4話:水魔法は完璧に成功したな
言語学習が進み、日常会話を聞き取れるくらいはなった。喋りは片言である。よって相変わらず無表情無口キャラなのであった。まだ生まれて一ヶ月ほどなのに、まるで一年ほど引きこもりしたかのように表情筋が動かない。妹みたいに泣いたり笑ったり感情を表に出せば表情も豊かになるのだろうか。
魂が枯れてるおっさんだと、おやつの甘さ控えめビスケットでは両手を上げてはしゃいだりできないのだ。喜んで食べるけど。
飲み物はなんか黒い汁だ。コーヒーっぽいがコーヒーではない。麦茶くらいの感覚でこれが出てくる。飲めなくはないけどあまり美味しくはない。ビスケットと食べるならちょうどいいかもしれない。なんなんだろうこの汁。
幼女はこれが飲めるのか? 隣を見ると、シリアナの飲み物はオレンジジュースのようだ。
ず、ずるいぞ……! い、いじめか! いくら私が養女だからって!
ふと思い出した。もしかしてこれ戦中の代用コーヒーで有名なタンポポ茶では? 一応平時でもお茶として飲まれていたはずだ。初日にコーヒーだわぁいと思って飲んで「ん?」となったけどその時は気にせず飲んでいた。そのせいで私はタンポポ茶好きだと思われているのではないだろうか。よくよく考えると子供にカフェインは飲ませないだろう。
別に私これ好きじゃないんだけど……と今更言えないのが辛いところね。「嫌い」って言葉がわからないから。
こうやってぼーっと日本語で考え事してるから表情がなくなるのだろうか。
自分の頬をむにむにしてたら、隣で妹のシリアナがきょとんとした顔で覗き込んできた。
そして同じようにほっぺをむにむにした。
むにむに。
むにむに。
何が楽しいのか、シリアナはきゃははと笑う。
「おもろい?」
「おもしろーい!」
日本語が足を引っ張っているのか、顔が硬いせいか、私の発音はなんだかまだねちゃっとしていた。わかるだろうか。
無口キャラがぼそぼそっとかわいい声でしゃべるのは幻想だと思う。実際は喋らないとねちゃっとするのだ。口も舌も動かないのである。
舌ったらじゅにゃのでありゅ。
さて。私は言葉よりなによりまず、魔法を習いたかった。
異世界転生の幼少期と言ったらあれだろ。魔法特訓で魔力大盛りでしょ。え? 古いって? 私はナウなんだよ!
そういうことで、私は湯浴みの後のドライヤー魔法に目を輝かせて真似っ子することで「私もそれ使いたい!」感を出した。
だけどメイドさんに苦笑されて、やんわりと「ダメ」と言われてしまった。ダメかー。大人にならないと習えないタイプかー。
だが私は、地球でも魔法特訓をしていたおっさんである。
魔法っていうのはな、目を閉じてへその下の丹田を意識して、身体の中に巡る魔力を感じれば使えるようになるのじゃ!
うむ! わからん! よし!
さて、ベッドの上で準備が整ったところで、何の魔法を使うか。
もちろん水魔法である。安心安全。基本だね。
「むみゅみゅみゅみゅみゅっ」
目を閉じて座禅を組む。
身体の中の力を感じる。こ、これか? 私は何か掴んだ気がした。
そっと目を開くと私の手のひらの中に、何もなかった。何も掴んでなかった。
くそ、今回もダメだったか。前世の頃から魔法の失敗には慣れてるぜ。成功したことがないからな。
だけど今世の私は諦めきれなかった。だって、狼に襲われた時に魔法らしきものを私は一度使っているのだもの。ならば使えぬはずがない。
失敗の原因を考える。
待てよ。いきなり無詠唱でできるつもりでやっていたが、魔法と言ったらやはり基本は詠唱ではないか? ドライヤー魔法も「うにゃむにゃ」と唱えてからメイドさんは使っていた。
無詠唱魔法はまだ早かったか。よし。
「大気中の水分よ、水の精霊よ、我が手に集って球とにゃれ。ウォーターボーりゅ!」
ちょろっ。
でた! おしっこが!
お腹に力入れたら漏れちゃった。
私は泣きながらメイドさんを呼んだ。ふえぇ。
パンツは洗ってドライヤー魔法で乾燥して貰った。
私、なんでドライヤー魔法が使えるメイドさんが幼女の世話してるかわかった!
幼女が水の魔法を使うと、おしっこと涙が出る。水魔法は完璧に成功したな。
第二案。
そもそも、詠唱と言っても日本語だったし、ウォーターボールは英語だし。
ここは異世界で別言語だし、メイドさんがうにゃむにゃと唱えているのはさらに違う魔法言語っぽい。
なので私はメイドさんの詠唱を耳で覚えた。
「えにゅおりゅあ ぷらおちう るくり ちゅにゃうにゃにゃ!」
ちょっと違う気がするけどなんとかなる! できるはず! こい! 出ない!
ここで私は最大の欠点に気づいた。
舌っ足らずすぎて詠唱が唱えられにゃいのでありゅ。
ちくせう! このほっぺの! ほっぺのぷにぷにが! ぷにぷにしてるくせに硬いのじゃあ!
鏡の前で舌を伸ばしてみた。
んべっ。
うわ……私の舌短すぎ……?
実は前世のおっさんも舌が短くて巻き舌ができないほどであった。
巻き舌言語だと詰むのだ。実際におっさんは経験がある。合唱でイタリア語の曲が……いや、嫌な思い出は前世に忘れてこよう。
やはり時代は無詠唱魔法だ。詠唱なんてだっせーよなー!
そもそも身体の中を巡る力がわからんちん。
せめて「魔法」って言葉がわかったらメイドさんに聞けるのになぁ。
そうだ。
次の日。お兄様に声をかけた。
おい、ちとタルトや。
「なんだよ」
私は廊下にいたお兄様を見つけて、剣を抜いて構える仕草をした。
そして見えない剣を指差した。
「剣?」
私は頷く。「剣」という言葉はすでに習っていた。
次に私は「むにゃむにゃむにゃ」と口に出し、「はーっ」と手のひらを突き出した。
お兄様は眉を寄せて三秒思案し、ぽんと手を叩いた。
「であう?」
うんうん!
私はタルトに手を振って別れた。
なるほど。であう、ね。
私はいつものメイドさんに「であう! であう!」とぴょんぴょんと跳ねて主張した。
メイドさんは戸惑っているが、どうやらちゃんと通じたようだ。
よしこれで私が魔法を本気で学びたがってることがわかったはず! せめて魔法という概念だけでもわかってきっかけさえできれば後は独学でなんとかなる! はず!
思惑の通り、翌日の朝食後、私はドレスから外で運動ができる服に着替えさせられた。スカートではない! ズボンである!
お股とお尻の生地がなんか厚くてうまく歩けない。もしかしてこれ乗馬服なのかな?
よくよく考えると、宮殿に引きこもり生活だった私は外に出るのが久しぶりだった。うおっ。太陽まぶしっ。
綺麗な緑の庭園で庭師が「誰だあいつ」という顔で私を見ていたので、手を振って答えた。お仕事頑張ってね。知らないだろうけど、私ここのお姫様よ。ふふん。ズボン履いてるけど。
メイドさんに連れられて裏庭へ行ったら、杖を突いた頭つるつるのおじいさんが待っていた。
この人が私の師匠か。し、師匠! よろしくおねがいしやす!
むふー。私はやる気まんまんである。
そして始まったのはラジオ体操みたいな運動であった。うん。準備運動は大切だね。
ふひー。幼女には体力がなかった。おかしいな。子供ってもっと底なしの体力があるものだと思っていたが。もしかして引きこもりでは体力ステータスは上がらないまま……? むしろ下がっていくのは当然であった。
さて。師匠は胸の前で、左手の手のひらと右手の拳を当てて頭を下げた。ふむ。これが礼かな? 私も真似をする。これから魔法の特訓が始まるんですね師匠!
始まらなかった。本日の訓練は終了。おつかれさまでした。
ま、まずは体力づくりってことですね師匠! わかりました! 精進します!