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第一話 こうして縁というものは出来てしまう

「ハタカ学園への出向……ですか?」

 コンクリートの壁を、暗色の壁紙でなんとか飾った無機質な部屋。そんな部屋の中心で、パイプ椅子に座りながら、彼女、カニャーサ・ミキタは声を発した。

 声は思ったよりも響いて、話し掛けた相手、自分の上司であるラドルフ・ルッゾの耳にも、大きく響いたかもと不安になってくる。

 幸運と言えば良いのか、カニャーサが座っている場所から少し前。デスクを挟んだ向こう側で同じく椅子に座り、こちらを見据えて来るラドルフの表情は大きく変わらなかった。

 彼の髭面は無駄に威圧的であり、その表情が変わる瞬間は、それがどの様な感情から来るものであったとしても、心臓に悪いのである。

 もっとも、彼の口元が一切閉じたままというのも、これからの展開を思えば無い事だろうから、結局、心臓は高鳴り続けるのであるが……。

「そうだ。君には国により設立されたあの学園へ赴いて貰う。現在の身分を隠して、一生徒としてだ。一応聞いておくが……君の年齢は二十を越えていなかったな?」

「十四です。今年で」

 女性に歳を聞くのは不躾ではなどとは思わないでおく。どうせ、この年齢で既に働いているというのは奇異の目で見られるのだ。

 少々歪な人生を送っているのがカニャーサであり、尚且つ、少々歪な組織に勤めている。それもまたカニャーサの立場であった。

「なら、中等部への編入手続きが進んでいるところだ。一応、今回の仕事に関しては、断る事も出来る。長期間での出張になるだろうし、身分を偽っての潜入任務とも言える。要するに面倒で危険な任務の類という事だ。本人の意思を尊重するべきだと……さらに上の連中は考えているが……どうだ?」

 どうだと聞かれても、どう答えるべきなのだろうか。

 暫く考えた後、カニャーサは当たり前の事を聞いた。

「実際問題、断れる話なのですか?」

「今後、うちで出世を望まない。窓際の事務員として生きて行きたいと考えるのであれば……選択肢はあると言える」

「では、はい。了解しました。任務を引き受けますが……そもそもの目的についての説明くらいは、事前に聞かせていただけるのですか?」

 カニャーサが所属する組織は、些か厳しい部分を持った組織だ。真っ当とも言えない。

 そんな組織においてカニャーサが学ぶのは、とりあえず、上の言う事には逆らわない方が、自分の意見を通しやすいというものであった。

 こういう組織の上司と言うのは、逆らわない限りにおいては、寛容さを見せてくれるのだ。

「無論、事前の説明は十分にさせて貰う。まず、この任務の目的だが……この国の安全保障に関わるものだと言って置こうか」

 そうやって続くラドルフの言葉を、カニャーサは聞き逃さない。相手の言った事を忘れない様にする。それもまた、カニャーサが自らの組織に身を置く中で学んだ、処世術であったから。




 国立ハタカ学園。関王国最大の商業都市であるテール市の北方。湾の形を取る海にぽつんと浮かぶ大きな島に、その学園は存在している。

 絶海の孤島とは程遠い、良く本土と船が行き来するその島であるが、それでも、関王国本土とは切り離されたその環境において、学園は変わらずに存在し続けていた。

 年齢にして六歳から二十歳までの生徒と彼らの教師となる者が人口の大半となっているその学園と、学園が存在する島は、彼らにとって生活のすべてがそこに詰まっているとも言えた。

 具体的にどういう生活かと言えば、代わり映えしない日常とも表現出来るものの。

「いや、別にそれに不満なんて無いけどさ」

 ふと、そんな事を呟きながら空を見上げる彼、アルフ・コートナは、その空がやはり、何時もと変わらない青空であった事を確認して、視線を下げた。

 そこにはハタカ学園の大きな正門がアルフを待ち構えている。

 別に大げさな事では無く、アルフは学園の生徒なのだから、何時だってこの門は、朝方にアルフ及び他の多くの生徒達を待ち構えているのだ。

「アルフ。アルフ・コートナ。来たわね」

 と、門以外にもアルフを待ち構えている相手がいた。

 スーツ姿の長身の女性。長い髪を真っ直ぐ伸ばし、切れ目の視線でこちらを見つめて来るその女の名前をカネバラ・リントと言う。別の表現で言うのなら、学園の教師の一人。という事になるだろうか。

 それと、もう一つ、彼女には特徴があった。

「リント先生、おはようございます。今日も肌が日焼けを一切拒否してらっしゃって元気そうだ」

「肌の色をとやかく言わないで。相手が相手なら刃傷沙汰よ?」

 まったくもってその通り。

 彼女の青白い肌の色は特徴的ではあるが、いちいちその特徴をあげつらう様な発言は、この学園においては一種のタブーであるのだ。

 アルフがわざわざ、そんなタブーを言葉にしたのは、目の前の女教師とは見知った仲であり、尚且つ、アルフの方とて、彼女に思うところがあるからである。

「で、わざわざ正面玄関で呼び止めて来たのは、俺に何か用があるからですか。あるんでしょうね。面倒で面倒で面倒な用が」

「そう嫌そうな顔をしないで。面倒に違い無いけれど、断れない以上、前向きに生きて行く事が大切よ? うん」

 その言葉はこれからの将来にとって大切な言葉かもしれないが、直近の未来においては受け入れたくない言葉であった。

 断れない面倒事。それが碌なものでは無い事は、今の時点で約束されていた。

 カネバラはどういう理由か知らないが、アルフに絡む事が多く、その度に面倒な頼み事をしてくるのである。

「とりあえず、内容を先に聞いてから判断してみたいんですが……」

「あらあら、引き受けてくれるの。それは有難い話だわねぇ」

 話を無理矢理に進めて来るカネバラ。この教師は何時もそうだ。

 夜魔と呼ばれる一族の一員らしいが、生来、夜型の種族であるはずなのに、彼女は朝から活動的だった。その性格と言えば、活動的を通り過ぎて強引なタイプであるのだが、こうなってくると、本格的に断れなくなってくる方が問題だ。

「いやー、けど、どうだったかな。今日はこの後、学校に行ったり授業を受けたりしなきゃならない予定があったはずで―――

「そんな事は知ってる。けれど、それよりも前に、こんな時期にやってきた転入生に対して、学園内を案内して貰うという大役をあなたに任せる事になったのよ」

「転入生って、こんな時期に、いったいどんな種族の生徒が……」

 春もすっかり過ぎた、夏も近しい季節。転入生が来るには珍しいとは言える時期ではあれど、転入生が多い季節というのも少ないだろうと考え、そちらの方は納得しておく。

 問題はと言えば、やはりその転入生の種族についてであろう。

「もしかして、故郷で問題を起こしたみたいな種族だったりします? 結構厄介な種族だとしたら……やっぱり面倒だ」

「だから面倒な用と言っているでしょう。と言っても、変わった種族では無いの。というか、人間なのよね」

「……人間?」

「ええ、そう。その人間」

 カネバラの言葉を聞いて、アルフは頭を掻いた。

 人間というからには、やはりこれは面倒な話であろうから。




 国立ハタカ学園。

 関王国がその領土に存在する島をまるまる一つ使って用意した、ある種の箱庭の様な学園。

 多大な資本と資産が投資され作り上げられたその場所が、ただ若人に教えを授けるために用意された学校施設であるわけも無かった。

 その学園の設立目的は、少数種族の保護にこそあったと言える。

「かつて、数百年も昔は、世界中に様々な種族が溢れていた時代があったそうですね。それぞれの種族は互いに出会い、互いに交流し、互いの違いを驚き、受け入れた時代があったとか」

 ふと、そんな言葉をカニャーサが漏らしたのは、ハタカ学園の歴史を感じさせる校舎。その長い長い廊下を見たせいかもしれない。

 現在、カニャーサがやってきていたハタカ学園の中でも、特別古い一角であるそこは、一歩踏み出せば木造の床が不安になる程にギシギシと鳴って来る、そんな場所であったが、生徒達は気にした風でも無く歩き回っている。

 そんな廊下をカニャーサも歩きながら呟いたわけだが、言葉を返してくる相手がいた。

「そういう話、この学園じゃあ嫌というほど学ばされるけど、昔だって色々と軋轢? そういうものがあったそうだよ。俺だってそんなに知ってるわけじゃあないけど、案外、今の方が随分とマシなのかも」

 と、そんな風に語り掛けて来たのは、隣を歩く男。本日、この学園へ転入して来た事になっているカニャーサの案内役として抜擢されたらしい、学園の生徒であった。

 年齢にしてカニャーサの二つ上。名前を確か……。

「アルフ・コートナさん。もしや、この学園では、その様な歴史についてが重点的に教えられるのですか?」

 立ち止まり、共に歩いていたその生徒、アルフ・コートナに尋ねてみる。

 この学園の生徒であり、年齢通り、カニャーサよりも二つ上の学年に属しているそうだ。

 こうやって話してみる限り、面倒見は良さそうで、見た目も奇抜なところが無く、同年代の平均よりはやや低い身長もあってか、敵意を感じさせて来ない。そんな生徒でもあった。

(この学園の事情をいろいろと尋ねるには、都合の良い相手と言えるかも)

 そんな風にもカニャーサは考える。

 案内をしてくれるというのなら丁度良い。組織から与えられたカニャーサの任務にとって、この学園の現状に関して知る事は、重要事項の一つであったから。

「歴史っていうのなら、そりゃあね。教科としては一番多いんだよ。なんていうか……学園について、事前に説明とか受けなかった?」

「勿論、聞いています。他の地域においては、少数であるはずの種族が、この学園では多くを占めている。ここはそういう場所なのでしょう?」

 この世界でもっとも多い人種は何かと人々に尋ねれば、それは誰しもが人間と答えるだろう。

 かつて、世界が剣と魔法に寄る開拓の半ばにあった頃、世界には様々な種族に溢れていた。

 魔法に適正があるエルフ。環境への適応力に富んだゴブリン。動物の様な顔を持つコーボルト等々、その種族の名前と概要だけでも、大きく太い事典が一冊出来上がると言われる程に、世界にはあらゆる種族が存在していたのである。

 その頃、もっとも多い人種はと尋ねていれば、首を傾げる者の方が多かったろう。だが、それもまた昔の話。

 今となれば、世界の人口は人間が過半数を占めており、少数においやられた他の種族達は、徐々にその肩身を狭くしていっている。今はその途上とも言えた。

 そんな種族を保護し、その種族としての文化や能力を教えようとする事を目的として設立されたのが、このハタカ学園であるのだ。

「知ってるなら問題無い。自分達がどういう立場なのか。まずこの学園では、それを教えこまれる。俺達みたいなのは、まあ、世間じゃみんな特殊って言えば良いのかな? そういう立場だって事で……どうしてそうなったのかは、やっぱり何より先に知るべきなんだって感じでさ」

 アルフがそうやって語る表情を見るに、憎しみとかそういう感情は見えて来ない。当たり前の事を当たり前に話している。そんな風であった。

(良く、少数種族となっている人達は、人間に対して複雑な思いを抱いているって話を聞くけれど、この学園ではそうでも無い?)

 カニャーサが所属する組織が、彼女をこの学園に送り込んだのは、当たり前に、この学園に何某かの問題があるからだ。

 そういうものが無ければ、わざわざ小娘一人、身分を偽らせた上で、面倒な手続きの元に送り込んだりはしないだろう。

(そういう問題を探すのも、私の役目……だから……)

 隣にいるこの青年一人、上手く使ってやろうと思う。

 せっかく案内役として自ら買って出て来てくれた……とりあえず、そう聞いている以上、向こうの方も、カニャーサの案内にやる気を出している状況だろう。ならばお互いに良い関係とやらを築けそうでは無いか?

「この学校には、国中どころか、他の国からも少数種族がやってくると聞いていますが、そこで争いなどあったりはしないのですか?」

「そりゃあ、あるにはある。けど……」

 じろりと、アルフはカニャーサを見つめて来る。

 何かを疑ってくる様なそんな眼差し。もしや、自分の立場がバレたのかと戸惑うカニャーサであったが、何とか表情に出さず、言葉を聞き返すに留めた。

「あの、何か?」

「いや、ミキタさんだっけ? 君が言う通り、ここは少数種族の若者ってのが集まる場所だけど、だからこそ、なんで人間の君が、こんな時期にやってきたのかって思ってさ。失礼な質問だったら申し訳ないけど」

「そんなに珍しいですか? 人間。ありふれてると思いますけれど」

「外じゃあね。けどこっちじゃあ、やっぱり珍しいよ」

 外と、アルフは表現した。この学園の内と外。そんな風に、アルフは世界を捉えている。

 まあ、それも仕方ない事なのかもしれない。

 かつて、世界が剣と魔法を中心に動いていた時代。人々は人間も含めて、等価であった。

 それぞれの種族が互いに広い世界に存在し、それぞれの文化、文明、そうして街を作り上げていた。

 今はと言えば、人間がすっかりと増え、他の種族の大半は少数種族などと呼ばれる程に個体数を減らしている。

 それぞれの種族がそれぞれの誇りとして持っていた技能も特性も、道に自動馬車が相当な速度で行き交い。空には飛空船が定期的に見られる時代においては、ちょっとした個性の領域を出なくなった。

 そんな時代において、少数種族の最後の居場所と言えるかもしれないこの学園は内側で、それ以外の世界は外側なのかもしれない。

「つまり、この様な場所には、理由が無ければ来ないはずだと、あなたはそう疑っているのですね」

「疑っているというか、好奇心というか。だってこんな時期にだよ? 人間がこの学園に転校してくるなんて、気にならないはずが無いし」

「なるほど……アルフさんからしてそうなら、他の方々からも、今後は同じ様に見られそうですね。勿論、事情がありますが、聞きたいですか?」

「だから、失礼だったら聞かないって」

「聞いてください。私のやむにやまれぬ事情というものを」

「なんでそんなにノリ気なんだい?」

 勿論、どうしてわざわざ学園に来たのかの嘘の設定については、十分に考えてからここに来ている。

 せっかく考えたのに、誰にも話せないというのも勿体ない気がしたので、機会があれば是非に公開したい気分であったのだ。

「実を言えば私、一人親家庭でして、その親であるところ私の父は商社で働いているのですが、結構、海外に行く事が多く、出張も多くて寂しい思いをする事が多いのです」

「それは……複雑なご家庭? そう考えれば良いんだろうか」

「急に聞かされても困る話かもしれませんね。けれど続けます。そんな父に対して、私、憧れ半分、反抗半分という状況で、父が良く見聞を広めるのが立派な大人になるコツだと事あるごとに言い張っていた事をネタに、じゃあこの色んな種族が集まる学園に通いたい。どうせ家に居てもほぼ一人暮らしみたいなものだし、学園の寮にも入りたいと半ば家出の様な形で、学園に転入したのです」

「どう考えても今日会ったばかりの相手に話すべき内容じゃないのに、こう、読み上げる様にすらすらと言ってのけるのって、君の個性って思うべきなのかな。大分悩ましい」

 何故か混乱される。こちらとしても悩ましいところなのであるが、その感情はおくびにも出さず、とりあえず廊下を進む事を再開した。

「案内をまた始めるけど、この学園はひたすら広いから、冗談でも無く、迷わない様に注意した方が良い。ここの名前も、俺達は旧校舎なんて呼んでいるけど、ここだけでも、並の学校一つ分以上の大きさがあるんだ」

「少数種族が主に集まっていると言っても、国中や外国からもとなれば、相当な人数になりますから、それだけの土地が用意されていると、そういう事でしょうか?」

「それもあるけど、種族毎に、健康に過ごせる環境ってのもあるからね。ウッドエルフやノームなんかは、半日は森林浴をしなきゃ気分が悪くなるっていうんで、学園のある島の一角には、そのままの原生林が残されていたりする」

 それぞれの種族にとっての適正な環境を用意していれば、それは土地が幾らあっても足りないという事にもなるだろう。

 島一つをそのまま学園用の場所として用意されているというのは、ある種の隔離でもあるのだろうとカニャーサは考えていたが、その実、島一つそのまま用意出来なければ学園として運営が出来ないという現実もあるのだろう。

「ミキタさんは人間だから、学園と寮の行き来きだけなら、一度道を憶えれば大丈夫だと思うけど、危険な場所っていうのも多いから、行った事の無い場所に向かうなら、事前にそこがどういう場所が調べてからが良いだろうね」

「迷って、誤って足を踏み入れた場合ならば、どうすれば?」

「祈ろう」

「祈る?」

「うん。幸運を」

 祈ってどうなるものなのだろうか。それとも、そこまで心配する事では無いのか。

「一年間にだいたい二、三人」

「二、三人……なんです?」

「完全に行方が分からなくなる。その後も見つかってない。他で見かけたなんて話も聞かない。冗談じゃないからね」

「……肝に命じておきます」

 想像以上と言うべきか、想定通りと言うべきか、この学園は危険な場所である事は間違い無いらしい。

(それはそうか……ある種族の、多くの歴史の中で、他の種族との交流は危険を伴うものだったし……ここにはそれが濃縮されている様なものなんだ)

 今後も、気を引き締めて行かなければなるまい。カニャーサの仕事は、そんな危険の中に、自分の意思で飛び込む様なものなのだから。

「ま、だからさ。初めてここに来た相手は、必ず慣れた誰かが案内しなきゃなんだよ。今日は長くなるだろうけど、俺だって今日の授業は全部休んで、君に付き合うつもりだよ」

「恐縮ですが、是非是非、よろしくお願いします。私も、もっと詳しく、学園の事を知りたくなっていますから」

 様々な意味を込めて、カニャーサのその言葉は切実なものであった。

 今後、長い間、この学園で過ごして行く事になるのだから。




「で、ここが学園の三つ程ある食堂の一つ。他の二つより若干日当たりが良く無いけど、日替わり定食の味は一番美味しいと思ってる。何より安い」

 正午をやや過ぎて、アルフはカニャーサを連れて、学園内の食堂へとやってきていた。

 午前中は旧校舎と呼ばれる場所から、正面校舎と呼ばれる場所。さらに新校舎と歩いて回り、校舎内の各教室の用途等を説明した後、ひたすらに広い校舎の案内を行って、足がぱんぱんである。ここでひとまず休憩としたかったのだ。

「ちなみに、アルフさんのおススメというのもやはり、その日替わり定食でしょうか?」

「いや、俺はからあげ丼」

 言いつつ、食券をカウンターに渡し、待たずに出て来るその丼をトレイに乗せて行く。

 カニャーサの方は日替わり定食を受け取って、幾つもあるテーブルへと向かっていく。

「はぁ、なんだか、確かに学食って感じなのですねぇ」

「お洒落を追求したいなら、西側の食堂に行くと良い。皿が小さいのに何故か高い食事っていうのを味わう事になるけど、それでも執拗にあそこに通う生徒も少なくないんだ」

「人それぞれ……という事でしょうか。ちなみに、やはり種族毎のメニューがあったり?」

「そりゃあね。それぞれに食べられるもの食べられないものもあるし。というか、元気だね、君さ……」

 割り箸を割ってから、食事を始めるアルフ。案内を続けて疲労をしている自分に対して、カニャーサの方も勿論、疲れている風ではあったが、それでも付いて来ているし、こちらへの質問は止まらなかった。

 人間というのは、他の種族に、そこまで興味津々なのだろうかと思わせて来る。

 そんな積極性が彼女にはあり、一方で、この様子なら、学園で今後も上手くやって行けるかもという予感はさせてくる。

「色々と気になる年頃なもので。午後からはどこを回ります?」

「島中全部を回るとなれば、全然時間が足りないから、主要な移動経路の確認だけして置こう。住む予定の寮はもう決まってる?」

「はい。えっと、地図ではこちらで」

 机の上にカニャーサが地図を広げて来る。と言っても、冊子程度の簡略化されたものであるため、食事の邪魔にはならない。

「うん。問題の無い生徒が多い寮だ。学園からも近いし、良い部屋取れてるじゃないか」

「となると、問題の多い生徒もいるという事ですね?」

「そりゃあね。いるにはいるけど、さっきから、どうしてか問題って言葉に引っ掛かる事が多くない?」

「さあ。どうでしょうか。けど、問題って気になりません? 知ったら解決したくなるというか、無性に知りたいって気持ちになる」

 そんなやつも少ないと思うのであるが、目の前の少女はそういう性質であるらしい。

 少女らしい小柄なその姿のどこに、どれほどの好奇心が存在しているというのか。それは伺い知れないが、どうにも一般の人とは違う感性を持っている様子。

「物事に疑問を持つのは良い事だってうちの師匠も言っていたし、まあ良いか。問題がある生徒も確かにいる。それと言うのも……げ」

 話の途中で、嫌な予感がした。いや、嫌な音が聞こえて来た。

 音の発生源は、丁度、食堂の出入口を出たところから聞こえて来た。

 男の叫び声だ。意味不明な罵声にも聞こえるが、音に集中してみると、何かを主張しているらしい。

「これは……いったい?」

「ええっと……」

 聞いてくるカニャーサにどう答えたものだろうと考えるアルフであったが、仕方ないとばかりに席を立ち上がった。からあげ丼は冷めてしまうだろうが、やはり仕方ない。

「気になるなら付いてくると良い。あんまり、見る価値は無いと思うけど」

「付いて行きます」

 さっと立ち上がって来て、実際にアルフに付いてくるカニャーサ。本当に、見る価値の無い内容だというのに。

 アルフが足を運ぶ先は、声が聞こえて来た場所。

 案の定、食堂の前で、男が一人叫んでいた。

「どうしてだ! どうしてメニューから芋蛙の煮付けが無くなったんだ!」

 鱗で覆われた皮膚と、頬から生えたヒレが目立つそんな男。

 種族は見るからにマーマンであるが、陸上でも元気そうな姿を見るに、沼マーマンあたりだろうか。

「だからー、蛙はさすがに他の目が厳しいって話が出てただろう? 持ち帰りなら大丈夫って話もあったじゃんよー」

 そうして、沼マーマンの友人らしい別の種族の生徒が彼を宥めている。そんな状況であった。

「えっと、喧嘩……とも違いますね。苦情?」

「ああ。単なる生徒の文句なんだが……あいつ、ちょっと興奮してるな」

 アルフが見るに、友人の言葉も聞こえてない様子で、沼マーマンは先ほどから叫び続けていた。

「前もそうだったんだ! 前は生魚は駄目って話で、持ち帰りなら良いからなんて言ってたが、結局持ち帰りメニューからも無くなったじゃないか! 今度は俺の好物まで奪うってのか!?」

「お、おい。おい! だから落ち着けって、落ち着……うわぁ!」

 その瞬間、沼マーマンがその腕を振るった。さすがに友人に直接手を上げるという事は無かったが、彼の振るった腕からは粘液の様なものが服の袖を突き破って飛び出し、食堂の壁にその粘液が叩き付けられた。

「うっ……」

 カニャーサの方は、その粘液の臭いを嗅いでしまったらしい。

 正確には、粘液が壁を溶かすその臭いを。

「沼マーマンは腕の部分に毒腺がある。強い酸性で、ああやって無機物だって溶かせるから、生身の人が触れでもしたら大変な事になってしまう。あまり、臭いも嗅がない方が良い」

「け、結構冷静なんですね」

 すぐに鼻と口元を腕で塞いだアルフに対しての言葉だった。

 冷静というよりかは、慣れていると言った方が正しい。こんな光景、この学園なら日常茶飯事だから。

 実際、人だかりは出来ているが、大きな騒ぎにはなっていない。主に騒いでいるのは沼マーマン一人だけであり、他の生徒達は、自分に害が向かわない様に、警戒しているという状況であった。

 だが、やはり興奮する沼マーマンは周囲の状況を顧みる余裕は無いらしい。

「もう沢山だ! こんな学園、もう願い下げだ! 今に見ていろよ!」

 そう叫ぶと、沼マーマンは走り出す。食堂のメニュー一つにどこまで深刻なのだろうとアルフは呆れるものの、案外、人に寄って切実な部分というのは、些細な事柄にこそあるかもしれない。

「今に……見ていろ……?」

「ああ、さっきの捨て台詞に関しては、それほど気にする必要は―――

「気になります。私、これから彼を追ってみたいのですが」

「え?」

 カニャーサの言葉を良く理解できず、首を傾げるアルフであったが、彼の言葉を待たずに、カニャーサは走り出してしまう。

 沼マーマンが走り去った廊下を追う様に。

「ええっと……どうしようか」

 走り出したカニャーサの背中を見つめながら、さらに続けて彼女を追うべきか、アルフは考えるものの、悩んでいるうちにカニャーサはさらに遠くへ向かっていく。

「校舎内ならある程度案内したし、迷う事は無い……かな?」

 と、カニャーサを追う事を諦める事にする。アルフが頼まれたのは彼女の案内であって、彼女の暴走を止める事ではあるまい。

 そう考えつつ、アルフはカニャーサとは別の方を歩き出す。

「沼マーマンを追うっていうのなら、そっちの方向じゃあないしさ」

 と、彼を追うというのなら最適な道を知るアルフは、そちらの方を向いて歩き出した。確かに、沼マーマンの捨て台詞は気になっていたのだ。

 沼マーマンが去って行った廊下の向こう側には、学内に流れる小川があったはずだ。丁度、人一人泳げるくらいの深さと幅がある。

 島をそのまま学園の敷地としているせいか、学内ですら無駄に自然豊かなのだ。この学園は。

(それはそれとして、そういう場所も、種族に寄っては普通に舗装された道より動き易いんだよ)

 単純に追うとなると、むしろ引き離されてしまう可能性が高い。だから予想するのだ。

 慣れ親しんだ学園の敷地。どこがどうなっているのか、想像しようとすれば簡単に頭の中に浮かんでくる。

 沼マーマンが移動に使うであろう小川はどこへ繋がっているのか。そもそも、沼マーマンは何を言っていたか。

(今に見ていろ……ね)

 その言葉を考えれば、小川の上流あたりだろうか。そのまま小川を遡るより、より歩きやすい道のりがあるので、そこを向かう。

 途中で沼マーマンを先回れれば良いが、距離的にはギリギリと言えるだろう。

 何かをやらかす前に間に合えば良いのだが……。

「……どんなもんだろう? まだ今に見てられない状況かな?」

「誰だ!?」

 流れる小川の中程に、丁度良く、沼マーマンを見つける。

 小川を遡り、丁度、学園の校舎を見下ろせる小山になっている場所であった。

「誰でも良いんじゃないかな。とりあえず、これからしようとしている事を止めてくれるのならさ」

 言いつつ近づこうとするアルフ。だが、沼マーマンは近づくなとばかりに、その毒腺のある腕を、小川へ向ける。

「こいつを……こいつを今から川へ流すんだ! 邪魔するなよ! 邪魔したら流すぞ!」

「じゃあ邪魔しないよ。けど、話は聞いてくれって。そりゃあ、毒腺から出した毒を川へ流せば、被害は多少出るだろうさ。けど、ある程度の量じゃなければ、川の中で散って、大した結果にはならない。けど、何か害が出る程の量となると、そっちの腕の方が壊死しかねないだろう? 止めて置こうよ」

 学園の運営に腹が立って、何かしら大きな事を仕出かそうとしているのだろうが、どうせ個人ではそれ程の事は出来ない。例え、少数種族の力を用いたところでだ。

 もはや時代が違うのである。どれほどの力を持っていたとしても、周囲への影響は微々たるものだ。それくらいに社会というのは広がってしまった。

 その事を向こうが分かっていないはずも無いだろうに。

「もう沢山なんだよ! この学園で社会を学んで、大人になったらちゃんとした世界へ羽ばたこう? 少しずつ、人間どもに馴染む様に洗脳されるだけじゃねえか! 監獄みたいなもんだよここは!」

「ちょっと待ってくれって。そういう、何て言うんだ? 政治的? そういう話をする場面かな、今は。だから腕を降ろして―――

「うるせぇ! 俺はやるぞ! 少しでも行動すれば、他の奴らが動き出してくれるはずだ!」

 沼マーマンが腕を振り上げる。毒腺から小川へ毒をまき散らすつもりだ。

 そうなれば周囲への害が無かったとしても、沼マーマンを咎める必要が出て来る。少なくとも、その光景を見てしまったアルフは。

 何とかそういう状況だけは避けようと、アルフは沼マーマンの方へと走り出す……だがその前に、沼マーマンの横から何かが飛び出した。

「動き出す……と、言いました……ね?」

 飛び出したそれは、沼マーマンの毒腺のある腕を避け、組み付き、押し倒し、沼マーマンを動けなくしたまま、その身体の上に乗り掛かった。

 その間にも沼マーマンに話し掛けてもいるそれは、明らかに訓練された動きであった。

 そんな光景にアルフは驚き、絶句する。

 だって仕方ないだろう。現れ、飛び出したそれは、先ほどまでアルフが案内していた、カニャーサ・ミキタの姿をしていたのだから。

「ミキタさん……? なんでそんなところに」

「ああ、アルフさん。アルフさんが先にここへやって来れたみたいなので、影で隠れてしました。まあ、こういう姿を見られるのも、状況が状況なので仕方ないかなと」

「どういう状況が状況で?」

 尋ねてみるものの、沼マーマンを組み伏せたカニャーサは答えないままに、沼マーマンの方を見て口を開いた。

「あなたは、動き出すと言いましたね? あなたがこの小川に毒を流したとして、いったい誰が、どういう風に動き出すと言うんです?」

「な、なんだ!? 何だお前!?」

「沼マーマン。種族としての危険度はCクラス。その力は誰かに頼られる程度にはあるのでしょう? その誰かに、何かあれば暴れてくれとでも頼まれましたか?」

「し、知らない。俺は何もっ」

「さて。それはどうかについて、これから分かる事になるでしょう。あなたを拘束し、然るべき場所へ送ります。言い訳しても無駄ですよ。私自身の目で、あなたが何をしようとしていたかは見ていましたから」

 然るべき場所というのはどこなのだろうか。カニャーサは本日、この学園へやってきたばかりのはずだが。

「誰なんだ! お前は、いったい!?」

「ああ、拘束する前に名乗っておくべきでしたか。けれど、事を先に始めようとしていたのはそちらですし、お互い様ですよね。私、こういうものです」

 と、どこからかカニャーサは黒い手帳の様なものを取り出し、沼マーマンに見せつけた。

 アルフの位置からは少々離れていたが、手帳の表紙に大きく書かれている文字は、何とか読む事が出来た。

「騎士警察……なんで?」

 それはアルフの口から漏れた言葉であった。

 騎士警察。その名前を知らない人間も少ないだろう。

 関王国における治安維持の一切を王権より信託され取り仕切る組織であり、その巨大な機構故に、いったい誰が、どれほどの規模で動いているのか、そのすべてを把握する者は誰もいないのではと噂される組織でもあった。

 地域の自警団程度の活動から、一軍として他国からの軍事的脅威に対抗したりと言った仕事も騎士警察の領分である。

 だから……目の前の少女が騎士警察である事は驚きだが、一方で、いったいどういうタイプの騎士警察なのか。それも気になってしまう。

「騎士警察少数種族対策課調査班。長ったらしい名前なので憶えなくても構いませんが、これでも騎士警察末端の班員であるという事だけ理解してください。あなたを拘留する権限がある事も」

「う、うぐぐ……」

 沼マーマンが呻くが、やはり地面に組み伏せられたまま動けないでいる。騎士警察の威光にひれ伏したのか、単に関節が極められているだけか。

 恐らく後者なのだろうが、それが出来るというのも、カニャーサが騎士警察の一員である事を証明していた。

 そういう訓練を受けて来た人間という事なのだ。

「ええっと、なんで学園に、騎士警察さんが生徒のフリして来てるの?」

「おっとアルフさん。その質問に答えるより先に、この方の腕に、このポケットに入れてある手錠を掛けてくれませんか? 手で拘束したままだと、些かやり辛いので」

「あ、ああ……」

 言われるままに、カニャーサが示したポケットに手を入れ、本当にあった手錠を取り出し、沼マーマンの手に掛ける。

 後ろ手で行動を阻害された状態からの手枷である以上、沼マーマンの腕の毒も、ほぼ無力化出来ている状態だと思われる。

「良く出来ました。では、さっさと運びましょう。人にはあまり見られたくあるませんので、出来れば人に見られない道で、港まで運びたいのですが、よろしいですか?」

「よろしいって、どういう理屈で……?」

「勿論、警察権限で」

 その答えを聞いて、断る理由が剥奪された様な気分になってしまう。

 自分まで組み伏せられては堪らない。もっとも、やはり状況の説明くらいはして欲しかったのであるが……。




 騎士警察少数種族対策課。文字通りに少数種族と呼ばれる者達の脅威に対策する組織。その一員としてカニャーサ・ミキタは働いている。

 その中で調査班は穏健な方の組織であり、国内で不穏な動きをしている少数種族がいないかを調査し、時に身分を偽って近づき、もし破壊的活動を事前に察知し、迅速な対応が必要である場合は実力行使にも出る。そんな仕事を主に行っている。

「穏健って言葉の意味は知ってる?」

「ええ、人死にが極力出ないという意味の言葉です」

 学園島と港にある喫茶店の客席において、カニャーサはアルフと対面しながら、彼からの疑問に答えを返す。

 何故かその答えを聞いて、頭が痛そうな顔をするアルフ。きっと冷えたジュースを頼んだせいだろう。一仕事終えた後は、ぬるめのコーヒーを頼むのが良いと決まりきっているというのに。

「うわっ。なんですかこれ、苦っ。ああもう、コーヒーなんて頼むんじゃあなかった」

「色々と言いたい事があるけどさ……もう一度聞くけど、なんで騎士警察? なんでコーヒーを頼んだの?」

「質問二つは答え難いです。けれどそのどちらにも、複雑な理由があったりします」

「後者は諦めたから、前者の方を詳しく教えて欲しいというか……」

「そうですね。とりあえず、あなたの前で身分がバレる事を前提にあの沼マーマンの生徒を拘留したのは、あなたを現地における協力員にするためだったのですが―――

「待った待った待った。やっぱり聞きたくない。詳しく聞くと泥沼に嵌まりそうだ。金輪際、会わない事にしようじゃないか」

「駄目です」

 席を外そうとするアルフの腕を掴みつつ、苦いコーヒーを啜りながら、カニャーサは話を続けて行く。

「というのも、今回、あの場所に先んじられたのはあなたの方です。騎士警察の私が全力で追ったのにですよ? やはり土地勘のある人の協力が必要だと、そう感じるわけです」

「そうなんだ。それは大変だ。けど、俺には関係無さそうな話じゃないかな」

「この学園に、どうにも反社会的な活動を喧伝する集団があると、そういう情報を騎士警察は掴んでいます。少数種族が人間社会への反感を抱きやすい現在の社会情勢。いっそ社会そのものを崩してやろうと考える風土が、この学園に整いつつある。危険だと思いませんか?」

 腕を掴んだまま、逃がさず、カニャーサはアルフの顔をじっと見る。平和を愛する一般市民であれば、騎士警察の協力要請に対して、無下にはするまい。そう信じる。

「いや、危険だったら猶更近づこうとか思わないし」

「あーあー、騎士警察の協力要請に対して、特段の理由無く断るのは不正行為なんですけどねー。しかも私、これでも潜入調査をしている身ですから、協力もしてくれない一般市民に身分がバレたとなると、その対象を適切に処理する必要があったりしますねー」

「一般市民を脅すなよ!」

 漸く、席を外すのを止めてくれたらしいアルフ。こちらの誠意が伝わってくれて良かった。

「だいたい、反社会的な活動をする集団って何さ。そんなのがうちの学園に居るなんてびっくりなんだけど」

「先程の沼マーマンさんの一件についてはどう思いますか?」

「ああいう輩なら、定期的に出て来る場所なんだよ、ここは。少数種族っていうのは文字通り、不安定なのさ。社会に種族ごと適応出来なかったって事だから、いろいろと抱えてるものがある。別に隠し事でも何でもなく、国の偉い人だって把握してる事だろう?」

 むしろ、だからこそ、この様な学園が作られたのだろう。

 臭い物に蓋をするだけと言う者もいるが、それでも、捨て置かれ、時に混乱を引き起こすかもしれない様な種族を、こういう場所で社会の一部として扱おうとする試みは、善性から来ているのだとカニャーサは考えていた。

「けれど、最近は事件染みた事が多発しているという報告もあります。どうです? この学園で長く過ごしているのならば、実感もあるのでは無いですか?」

「そ、そりゃあさ、最近は物騒になってきたなって思うところはあるさ。ちょっと、というか数年前の事だけれど、結構な事があって……あ、けど、裏に何某かの組織があるとか、そんな話は―――

「門外漢なのでしょう? だから調査は私が勝手にします。あなたはただ、私にちょっとした協力をしてくれるだけで良いんです。そうすれば、学園もまた平穏無事な状況を取り戻すかもですよ?」

 提案してみるものの、アルフの表情は浮かないそれのままであった。

 出来るだけ前向きになれる台詞を並べ立ててみたのであるが、あまり効果は無かったらしい。

「そういう言葉って、悪い大人が純粋な子どもを騙す時の台詞だよね」

「私は年下。アルフさんは……私の先輩? つまり、ぜんぜんそんな台詞では無いって事になります」

「騎士警察が一般人に向けた言葉でもあるんだよな……」

「けど、受けてくれますよね?」

「騎士警察は一般人に逆らえなさそうだし……」

 やはり不服そうな顔を浮かべたままのアルフ。

 こうもなれば、もう少し、カニャーサの方が譲歩する必要がありそうだ。

 何かあるのだろうかとカニャーサは逡巡した後、口を開く。

「じゃあ、これからアルフさんの事、先輩って呼んであげますから」

「何がじゃあなんだよ何が!」

 やはり不満が大きい様子のアルフは謎であるが、それでも今日からカニャーサとアルフの関係性は決まった。

 これより、国立ハタカ学園に潜む過激な思想を持った集団の調査が、漸く始まるのである。




 正直なところを言わせて貰えれば、面倒な日々が始まってしまったとアルフは考えている。

 学生の本分とは何か? それは勿論、勉学に励む事だ。

 今日も代わり映えしない教室の後ろの方の席で黒板を眺めながら、教師が板書する内容をノートに写して行く。

 居眠りする輩はすぐに教師からの叱責が飛び、それでも早弁する生徒だって居なくはない。そんな、どこにでもありそうな光景。

 この学園に特殊な部分があるとすれば、授業を受ける生徒も教師も、少数種族が大半を占めているところか。

(こうやって教室の後ろから眺めてみても、確かに個性豊かだと思うけどさ)

 並ぶ生徒の後頭部。普通に髪が生えている頭もあれば、鱗に覆われているそれもある。額から伸びる一本角が後ろ側からでも見られる者もいた。

(外見が違うのなら、考え方だって違う。それぞれの違いで、軋轢だってあるわけで……怪我人が出る様な事件だって、この学園では少なくない。それは分かってる。理解しているさ。けど……だからって世の中に不満を持つ連中が徒党を組むのか?)

 結局、向こう見ずな若者が他の場所より平均して多いだけの話では無いのか。そんな風に思うのであるが……。

(何にせよ、眠い……)

 授業を受けながらも目を擦る。

 カニャーサとの不本意な出会いから、既に一週間が経っていた。

 その間、朝と昼間は変わらず学生らしい生活を送れるのであるが、放課後に差し掛かるとそうでも無くなって来るのだ。

「あら、そろそろ時間ね。これで本日の授業は終わりよ。職員室に一旦帰るのも面倒だし、このままホームルームにするわよー」

 板書をしていた教師であるカネバラ・リントが、生徒達側を向く。

 彼女はこの教室の担任ではあるものの、本人が言う通り、授業の後は一旦職員室へ帰るのが正式な段取りのはずである。

 そのままホームルームに移るのは、彼女が手順を飛ばす様な怠惰な性格をしているからだろう。

 別にそれは慣れっこだから構わない。むしろそういう気安さから、彼女を慕う生徒だって少なくは無い。それに関しては構わないのだ。

 問題はこの後、ホームルームがさっさと終わってしまった後にこそある。

 リント先生が何かを教壇でくっちゃべっているが、すべて無視だ。どうせ何時も大した事は言っていない。

 鮮やかに聞き流しつつ、時間が過ぎるのを待つ。いや、見計らう。そうしてホームルーム終了の言葉を聞くや、すぐ様に教室を抜け出して―――

「学業お疲れ様です。ではさっそく放課後の調査を再開しましょうか」

「……なんでいる?」

 教室を出てすぐの脇に、どうやら待機していたらしいカニャーサ。

 ここ最近はずっとそうなのであるが、どれほど早く寮へ帰ろうとしても、彼女が呼び止めて来るのだった。

「何故と言われても、待っていたからですが?」

「こっちはホームルームが終わったばかりなんだけどさ」

「知ってます? 中等部は高等部より授業が終わるの、早いんですよ」

 それはそれは。授業をサボってはいないらしくて安心だ。

 などとは思わない。

「あのね。こっちは正真正銘の学生で、こう毎日調査を手伝いなんて―――

「しっ」

 何故か暫く黙れとのジェスチャーをするカニャーサ。

 アルフの方は言いたい文句がまだまだあるのであるが、カニャーサの意図が分かったので、一旦は黙る事にした。

「あらあらアルフ君ったら。まだ転入生の面倒を見ているの? 結構な事だけれど、後輩とは言えあまり付き合いが良すぎると、そういう関係と……んん~、もしかして本当にそんな関係かしら~?」

 遅れて教室から出て来たリント先生がニヤついた顔をこちらへ向けて来た。勿論、彼女がアルフ達の事情を知るはずも無い。

「ぜんぜんそんな関係じゃないんで」

「そんな関係だって構わないんじゃない? 私は学生同士のそんな関係を応援する側のつもりだけど。だいたいアルフ君。あなたったら特に心配なのよね。人付き合いは悪く無いけれど、どうにも他の生徒からはこう……」

「分かってます。分かってますから、長話は今度にしましょう。ほら、行こうミキタさん」

 調査に付き合うのは面倒であるが、リント先生に付き合うのはもっと面倒そうだったので、今日のところは諦める事を決めるアルフ。彼女、どうにもアルフに対しては馴れ馴れしさが激しくなりがちなのだ。

「呼び方はカニャーサで良いですよ、先輩」

「ああ、はいはいカニャーサ」

 さん付けで呼ぶ程に気を使う相手では無い事を学んで来たので、向こうの提案通りに名前を呼び捨てさせて貰う。

 向こうは気にした風で無い事が癪であるが、今は廊下を歩く事を優先していく。

 暫く歩き、他の生徒が見えなくなって来たタイミングで、カニャーサの方から話しかけて来た。

「他の生徒からは、何です? どういう風に見られているんですか?」

「そこ気になる?」

「ええ。学園内の調査を手伝って貰う相手の事を知りたくて」

「別に大した事じゃあないよ。距離を置かれてるってだけ」

「はは~。あれですね、人間関係の構築に失敗したタイプ」

「あー……」

 正解であるが、それを肯定するのは心が傷つきそうだったので、曖昧に答えておく。

 だいたい、これから憂鬱な時間が始まるのだから、暗い事は積極的に考えるべきでは無いのだ。

「で、今日の調査範囲なのですが、この学園にも部活動というものが……どうかしましたか」

「いや、何でこう、俺なんだろうって思ってるところで……」

 学園内に存在するかどうかも分からない反社会的な集団活動。そういうものの調査を、隣を歩く少女がするというのは、彼女が実はそういう仕事をしているのだから、納得はする。

 一方でアルフと言えば、巻き込まれただけの側だ。幾ら他のバラされたく無いと言っても、わざわざ仕事に付き合わせる程の人間だろうか。

「それはほら、先日の沼マーマンさんの件で、先輩がまず彼を止めようとしてたじゃないですか」

「……まあ、派手に暴走されて、事件になるのも面倒だしさ」

「相手への気遣いもありましたよね? 彼、事件を起こそうとはしていましたけど、未然に防げた以上は、その罪も軽くなるはずです。なら、将来だってまだ台無しになったわけじゃあない。取り返しが付きますもん」

「親切心からってわけじゃあ無いんだよ。本当に」

 面倒は苦手だ。誰かが面倒そうな状況に陥るのも苦手だ。だから、止められるのなら止めたいと思っただけなのだ。

 趣向の問題である。アルフ自身がそうしたいからそうしただけで、誰かのためなど思って行動したわけでは無い。

「何にせよ、あそこでああ出来る人間というのは貴重ですよ。他の生徒だって、沼マーマンさんが危険な事をしそうって状況だったのに、彼を追ったのは私と先輩だけ。これって、手を組むには相応しいと思いません?」

「思わないかな。だってそっちは仕事でこっちはボランティアだ」

 だから日々が憂鬱だった。これでも学生の身分であり、空いた時間は有意義に使いたい方なのだ。

「おかげで睡眠不足だって続いてる」

「おかしいですね。調査の手伝いは放課後からの二時間程度で、後は解散してるじゃないですか」

「こっちだって、その後にやらなきゃいけない予定があるんだ」

「どうせ学生らしい、モラトリアムの行使でしょうに」

「暫定中学生に向けられる言葉じゃないと思う」

 妙に大人びているところを見るに、カニャーサがこれで既に騎士警察として働いているというのは事実なのだろう。

(なんというか、ああいう組織って、こんな年齢の娘を雇わなきゃならないくらいに、切羽詰まってるか後ろ暗いところがあるんだろうか)

 まだまだ学生の最中だというのに、社会の闇を知ってしまいそうだ。そんなのは御免被るのであるが。

「とりあえず、今日はもしかしたら進展があるかもですよ。さっき行った通り、部活動が主に行われる部室棟に向かうつもりなのですが、新参者が訪れて違和感の無い場所ですかね?」

「むしろ転入生だって言うんだから、そういう物に興味を持って訪れる事はおかしくは無いとは思うけど……あそこで何か進展があるって?」

「例の沼マーマンさんから証言が出ました。と言っても、そこでかぶれたって言い方が正しいですかね」

 あの学生、沼マーマンがいったい、どんな尋問を受けているのかなんて想像したくも無いが、騎士警察が動くだけの話が出て来ているらしい。

 だんたん自分の通う学園が胡散臭くなっている様でうんざりしてくるが、聞かされれば調べてみたくもなるのが厄介なところだ。

「あの沼マーマンに何かを吹き込んだ奴がいるって事かな?」

「何名かから、聞かされたみたいですよ。教祖がいてこうって話じゃなく、世の中間違ってるとか、人間達は自分達少数種族をいずれ断絶させるつもりなのだとか、そういう話を」

「部活動でする話じゃないと思う」

「まったくです」

 では、これからするのは聞き込みか。

 それはそれは面倒であるとアルフは思うのであるが、カニャーサから出て来た言葉は意外なものであった。

「これから、私は部活動の見学を行いますので、先輩は例によって、転入生の面倒を見る奇特な人を演じてくださいね」

「部活動の見学?」




 その行為が、実に学生らしい、日常的な行為かと問われれば、本当のところはそうでも無いとカニャーサは答える。

「わぁ! 磯釣り部って、普段はグラウンドの隅で釣り竿を振っているんですねっ」

「ああ、そうだとも! いずれ磯で荒波に揉まれる時のために、我々は研鑽を止めないのさ!」

 部室棟横にある、運動部用グラウンドの片隅。少し坂になっている場所で釣り竿を振り続ける暑苦しい男達の一人から、カニャーサは磯釣り部がどういう活動を行っているかを聞いていた。

 筋骨隆々の男達の姿を見て、いったいどんな活動なのだろうと興味を持ったが故に話し掛けたのであるが、話を聞いていると、これに関しては空振りだったかなと感じる。

 ちなみに付いて来ているはずのアルフは、少し距離を置いた場所でこっちを眺めている。近づきたくない。そんな目をしながら。

「研鑽を止めないとの事ですが、その向上心は凄いですね。そういうのって、どういう部分から湧いてくるんですか?」

「ははは! まだ見ぬ海を愛する心かな!」

 それだけ言うと、男達はまた釣り竿を振り始める。良い笑顔を浮かべながら。

「あー、カニャーサ。ちょっと良いかい?」

「なんでしょう? 漸く距離を置くのを止めてくれたみたいですが」

 アルフの方が近づいて来て、耳元で囁いてくるものの、カニャーサはじと目で彼を見つめ返した。

「いや、あのさ。あからさまに近寄りがたい相手だから、関係無さそうな距離保ったのは悪いと思ってる。けど、どれだけ話したって、彼らから有益な情報は得られないとも思うな」

「私もそう思いますが、それでも聞いてみない事には何も始まりませんよ?」

「いや、始める前から分かってるって。だいたい磯釣り部名乗りながら、グラウンドで素振りの練習してる奴らは正気じゃないって。ここ島だよ? 磯釣りスポットなんて幾らでもあるのに、何でここで素振りし続けるのさ」

 確かに、理屈に合わない事をしている風にも見える。それが単に奇特な性格から来ている事なのか、それ以外に理由があるのか。

「あ、もしや、水が苦手な種族の方々の可能性もありますよね」

「水が苦手なら磯釣り部なんて作るなよって思うけど」

「良いじゃないですか。憧れは誰にだってありますよ」

 しかしアルフの言う通り、これ以上、彼らと話を続けたところで、得るものは無さそうだ。

 結果、カニャーサもまた、磯釣り部の練習風景からは距離を置く事にした。

 そうして、グラウンドを離れて部室棟へと歩いて行く。

「それにしても、これで幾つか部を当たってみたけど、それっぽい話は無いみたいだ」

「この学園に個性的な部活動が多い事だけが判明しますね。やっぱり、少数種族ばかりだとそうなりがちですか?」

「何かにつけて、多様性は大事だ。みたいな風潮はあるね。そういう風潮以上に個性が無駄に暴走してる部活は多いけど……どうする? まだどっかに寄る?」

 アルフに尋ねられて、カニャーサは一旦考える。

 陸上部に河川部。蹴鞠部やメイスでぶん殴り部等々、部活動の見学と言う意味では得るものがあったが、学園内の不穏分子的な存在は見つけられていない。尻尾すら見えて来ない。そんな状況ではあった。

「直接、部活動を見学したとしても、部活動の説明しかされない事が分かりました」

「そりゃあまあ、部活動に興味があるって形で接触している以上はそうなるよね?」

「ですので、もうちょっと、ふわふわした感じで歩いていれば、馬鹿な小娘を騙してやろうって考えるあくどい感じの人が近づいてくるのでは無いでしょうか」

「それ、君が探してる輩以外のも近づいて来そうだけど?」

 確かにその通りである。ふわふわして馬鹿っぽい愚かな人が何故愚かなのかと言えば、誰からも利用され安いと思われがちだから。

「けど、それじゃあ手がありませんね。第一、人間に対しての少数種族への反発心みたいなものを煽り立てる存在が居たとして、私だって人間ですから、そもそも向こうの接近を待つっていうのが間違いだったのかも」

「いや、それは違うんじゃないかな。少なくとも、君が人間かどうかなんて、言われなきゃ分かんないだろうし」

「……そうなんですか?」

 少々意外だった。彼らは自らの姿や力に拘りを持っているからこそ、少数種族として確立した意識を持っていると思っていたから。

「そりゃあ相手が自分と同じ種族じゃない程度は分かるよ? けど、大半の種族が、他の種族の外見の特徴なんて全部憶えてるわけでも無し。この学園にいるから、まあ、相手は人間で無い可能性が高いんじゃないか? 程度の認識だと思うね。一見してどの種族か分かる程の外見の差異がある種族ってのも、そう多く無いし」

「となると、むしろ他の種族に対しての知識は、私の方が詳しい可能性もあると……」

「騎士警察内で、そういう部署って言うの? それに所属してるって言うならそうなんじゃないかな。ほら、あれ、沼マーマンに対して何とかクラス? みたいな言い方してたじゃないか」

 アルフに言われて、少数種族に定められた個別の危険度クラスについてを考える。

 あれもまた人間側が、少数種族に対しての知識を深めるために定義付けられたものである。

「あれは既存の社会に対して、その種族が平均的にどれほど適応できるかについて、困難さ。危険度とも言いますが、それをランク分けしたものです。Aが一番危険で、それから下がっていく。一番下がEですね」

「なるほど、沼マーマンはだいたい中間のCか。毒持ってるから?」

「そうですね。ちゃんと自制してくれないと、どこでも毒が撒けてしまうというのは、社会的には危険な部分があると、そういう考えです」

 現在、世の中や社会というものを構成しているのは大半が人間であり、人間にとって便利な形に出来上がっている。

 少数種族からしてみれば、自分が人間で無いというだけでハンデとなる、そんな社会であるという事だ。

 人間側だって、それは仕方ないだろうという言い分はあるが、少数種族にとってはランク分けそのものが不快に思われるかもしれないので、表立って付けられているものでは無い。

「俺なんかはランク何になるんだろうねぇ」

「そういえばアルフさんの種族については私もまだ分かっていませんね。一見すれば人間にも見えますから、ランクは低そうとは思いますけど」

「これでも平和主義だからさ、そうであれば有難いかな。いや、けど、これでも種族としての悩みなんかは―――

「ああ! それです!」

 アルフの言葉を途中で遮り、カニャーサは顔を上げる。出来る事が見つかったかもしれない。

「それって、俺の悩みがどうしたって?」

「はい、悩みです。種族としての特徴に悩んでるフリを強調するんですよ。そういう悩みって、結局は今の世間一般とのズレから来てますから、反人間社会的な人物から見れば、仲間になれる存在に見えそうじゃありません?」

「けど、そんな付け焼き刃で悩んだって、深刻には見られないんじゃあ……」

「他の誰が何の種族かなんて、聞かなければ分かんないって先輩はさっき言いましたよね? だったらむしろ、付け焼き刃な思い付きの悩みの方が上手く騙せそうに思えるんですよね。特定の種族の深刻な悩みなんて、それこそ、その種族から見ればすぐバレそうですし」

「た、確かに……そりゃそうだけどさ」

 アルフからのお墨付きを貰ったところで、さっそく始める事にした。

「あ……痛っ……いたたたた……痛いです先輩。なんだかすごく痛い!?」

「え? いや、何!? え!?」

「良いから、合わせてくださいっ」

 せっかく演技をしているというのに、慌てた様子のアルフに対して、小声で伝える。

「あ、そういうの……? けど、痛いって、どこが痛いって!?」

「お腹の、お腹の渦が、またぐるぐるって……」

「渦……そうか。あの渦がそんな事に!?」

 アルフの方の演技は及第点と言った様子であるが、なんとか人だかりが出来始めている。

 多くの目を集める事こそ、今回においては大切な事であった。

「おいおい大丈夫か?」

「何? 何かあったの?」

「見ない顔だけど、何の種族だったかしら。私達で何とか出来る……?」

 とりあえず、人目を惹くのであればこの程度で良いだろうか。

 カニャーサは傍にいるアルフの服の裾を引く。

「うん? あ、えっと……そうだ。誰か、誰か近くで落ち着ける場所は知らないかな!?」

 こちらの意図を察してくれたらしい。ごく自然に、今の状態のカニャーサが特定の場所に移動する事を周囲に伝えてくれればそれで良いのだ。

「た、確か共用の休憩スペースがあっちに……」

「あっちだね。分かった。行こう、カニャーサ。暫く休めばきっと良くなる」

「は、はい」

 演技を継続しつつ、カニャーサとアルフは言われた休憩スペースへ移動していく。

 すぐ近くにあって、部室棟の間を抜く様に存在する、ベンチと水飲み場のある開けた空間。

 とりあえずアルフにそこまで連れて行って貰うと、ベンチで横になるカニャーサ。

「なんか顔色が悪そうにも見えて来たけど、本当に演技だよね?」

 カニャーサがベンチに横になったタイミングで、またアルフが小声で話し掛けて来る。

「勿論です。多少なりとも、そういう風に見えるフリくらい出来なくて、こんな演技はしませんよ」

「なんていうか、おっそろしい話だなぁ」

 呆れた様子のアルフであるが、そんな彼にカニャーサは続ける。

「とりあえず、先輩の仕事はここまでで大丈夫です。これでもし、目当ての人間が寄ってくればそれで良し。そうで無ければ、やっぱり今日は終了ですから」

「それは有難い話だけど、一人で大丈夫?」

「逆に、一人で居た方が、何か狙ってる人って、近づいて来そうじゃありません?」

「そうなのかなぁ……まあ、とりあえず俺は退散して置いた方が良いのか」

 納得して貰えて有難い。カニャーサをベンチに寝かせて、誰かを呼びに行く風にアルフはこの場を離れて行く。

 最後まで、とりあえずのフリはしてくれたらしい。それにしたって拙いものであった。

(そうですね。それでも、助かりはしました)

 今日が空振りに終わったとしても、明日からも手伝って貰おうと思う。あれで機転はそこそこに利きそうであるし。

(さて、じゃあ暫くここで痛みに唸ってるフリをしつつ―――

 思考の途中で、ふと、視線だけを動かす。

 近づいてくる人影があったのだ。

 一人の男である。こちらを心配そうに見つめながら、それでもまっすぐカニャーサへ近づいてくる男子生徒。

 年齢はカニャーサより上だろうか。アルフと同じ高等部の生徒だと予想するが……。

「さっきあっちで痛がっていたのは君かい?」

「あ……その……大丈夫、です。これ、私の種族の、持病みたいなもの……ですから。暫く安静にしていれば……」

「いや、そうは行かない。何もせずに置いて、酷くなれば事だ。何か処置の方法があれば教えて欲しい。出来る限り努力はしようとも」

 見るからに優男風の外見。

 親切心が溢れ出して来そうな表情を浮かべており、この時点では、単純に良い人間と見られるが……。

「でしたらあの……暫く……手を握っていてくれませんか? 少しは……落ち着くと……思いますので」

 言いつつ、カニャーサは優男に手を差し出すと、すぐに相手の手の感触が伝わって来た。

「そうか。なら、暫く俺もここに居よう」

 優男はカニャーサの手を握り、安心させようと微笑んで来る。

(あまり考える間も無く行動してるし、その顔も慣れたもの。うーん。こういう事への経験が豊富なのかな?)

 親切に慣れている相手は要注意だ。単純に生来の人の好さが出ている可能性もあるが、そういう人は少ない。

 だいたいは、下心があると考えた方が良いだろう。

 それとも、もうちょっと違う方向での狙いがあるか。

「本当に……すみません。故郷の薬が切れてなければ、こんな風では無いんですけど……どうにも学園には常備されていないらしくって……」

「薬かい? いや、君が病む必要は無い。こういう学園なんだ。種族毎に合わせた医薬品くらい、置いて然るべきなんだ」

「そう……でしょうか?」

「勿論だとも。最近は予算が無いなどと言って、種族の多様性を担保するべき諸施設の縮小

を進めているとも聞く。まったく、嘆かわしい話だよ……っと、すまない。今、するべき話では無かったかな?」

「い、いえ……」

 確かに、病人の手を握りながらするべき話では無いだろう。目の前の親切に慣れている男が、それを理解しているはずも無いだろうに。

(あえて、弱っている相手にその手の話を聞かせようとしている? 思想をそちら側に偏らせるために)

 そんな可能性は消えてない。むしろ大きくなっていく。

 ここは一つ、より踏み込んでみるべきだろう。

「その……私、この学園では、私達みたいなその……あまり多く無い……」

「少数種族。人間達はそう俺達を呼ぶね」

「そういう……少数種族だって、大事にしてくれる場所だって……そう思ってたんですけど……うう……」

 苦しそうに呻きつつ、優男の表情を見る。

 彼はこちらを慰める様に、優しい顔を浮かべたままだ。

 しかし、その口元から飛び出して来る言葉は、些か予想とは違っていた。

「人間は、何時か俺達を、いないものとして扱おうとしているんじゃあないかな」

「え……?」

「苦しいのなら、そのまま聞いてくれるだけで良い。ただ、この学園にいる限り、知っておくべきなんだ。彼らから与えられる待遇は、決して良くなる事は無い。俺達は、俺達で、勝ち取らなければならない事がある」

「それは……いったい……?」

 思ったよりも、相手は深い部分を話そうとしている。カニャーサはそう感じだ。

 もはや可能性の話では無いだろう。これはカニャーサから見れば自白だ。目の前の優男は明確に、人間という種族に対して不信感を抱いている。

「俺達が勝ち取るべき事、それは……」

「それは?」

「俺達を探ってるらしい君に対して、何が狙いだと聞き出す事かな?」

「っ……!」

 咄嗟にベンチから退こうとするも、手を強く握られて離れる事が出来ない。向こうが男性であるにしても、あまりにも強い引きに、彼の腕力が人並外れている事が知れた。

 これは結構な危機かもしれない。

「バレていないとでも思ったかな? 見ない顔が活動的に動いているというだけでも、噂なんて聞こえてくるものだ」

「無駄に広い学園だと思っていましたけど、なんです? 世間ってそんなに狭く出来てるんでしょうか?」

 もはや仮病を装う必要も無いだろう。

 優男の優しい表情とやらは、既に無く、微笑みなんてもはやこちらを嘲笑っている様な、凶悪なものに変わっているのだから。

「無論、生徒一人一人の行動やその背景なんて把握できるはずも無くてね。だから今、こうやって聞き出すのさ。いったい、何が目的だ? 俺達に何の用だ?」

「そうですねぇ……あなたが自分を俺達と表現するくらいに、集団である事が判明したのは一歩前進でしょうか。あと、こうやって手を強く握ってるだけで、相手を拘束出来てると思うのは油断大敵ですよ?」

「なっ……!」

 相手の質問にはいっさい答えず、握られた手を支点に、こちらの身体を動かしながら、男の腕の関節を極めて行く。

 相手の力が強かろうと、身体は曲げられぬ方向には曲げられぬし、こういう関節技は有効なのだ。

 騎士警察として、少数種族を相手取る部門の班員であるカニャーサは当然、適切に抵抗できる技能も訓練済みだった。

「ああ、それと……奇遇なんですけれど、私もあなた方について、聞き出したい事があります。痛くなるかもしれませんので、早めに口走る事をお勧めしますよ」

「は、ははは」

 目の前で関節を極められ、苦しがるはずの男から、笑い声が聞こえて来た。

 その笑いは意外だったので眉を顰める。普通、どんな種族だって痛いと辛いものであるが、目の前の男は快楽を感じる性質なのか。

「とりあえず、どうして笑っているのかの理由から聞き出しても構いません?」

「良いとも! 俺一人をなんとか出来て、満足している君を笑っている!」

「……なるほど」

 納得したし理解もする。先ほどまであまりひと気のないこの休憩スペースに、数人程、人が集まり始めているのを見れば、嫌でも気が付くだろう。

「少女一人に対して、複数人で囲むというのは、どうにも嫌らしい事に思いますけれど」

「年上の男一人、こうやって容易く拘束できる女性は少女などと呼べないな!」

 そうだろうか? そこは見解の相違だ。どんな力量を持っていたとしても、少女は少女である。

 しかし、この窮地に対して、華麗に脱出できる程の力量で無い事はカニャーサにも残念だった。

(この男は、恐らく顔が整った人間に近い外見ながら、力がある点……危険度はDクラス程度のサテュロス……いや、背も高いしトールエルフだ。集まってる中で、ああもう、獣人系が一人にリザードマンまでいる……!)

 どちらも危険度はCクラス。あの沼マーマンと同程度の危険度であり、単純に強力な種族とも言えないが、それにしたって複数相手取るには困難極まる。

 そうして一番厄介なのが……。

「あらら。鬼さんって、弱い者いじめが嫌いじゃありませんでしたっけ?」

「俺らにわざわざ敵対してくる相手は、弱いだなんて思わねぇなぁ?」

 一番奥にいる男。額から大きな角を二本生やした筋骨隆々の姿。

 恐らくは鬼と呼ばれる種族であり、危険度はBクラスにも及ぶ。単純なその力量と、好戦的な性格から付けられたそれだ。独特な文化というか社会ルールがあるそうだが、やはり人間社会とは相容れない部分が多い。

 その鬼が、本当に、目にも止まらぬ速さで接近するや、トールエルフを掴んでいたカニャーサの手を無理矢理持ち上げて来る。

「このっ!」

「おおっとぉ!?」

 掴まれて振り回されても堪らない。掴まれる前に自らトールエルフから手を離し、その手を振るう事で牽制しながら、咄嗟に後方へ下がる。

 なんとか鬼に捕らえられる事は無かったものの、休憩スペースにおける端。それも逃げ場の無い校舎側に下がってしまった。

「えっと……ここらで一旦解散……というわけには行きませんか?」

「へへへ。そんな話があると思うのか?」

 まあ、そんな話はあるまい。

 この危機的状況をどするべきか。冷や汗が頬を伝う中、それでも奥の手が無いわけでは無い。

 使ってしまえば、後始末が面倒な類の奥の手であるが、この事態では渋ってもいられない。

 そう考えて、学生服のスカートにあるポケットに手を入れて―――

(しまった。昨日、寮の部屋に置いて来た……!)

 冷や汗が頬を伝う。さっきの三倍くらいの汗だ。ちょっとした危機が大ピンチに変わってしまったというのは、中々にハラハラする展開だと思う。

 一切状況が解決せず、心臓の高鳴りがより激しくなるのだからより性質が悪い。

「提案です!」

「あん?」

「本気で解散しましょう。みなさん。もう夕方も夕方ですよ。部活動だって無理をするべきではあありません」

「ざけんじゃねぇ!」

 鬼は短気だ。種族として人間より我慢が効かない精神構造をしているという論文を読んだ事がある。

 そんな鬼は腕を振り被り、カニャーサの横を通り過ぎて校舎の壁を素手で砕いた。

 カニャーサが咄嗟に避けていなければ、砕かれていたのはカニャーサの頭部だったかもしれないが、今はなんとか無事のままだ。

 次からはどうか知らない。

「すばしっこくはあるが……逃げ切れるかな?」

 これは鬼の台詞では無く、集まった連中の内、犬みたいな顔をしたヤツの台詞だ。

 獣人はただカニャーサの逃げ場を塞ぐ様に立っているのみ。それだけで脅威になるのだから、囲まれている状況というのは厄介だ。

「ははは。いえ、逃げ切らないと自分の命が危なそうなので、逃げますよ」

「じゃあ、してみろよ」

 さて、どうしたものだろうか。出来ない事は出来ない世の中だ。どれだけ望んだところで、都合の良い事態にはなってくれない。そういう世界にカニャーサは生きている。

 これから考えるべきは、どう逃げるかより、どれだけ痛みに耐えられるかであるかもしれない。

 そんな悲しい覚悟をカニャーサが決めようとした時、声が聞こえて来た。

「えっと、そろそろ良い?」

 間の抜けた、間抜けな声だ。

 お人好し半分に、何事も面倒臭そうに感じている様な部分を混じらせた、そんな声だった。

 この声には聞き覚えがある。ここ最近は毎日耳にする声でもある。

 声の主はアルフ・コートナ。この学園での調査協力に、快く応じてくれた青年であった。

「な、なんで―――

「なんでお前が!?」

 わざわざ危険に飛び込んで来るなんて。そんな風に驚いたカニャーサであったが、それ以上に驚愕した声を、鬼が発した。

 一方的に、カニャーサを襲っていた男達が、明らかにアルフ一人に驚いた表情を浮かべているのだ。

「なんでって、その娘の付き添いというか面倒を見ているというか、厄介事に付き合わされている? そういう立場っていうか……なんか説明が凄い面倒な立場だな、俺」

 アルフの様子は変わらない。惚けた様子で頭を掻いて、きょろきょろと辺りを見渡している。

 そんな彼を、どうして他の連中が恐れるというのか。

「あ、そうだ。とりあえず、その娘。解放してくれると有難いっていうか、その後、多分、君らは拘束されて尋問って形になるんだろうけど……それはまあ、仕方ないんじゃないかな。僕も君らみたいなのがいるって驚きだし」

「ざ、ざけんじゃねぇ! アルフ・コートナ! 相手がお前だろうと、この数なら敵じゃねえんだよ!」

 叫びながら、カニャーサを追い詰めていたはずの鬼が、アルフの方へと飛び出して行く。

 その動きは変わらず鋭く、目にも止まらぬ程であり……そうして、同じ速度で壁に叩き付けられた。

 その光景は、一度見たら忘れられないものなのだろう。

 アルフが立っていた場所に、違う何かが現れた。

 背格好はアルフより一回りは大きいそれ。人型である事も変わらない。だが、やはり得体の知れない何かという表現が正しい。

 それは赤かった。赤一色の、革で出来た甲冑。腰から二本の細長い帯の様なものが、装飾の様に生えているが、概ね人型。

 表現するにしてもそんなものになるそれ。頭から足のつま先に至るまで、すべてがそんな赤い革甲冑に包まれた何かは、それでも変わらぬ声を発して来た。

「もう一度は無い。とりあえず面倒になる前に、全員、立てなくしてやるから掛かってこい」

 そんなアルフの声を赤い革甲冑は発しながら、今度は鬼以上の素早さで動き出した。

 その光景もまた忘れられないものであろうが、それ以上に思い出す事があった。

鎧人(よろいびと)……?」

 危険度Aランク。社会への完全な適応は不可能であり、むしろ社会からの監視が義務付けられたそんな種族。

 今、カニャーサの前には、そんな種族が暴れ始めた。




 鬼を壁に叩き付けた鎧人ことアルフ・コートナは、次によりカニャーサに近い場所にいる獣人へと、一足で近づく。

 この姿になったアルフの身体能力は、先ほど吹き飛ばした鬼かそれ以上のものとなり、適格に身体を動かせるのであれば、まるで跳ねる様に移動出来た。

 そうして、その勢いのままに獣人を殴り付ければ、容易く地面に倒す事も出来てしまう。

(ま、さっきの鬼程頑丈じゃ無いし、手加減はしなきゃならない)

 そんな事を考えながらも、アルフは周囲への警戒を忘れない。残り三人。リザードマン一人に恐らくエルフの……細かい種族の区分けは分からないが兎に角エルフ一人。そうして最後に、良く分からない奴が一人。人間に近い外見であるが、人間に近い生態なのだろうから兎に角気にしない。

 次に狙うのはリザードマン。トカゲの顔と生命力の高い身体を持っていて―――

「かぁああ!」

 熱いブレスを吐く種族もいる。生身であれば火傷しそうになるその熱の息。

 だが、それをアルフは無視した。

「悪いね。俺の鎧はそれくらいじゃ焼けない」

「ぐっ……ぐぁっ!」

 息を吐くために開いたリザードマンの口を、アルフは自らの、鎧に包まれた手で掴みながら、やはり地面に叩き付ける。

 悲鳴を上げながら身悶えするリザードマンの姿を見れば、さらに一人、行動力を奪えた事が確認出来た。

「あと二人」

 聞こえる様に声を発する。ただの言葉だって、こういう状況ならば物理的に効果があるものだ。

 ほら、エルフの優男などは、明らかに取り乱し、逃げようとし始めた。だが、振り向いて走り出すには行動が遅い。

 戸惑いから出た行動は必ず速度を奪い、仕留めるのを容易くするものだ。

 そういう事をアルフは知っている。

 喧嘩慣れしているのだとアルフは思っている。エルフが見せた背中へと接近し、服を掴んで壁の方に投げつけたのだって、慣れた仕草と言えた。

 残りは一人。それを理解してか知らずか、最後の一人は怯えた様子で、ガタガタと震えながらアルフを睨む。

 が……。

「は、は! う、動いてみろ! そこからは動けないだろう!?」

 足を踏み出そうとして、何故か片足が動かない。

 何かに強く掴まれている様な、そんな感触がそこにあった。

「ええっと……これ、なんて言うんだっけ。影、影なんとか」

「シャドウストッパーです! そういう種族名ですが、自分の影の一部を伸ばして、相手の影を掴んでしまう。そういう種族なんですよ、その人!」

 カニャーサが指摘してくれたおかげで思い出す。そう。確かそういう種族がいて、結構便利な力じゃないかと思った事がある。

「どうだ! どれだけ力があろうと、俺の影の腕に掴まれたら、振りほどく事なんて不可能だ! 身体は鍛えられても、影は鍛えられないんだからな!」

 アルフの行動を阻害して、何やら満足げなシャドウストッパー。そんなに誇れる事かと思うのであるが、これも種族が誇る能力なのだから、使用する事にそれなりの甲斐というものがあるのだろう。

 そんな相手に対して、アルフがこれから尋ねる内容は、酷なものかもしれない。

「この影の腕……どうなったところで、お前に影響は無いな?」

「な、なに?」

「シャドウストッパーの影は、物理的な影響を受けません。それが一番の種族としての不可思議で―――

「良い事聞いた」

 カニャーサの言葉を聞いて、アルフは自らの身体の、腰から伸びる細い帯の一本を握った。

 鎧姿となった自分の身体と同じ色をした細い帯。アルフはそれを勢い良く引き抜く。

 すると紐はいとも容易く腰から抜けてしまった。だが千切れたわけでは無い。紐は手に収まったまま、腰から外れ、次の瞬間にはその輪郭を変えて行くのである。

 輪郭だけでは無い。紐は固く、鋭く、しかし色だけは変わらず、それは剣の形を取って行く。

 刀身まで赤い剣。だがその赤さは血を連想させるものでは無く、燃え立つ炎を思わせるそんな色。

 赤い鎧姿の自分が、やはり赤い剣を持つ。そんな姿となったのは、他人からはどう見られるだろうか。

 そんな自分への疑問は、目の前のシャドウストッパーの姿を見れば容易く分かる。

 こんな姿は、他人を恐怖させるに決まっているのだから。

「影の手だって、怖ければ震えるのか?」

 答えなんて待たず、アルフは握る剣を振るった。

 その切っ先はアルフの影を掴むシャドウストッパーの影。腕の影をした影そのものであった。

 もっとも、カニャーサの言う通り、剣で斬ったところで影は傷つきやしない。

 だが、それでも、シャドウストッパーをさらに驚かせる事は出来たらしい。

「なんだ……なんだよお前!」

 シャドウストッパーの眼前。そうして、アルフのすぐ前には、アルフが振るった剣で斬られたというより、砕かれた休憩スペースのアスファルトがあった。

 半ば瓦礫の山となっているその部分のせいで、シャドウストッパーが伸ばした腕の影もまた、ブレて形を崩していた。

 影らしく、それが投影される場所の凹凸に容易く影響を受けているのだ。案の定と言えば良いのか、結果、アルフの影も、足も解放された。

 すぐ様にシャドウ―ストッパーへと接近するや、例え影のどこを掴まれたとしても、剣の一振りで斬り払える距離で話しかけた。

「動くな。余計な真似もするな。そこらに転がってる連中と同じ様に、ただここで空でも見つめてろ。良いな?」

「は、はい……」

 震え続けるシャドウストッパーの返事を聞いて、アルフは彼の首筋近くに置いた剣を降ろす。

 そうして次にカニャーサへと視界を向けた。どうせ、彼女もこの姿に驚いて―――

「あ、お話は終わりましたか? 暴漢退治へのご協力ありがとうございます。出来ればこれから、彼らの拘束も手伝って貰いたいのですが、ロープ。ロープって近くにありますかね? 五人っていう数だと、手錠が多分足りないですし」

 思ったよりもキビキビ動いていた。というか、鎧姿に変わる前と後で反応が変わってくれない。こうなれば多少なりとも畏怖とか感じて欲しかったなとアルフは思い始める。

「君な。さっきまで状況的に追い詰められてどうしようって感じだったし、俺がこの姿になった時は大分驚いていたはずだけど、すぐにそんなんになれるの?」

「そんなんとはどんなんでしょう? 散々暴れまわってすっきりしている先輩には申し訳ないんですけど、私の仕事としてはここが本番というか、囮になってまで誘き出した人達を逃がしたく無いというか……ほら、そこのシャドウストッパーの人も、隙を見て逃げようとしていますし?」

「あ」

「ひぃっ!」

 言われて振り向き、恐る恐る足を動かそうとしていたシャドウストッパーをアルフは掴む。

 確かに、この後の始末が忙しくなりそうな、そんな状況だった。

「ほら、先輩。その姿になったのなら、大分力とか出るみたいですね。人を運ぶの手伝ってください。ああもう、ロープは私が探して来てあげますから」

「え、あ、はい」

 なんだろう。苦労して手伝いをしているというのに、押し切られて従うばかりのアルフ。

(もしかして、俺、この娘が苦手なのかも?)

 今さらそんな事を思いつつ、頭を掻くのであるが、鎧に包まれた手と頭では、それも出来ず、ただ深く溜息を吐くだけで終わった。

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