202話:婚約者
人の役目ってなんだろう。私はメイドさんたちに囲まれて、朝の身支度をされながらぼーっと考える。
いま私の周りにいるメイドさんは、私の世話をしている。それが役目。
タルト兄様はオルバスタ領地の仕事をしている。それが役目。
私の隣でメイドさんにメイド服に着せ替えられているリズ竜姫は、私を竜王国へ連れて帰るためにいる。それが役目。
私は何もしていない。ぐうたらである。旅行から帰ってきて疲れたからって言い訳はできないくらいに時は過ぎた。庭の葉っぱもすでに黄色くなっている。
「なんとかしないといけない気がする」
しかし何もやる気が起きない。戦争カードゲームはもはや私が監修しなくても平気なくらいに事業は拡大し、私は不労所得でがっぽがっぽである。私のお金はママンが管理しているので、もはやどうなっているのかわからない。その金は勝手にオルビリアの街の発展に使われている。その投資でさらに儲かる。もはやフロレンシア家(オルバスタ侯爵家)は田舎の貧乏貴族ではなくなった。
私は自分の資産は把握できていないが、求めるものがあれば、可能なものならなんでも手に入った。
「おおー……」
私は注文して届いたヤフニーズ・カタナを目の前にして感嘆した。私は別に日本刀に一切興味はなかったが、なんとなく日本的で、こっちにはなく、価値が下がらない、実用的な美術品が欲しくなったのだ。それがようやく届いた。
私が日本刀を手に取ると、ソルティアちゃんは「危ないですよー」とおろおろした。
「ん……んにっ!」
引きずるようなサイズ差の日本刀を腰に構え、鞘から引き抜こうとする。しかし抜けない。
浅い知識で確か、チンッとしてから、腰を使ってぎゅむっと抜くはず。ふぬっ!
ふう……。
まあいっか。使うこともないし。
私は諦めて刀を戻すと、隣の竜姫が代わりに手に取った。そして私と同じようにふぬっとした。
私と竜姫は顔を見合わせ、こくりとうなずいた。
無理。
しかし本題はそれではない。お手紙の方だ。手紙はタルト兄様が検閲中なので報告待ちだ。
そしてがちゃりと部屋にタルトが入ってきた。えっち! 乙女の部屋よ!
「今すぐは無理だとよ。残念だったな」
先に言うなよー。
タルトは何枚もある手紙をぱさりと私に渡した。なるほど。これは読むのはしんどい。
「いつならいいの?」
「国がごたごたしてるから、落ち着いてからにしてくれだってよ」
そう、私が出した要望はヤフン国への渡航だ。
ほら、やっぱこの世界の日本を見てみたいじゃん? ほとんど同じかもしれないけどさ。
紅茶ずずーっとな。
「ふーん。ごたごたってなにさ」
「戦争だ」
ごふっ。思わず吹き出して手紙が紅茶まみれになった。
「ドウテア帝国と北の領土を巡ってどうたら」
一緒に聞いていた竜姫が背中からにゅっと顔を出した。
「ヤフンが海戦で大勝利したって聞いた」
「なんで知ってるの?」
「竜王国はヤフンとも仲良しになったから」
へー。
ああそうか。世界樹を失った竜王国は他国に繋がりを求めまくってるのか。
「それなら竜姫に乗っていけるね」
「航続距離的に私死ぬけど」
「大丈夫。背中から魔力供給するから。実績あるから」
「精神も肉体も死ぬけど」
だめ? だめかあ。
ぐでーっとソファで伸びたところで、部屋に駆け込む少女の音が聴こえてきた。これは妹シリアナだ。「なになにー!? なんの話ー!?」と私とタルトの間できょろきょろしている。
妹シリアナは元気になったようだが、これでも元には戻っていない。過激な暴走行為をしなくなって大人しくなったのだ。事実大人びたとも言える。急に身長が伸びて、もうほとんどタルトと変わりがない。もはやちびっ子なのは私とリルフィだけだ。
「旅行の話」
「旅行! アナも行く! ララったらいつも私を置いて行くんだもん!」
置いて行くっていうか、その予定が元々ないし。
「ああ、旅行といえば、二人は首都リンディロンの方へ行くことになるぞ」
「なぬ?」
初耳だぞ。シリアナは驚いていないので既知のようだが。
「タルトー。それ旅行じゃないもん」
「夜会に行くんだから旅行みたいなもんだろ」
夜会? なるほど。シリアナの社交デビューってことか。
見かけだけでなく、知らないうちに名実ともに大人になっていくんだなあ。
「ふうん。もうシリアナも婚約者探しを始めるのか」
お姉ちゃんを置いて先に彼氏を見つけるとか、認めませんよ! お姉ちゃんにはリルフィがいるけど!
「シリアナの婚約者はもう決まっている。夜会は彼に会いに行くためだ」
なんだって!? どこの馬の骨だ! シリアナはまだ12歳。お姉ちゃんは認めませんよ!
「知らない男に妹は渡さない!」
私は妹シリアナに抱きついた。そしてタルトに指を突きつける。そしたらタルトは呆れ顔をした。
「知らない男じゃないぞ。お前の元婚約者だ」
「は?」
「お前が婚約を蹴ったからシリアナに話が回った」
「はああああ!?」
あいつ! ナス! いけ好か! ロリコン!
「ねーねーララー。私の旦那様になる人ってどんな人ー? 知ってるんでしょー?」
性格悪いいけ好かない野郎! とは、目を輝かせる乙女な妹に言えなかった。
「氷魔法が凄い」
「それでー?」
「まあまあかっこいい。ヒゲはないけど」
「つるつるなの? 変なのー」
「軍人だからかなんか厳しい」
「怖い人いやー」
「まあでも話せば結構優しいかも」
「へーお話してみたいなー」
あれ? もしかしていけ好かナスナスって結構優良物件だったのか? 確か地位も高かったよな。
うーん。ダメだ、つい最近まで皇帝になった男といたから感覚が狂う。いや、もしシリアナの婚約者がシュランドだったら間違いなく殺しにいくけど。国ごと蒸発させるけど。
「で、夜会はいつなの」
「年明けの予定だが……」
タルトはメイドからそして執事に渡った新たな手紙を受け取り、その場で即座に封蝋を切って開いた。
そしてそれに目を落とす。
「どうやら冬前に急ぎで行うようだ。間に合うか?」
「ええ、なにそれ。本当に急過ぎるじゃん。どうしたんだよ」
「精霊姫が帰ってきたと連絡したら、そうなった」
なんだ。私のせいだったか。
「なに? 私なんかした?」
「ああ。オルビリアに竜が現れたりしたな」
なんだ。竜姫のせいだったか。
ソファの私の隣の竜姫にシリアナは近づき、そして抱きついた。竜姫は興奮した。
「ねーねー! それリズに乗っていっていい!?」
「騒ぎを大きくしようとするな」
じゃあ私は翼ライオンに乗っていくか。
「いいんじゃない?」
竜姫はにやりと口元を歪ませて笑った。あ、悪い顔。
やれやれ。なんだか急に忙しくなってきたな。嘘ごめん。多分私は当日までぐうたらしているだろう。忙しくなるのは周りの人間だ。私やシリアナの侍女がそれを聞いて、急いでメイドにあれこれ指示を出している。夜会へ参加するドレスの手配やらなにやら、おそらく多くの人が眠れない日々を過ごすことになるだろう。
様々な指示の声が縦横無尽する中で、私はぼんやりと「エナジードリンク開発したらすげー売れそう」などと考えていた。
――そして。(余談)
エナジードリンクと言ったらそう、覚醒作用のあるカフェインである。カフェインと言ったらコーヒー。カフェイン抽出なんてできないので、コーヒーをベースに考える。
そしてエナジードリンクと言ったら炭酸……。
「炭酸コーヒー……」
ごくり……。幾多ものメーカーが幾度となく挑戦して死屍累々となったおぞましき存在。なぜ人はコーヒーに炭酸を入れることを諦めないのか。
そういうわけで、私はコーヒーに炭酸を入れるような無謀なことはしない。
「とりあえずコーヒーを煎れよう」
インスタントなど無いから、メイドさんが豆を砕いて粉にする。そして布で濾し取るのが近世文化レベル流。しかしこの世界ではすでに私がペーパーフィルターを開発してるのだ。じゃーん。開発というか前世からのパクリだが。だがメイドさんは布で煎れることにこだわったので広まらなかった。
「そしてエナジードリンクと言ったら糖質」
液体に溶けた砂糖は即効性のあるエネルギーとなる。即効性がありすぎて血糖値を急上昇させる。そこから運動するなら良いが、動かなければ身体に負担をかけ、デブるだけである。だからエナジードリンクは身体に悪い。
私はブラックコーヒーでもいいのだが、今回はエナジードリンクっぽく甘味を入れる。しかもその甘味は蜂蜜だ。蜂蜜はすごく健康に良さそうなイメージがあるが、ほぼ糖分の塊だ。健康にいいわけない。だがそれこそがエナジーなドリンク!
どぽぽ。コーヒーに黒蜂蜜をまぜまぜ。
あとはアルギニンなどのアミノ酸成分だが、そんなものはわからん。
なんとなくシナモンスティックを入れよう。どぽん。ちなみに皮付きのシナモンはコーヒーなんか目じゃないくらい恐ろしい勢いで歯を茶色くするので気をつけようね! 地獄を見るよ!
あとはそうだ。チョコレート。チョコラトルも太古のエナジードリンクである。どぽん。
うお……黒に黒で焦げ茶に茶色を足した飲み物になった……。
うんうん唸りながら暗黒ドリンクを作っていると、竜姫が怪訝そうな顔で覗いてきた。
「なにしてんの」
「すごく不健康で身体に悪い、元気が出る飲み物を考えてた」
「なるほど。エッチな薬ね」
いや違うけど……。いや方向性的にそうなるけど……。ガラナエキスやマカはさすがにない。
どろっとした暗黒ドリンクを試飲をしてみると、ふむ。甘すぎる。せめてチョコは砂糖入ってないカカオマスじゃないとダメかもしれん。
この甘さを爽やかさでごまかすアイデアをなんとか……。
「は! 炭酸!?」
天才かもしれん。
私は暗黒ドリンクを氷で満たしたカップに入れて、炭酸を注いだ。
「炭酸コーヒーじゃねえか!」
私は泣いた。私は自分自身の愚かさに腹が立った。私は思った。この悔しさを誰かと共有したい。
私はタルトに暗黒ドリンク炭酸割りを飲ませることにした。
「タルト。これあげる」
「なんだこれは。毒か?」
妹からの差し入れで、いきなり毒を疑うな。
「アン・コークでございます。巷で話題の健康に悪く元気が出る飲み物でございます」
私は口からでまかせで雑なネーミングをした。
「なるほど。人体実験になれというわけだな?」
タルトは覚悟を決めた顔をした。
「いや、そんな構えるほど変なものは入ってないよ……。私も飲んだし」
「飲みきらず俺に寄こすということは、不味かったんだな」
ギクリ。なんでこんなに私の言動が読めるんだ。こいつ私のこと好きすぎだろ。
しかしなんだかんだで飲むタルトである。
タルトはアン・コークを一口飲んで、テーブルにカップを置いた。
「どう? 不味いでしょ?」
「そうか? 俺は悪くないと思う」
「まじで?」
まじで?
タルトは二口目を飲んでも平然としていた。
ま……まあ、気に入ったならいいや……。全部あげるよ……。
――そして。なぜか巷でアン・コークが流行った。