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割れる音

 大学での前期試験最終日まであと一日が迫る中、テストを終えた私は真希たちと講義室を出て歩いていると、遠くで人混みに混ざった友香の背中を見つけた。

 彼女の後ろ姿はどんな人間と混ざり合ってもすぐに見つけることが出来る。彼女の(まと)う不思議なオーラは見つけたくなくても見つけてしまうほどに一度、目に入ると視界から離すことが出来なくなる独特な雰囲気を放っていた。

 私は遠くで揺れる友香の後ろ姿に引き込まれると真希たちに、先に行くねと言って彼女の背中を追いかけた。

 早歩きで友香の背中を追うが喋りながらノロノロと歩く学生たちが邪魔で中々、前に進むことが出来ない。その間に友香はどんどんと前を向いたまま歩いていって彼女の背中がますます遠のいていく。

 構内を出てようやく自由になれた頃、友香を見ると彼女は自転車置き場に向かっていた。

 あ、これから先輩と会うんだ。

 直感でそれがわかると彼女を追うことに躊躇いを覚えた。

 だけどそれ以上に見たくないものを見たい気持ちが芽生えて彼女を追いかけるのを止めることが出来なかった。

 自転車置き場がある角を曲がって建物で見えなくなった友香を追いかけて私も壁沿いに歩くと角を曲がった。

 角を曲がって自転車置き場に辿り着くと無数の自転車が置いてあって学生たちが複数人、自転車を引き出していた。その中を歩くと奥の方で二人の男女が自転車を間に挟んでキスをしていた。

 その男女が誰なのか私は一瞬で理解する。

 顔と顔を極限にまで近づけて唇同士を合わせる友香と先輩は間違いなく互いに同意した関係で二人の生々しさが未熟な私に頭を金槌で殴られたような衝撃を与えた。

 私が経験したことのないその生々しさは恐さでもあり、憧れでもある。二人のその姿を見ていると私の足は自然と後退っていた。

 後退りながらも目が離せないでいると二人はやがて静かに唇同士を離して互いの目を見つめ合った。

 逃げないと…そう思った瞬間、友香が突然、前を向いて私と目が合った。私は目を見開くと何も言わず慌ててその場を走って逃げる。

 隠れるように角を曲がって友香が見つけられないように走ると、そのままバス停まで向かった。

 バス停にはタイミングよくバスが停車していて、それに飛び乗ると多くの学生で満員になったバスの中でさっきまでの記憶が反芻した。

 二人の唇を重ねた生々しい姿、それを先で見つめる私の呆然とした姿、友香と目が合った瞬間の血の気が引く感覚…どれをとっても惨めなのは私だけだった。

 学生でぎゅうぎゅう詰めになった車内で私は知らない学生の熱を帯びた背中に顔を押し付けられながら、悔しくて虚しくて寂しい気持ちを必死に抑えることしか出来ない。

 この感情をどこにぶつければいいのだろう。

 世界中で私だけが惨めで情けなくてひとりぼっちみたいに思えてきた。

 そんな時だった。兎に角さっきまでの記憶を消したくてスマホを開くと純二からラインが来ていた。

 ”今日か明日空いてる?ご飯行こうよ!”

 積極的な連絡に本来だったら無視して逃げてしまいたいところだが今日は誰でもいいから誰かのそばにいてさっきまでの出来事を遠ざけたかった。

 誰でもいいから私のそばにいて。

 私は今、猛烈に寂しかった。その寂しさを一刻も早く埋めたくてしょうがなかった。

 ”今日、空いてる”

 そう返信すると駅に着いたタイミングで純二から返信が来た。

 ”じゃあ、18時に○○駅で待ち合わせよう?”

 返信を読んだ後、私は純二と会うまでの残り時間、どう寂しさを埋めようか悩んだ。

 ショッピングをするか、テレビを見るか、眠るか…何をしても私の寂しさは埋まらない気がする。

 この寂しさを埋めてくれるのは私を愛してくれる誰かを探すしか方法がない気がした。

 今まで散々、先輩に夢を見て友香を恨むことで寂しさを満たしていたけれどもう限界が来ていた。

 悩んだ末に私は純二と会うまでの時間を一旦、家に帰って失恋ソングを聴くことで満たした。

 聴いても寂しさは埋まらないし余計に穴が空くだけだが、無理に明るい曲を聴いても余計に暗くなるだけだからどん底の時はどん底の芸術に触れて思い切り暗くなる方が私の性に合っていた。

 時折、涙が溢れて目や鼻が真っ赤に充血した時は顔を洗ってドライアイスで(まぶた)を冷やして純二と会えるまでの時間を耐え忍んだ。

 十八時、家を出て隣町の駅に到着した私は純二と初めて二人きりで顔を合わせた。

 「何が食べたい?」

 私に尋ねる純二になんて答えればいいのか分からず悩んでいると彼は自身がよく行っている個人の中華料理店へと連れて行った。

 そこは中華料理店らしく赤と白を基調とした外観で横開き式のドアを開けて雷紋が描かれた赤い暖簾(のれん)(くぐ)るとカウンター席とテーブル席が三つほど置かれたこじんまりとした空間が広がっていた。

 「前回、イタリアンだったからまた同じだとつまらないでしょ?」

 テーブル席に着くと純二が笑顔で私にそう言った。

 私達と同じくらいの年齢と思われる若い女性店員にコップに注がれた水を渡されると私は天津飯、純二は塩ラーメンと餃子セットを頼んだ。

 それで終わるのかと思いきや純二は私にここのシューマイと杏仁豆腐が美味しいからと言ってさらに追加した。

 「明日、行ったら夏休みだね。」

 純二に言われてテストが終わったら大学に入って初めての夏休みが始まることを実感する。

 「祐美ちゃんは夏休み何するの?サークル?アルバイト?それとも友達と旅行⁇」

 水を飲みながら何気なく尋ねる彼に私は考えた。

 夏休み…私は何をするのだろうか。

 サークルもアルバイトもやっていない私はお金はないのに時間だけが有り余ったロングバケーションが始まることを容易に想像する。

 真希たちはみんなアルバイトやサークル、彼氏とのデートなどで忙しく頻繁には遊べないだろう。

 友香もアルバイトに明け暮れるに違いないし、きっと先輩と会うのが精一杯で私と会う暇なんてないに違いない。

 そうだ、きっと友香は先輩と……

 ふと頭の中でさっきまでの記憶が蘇る。

 唇を重ねた二人の遠い輪郭を思い出して涙が出そうになった。

 「ねぇ、大丈夫?」

 小首を傾げた純二が私をさっきまでの記憶から呼び覚ます。私はハッとして頷くと素直に夏休みの予定について話した。

 「私はバイトもサークルもないから暇だなぁ…実家に帰る予定もないし、友達もみんな忙しそうだし。」

 そう伝えると何故か彼は上機嫌になって、そうなんだ〜♪と応えた。

 そのあと私達はお互いの趣味について話したが共通の趣味は何一つ見つからず私は絶句した。

 私の趣味は食べること、SNSを見る、今流行りの恋愛ドラマを観ること、心理テストやおまじないをチェックして試してみること、なのに対して純二の趣味は毎朝のランニングに夜は筋トレをしてテレビはバラエティ番組しか観ないらしい。さらに冬になると友達や家族とスキーやスノボーに行くのが恒例だと語った。

 スキーもスノボーも行ったことない私にはゲレンデは怪我を連想させる恐ろしいものに思えるが純二からすると最高の遊び場のようだ。

 「私達ってまるで合わないね。」

 私がそう言うと純二は、「共通点がないだけでしょ?合わないかはまだ分かんないよ〜。」と笑った。

 程なくして私達の前に料理が運ばれてきた。

 たっぷりの甘酢あんが掛かった天津飯は卵がふわふわで今まで食べたものの中で一番、美味しくて驚いた。

 純二が勧めたシューマイはお肉の味が凝縮されていて旨みが詰まっていたし、杏仁豆腐はサッパリしていて食べやすく何個でもイケる美味しさだった。

 「美味しい!」

 私が口にする度にそう言うと純二は嬉しそうに顔をくしゃっとさせた。

 その笑顔を見ていると自分が好かれているのが伝わって、さっきまでの悲しみが静かに溶けていった。

 空っぽの心に振り続ける雨。その雨で冷たくなった心に暖かなお日様が当たる感覚。

 満たされない心に何かが注がれていくのがわかった。

 二人で食事を終えて店を出ると辺りはすっかり暗くなっていて私達は夜の涼しさを感じながら駅までの道のりを肩を並べて歩いた。

 最寄り駅が反対方向の私達は改札を抜けたところでバイバイすることになった。

 「今日はごちそうさまでした。」

 そう言って帰ろうとすると純二に呼び止められた。

 「祐美ちゃん!夏休み、俺と一緒に遊ばない?」

 純二に聞かれて私は悪い気がしなかった為、静かに頷く。すると純二は、やったー!とガッツポーズして明るい笑顔を見せた。

 「いや〜、嬉しいなぁ。俺、祐美ちゃんみたいに小さくて放っておけないタイプが好きでさ…プリクラ見た時からずっと会いたいって思ってたんだ!でも祐美ちゃん、山口さんの彼氏のことが好きなんでしょ?だから難しいかもって山口さんに言われてたんだけど、また会ってくれるのなら俺、頑張るよ!山口さんの彼氏よりも素敵❤︎って思ってもらえるように頑張るね!」

 滔々(とうとう)と話す純二に私は目を見開いて頭の奥で何かが崩れる音がした。

 それはガラスが割れるような繊細な音だった。

 「私、帰る。」

 純二から背を向けて足早にホームへと駆けると背後から純二の嬉しそうな声が聞こえる。

 「うん、またね〜!!」

 その声を無視してホームへ逃げ込むと突っ立ったまま最近の友香の様子を思い出した。

 家に来た時の友香、ご飯を食べた時の友香、純二と会った時の友香、ちょっと前に先輩とキスをしていた友香…どの友香も私が先輩のことを好きなのか訊いたりはしなかった。

 友香はいつから私が先輩のことを好きだと分かっていたのだろうか。

 そう考えると彼女への不信感と恐ろしさが募っていく。

 さっき聞こえたガラスが割れるような音は私のプライドが崩壊する音だった。



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