアルフにとって唯一の家族なのだ。カニャーサには分からない部分でも、アルフは理解できる。

「俺は……俺は今、もう一度無茶でもしてみるかなんて考え始めてる。こういう事の方が、余程何をしてるんだろうと思うものじゃあないか?」

「……」

 アルフは挑発されて、黙ってもいられない年齢だ。

 つい、本音だって零してしまう。そんなものをぶつけられたところで、カニャーサの方とて困るのであろう。

 彼女は黙ってしまう。

 失言をした。アルフはそう思うし、だから黙ったまま、やはり二人並んで歩き始める。

 黙り込み、そうして、歩き出したのが早かったのはカニャーサの方なので、彼女に歩調を合わせる様にアルフも歩き続けるのだ。

 だが何故か、カニャーサの寮へと向かう道から、向かう先が逸れている事に気が付く。

「何? 帰りに寄るところでもあった?」

「はい」

「どこに。あ、もしかして休ませていた診療所でも忘れ物でもした?」

「いえ、向かっているのはシャリエラ・セイヴさんの寮の方です」

「なんだって?」

 上手く理解出来なかったので聞き返すものの、こういう時、必ず彼女はこちらを馬鹿にした様な目線を向けてくるのである。

「シャリエラ・セイヴさんの寮へ向かっています」

「いや、聞こえなかったわけでも、もう一度言えって事でも無い」

 さっきまでの会話で、どういう思考の変遷があったのか? 聞きたいのはそれである。

 だと言うのに、カニャーサの方はと言えば、それくらい言わずとも分かれと言った風な態度を示してくるのだから、こちらとしてはもどかしくなってしまう。

「さっきまで、未熟者がどうとか言ってなかったっけ?」

「朝になれば、そんな考えなんてどうとでもなる。みたいな事を先輩は言ってました」

「まだ夜だ」

「だとしても、やろうと思うんですよ、シャリエラ・セイヴさんの調査を。今は怪我をするかして部屋に帰って無いでしょうから、家探しするチャンスです」

「家探しそのものが犯罪的な事なのはあえて無視するさ。だけど―――

「一人じゃ半端者のままです。けど、二人なら一人前として動けていた。そうは思いませんか?」

「それは……」

「会って、それなりの成果を出せていたのは、私と先輩。二人で協力していたからです。片方だけで動いた途端に無様を晒したわけですから……また二人で、シャリエラ・セイヴさんの調査をしませんか?」

 二人で、学園の女生徒の部屋へ不法侵入しないか。そんな誘いは本当におかしな提案である。

 鼻で笑って、断るのが一般的な学生の在り方だ。だが……。

「くそっ。そうか、師匠が言いたかったのはこういう事か?」

 頭を掻く。そうして、ゲイルがいったい、アルフ達を見て何を思っていたのかを知る。

 存外、良いコンビだとでも、アルフとカニャーサを見たのだろう。だから、少し発破を掛けて来たのだ。

 お前達なら、どこまで出来るのだろうと。

「所詮は騎士警察の仕事を無理矢理に手伝わされる形になります。報酬なんて、払える立場じゃありませんし、結局は、無駄で半端な結果になるかもしれません……それでも……」

「君がやろうとしている事を、俺が正しいと思える限りは、手伝ってみる。それで良いかな?」

 損な事を言ったかもしれない。意味のある事では無いかもしれない。

 けれど、このままで終わってたまるかという気持ちが強いのだ。鎧人として、中途半端はどうにも座りが悪い。

 鎧人は生まれたその瞬間から、自分の力をとことん制御しなければならない。そのせいか、気性というのが、どこか中途半端を許さなくなるのだ。

 やるならばとことん、極限まで突き詰める。そういう趣向がアルフにもあった。

「では、さっそく始めましょうか。今度は上手くやりますよ、先輩」

「ま、上手くやれなきゃ困るんだけどさ」

 これからするのは女生徒の部屋への不法侵入である。やる気になったところで、さっそく後ろめたさを感じ始めたアルフ。

 一方で、行動を止める気にはなれないのは、アルフもカニャーサのやる事に染まって来たという事なのだろうか。




 学園の寮にはそれぞれに個性がある。部屋の構造から立ち入りの厳しさに家賃等々。寮ごとに特色があり、さらにはその雰囲気によって、寮生同士の絆が深まったりする寮もあるらしい。

 そうして今、カニャーサ達がやってきたシャリエラ・セイヴの寮はと言えば、とりあえず分かる事として、不法侵入者に不用心であった。

「彼女、出て行く時に戸締りをしなかったのですね。窓が開きっぱなしでした」

「あー、俺が挑発したのと、君が彼女の催眠術って言えば良いのかな? そこから突破した事で、動揺していたんだと思う」

 シャリエラ・セイヴの部屋に、窓から侵入しながら、カニャーサとアルフは小声で話し合う。

 さすがに大声ともなれば、寮内の誰かに聞こえてしまうだろう。つまり、小声である限りは、警備だって来ない程度の、そんな寮であるのだが。

「やっぱり、どうにも二人で行動した結果は、良い物になる気がしてきますね」

「ここへ不法侵入出来るっていうのは、良い結果と言えるんだろうか」

 それはこの部屋で何が見つかるかに寄るのだとカニャーサは思う。

「ゴゴガガ様の儀式に関係して、学園関係者に人間種族へと敵意を抱かせようとしていた存在がいるのは確かです」

「それがこの部屋の主って事なんだろうけど、君が追っている、学園内の反社会的組織そのものである可能性だってあるんじゃあ」

「彼女みたいなのが、騎士警察に睨まれる程の集団を纏められるとは思えません」

「酷い事言うなぁ」

 酷くあろうと事実は事実である。恐らく、カニャーサの存在を怪しく思い、妙な夢の中に閉じ込めたシャリエラだろうが、結果、カニャーサ単独でその夢から抜け出せるくらいに間が抜けている。

 少なくとも、集団の中でカリスマ性を発揮できる程の能力はあるまい。

「仲間の勧誘をしていた形ですから、何か怪しい思想の集団と深い関わりがあったはずだとは思います。その証拠なり何なりがこの部屋に残されていると良いのですが」

「都合の良い事があって欲しいもんだね。あー、けど、あれかな」

「どうしましたか?」

「女性の部屋を家探しするのは、さすがに気が引ける」

「下着とか見つけても、ああそうですかって返してあげますから安心してください」

「俺の心の問題なんだよなぁ」

 男心とやらは分からぬものである。それとも種族的な何某かなのだろうか。そちらもやはりカニャーサには分からない。

 カニャーサに分かる事はと言えば、だいたい、大事な物を隠すとなれば、大事そうな物の、そのさらに中。

「このクマのぬいぐるみ。何の気なしに置いている様に見えます」

「使い古されてるっぽいから、部屋にいるときはずっと持ってたりするんじゃないかな? そういうの女っぽいというか何と言うか」

「えいっ」

「何してるんだよ!?」

 何と言われても、クマのぬいぐるみを、中の綿が出るくらいに強引に引っ張ったのである。

 実際、ぬいぐるみの表面が破れて綿が出たし、一枚の紙も出て来た。

「こういうの、あるもんなんですよ。乙女の部屋には」

 ぬいぐるみから取り出した紙一枚をひらひらさせる。

「血判状……? 乙女の部屋にあって欲しくないものに見えるけど」

「複数の名前と、それぞれの血での印。まあ、いかにもって奴ですね、これ。多分、ここに名前が書かれている人が、そういう連中なのかと」

 反社会的な勢力というのは、社会的では無いという事なのだから、お互いの繋がりを、まともで無い手段で担保したがるものなのだ。

 例えば一人が裏切った場合、芋づる式に捕まってしまうような、そんなものをお互いに共有するとか。

「こう、見るからにって気もするから、形から入る連中なんじゃないかな? けど、これで君にとっての解決って事になる?」

「ここに書かれている名前の人達と接触して、そこから……ですかね」

 カニャーサは血判状を見つめつつ、とりあえずそこに書かれている名前を憶えて行く。この紙きれについては、すぐ、騎士警察の本部へ送る必要があるだろうから。

「何か……気がかりがあるって顔してる」

「私のそんな時の顔って、どんな顔になってますか?」

 自分では自分の表情というものに詳しくはなれない。鏡をずっと見つめる趣味をカニャーサは持っていないからだ。

「明らかに目が不満げな形になるんだよ。それくらいは分かる様になってきた」

 分かりやすい顔をしていると言われた様な気がする。アルフとは長い様で、まだまだ短い付き合いしかしていないというのに。

「不満があるならさ、とりあえず聞かせて欲しい。なんて言っても、俺の方は事の裏側とかそういうのに疎いから、実際に聞いてみないと、何が何だか分からなくなるんだ」

「そうして先輩は、何もかもが分かった後に訳知り顔で現れて、何もかもを潰すつもりと」

「人を何か破壊者みたいに言わないでくれる?」

 その他には、学園内の事に関してはそれなりに事情を知っているという程度の役立ち具合だろうか。

 何にせよ、カニャーサには出来ない事が出来るという時点で、利点ではあると思っている。

 それに……。

「けどほら、やっぱり二人で行動したら、すぐに結果が出て順調ではありますよね」

「まだ、何か仕出かすつもりっぽい顔も浮かべて来てるから、順調と言えば順調になるのかな?」

 勿論だ。これからまた、二人で調査を行わなければならない。こんな部屋で見つけた血判状一枚。それでも進展があった以上、二人で進む必要があるのだ。

「二人で作業をすると、運が向いて来ている。そうは思いません?」

「運命めいた何かがあるとは思いたくはないかな。けど……やる気が出て来たっていうのは上等な事だ」

 ふと、二人して、他人の部屋に居ながら、その部屋の窓を見た。

 光が差し込み始めた太陽が昇り始めているのだ。漸く、夜が明けたらしい。

「っと、まだ暗いうちに、退散しましょうか。誰かに見つかれば事です」

 言いながら、太陽の光がで眩しくなりつつあるその窓際から外へと出るカニャーサ。

 さあ、ここから何を初めてやろうか。


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