死体のように
日曜日、友香が私のアパートに来た。
彼女のバイトが終わった夕方、駅で待ち合わせると二人でスーパーに立ち寄って弁当やお菓子、ジュースなどを買い漁った。そしてそれを持ち帰るとひとまず腹ごしらえをした。
ペットボトルのお茶を飲みながら私は豚丼を食べ、友香はトンカツ弁当を食べると休むことなくコップにジュースを注いでお菓子を広げて貪った。それでようやく互いのお腹が満たされると私達は互いの好きなものについて談笑した。
友香は私につるぴかちゃんの呟きや着ぐるみの写真を見せたり、他のゆるキャラたちの近況報告をしてきた。
私は今ハマっている恋愛ドラマや韓国アイドルの話をするとゆるキャラとゲーム以外、興味ないと思っていた友香が意外にも知っていて驚いた。
「えぇ〜!びっくり!知らないと思っていたから意外〜。」と友香に言うと彼女はニコニコしながら、たまにスマホで聴いているよ〜と応えた。
「ねぇ、いつも講義前にイヤホンで何か聴いているよね?何を聴いているの⁇」
私が尋ねると友香は照れ臭そうにクスッと笑って私に音楽のプレイリストを見せてくれた。
プレイリストに一番よく入っている音楽は意外にも今流行りの男性アイドルグループの曲たちで、似たような顔をした男性が十人ほど並んで踊りながら歌っていた。
みんな髪型や服装で個性を出す工夫をしているが顔は似ていて、どことなく先輩に雰囲気が似ているような人たちだった。
友香はこのグループの特別ファンというわけではないが歌っている曲自体が好きらしい。
「高校生の時も学校でよく音楽聴いてたんだ。」
「へぇ〜本当に音楽を聴くのが好きなんだね。」
何気なく返した私の言葉に友香は、ううん。と言って首を横に振る。
「違うの。他にやることがなかったから…」
友香の言葉に反応してお菓子を食べる手を止めた私は彼女の顔を見た。
目をぱちくりさせる私に友香は淡々と自身の高校時代の話を始めた。
「一年生まではね、友達も出来てちゃんと上手くやっていたの。でもね、二年生になったら…」
二年生の途中で友香はクラスのとある男子に好かれていることが判明して囃し立てられた。
友香自身はその男子に興味がなかった為、適当に笑って誤魔化していたが、同じグループの仲良しの子がその男子に好意を抱いていたことを後に知った。
友香がクラスの仲良しの子達からハブられたのは突然の出来事だった。
ある日、登校して仲良しの子達のところへ行くと誰も目を合わせてくれず、話しかけても無視をされた。
休み時間も移動教室もお昼も共にしてきた友達が近づくと真顔になって背を向けられた。
昨日まで普通に喋っていた子達が、たった一日で他人よりも冷たい人間に変わってしまった…友香はそう言った。
それ以外の子達はその様子を遠目で眺めているだけで誰も彼女に手を差し伸べなかった。そして、その中にその男子も含まれていた。
「教室にいても廊下にいても賑やかな話し声は聞こえるのに私だけひとりぼっちで誰も目を合わせてくれないの。後ろの方で小馬鹿にするような笑い声が聞こえると恐くて前を見ることしか出来なかった。…私の高校生活は死体みたいだったよ。もしも今ここで死んでも誰も気にせず私の死体は避けられるのかなとか、ひょっとしたら私はすでに死んでいて存在していないんじゃないかとか、そんなことばかり考えていたんだ。」
友香は昔のことを思い出して悲しそうに笑った。
私はなんて言葉を掛ければいいのか分からなかった。私の学生時代は友達においては順風満帆で不自由ない人生だったから共感する言葉を持ち合わせていなかった。
「私、卒業式で泣いたこと一度もないんだ。中学の時も背が高いからクラスの男子に巨神兵って言われて嫌だったし、それを聞いてクスクス笑ってる女の子たちもブサイクで大嫌いだった!……だから友達とか別にいらなーいって思ってたんだけどバスで祐美を見かけた時に小さくて小動物みたいに愛くるしくて喋ってみたいって思ったんだ。だからこんなに仲良くなれて、私ってラッキー!嬉しいなぁ!って思ってる。」
満面の笑みを浮かべる友香を見て私はふと自分の小学生時代を思い出した。
小学校高学年の頃、私は一人のクラスメイトの男の子に上履きを隠されたり、大嫌いな虫を近づけられたりする嫌がらせを受けていた。私はその子が大嫌いで見かけるたびに逃げ惑っていたが彼はきっと私のことが好きだったのだろう。
小学校を卒業すると彼は別の私立中学に行ったため安堵したが私はそれ以来、男子との交流を極端に避けるようになって男性に対する免疫がつかないまま年齢を重ねてしまった。
そして今も交流を避けて憧れを遠くから眺めているだけの生活で自分を満たしている。
“自分の世界で完結していて私達にはまるで興味がないよね“
真希が友香について話した言葉がふと蘇る。
この言葉が今、私の胸に突き刺さった。だってそれは私の恋愛でも言えることだったからだ。
私は自分の世界に閉じこもっていて先輩以外の男には目を向けず、周りを見ていない。でもそれじゃ幸せなんていつまで経っても訪れない。
友香は同性に怯え、私は異性に怯えて虫籠に閉じこもっている。本当は籠の蓋が開いているのに外に出るのが恐くて閉じこもっているだけなのだ。
「…友香」
私が口を開いた矢先、友香が本棚の方へと視線を向けて何かに気がついた顔をした。
「…ねぇ祐美、あれってもしかして卒アル?」
友香に言われて彼女の指す先を辿ると私が漫画本と一緒に並べている高校の卒業アルバムが視界に入った。
ほとんどの人が実家に置いていく卒アルを私は上京する時にせっかくの思い出だからと思ってワンルームアパートに持ってきていた。友香はそれを見ると何かに取り憑かれたようにゆっくりと卒アルの方へと体を近づけて私の高校名を読み上げた。
「千葉県立○○高等学校……え、待って、祐美の通っていた高校、私の彼氏と同じだ!」
驚いた様子で声を上げる友香に私はギョッとして目を見開く。心臓の音がドクドクと嫌な音を立て始めた。
「え、うそ⁉︎すごーい!こんな偶然ってある⁉︎祐美と隼人が同じ高校出身だなんて‼︎」
私の目を見て嬉しそうに言う友香に身体から冷や汗が出てきた。突然のことに呼吸が浅くなって上手く息が出来なくなる。
「ねぇ、祐美!本当に隼人のこと知らない⁇一条隼人って言って高校の時は黒髪で目が大きくて二重で…あ、待って!写真あるから見せるね!」
思い出したようにスマホから先輩の画像を引き出そうとする友香に私は見たくないと言う強い気持ちが出て思わず声を上げた。
「知らない!!!……知らないから見せなくていい。」
私の断固として拒む声に友香が驚いた様子で私の顔を見る。彼女は一瞬、不思議そうに小首を傾げると私の不安や悲しみで揺れる瞳を見て、あ。と吐息に近い声を漏らした。
そして静かな声で、そう…なんだ…と返すと私から視線を外してスマホ画面を閉じて真っ暗にした。
煌々と光る蛍光灯の下で真っ暗なスマホ画面が友香の顔を映し出す。
何かを疑っているような、考えているような、悩ましげな美しい顔が映し出されていた。
ブーン、バチッ、ブーン…
窓の外ではコガネムシがガラスに向かって体当たりしてはぶつかる音が何度も聞こえていた。
外はすっかり真っ暗になっていて家内の灯りを月明かりだと勘違いした愚かな虫の羽音が響く。
ブーン、バチッ、ブーン、ブーン……
何度ぶつかっても中には入れない。
偽物を勘違いして必死にぶつかり続ける愚かな虫の羽音がいつまでもクーラーの効いた部屋の中にまで聞こえていた。