51話:空から落下する美少女
エイジス暦1699年。春。
魔導蒸気機関列車ネコラタヌに乗った私たちは、氷魔法で冷凍したアスフォートの首を手土産にクリトリヒ帝国へ入った。
クリトリヒの北部、ヘンシリアン家が管理する領地はオーギュルト人であり、それはベイリア人と言い換えても良い。ベイリア帝国その南部のオルバスタ王国とヴァイギナル王国、そしてクリトリヒの北部は同じ人種なのであった。つまり別の国とはいえ、同じ人種、同じ宗派、ほぼ同じ言語のため仲がいいのだ。
ヘンシリアン伯爵領の街エッヂの駅に着いた。駅に着くまでは相変わらずのどかな丘陵風景だったのだが、街に入ると都会の空気を感じた。まず建物が大きい。薄橙の壁の四階建てくらいの建物がでででんと並んでいる。奥の方では教会の尖塔がにゅっと飛び出ている。オルビリアの教会の何倍もおっきぃ。
そしてなんといってもおしゃれなカフェがある時点で、田舎人からしたらそれだけで都会なのである。なんとかバックスとかあったら都会なのである! もちろん入った事はないおっさんであった。おっさんが入れるおしゃれなカフェはコンビニのイートインが限界だからね。
駅前から先の石畳の広場の中央には、火、水、風の精霊を模したと思われる巨大な像が建てられている。土はないのかなと思ったら、土台が土の精霊を表しているようだ。
ヘンシリアン家の使いが「早く馬車に乗らないかなこの姫」といった感じでそわそわしている。もう少し待って欲しい。まだ頭がふらふらするのだ。いま馬車に乗ったら危険なことになる。いっそ歩いて宮殿に向かってもいいのよ? 幼女の足だと結構な距離があると聞いて止めた。
「あんまりはしゃぎすぎると目立ちますヨ」
む。ただでさえ陽の光でキラキラ虹色に輝いて目立つ美少女なのに、これ以上目立つこともあるまいて。いや目立ってるな。翼ライオンのにゃんこが衛兵からめっちゃ視線を感じてるな。大丈夫! 大丈夫ですから! ほら! もふ! もふもふ! ノミだって付いてない!
「さらに目立ってますヨ」
むぅ。仕方ない移動するか。馬車で二十分くらいらしい。きっとそのくらいなら耐えられる。
待てよ。にゃんこをもふりながら気がついた。にゃんこの背中に乗れるのでは? そうしたならば、馬車に乗らなくてすむし、街のみんなも安心できるだろう。幼女を背中に乗せた魔物が危険なはずがないからな。
いちおう魔力を通してにゃんこに聞いてみる。「背中に乗っていいにゃん?」と。すると、すっと香箱座りをしたので、どうやら許可は出たようだ。んしょんしょとにゃんこの背中にまたがった。
「はしたないですヨ、お嬢様!」
む? そういえばスカートで何かをまたがるのはいけないことだっけ。レディは馬でも横すわりをさせられるのだ。まあ幼女だからいいだろう。いざ出発! ぬっこぬっこぬっこ。
猫の背中というものは本来は人が乗るようにはできていない。八歳女児(ただし六歳の妹シリアナと大して変わらないサイズ)の私が乗って大丈夫なのだろうかと心配になる。大丈夫。大丈夫のようだがけっこう縦揺れがするな。いやでもけっこういける。
ねっこねっこねっこねっこ。馬車の前を私は征く。
後ろの馬がめっちゃびびってるけど大丈夫か。まあ、周りの人間もびびってるんだけどね!
街中が騒ぎになる前に宮殿へ向かおう。騒ぎの原因が私なことは考えないようにしよう。
石畳の大通りを進んで行くと河川の側にそびえる四角い城が見えてきた。古い城を改築した宮殿のようだ。きっと古くは川の要所を守るために築かれたのだろう。
ぬんぬんぬんぬん。ぺっとぺっとぺっとぺっと。翼ライオンに乗ったまま宮殿へ向かうと、ルー坊が出迎えてくれた。
「まじでドルゴンだ! すっげーっ! ほんとに手懐けたのか!」
すっげーだろー!
ルー坊がキャッキャと目の前ではしゃぐので、にゃんこが不快そうにガルルルゥと鳴いた。ルー坊は尻もちをついた。
門番が唖然としている隙に、さぞ当然のような顔をして通り抜けようとしたが、慌てて止められた。だめか。衛兵たちが集まってきて、てんわやんわとなり始めた。私のせいじゃないもん。ぷいっ。
「なーなー。これ飛べるのか!?」
む? そういえば翼ライオンに乗ったまま空を飛べたら、それは凄いぞ? でも怖いぞ?
ちょっと試してみるか。そして私は後悔した。
「ぎゅええええ!!」
にゃんこに「乗ったまま空を飛べる?」と意思を伝えてみたら「ええよー」と言った感じに「なーご」と一鳴きして翼をばさりと広げた。魔力の光が私ごと包み込み、にゃんこは駆け出し離陸した。私の顔は風で歪み、髪の毛はばさばさぼっさぼさになった。あれだ。遊園地で吊るされて空中でぐるぐる回るやつ。それの安全帯のないバージョン。
「しにゅぅううう!!」
思わず魔力が溢れ出し、にゃんこの背中がじんわり濡れたのも仕方がないことだと思う。しかも魔力が溢れたことによって、にゃんこはさらに喜び勢いを増す。私の足はにゃんこの背中から外れ、私は必至にたてがみを掴む。
「のわあああ!!」
ついには手がつるりとたてがみから抜けた。そして私は空を飛んだ。あいきゃんふらーい。紐なしバンジー。
あ、死んだわこれ。
下では、ロアーネが何か叫び、カンバは顔を手で覆い、ルアはぽかーんとしていた。近衛団長のじっちゃんは素早く動き、私を受け止めようとしている。だがじっちゃんは風魔法使いではないし、空から落下する美少女を受け止めるのは難しいだろう。最近は空から美少女が降ってくる物語って少ないなと思うおっさんであった。
よくよく考えると落下してくる美少女を受け止めるのって凄いよな。脳みそが混乱しすぎてわけわからない思考をしている。受け止めやすいように美少女はゆっくり墜ちてくるからな。そんなことはどうでもいい。死が迫っている。
いやどうでもよくないぞ。そうだ。飛べばいいんだ!
「ふぬー!」
私は魔力を事象に変換できない。それは火を起こす事や、水を生み出す事や、氷を作る出すことや、風を吹かせる事や、土を動かす事だ。そういういわゆる一般的な魔法を使う才能がないとロアーネは言っていた。だが、魔力を生み出しそれをぶつけることは可能だ。
翼ライオンはその体格や体重からして、あの翼のサイズで本来飛べるはずがない。揚力を生み出しているのは当然のこと魔力だ。なら魔力で浮力を生み出すことも可能なのでは? 意思を持たない魔力生命体である精体も光り輝きふわふわ浮いていた。
私は背中から翼が生えるイメージをした。天使系美少女っていいよね。
「にょわー!」
ぶわり。その瞬間、身体が上に引っ張られた気がした。
う、浮いてる!
いや、減速しただけだけど、落下速度が下がったぞ! これなら着地できる!
だがその時、春の突風が吹き、私の身体は浮き上がり流された。
どこいくの私ー! 飛ぶというよりはたんぽぽの綿毛だ。どこかに運ばれていってしまう。ふにぃー!
制御不能なまま目の前に教会の鐘楼のベルが迫る!
クァーン!
私は気を失った。