35話:胸に虚しさを感じる
私は侍女リアを部屋に呼び出した。
「りあーりあー。侍女辞めるの?」
「はい。旦那様と話した後にお伝えするつもりでした」
「んぬー」
ついに私のお漏らしの世話をするのが嫌になったのか!? それならしょうがないかもしれない。すまない。
「私は冬に、カンバさんのお兄さんと婚姻を結びます」
「……はい?」
私はバッと新侍女カンバの方を向いた。カンバはこくりと頷いた。
「はい。わたしの兄は、以前に来ましタ。コンペの時に。リアンホルレンサに一目惚れして求婚したのでス」
「リアンホルレンサ?」
「お嬢様。私の名前ですよ」
あ、そうだった。変な名前で呼びにくいからリアと呼んでいたのだった。私がリアと呼ぶから周りもリアと呼び始めて、すっかり本名を忘れていた。
って。えええええ!?
「んえええええっ!?」
「反応が遅いですね」
驚く私を見てリアはくすくすと笑った。
えーやだー! リアと離れたくないー! 私のお漏らしどうするのさ!
「お嬢様の口からもう子供ではないと聞き、私は安心して求婚をお受けすることにいたしました」
「えー! えー……」
そう言われると、わがままを言いづらくなる。
リアはまだうら若い女性だけど、私にずっと付いていたら行き遅れになる。一生面倒を見られるのも私が気が引ける。いつかは別れがくる。それが今なだけ。大人である私が言うべき言葉は。
「おめでとうリア」
「ありがとうございます」
寂しいけど、寂しいけど仕方がない。なぜだろう。目から汁が出る。幼女とおっさんは涙腺も膀胱も弱い。
「そんなお顔をされると困りますよ」
「お嬢様。悲しくなイ。笑顔で送るのでス」
カンバが私の頭に手を乗せると、すぅと悲しみが消え、喜びが増してきた。
「めでたい! めでたい! あ、それっ!」
「あ、ちょっと効きすぎタ」
いえーい! ま、いいじゃん!
「お、お嬢様がおかしくなってしまいましたがカンバさん!?」
「ちょっと加減を失敗しタ。こんなに効くとハ」
「いいってことよー!」
精神干渉ってハッピーな魔法だな! 最高じゃん!
祝杯で、お酒の代わりに祝コーヒーを飲み過ぎて、私は眠れなくなってしまった。
カンバが指先で私の頭をつんつんしてくる。
「お嬢様の気持ち、おとなしくさせル。ゆっくり」
「ふぅ。ちょっと危険すぎじゃない? ロアーネ、精神干渉の魔法って危なくないの? 許されてるの?」
ロアーネは酔っ払ってぐにゃんぐにゃんになっていた。この年齢不詳の合法ロリシスターは行き遅れるわけである。
「そりゃ危ないれすよー」
やっぱ危ないの!?
「らから、身元がしっかりしたうまーじしか使えまへんわー」
そうか。カンバは信頼できるから良いってことね。
カンバは不満そうに寝てる私の頭をつんつんしてきた。
「危なくないでス。この魔法は感情を増やすか減らすかをするのでス。お嬢様はリアの結婚を心から喜んでいたので、増やしすぎたのでス」
「うん。なんていうか、娘が嫁ぐような気持ちになってしまって」
「むすめですカ?」
うん。それに姉でもありママァであった。ママではない、ママァである。
「そうだカンバには言ってなかったね」
「なんでしょうカ?」
いや待てよ。別に私の魂がおっさんということを、この中学生くらいの女子に伝える必要はあるのか? おっさんの魂から加齢臭がするとか言われたら生きていけなくなるぞ。私のお姫様生活の九割は侍女に支えられているからな。
そもそもリアとロアーネにも、男だったとしか言ってなかったっけか。
「私の魂は太陽の国から来た」
「へ?」
なんか幼女が頭おかしいこと言い出した、わたしの魔法のせいカ!? と、カンバは思っていそうだ。ロアーネの方をしきりに見て、「この幼女の頭は大丈夫か」と視線で訴えている。
ロアーネが発言を認めると、カンバは感嘆した。エイジス教の神官が認めるなら本物かと信じてくれたようだ。
「つまりお嬢様は神であり絵師である。神絵師ということですネ」
「その言い方はぽんこつな私の心に大ダメージを食らう!」
「ごめんなさい。お嬢様の言葉わからないネ」
ロアーネが「ティアラ様がよく漏らすニホン語ですから、気にしなくていいですよ」と応えた。
ニホン語とやらはなんぞかを教えて一晩を過ごした。
こうして。リアは実家へ一度帰る身辺整理を始めた。
カンバが私のお付きの侍女となったのだが、一つ問題がある。カンバには精霊カードのイラストを描く仕事を頼んでいるのだ。そうなるとカンバの絵描き作業のアシスタントする私という逆転現象が発生した。メイドティアラちゃん爆誕!
「師匠は何もしなくていいですヨ?」
「大丈夫、お茶汲みくらい私にもでき……ぬわぁっ!」
「師匠は何もしなくていいですからヨ?」
ふぇ……幼女っさんはお茶汲みバイトすらできない。
カンバは私の前でしゃがみ、頭をなでなでしてくれた。ふぅ……落ち着く……やすらぎ……。
ママと面会できるようになったけど、ママはベッドに寝たきりで本当に具合が悪そうだった。妊娠って詳しくないけどこんな体調崩すものだっけ?
私が心配でおろおろしていると「魔力に当てられただけだから大丈夫ですよ」とママはにこりと笑った。やはり異世界特有の症状なのか。
不安なのは私だけではなくパパも同じのようで、仕事に手が付かなくなっているようだ。庭でぽろんぽろんとギターを弾いていたので、私は甘えることにした。
「パパぁー」
「おおティアラ。どうしたのだい?」
ぎゅー。
私なんかよりパパの方がよほど不安であろう。私にとってママは家族というよりはビジネス的な関係、女上司といった感じであった。私の心の穴はむしろやはり侍女リアがいなくなったことの方が大きい。
私はパパの隣に座って、パパの頭をなでなでした。
「頭をなでなですると落ち着くのです」
「はははっ。ありがとうティアラ」
だけどパパは空元気で浮かない顔のままだ。おかしい。私がカンバに撫でられるとふにゃあとなるのに。やはり精神干渉魔法がないとダメなのか!
お漏らししない程度の魔力を込めてみる。ぐっ。ぐぎゅっ。
するとカンバに身体を掴まれた。カンバはリアほど体格が良くないので、私を抱きかかえてぷらーんとはできないようだ。
「だめですヨ?」
「どうかしたのかい?」
わかってる。わかってるて。大丈夫。大丈夫だって。どうせ私は魔力操作だけで魔法は使えないし。
でもちょっとだけ……。
「だめですヨ?」
「むぐぐ」
精神干渉魔法チャレンジでうっかりパパを廃人にしても困るので、私は諦めて普通のなでなでをした。
数日後。リアは宮殿から去っていった。
私の机の引き出しには、戦争トレーディングカードゲームα版の、私の分のデッキだけが残されている。遊ぶ相手がいなくなっちゃったなぁ。
私はリアに送別の品を用意しようと思ったのだけど「それならばこちらを私にください」と、リアの分の戦争ゲームのデッキを持っていったのだ。お互いそれだけでは遊ぶことはできないのに、「思い出の品ですから」と。
私は思いつきで精霊カードの木片に「ドライヤーの精霊」を描いた。リアがドライヤーを持って風を吹かせているイラストだ。「ドライヤーは風を出す髪を乾かす太陽の国の機械」と説明したら、リアに「私のことをそのドライヤーのように思われていたのですか?」と笑われてしまった。
お、思ってた……。よくよく考えるとめちゃくちゃ失礼な奴である。
リアは最後に「離れてもお嬢様のカード作りを協力いたしますね」と言った。
「ふぅ」
「お嬢様、またなでなでいたしましょうカ?」
「いや、もうちょっとおセンチでいるよ」
「《おセンチ》……物哀しいのニホン語でしょうカ」
はふぅ。
私はカンバの姿を見た。カンバはロアーネほどではないにしろ、ほどよく小さいおっぱいだ。私の周囲のおっぱい係数が大幅に下がってしまった。胸に虚しさを感じる。おっぱいはね、そこに存在するだけで癒やしとなるのだよ。ぺたんこが悪いというわけではない。ぺたんこは機能美であり、巨乳はロマンである。ロマン主義はおっぱいである。
「今生の別れではありませン。また会う機会はありますヨ」
「そうだね。うん。いつかヴァギニア王国に遊びに行こう」
馬車酔いで死にそうだけど。飛行機くれ。
「いえ。兄はヘンシリアン家に仕えておりまスから、クリトリヒの都で会えますヨ」
「あ、そうか!」
なんだそれじゃあお隣の国じゃん。ママの姉のメリイナスおばさんに会いに行ったらリアにも会えるじゃん。
と、いうことは、リアの言った「協力」は文字通り、クリトリヒでのカード生産事業に関わる算段というわけか。そうなるとリアの婚姻は私のためとも言えるだろう。なんて良い子なんだ。ぐじゅっ。
「カンバ、なでなでして」
「かしこまりましタ」
ふぅ。カンバのなでなでによって、リアとの思い出が寂しさではなく楽しさに変わっていく。
精神魔法、癖になるねこれ!
「ぅやっほぉい! 生まれてくるママの子と将来のリアの子のために赤ん坊の玩具を考えようぜぇ!」
「しまった。またやりすぎましタ……」
部屋を駆け回る私を、カンバが追いかけ回す。ロアーネはぐでーとソファで迷惑そうに本を傾け、ぽぽたろうクッションの位置を直した。




