217話:ノアの方舟
そうかそうか。つまり私はそういう者だったのだ。私の最初の勘は当たっていたのだ。いないと思ってた私の中の幼女。いたんだな、最初から。
「はっ!?」
「あ、ふにゃっとした。元に戻った」
ノノンが私の顔を覗き込み、ほっぺをつんつんしてきた。
目が覚めたのは牢屋の前。私の意識を乗っ取った……いや、私の体の本来の持ち主の人格は上層へ戻ってきたようだ。
「何があった?」
私は私の体をぺたぺたと検分していたノノンをべりべりと引き剥がしてぽいっちょし、教皇テアに尋ねた。
「特になにも。唐突に『おうちかえう』と言い、ここまで戻ってきたところですが……」
ううむ。私の中の幼女は何かあって意識が切り替わったわけではなかったようだ。もしかしたら魔黒炭まみれの中に、私には知覚できない何かがあったのかもしれない。ノノンみたいに魔力を臭いで感じ、嫌になったのかも。待てよ、ノノンが帰りたかっただけなんじゃないか?
「それもある」
あるのか。漆黒ドレスのノノンはパタパタとスカートの埃を叩きながら自白した。
まあいいや。あの先も何もないみたいだし。魔黒炭まみれじゃウニの木の実も反応しない。他のダンジョンみたいに魔法結晶がドコドコ生えてたなら自ら埋まりに行くが、バッグの中でうんともすんともしなかった。臭いからね。
しかしそれにしてもアナンニのダンジョンはつまらなかったな。なるほど盗掘されたダンジョンはこうなるということか。ダンジョン探索なんてつまらないと言われた通りだ。適切に管理されなかった古いダンジョンは大方全てこうなっているのだろう。
帰ろう。
砦のようなホテルの扉を開けて外に出ると、戦争が起こっていた。街が燃えている。狼人と、神官と、マフィアが殺し合い、竜が空から炎を噴いていた。
「こ、これが女神の求めた世界の姿…」
教皇テアは震える両手の指先を合わせた。エイジス教の祈りだ。しかし震える指は左右の手で重なり合わず、ずれてしまっていた。
「女神はこの惨状を観ている」
私は教皇テアの震える肩をそっと抱いた。私の方が身長が低いので様にならない。
教皇テアは濡れた瞳で私を見つめ、静かに頷いた。
で、正直なとこ、どう思ってるの? 私は脳内で女神ボックスをコンコンとノックした。隙間からにゅるんと銀髪赤眼ぷにぷに女神が生えた。
「(もっと強い戦士がほしいのじゃ。あのドラゴンはいい線いっているがの)」
ふうむ。女神の本音が聞き出せてしまった。なるほど戦いを求めるタイプの神か。確かに神話ではたいてい神様は戦いまくっている。いかにも戦闘能力のないぷにぷに幼女もその例外ではないということなのだろう。
つまりこの争いを止めたら最強ってわけだな。よし。じょばあ。私は放尿した。そしたら嵐が来た。雷雲がライトニングして鳴り響き、竜化した空飛ぶ竜姫リズに直撃し地上に落とした。ダウンバーストの猛烈な風が吹き、私の着ている粗末な白い服が完全にめくりあがった。ぷにぷにのつるつるがあらわになった部分にちょうどよく飛んできた葉っぱがお股に貼り付いた。危ないところだった。そして海をひっくり返したような豪雨が街を襲う。
わ、わちにここまでの力が……。今の脳内独り言は女神の言葉ではない。私の心の中ののじゃロリだ。くそ、こんな状況なのに、私はたった今、この心の中ののじゃロリの正体に気づいてしまった。これこそが女神のいうバックアップの源。私たちぷにぷにシリーズは女神の因子を持っている。預言者エイジスが言うには女神はこの世界を鑑賞している。どうやって? そう。私たちの存在こそが端末なのだ。だからこそバックドアも仕込める。
私が世界の真実にまた一つ気づいて愕然とする中、隣を見たら教皇テアが泡を吹いていた。ぶくぶくぶく。まるでカニである。そして輝く泡の膜に全身が包まれていた。なるほど。この嵐は私のせいじゃなかった。やりすぎて責任問題になるかと思ったが、教皇がやったならしょうがないよね。
ざぶんこ。
争っていた者たちは波に流されていった。ついでにノノンもさらわれていった。ノノンが手を伸ばし、私の足首を掴む。ちょま。私も一緒に流された。
津波に流された者はどうなる? 死ぬ。もうだめぽ。髪の毛で有線接続したノノンが私に話しかけてくる。「津波じゃないからだいじょぶ」と。そうだこれは津波じゃない。ただの集中豪雨だ。そしてその原因の一端は私の魔力だ。私の体が教皇テアから離れた瞬間、おぞましい嵐は止んだ。
ざばあん。嵐で溜まった水は急激に消滅していき、私とノノンはゴロゴロと転がり、人間に戻った竜姫リズにぷにんとぶつかって止まった。美少女サンドイン美少女。もう一人ぷにぷにが重なったら消滅する。
「全部水に流して解決ってね」
「なにそれ」
「チキューの神話の話」
ノアの方舟もだいたいこんな感じだったはず。しらんけど。
「チキュー……チキューのことを知ってるの?」
リズの爬虫類眼と、ノノンのジト目黒目が私を見つめる。あっやべ。転生者バレした。まさかこんなことで。
ノノンは一瞬で晴れた空を見上げた。
「ノノンもチキューの話知ってる」
そうか。やはりお前もだったか。転生者は一人じゃない。これはお約束だ。いるならば最も私に似ている存在、ノノンお前だと思っていた。
「島の実験場。人工ダンジョン。ゲエムの世界」
あれ? 俺の知ってる地球の世界と違うな? まさかこいつ不思議ちゃんキャラで話を合わせて来ただけか!? くそっ。オンリーワンじゃない覚悟を決めたのに梯子を外された。
リズ、お前は?
「え? 神の世界の記憶あるってマジやばない? マジ神?」
竜姫リズは私とノノンに拝んだ。ノノンはふふんとぺたんこの胸を張った。
うーん、こいつははぐらかしてるよな、ただ子ども相手に話を合わせてるだけのような。待てよ。私もノノンと同列扱いされてる?
「わちは本当に記憶あるんですけお!」
「……頭は大丈夫?」
可哀そうな子を見る目で頭撫でるのやめろ! 私は竜姫リズをべりべりと引き剥がし、ぽいっちょした。
ノノンはふうやれやれと肩をすくめた。
「エイジス様もチキューの記憶があった。にゅにゅ。貴女がエイジス様ではないのなら、別の、特別な存在ということ」
えっ。つまりイレギュラーってやつじゃん。待って。私そういうの好き。なんとなくそんな気はしていた。私はふふんと胸を張った。
教皇テアがスカートを両手でちょいと持ち上げながら駆けてきた。
「みなさぁん! ご無事ですかぁ! はわーっ!」
教皇テアは濡れた地面に足を滑らせ、竜姫リズを巻き込みながらゴロゴロ転がり、私とノノンに衝突した。ずるずっぺんどぼん。ぷにぷにが四人重なったが消滅しなかった。よかった一人色違いで。ノノンが漆黒幼女ではなく銀髪幼女だったら危うかった。
衝突した衝撃で私のポシェットの金具がぽぴんと外れ、世界樹の木の実がコロコロ地面を転がった。私は拾い上げようしたが、地面に齧りついていた。どうやらここがお気に召したらしい。
「虹がきれいね」
竜姫リズが空を見上げた。雨上がりの空に虹がかかり、街一面がキラキラと虹色に輝いていた。これ虹じゃなくて私の魔力だこれ。雨水が消散して辺りが魔力に満ちている。盲目の教皇テアも両手を広げて、「わぁ」とぱぁぁぁとした笑顔を見せた。




