73話:泉の精霊
ポアポアは雪の精霊なので、雪の特性を持つらしい。
だから別個体でくっついたり、魔力を蓄えて大きくなったら分裂したりできる。夏になると溶けるし、冷蔵庫に入れたからといって大きくなるわけではない。
ピンポン玉サイズになったぽぽ次郎三郎は、私の服の隙間から胸の中に潜り込んだ。そういえば初めてぽぽ太郎を捕まえた時も、胸の中に入り込んでいたのだったか。そのうちまた私の魔力を吸って大きくなるだろう。
「ティアラ様は泉の精霊ですから、相性が良いのでしょうね」
「え? 何そのいきなりのネタバレ」
ロアーネが突然ぶちこんできた。いやまあ、私は森の泉から生まれたし、カンバの描いた泉の精霊カードのデザイン元にもなったけど。
改めて言われると、え、まじなの?
「身体に特徴が現れているではないですか?」
「え? え?」
前世ファンタジーのウンディーネみたいに身体が水でできてるわけじゃないぞ。いや、人間の身体の6割は水分でできてるとか、そういう話ではなくてね。
あの森の中の泉は、泉としては小さい方だったと思う。なるほど。だから私の身体は小さいのか。
「いえそうではなく、髪とか」
「髪?」
ゆらんゆらん。銀の髪がゆらめく。ああ、泉にあった小滝っぽい? でも水のイメージだったら青髪じゃない?
いや、水の青の多くの成分は空の青の反射だ。水系キャラなら青髪だろうというのは早計だった。
「確かに泉の滝っぽいかも」
「下から水も流れますしね」
「なぬ!?」
そこも精霊的特徴に入れるのか!? 聞き捨てならないぞ! 最近は我慢できるようになった幼女である。大人になっているのだ。おっさんになるとそれはそれで膀胱が固くなるのだけど。
「待てよ。私がぷにぷに幼女なのももしかして……」
「それはお菓子の食べすぎです」
やはりな。水というのはさらりとしているようで粘性がある。つまりぷにぷにしているということだ。袋に水を入れるとぷにぷにするだろう。ぷにぷに幼女なのは生まれ持った性質だったのだ。もはや逃れられない運命であった。
ここで水魔法使いのルアちゃんがもう一つ特徴をあげた。
「水と言えば変幻が特徴ですよっ」
変幻か。なるほど。なるほど?
「ぽぽたろうもむにゅむにゅ形が変わりますよねっ」
ロアーネは「ふむ」と一つうなずき、私のほっぺを引っ張った。むにょん。痛いんじゃが。
仕返しに私はロアーネのほっぺをつまんで引っ張る。むにょん。ふむ。ロアーネも水系統らしい。
不毛な戦いはルアによって調停された。
「待てよ。ということは、私の身体も引っ張れば伸びるのでは?」
ソファの上で私の身体を、ルアが両足を、ロアーネが両手を掴んだ。そしてロアーネが引っ張った。
「いたたたったっ!」
「なにをしてるんですカ」
お茶を運んできたカンバによって、私の八つ裂きの刑は止められた。
さて、結果は!?
「伸びてる……ッ!」
髪の毛五本分くらい!
「そりゃあ引っ張れば少しは伸びると思いますヨ」
「ロアーネも引っ張ってください」
ロアーネも伸びた。その日のロアーネはご機嫌であった。
そんなことはさておき、私の正体が泉の精霊と知ったところで生活は変わらないのであった。人間体だし。
身体がなまりすぎて、体術の師匠に叱られてしまった。約二ヶ月半の怠惰生活がバレてしまった。
お勉強は前よりも頑張るようにした。目標は初等教育課程修了である。教育担当が私のやる気を褒めてくれた。やる気だけ?
しかし私は暗記科目が絶望的なのであった。おかしい、水系統って知的なイメージがあるのに……。おそらくこれはおっさんである魂が足を引っ張っている。前世から日本の都道府県の半分くらいわからないマンなのだ。ごめん嘘ついた。半分どころ以前に全部でいくつあるかも覚えてないや。てへへ。
世界史ももうちょっと頑張っていれば、この世界の地理もわかりやすかったのかなぁ。でも混ざって余計にわからなくなるかも? 魔法があるだけで実は地球とあまり変わりがないのでは、と思っていた。魔法があるだけで大きく違うのではあるけど。そしたら猫人とかいたので、予想よりもっと大きく違うのかも。あれでも、力が強いという特徴を南国の――に置き換えると――いや考えるのは止めとこう。別! 別物です!
「んんん……おぼえらりぇん……」
「アナは十問正解したよーほめてー」
「えらい!」
私とシリアナは手を取り合ってぶんぶんと上下左右に振った。
ちなみにベイリア帝国の主要都市の名前の問題である。
「ティアラ姫は0点です」
「むぅ。惜しい」
「ふざけていないで。やり直しですよ」
異世界語難しいのじゃが。私が普段喋っているのはクリン語で、書いてる文字はルイン語で、都市の名前は古くからの地名だったりするので古ベイリア語と呼ばれるものだったりで、それを表記するに当たって読まない文字がスペルに紛れ込んだりしていて……。
「算数は満点でございます」
「アナは0点ー」
「ざんねん!」
私とシリアナは手をパパパンと叩きあってばんざーいした。
ちなみに二桁の足し算の問題である。
「先生! 私、魔法学校に行きたいです!」
「アナもー!」
先生は頭を抱えた。
だめか? 算数だけじゃ魔法学校入れんか?
一緒に勉強するリルフィがいないと寂しいなぁ。
おこごとから逃げ出した私は、寂しさを紛らわすためにパパの執務室へ向かった。
ぱぱー。
おっと、中から話し声がする。執事さんかな。
「クリトリヒのドルフィン大公が暗殺されました」
は?
「場所は……ヴァーギニア南部か」
「はい。お察しの通りイルベン人による犯行と書かれております」
なにこれ。ドッキリ?
「ティアラには知らせるな」
「かしこまりました。旅の話からするに親しくされていたようですからなぁ」
ま、まじな感じ?
「しかしなぜ大公はそんな危険地帯に」
「米の産地の視察だったようで」
「米か。あの子も欲していたな」
私の心臓が高鳴る。胸を手で押さえたら、ぽぽ次郎三郎の感触がぷよっとした。
「イルベン人め。余計なことを」
「また、荒れますなぁ」
私はそっと扉の前から離れた。
私のせい。私のせいか? 私が粘り気のある米の品種を求めたから。皇女様はもしやそれで?
ふらふらした足取りで自分の部屋までたどり着き、ぽふんとベッドにうつ伏せで倒れた。
慌ててカンバが隣に立ったが、手で制した。
皇女様との付き合いは旅の一月程度。自身でも思ったほど感傷的にはなっていない。実感がなくて受け止められていないだけかもしれない。その分、冷静ではあったが思考も別の方へ向かっていた。
皇女様に預けていた猫人三人娘は無事だろうか。今後はどうするのだろうか。ヘンシリアン家が引き継いでサポートしてくれるだろうか。
もしかして、猫人アイドルなんて反感も買いそうなものを預けたのも狙われたきっかけになったのではないだろうか。
全ての原因は私にあるのではないだろうか。
「お嬢様、何かあったのですカ?」
「ぬぅー」
私は地球であった皇族暗殺事件を思い出す。
暗記科目が、その中でも特に世界史が苦手な私でも名前だけは知っているサラエボ事件。第一次世界大戦の引き金となった暗殺事件。
その詳細はなんだったか。不勉強の私は何も思い出せなかった。殺されたのは。場所は。きっかけは。犯人は。動機は。
もしこの世界が地球と類似しているとしたら、世界大戦のきっかけは私の言動になるのでは。
イルベン人……。犯人のイルベン人とはなんだったか。どこかで聞いたような……。
うーんうーん。
まあなんとかなるだろ。
ぐぅ。お腹が鳴った。なんか甘い花の香りがする。
「落ち着きましたカ?」
「……ありがとうカンバ」
私の頭を撫でていたカンバの手を取って立ち上がり、私は花びらの浮いた紅茶を飲んだ。




