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IOSO  作者: とりてる
第一章
2/5

決別


 平城二一年、神奈川県某所の小さく小洒落たドーナツ屋。


 カウンター席で一人、溜息を混じらせながら何かを呟く少女がいた。どこにでもいそうな顔立ち、体格、外見はどう見たって何の変哲もない女子高校生。だが彼女は、コーヒーを啜りながらこう思い耽っていたのだ。


「早く飲み終わって飛び降りに行こう」

 

 虚ろな表情でぼやく彼女の発言も思考も正気の沙汰ではない。時折、手に持ったドーナツの穴から何もない遠くの壁を覗く。


「次生まれてきたら、ドーナツになりたい」

 

 周りの声に埋もれた彼女の独り言はほんの些細な音、誰からも話しかけられることはないと踏んで自由に発した後は、大きく息を吸って吐き、コーヒーを飲み干しドーナツを食べ終えふらりと立ち上がる。


 その時、ふと隣に座っていた男が「ねぇ、どうしたの」そう彼女に声をかけた。最初はただの酔っぱらいか話したがりな人間だと思い、無視をしてその場を立ち去ろうとした彼女は唖然とする。顔すら見たことのない今出会った男に突然背中越しにフルネームで呼ばれたのだから。それだけでなく、彼女の生年月日、出身、住所、中学の母校や在校先を淡々と口にされ、彼女はぎりぎり見えない男の横顔に振り向きじっと見詰める。どうして知っているんだと疑問と恐怖は徐々に膨らみ、目を見張って金縛りにあったような感覚に包まれた彼女に、男はにっこりとした笑顔で振る舞った。


「びっくりさせちゃってごめんね」


 男は椅子へ座ることを促すように、先程まで座っていた座席のひとつ奥、男は自身の隣をぽんぽんと軽く叩く。彼女は素直に従いゆっくりと座るが、それ以外に思考が追い付いていない状態で目を見開いていると、長身で黒いスーツを着た者はこんなことを言った。


「君は死にたいの?」


 突然にも席を立つ前に口にした内容を問われ、しかも笑顔で返答を待つ姿は酷く人間味が無く、気持ち悪い、ただ一言に尽きた。心臓がドクドクと脈打ち痛みで張り裂けそうになりながらも、彼女は肩を震わせつつ頷く。すると男は更に明るい顔をさせ、そうかそうかと首を揺らした。


「今から?」


 まるでどこかへ出掛けに行く声の軽さでまた質問をされると少し間をおいて、落ち着きを取り戻しながら答えると、男は一瞬曇った表情をしながらも、懐から一枚のA4用紙に似た紙を取り出した。


「この紙は死への切符だよ、いるかい?」


 男は再度笑っては彼女の目先に紙を差し出す。全く意味が解らないといった表情はさっきに比べ恐怖よりも好奇心が勝り首を傾げながら受け取ると、そこには一つの文章が大きく書かれていた。


『死亡届』


 一番初めに飛び込んできた単語にぴくりと肩を揺らし、つらつらと書かれた文章を目で流し読むも、やはり意図が分からず頭を悩ませていれば男は続けてこう言う。


「どうせ死ぬんだったら、その命、朽ちるまで使い込んでみない?」


 言葉を聞いた彼女は、この紙に書かれた文と彼の発言が何を意味して表しているのかなんとなく理解できた。けれどその理解は到底想像できるものではなく、ほぼなんとなく、言葉にできない感覚の領域で俯き、しばらくの間沈黙が続く。


 数分が経ち二人の間でのみ静寂が響く中、突如店の入り口から聞こえた銃弾の射出音と人間の断末魔が辺りをつんざいた。驚いた彼女は入り口へ見に行こうと席を立とうとするが、男は腕を掴みその行動を阻み首を横に振って、彼女にしか聞こえないような小声で耳元に語る。


「死っていうのはね、こういうことだよ」


 男はすぐに誰かへ電話をかけると、上に着ていたジャケットを彼女の肩にそっとかけ未だ諸々の地響きに似た音が混ざり合う騒々しい一階の入り口へと歩いていく。

 

 席を立って数分もしない内、さっきまでとは違う銃弾の音が聞こえると先刻悲鳴の声で煩かった店内が不気味なほど緩やかに静まり返って、彼女は全身を震わせながらも状況を把握するため男が向かった入り口まで速足で近づく。


 ――まるで地獄絵図。いや、それよりもっと惨たらしい普段の日常から切り離された空間へと変わり果ててしまった場景。スプリンクラーが作動し店内の床一面水に浸かっていても、硝煙の臭いと錆びて長年放置された鉄のような臭いが混ざり合い悪臭が辺りにうごめいている。


 鼻をハンカチできつく覆ったことにより息の滞りに苦しい表情を浮かべ、私雨に視界が遮られながら店内の様子を伺っていると、雨音とは違う物音が聞こえ目を凝らし先をよく見た。テーブルの下にしゃがみ込み恐怖に怯え声も出さずずっと震えたままの者、付近には床に倒れて血を流し一寸も動かない者、そして入り口で佇む三つの人影。この光景があまりに異常で恐ろしく、被せて広がる鼻が曲がりそうな臭いに耐えられなかったのか、彼女はそこで嗚咽を漏らしながら嘔吐した。


 三つの影の内一つがこちらに気づき歩いてくる、急に手を差し出されたこくとへ心底驚き肩を震わせた。黒いグローブで包まれた手は姿を隠していても素人ですら分かるくらい逞しい、扱かれ角ばった手。


「大丈夫か」


 彼女は必死に首を横に振り異臭による胸焼けの不快感をなんとか抑えようと、近くの窓を勢いよく開け顔を出し深呼吸を繰り返した。新鮮な空気が肺を満たしていきようやく苦しさから解放された体はふと店内に向け、つい数分前にカウンターで話していた男が終始笑顔で少女を看視しているのが伺える。


 その目線を注視してからふと辺りを見回すが、言葉では言い表せないほどの血生臭さと男の表情は不協和音を聴いた時の生理的嫌悪感を抱かせ、なんともこの場には不釣り合いだった。


 彼女は横目で重ねられた死体を見て何か腹の底から込み上がる感情を覚えたが、その名前を知ることは遂に叶わず今はそれどころではないとほったらかしにしてしまう。知らぬ間に彼女の目の前には先程身を案じてきた強面な男が傍に寄り、再度状態を確認するように視線を巡らせ肩にそっと手を置く。


「一緒に来るか」


 この言葉に彼女は虚ろな目のまま「死にたい」そう呟くと、男は堅い顔を徐々に柔らかく解しては微笑み応えた。


「おめでとう」


 ある日突然ドーナツ屋を襲ったテロ集団によって引き起こされた、生存者0人という最低で最悪な事件をきっかけに、早海 知夏(はやみ ちなつ)は様々な出来事へと遭遇していく。


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