214話:アナニー事件
全ての道はロータに通ず。そしてその道は太古に作られた石畳の道であり、私達を乗せたその上を進むのは馬車。ただの石畳と思うなかれ。地中深くまで土魔法で掘られており、中は砂利とセメントで固められ、表層の石は板ではなく四角い岩だ。悪路でもなく、クッションが悪いわけでもない。しかし私はとことん馬車という乗り物と相性が悪いようだ。私は座席でうつ伏せになり、竜姫リズの太ももに顔を突っ込んで、頭をよちよちと撫でられていた。
乗り物酔いとは、情報処理過多による脳の混乱である。そして人間の脳情報処理の7割は視覚情報である。つまり視界を塞ぐだけで乗り物酔いの7割は軽減される。そう簡単な話ではない。一度パニックを起こした会場で、人の出入りの7割を遮断したところでパニックが収まらないのは必然であり、結局のところパニックを静めなければ無意味なのだ。そのため、私は竜姫リズの内ももに顔を突っ込んでスーハーしている。
「なぜこうにも差が」
ノノンはそう言い残し、私と同じように死んでいる。認めたくないがやはり私と同類のようだ。しかし竜姫リズと、教皇テアは平気そうにしている。一体何が違うというのか。
私とノノンは竜姫リズの太ももの奪い合いを始めた。わちゃわちゃ。すぐに髪の毛が絡まり合う。もう手遅れだ。このまま私たちは一つの塊となり、太ももに沈むであろう。そしてそれはいずれダンジョンと化す。
その混沌の中。ぽつりと教皇アンシェンテアは言った。
「アナニー事件をご存知でしょう」
朦朧としていた私はハンマーで殴られたかのように覚醒した。そして混乱した。なんか変なこと言い出したぞこの教皇……。
なぜ急にそんなことを口にしたのかは知らないが……私は知っている。アナニー事件。その悲しい出来事はネットを騒がせた。とある男が暴漢二人からケツに瓶を突っ込まれ、そのことがきっかけで民族間対立から紛争となった事件だ。しかしその男はとある疑いを持たれてしまう……。「自分でケツに瓶を突っ込んで遊んでて事故ったんじゃね?」と……。自演かどうか……結局判決がつかないままだ。だが多くの心無い人は今でもこう言うのだ……「瓶の太い方は拡張上級者しか入らんやろ」と。
「歴史に残すべきではない悲しい事件だ」
「その通りです」
「しかしなぜその話を?」
「……その事件の場所こそが、行き先だからです」
なんということだ。そんなことも起きたら世界樹さんもダンジョン化するわ。
お馬さんを休み休みに進む山道の行程は、明朝出発だったのに付く頃には日が暮れたらしい。らしいというのは、途中で私たちは馬車酔いで脱落したからだ。私とノノンの二人分の頭の重さでリズ竜姫の太ももも途中で限界を迎えた。ゆえに、リズ竜姫に竜化してもらい、私たち四人は先に町に飛んでいったのであった。
もちろんめちゃくちゃ騒ぎになった。騒ぎを落ち着かせる教皇テアの横で私とノノンは硬い地面で仲良く死にながら空を眺めた。馬車酔いからのドラゴン酔いのコンボは小一時間では直らず、結局息を吹き返したのは、遅れて馬車が着いたのと同じような時刻となった。
なんとか町を落ち着かせた教皇ちゃんが、私たちの前で屈み、手を伸ばした。その手には水の入ったコップが二つ握られている。私はそれを受け取り、ごくりと飲み干した。ノノンも両手でコップを掴み、「んっんっ」と水を飲んだ。
「ふう。スリリングな旅になりましたね」
全くだ。危うく口から漏れてはいけないものは漏れかねないレベルの酔いであった。
よっこらしょいと私とノノンは立ち上がった。森の中の古ぼけて汚れた煉瓦造りの町。なんとなく雰囲気や空気感がド発展する前の故郷のオルバスタに似ている。
私たち一行はホテルへ向かった。お城のようなホテルだ。それは言い過ぎか……せいぜい砦……。それでも教皇が遊びに来るっていうことで急ぎの割りの精一杯の接待に感じる。
「大人しくしろ」
私たちははしゃぎすぎたのかいきなり叱られてしまった。しょぼん。仕方ないよね、幼女ズだもの。
そう思っていたら、あれよあれよと言う間に私とノノンとリズは地下室へ先導されて、牢屋にぽいっちょと放り投げられた。
「また捕まった」
「うけるー」
ノノンとリズは呑気に二つのベッドそれぞれに座ってくつろいだ。おいベッド足りてねえぞ。待遇悪いぞ。
「どうにゅうつもりにゅ?」
私が魔法語で聞くと、眼の前の男がぺらぺーらと語りだす。まいったな。ほとんどわからん。ロータ語は古語に近いのだが、さらに訛りを強くした感じだ。聞き取れた部分を要約すると、「精霊信仰許すまじ」といった感じだった。なるほど、そういう反応が普通か。ならばやはり……。かわいい顔してハメやがったな、あのぷにぷに教皇め。今頃美味い飯でも食ってるんだろう。
「お腹すいた」
「ね。どこに食べに行く?」
リズの問いに答えた。お肉だな。お肉は裏切らない。そうと決まればお茶の出ない牢屋ホテルなんかに用はない。さっさと脱獄しよう。しかし真っ先に脱獄するはずのノノンがベッドにぽてふと横になっていた。
「だめ。ここノノンの魔法使えない」
なんやと? そんな制限聞いてねえぞ。つまりあれか。
「私たちは捕まった、と……」
「最初からそう言ってる」
「まあ出るだけなら簡単に出られるケド~」
リズは拳でこんこんと鉄の牢を叩いた。
「ひとまず教皇の出方を待ってもいいんじゃない?」
なるほど。私たちの様子を見にのこのこと姿を現したところにガシャンね。いいね。好きよそういうの。
「それにしても準備がいいわよね」
「ここ。きっとアナニー事件の牢」
ノノンまで変なこと言い出した。やめてよアナニー言うの。
「アナンニだけど」
ああ。アナンニね。知ってる。知ってた。あれね。有名ね。私は知ったかした。
で、その牢だから闇魔法が使えない、と?
「ん。凄く臭い」
臭いの問題なのか。しかし数々の経験を経た私はピンと来た。魔力を通さない公害物質、魔黒炭か。そうとなると厄介だな。私も本気で漏らさないと魔力を通すことができない。
待てよ。リズは簡単に脱出できると言っていたが、魔力阻害で竜化ができなかったら難しいんじゃないか?
ノノンも同じように思ったようで。
「リズ。竜化むりでしょ」
「できるけど」
できるんかい。
リズは私の下腹部をつんつんした。ひゃあん。
「ここにストックしてるから」
「あ、なる」
勝手に二人で納得しないでおくんなまし。なんかちょくちょくセクハラされると思ったら、私のお腹穢されちゃってた。リズとノノンは私のお腹をつんつんしながら「そういうこともあるよね」「どんまい」と言ってきた。あるあ……ねーよ。
その時、私のお腹はむずっとした。これは予兆であった。
どたどたと先ほどの男が慌てた様子で現れた。なんやなんや。異常な様子だ。目が血走っている。
そして男は懐から拳銃を取り出し、私へ向けた。
いやいや拳銃って。魔力を著しく阻害する魔黒炭の影響下の中では爆発の魔法は使えない。この世界の一般的な拳銃は、爆発の魔法で弾を射出する筒だ。使えるわけ――
バゴォン。地下牢に爆発音がリバーブする。
か……火薬式……。魔法使い殺し……。それはエイジス教で禁忌とされた武器だ。
私は衝撃で床にひっくり返った。生暖かいモノが体から流れ、溢れ、床に広がる……。




