7話:死亡フラグ
奥方、カロライナは部屋からあまり出ない人だった。
タルト兄様が六歳くらいだとしても、まだまだ若く見える御方だ。初めて会った時からと印象は変わらず。彼女の切れ長の視線は鋭く、私の中身がおっさんだとバレていないか思わずドキドキしてしまう。
彼女はあまり顔に感情を出さなかった。珍しく廊下ですれ違ったとしても、視線をちらりと私に寄越して眉毛をぴくりと動かすだけであった。私は思わず「踏まれたい!」という感情を隠して、端に寄って静かに頭を下げるのであった。
このように、パパとは違い、奥方とはまだ交流が薄かった。まぁ、夫が拾ってきた謎の幼女と仲良くするのは普通に考えて無理だろう。私としても、妙齢のおっぱいお姉さんに甘えるのは照れがある。無口ロリのおっさんには難易度が高かった。
親交がないのでまだ「ママ」と呼んだこともない。奥方からしたらさぞつまらない余計な子だろう。パパには甘える癖に、自分には話しかけもせず無表情で、大事な息子は脅迫もされている。客観的に見ても私の今の立場は家を追い出されてもおかしくないと思うのだが、今でも変わらず妹のシリアナと一緒に勉強をしているので、ある程度は信頼されてるのだろうか。
普段会話のない二人であったが、おやつの時間に妹シリアナを交えて話す機会がやってきた。
「アナもタラと体術やるー」
今はシリアナは自分をアナと呼び、私をタラと呼ぶ。
シリアナは私が毎朝ツルピカ師匠と運動していることを知り、そんなことを言い出したのだ。
もちろん奥方は反対である。
「なぜ貴女は体術を習っているのですか」
なぜだろう……。ま、魔法が使いたかったからだけど……。
私は答えに詰まり、やはり無口キャラになってしまう。しかしそれでは話が進まない。
最初は勘違いからだったのだが、それでも今も続けている理由それは……。
運動不足解消?
いや違う。私の中にはもっと、別の理由ができていた。
「あー。うー。私、タルト、やっつける!」
私は両腕を掲げた。
タルトにあっさり幼女パンチを受け止められたのは悔しかったからな。
そして年齢面で仕方がないことだが、遊びとなると私とシリアナはあっさりと負けてしまう。もっと体力を付けて魔王アスフォートをやっつけねば。しゅっしゅ。
奥方は「ひっ」と息を呑んだ。
何この空気と思って侍女リアを振り返ると、彼女は頭を抱えていた。
私が軽い気持ちで言った「やっつける」はどうやら「ぶっ殺す」くらいのニュアンスだったようだ。こんな言葉を教えた教育担当が悪いと思う!
「たるとぶっころー!」
「ぶっころしー!」
そうとは知らず幼女二人が無邪気にきゃっきゃと手を取り合う。
扉から慌てて離れて駆けていく音が聞こえた。子供の足音だった。
言葉遣いにお叱りを受けた。そして正しい意味を知った。
すまぬタルト兄様よ。恨みがあるわけではないが、妹二人に命を狙われる恐怖を味わってもらおう。誤解だが。
とりあえず、侍女リアから最近流行りのアスフォート遊びのことを奥方に伝え、勘違いということはわかって貰えたようだ。
それと体術も危ないことはせず、基礎体力づくりだけということも分かって貰えた。
「家に閉じ込めておくのも、今後は良くないかもしれませんね……」
とかなんとか奥方は呟き、シリアナも体術の特訓を受けることになった。
もっとも、シリアナはそれよりも庭園のお花に興味津々だった。ちょうちょを追いかけてサボることもあった。私も一緒にサボった。
侍女リアは呆れていたが、師匠は「虫を追いかけるのは本能を刺激する良い訓練じゃ」とか言ったとかなんとか。
途中からタルトも参戦し、私達は魔王アスフォートに捕まって食われた。
私のカウンター魔法の暴発はあれから今の所ない。そもそもお姫様の私にうかつに触れようとする人はいないけど。それでもメイドさん方から撫でられることは減ってしまった。無表情無口の私は、なんだかお人形みたいな扱いなのだ。それは今でもあまり変わらないが。
魔法の練習もなんだかヤバそうな予感がして休止している。
だってさ。私の今のこの感じ、絶対暴発するタイプじゃん。
こつこつ努力タイプでも、あふれる才能天才タイプでもなく、生まれ持った純粋なパゥワー! ってタイプじゃん?
精霊種(仮)、制御できない魔法、生まれは野生で育ちはお嬢様。人と触れ合い心を知った人外は、ある日感情の爆発による魔力の暴走で、親しかった家族ごと宮殿を吹き飛ばすのであった。ほらきた鬱展開!
魔力を鍛えるとかより、むしろガス抜きしないと「その時は来た……」とか別人格に乗っ取られるタイプだ。いやすでにおっさんが乗っ取ってたわすまんな。
私が言いたいことはつまり、リア充爆発しろとか考えたらうっかり本当に爆発するかもしれねえんだ。
なので私は無表情で感情を押し殺す。
髪を結われてる時に、侍女リアのおっぱいがぽよぽよ当たるんだわ。まじつらたん。にやけたら人生が終わる。「何気持ち悪い顔でにやけてるんだおっさん! 最低! 変態!」と罵られたら感情が爆発しちゃうかもしれない。色んな意味で。うっ。
……思考の暴走。お着替えセットタイムは暇なのであった。特に外で遊んで泥だらけになって叱られた後は。
奥方とは相変わらず。だけどなんだか最近はよく廊下で鉢合わせるようになった。逆にパパとは顔を合わせることが減っていた。
そしてなんだか宮殿が慌ただしくなってきた。
侍女リアに聞いたところ、どうやらパパが出張するらしい。実家に帰省するとも言う。
なるほど。パパはまだ若そうなのにジィジとバァバがいないと思ったら、ここは別家だったのか。
出立の日が決まり、パパは家族みんなを呼んだ。先に別れの挨拶をするようだ。当日じゃないんだな。
「プロスタルト。何か遭ったらこの家はお前が守るんだぞ。このサーベルをお前に託そう」
「はい父上」
ん?
「カロライナよ。すぐに帰ってくるからな、愛してる」
「あなた……」
ん?
「シリアナ。良い子でお留守番しているんだぞ。ママの言うことをちゃんと聞くんだぞ。沢山お土産を買ってくるからな」
「あいっ」
ん?
「ティアラ。私は君を救えて本当に良かったと想っている。ああ、まだ難しい言葉はわからないか、そうだな……。好きだぞ」
きゃっ。パパに告白されて抱きしめられちゃった。
いや、それよりも、なんかパパがなんだか死亡フラグを積み上げてない? 大丈夫?
ちょっと大げさすぎない? そんな大事なの? だって実家に帰るだけでしょ? そんなに外は危険なの? そっか、魔物とかいそうだもんな……。でも、そんなに?
「私、パパ、心配。死にそう」
私がそういうと、パパは笑って私の頭を撫でた。
私の言葉を聞いたシリアナが「パパ死んじゃうの!? いっちゃやだー!」と泣きながらパパにしがみついた。
場が混乱した。
奥方のカロライナはシリアナをあやし、私はタルト兄様に「変なこと言うな」と叱られた。
何事も起こらないように準備が進められてたのはわかるけど。でもなぁ。うーん。私の中の別のおっさんが「やべえよやべえよ!」って騒いでるんだよなぁ。おっさんの勘はな、買った競馬の枠連の馬券でそれぞれ狙ったのとは違う馬がワンツーしつつ的中したりするんだ。わかりにくいって? わかりにくいな。ソシャゲガチャでSRを狙ったらSSRがうっかり出るくらいと言うべきだろうか。狙ったのはお前じゃないけど大当たりだって。わかりにくいって? わかりにくいな。
パパの出立まであと三日。
死亡フラグ回避は間に合うだろうか。