34話:おめでた
なぜ人はベッドが変わると眠れなくなるのだろうか。幼い身体に疲労感と布団がずっしりと重く感じるのに、なぜか頭の中はピカピカと輝いている。いわゆる興奮状態。目をつむって安静にしていれば睡眠時の50%やら80%やらの効果があると言い聞かせて大人しく大の字になる。しかしうーんなんだろう。なんか寝る時の体勢に違和感を感じるんだよなぁ。
気づいた。抱き枕がないからだ!
最近はずっと合法ロリや違法男の娘に挟まれ枕をしていたから、こう、手足のポジショニングの収まりが悪いのだ。うーん。眠れん。
私はソファベッドで横になっている侍女リアを起こさないように、一度ベッドの縁に腰掛けて、ゆっくり飛び降りぽふんと両足で着地した。百点! どやー。
乱れたネグリジェの裾を整えて、ぽてぽてと窓に近づき、そっとカーテンの隙間から外を覗いた。
三階の部屋からのガラスの出窓の向こうに、無数の星の中に、満月の月が、夜空の中に輝いている。
にゃんこはちゃんと森へ帰っただろうか。遠くに見える森は暗い。
もうちょっと外を眺めたいのに背が足りない。んー。前板に手をかけて背伸びをする。
こんなに月がきれいな夜なら、精霊の一つや二つ見つかるかと思ったけれど、窓の外の町の壁の先の高原には見当たらない。
ふむ。精霊信仰の地だからといって精霊がいるとは限らないか。もっとも、私がそれに近い存在だけども。
「窓の風に当たると風邪を引きますよ」
「ひえっ」
いつの間にかリアが起きて背後に立っていた。脅かさないでよもう。
「どうかなされたのですか?」
「んー。眠れないから精霊を探してた」
恥ずかしいから正直に答えようか迷ったけれど、幼女だからいいかと素直に答えた。私は不思議ちゃんキャラなのである。存在自体からして。
「お嬢様って意外と子供っぽいところがありますよね」
「どう見ても幼女なのじゃが?」
つるぺたぷにっぷにぼでーなのじゃが?
「眠れないなら寝付くまでお側にいましょうか?」
「むぅ。そんな子供じゃないし」
頭ぽんぽんされて寝かしつけられるのは、違うサービスに感じてしまうおっさんであった。
子供じゃないと言っているのに、脇の下に手を入れられて後ろから抱き抱え上げられてしまう。ぷらーん。
そして私は見た。私が魔力を放った草原で無数の様々な色の光が瞬いてふらふらを飛んでいるのを。
「リア! せーれー!」
「精霊ではなく精体ですね。魔力が形になったものです。ほら、ふわふわと飛んでいるだけでしょう?」
言われてみればそうかもしれないけど、私にはまるで蛍の輝きのようにも見える。蛍も人からしたら不規則に動いてるだけに見えるが、交尾のために飛び回っているのだし。
ロアーネに言ったら「虫に魂はありませんよ」と言いそうだけど。私の部屋にハエトリグモが現れて外に逃した時に「一寸の虫にも五分の魂」を教えたら、そう言われたのだ。
「きれーだなー」
なんだか光がゆらゆらしているのを眺めていたら、いつの間にか私の意識はこてんと落ちていた。そういうところは相変わらず幼女なのであった。
その後の観光はつつがなく進み、私たちが馬車で街中を回るとまるでパレードのような騒ぎになったり、再び高原に戻って遺跡の崩れた柱に座ってハムを挟んだパンを食べたり、みんなでぽぽたろうとぽぽさぶろうを投げて遊んだりした。
リルフィの見たがっていた野生の角馬とは会えなかったが、尻尾が棘のついた鞭のようになっている大鹿を見つけた。近衛団長から魔法を撃っていいと言われたので、マジックアローでむちむちな大鹿の身体を撃ち抜いた。鞭大鹿は反撃手段を持っているがゆえに警戒心がゆるいのであった。血を流してきゅううと鳴いて鞭尻尾でびたんびたんと地面を叩く様子を見て私の心が痛む。アスフォートの時は明確に「敵」と「恐怖」しか感じていなかった。だが、これは狩りであった。
リアがそっと私の背中を撫でる。
近衛団長の爺さんが鞭尻尾を断ち切り、ナイフによる止めの心臓への一撃はタルト兄様が行った。タルト兄様の手袋が血で赤く染まっていくところで口の中が酸っぱくなってきた。
私は両手の指を合わせ、月の女神に祈りを唱える。
タルト兄様は立ち上がってナイフの血を拭い、「今日は鹿肉だな!」と引きつった笑顔で振り返った。
侍女の背中に隠れていたシリアナはそれを聞いて、「おにくー! ちーずはんばーぐ!」と両手を挙げた。うわようじょつよい。
その日はジビエをむぎゅむぎゅ食べた。
そんなことがありつつ修学旅行のような三日間を過ごし、お世話になった町長さん、フロレンシア家の遠縁の男爵であるらしい、と別れを告げた。
馬車の中で私はじっと目をつむる。今度は酔わない。酔わないぞ! アイマスクが欲しい。乗り物酔いというのは感覚異常である。脳のバグである。そして五感による情報量の八割以上は視覚と言われている。ゆえに、視覚情報を遮断することによって乗り物酔いの発生確率を大幅に下げることができる。「ねてるのー?」とほっぺたを突っつくのはやめなさい幼女!
さらに聴覚も塞ぐと良いのだが。ああ、携帯音楽プレーヤーとイヤホンが欲しい。これも脳の処理情報量を減らすために歌がない演奏が良い。
そうだ。
私はちっちゃなおててでぺちぺちと手拍子をし、「にゃーにゃーにゃー」と適当に歌い出した。
するとシリアナも「にゅーにゅーにゅー」と合わせて歌い出す。
恥ずかしがるリルフィも誘い込み、タルト兄様は最近習っているという小さな横笛を取り出した。
鈴を入れた袋を振ったり、ぽぽたろうとぽぽさぶろうをポムポム叩いたり、ちびっ子演奏会が始まった。
どんちゃかぽむぽむぴーぴーにゃーにゃー。
私は酔って、リルフィの膝枕で寝込んだ。
宮殿に付くと、パパや執事たちが出迎えてくれた。
だけどママの姿は見えない。ママもけっこう引きこもり体質だからなー。
そんな風にのんきに考えていたら、どうやらママは体調を崩したと聞き、私たちは顔を見合わせた。不安になるも、執事は「おめでたい事です」と口にした。体調を崩したのにめでたい?
「アナに妹ができるのーっ!?」
はっ! そういうことか!
ママにお祝いの言葉を言いたかったけど、どうやらしばらく面会ができないようだ。それだけママの体調が悪いからというわけではない。私たちが旅行から帰ってきたばかりだからである。「妊婦は旅の者と会ってはいけない」という教えがあるようだ。手洗いなどの衛生観念はいまいちだったけど、経験則からか感染予防はしっかりしていたようだ。むしろ私が忘れてた。
十日間会ってはいけないということで、その間はママとはお手紙でやり取りをした。対面している普段より会話してるかもしれない。
がきんちょズはその間にママへのプレゼントを用意した。花とか遺跡の石とかドルゴンの絵とか。そして、最初はパパのために作り、今はリルフィが身につけている魔除けをママに贈ることにした。リルフィは一度魔除けに守られているからね。
悪い魔術師に狙われているリルフィが魔除けを身につけるべきだろうと思われたが、捕まえた魔術師の話によると、どうやら狙われたのはリルフィではなく私らしい。
なんだと!?
エイジス教ティックチン派とやらの面倒くさい思想の話は置いといて、オルバスタ侯爵ディアルトの精霊姫が狙いだったという。誰だよ精霊姫。あ、やっぱり私か。
ティックチン派の皇都でのテロは取り押さえられ、テロリストたちは各地へ逃げ出した。そして逃げた先でのオルバスタの都オルビリアから精霊姫なる噂が流れてきた。その噂は精霊信仰を彷彿とさせる内容であった。しかもその精霊姫はその魔力で地震を止めたり、凶悪な魔獣を追い返したりしたそうな。
なんだその精霊姫とか名乗るやつ! 許せねえ! と、ティックチン派は突然キレた。
「めちゃくちゃ迷惑な奴らすぎる……」
「だからダメなんですよキョヌウは。魔術師に権力を与えた結果がこれです!」
ソファで寝そべるロアーネは怒りでぽぽたろうを引っ張った。ぽぽたろうがまたちぎれちゃう!
「カンバの生まれの国ではどうなの?」
メイド画家という謎の職になっているカンバに尋ねてみた。彼女の生家はクリトリヒ帝国の東のヴァギニア王国の公爵家である。それは家の格だけで言ったら、オルバスタ侯爵フロレンシア家と同等であった。
「わたしの国でも隠れ魔術師は問題になってまス。しかしそれよりも今はクリトリヒ帝国への反発が大きいですネ。それと東の勢力にモ」
「どゆこと?」
「ヴァギニア王国はクリトリヒ帝国に併合されたでス」
なるほど。そっちも国同士で面倒なことになってるのね。
「あれ? そういえば今日はカンバがいるのか。リアはどうしたの?」
「今後お嬢様の侍女はわたしに代わりまス」
「え?」
急に?
「彼女はまだ話していなかったのですカ?」
「聞いてないよ?」
「そうですカ」
……?
カンバは教えてくれないのか。リアからあとで直接聞くかー。
「まあ、これからはよろしくカンバ」
「はい。侍女として弟子としてお世話になりまス」
ふふふ。精進したまえよ。
しかしリアがいなくなると私のお漏らしを乾かす係がいないのでは? りあー!? 戻ってきてー!?
いや待てよ。カンバの得意魔法もドライヤー魔法かもしれん。なんたって私のお世話をするんだからな。
「カンバの得意な魔法はなに?」
「はい。精神干渉の魔法でス」
なんかやべえのが来た。




