201話:兄様の治療
夏の暑さは和らぎ、今年は急に冷え込んできた。それと共に今の私は生きる気力を失ってしまった。いいやわかっている。これはいつも通りだらけているだけだ。
私は特別だと自覚していた。だってこんなに愛くるしい姿なんだもの。そして才能に溢れている。やる気があれば何だってなれる。しかしやる気がなかった。環境が恵まれすぎていたのだ。私はお姫様で、周りの人たちはどうしようもなく甘えさせてくる。人が成長するには試練が必要なのだ。しかしだからといって、それに気が付いたからと言って、自ら過酷な環境に飛び込む人間はいるか? 稀にいる。だが私はそっち側の人間ではなかった。人は心が満たされないからこそ、力を渇望して、努力をする。
そう。その一人が私のすぐ側にいる。タルト兄様がそれだ。
「何してるんだ?」
「なにもしてなーい」
私はタルト兄様の執務室のソファでなんとなくぐだーっとしていた。ついでに竜姫もぐだーっとしている。竜姫の生態は私と瓜二つであった。姿もそっくりなのでまるで双子と言われている。
女神から直々に、私たちは女神の魂の一部が入ってる天使と言われたので、ある意味双子みたいなものである。多分その辺りから察するに、ぷにぷに幼女女神は同じくぐーたらなのだろう。
「俺としてはそのまま何もしないでいてくれた方が助かる」
「タルトは何してんの?」
「仕事だ」
タルトはますますムキムキになった。そして仕事もできる男だ。さすがパパンの血を引く長男。よ! 私の分まで働いてくれ~。
「まあな。その点役割分担だと思ってる。俺は魔法が使えないからな」
「私も魔法は使えないけど」
「何を言っている。あちこちでめちゃくちゃやってるくせに」
私は魔力を放出しているだけで、やはり魔力を別の事象に変換できない。おそらく前世のおっさんの知識が邪魔をしているのだろう。例えば炎はガス化した炭素と酸素の酸化反応だ。しかし魔法の炎は魔力が燃えている。意味わからん。いや、まだ炎はわかる。電撃も。風も。冷気も。水とか土とか物質化するのは意味わからん。
妹シリアナが言うには「小麦粉でケーキ作るような感じ」と言っていた。わかる? その感覚。
要するに、「水はH2O」とか考えても魔力は水にならないのだ。おしっこは出るのに。
「ねえねえリズ。なんで最初にタルトのことを臭いって言ったの?」
「んー? だって魔法器官腐ってるし」
「へータルト腐ってるんだって。うけるー」
私たちの軽口にタルトはペンを止めて「いい加減にしないと怒るぞ」と脅してきた。きゃっきゃ。残念だが魔法は筋肉を凌駕する。私は髪の毛をうねうねさせて威嚇した。
「なんで治さないの?」
「え?」
「え?」
私とタルトはぽかんとした。
「な、治るものなのか?」
「タルト魔法使えるようになるの!?」
仕事できて筋肉ムキムキで魔法も使えたら三拍子揃っちゃうじゃない! ダメよそんなの! ダメダメ! 許しません!
「少なくとも治そうとした形跡はないみたい」
「そもそも治るというのが初耳」
「失敗したら死んじゃうし。まあ一割くらい?」
死亡率10%の手術……結構危険だな。だとしたらタルト兄様に魔法器官手術するという話が上がらなくても不思議ではない。魔法が使えなくても優秀なのだから。
かつてリーダーというものは力が求められた。それがこの世界では魔法の力だ。魔法の力で人々を導き、魔物の脅威を排除していた。しかしそんな時代は終わりつつある。……いや、それで世界樹の維持ができなくなって困ったのが隣国であったか。
「一割……しかしそれで俺も魔法が……」
「成功率一割だけど」
そっちかよ! 九割死ぬのかよ!
「そりゃあ分が悪い」
さすがのタルト兄様も即座に諦めた。そりゃあねえ。
「だけど改善の治療はできる」
「なに!?」
タルト兄様は再び前のめる。ふむ。竜姫め。タルトの反応で遊んでるな?
「そうね。トイレの水を自分で流せるくらいはできるんじゃないかしら」
「ぜひとも頼む」
貴族の水洗トイレは魔導具式だ。魔力を流して水が流れる。水洗トイレを備えられるような家は権力や金持ちだけだったから今までこれで問題なかった。
しかしタルトは魔素を吸収できない体質なので、魔力の放出もできない。つまり、トイレを流すにはメイドさんにやってもらうしかなかったのだ。
「じゃあ横になって」
「今ここでやるのか?」
「気が変わったらめんどい」
ここでの気はタルトではなく竜姫自身のことである。先送りにしたら延々と先延ばしするタイプなのだろう。
タルトは素直に「わかった」と言い、書類仕事を止めて向かいのソファに横になる。
竜姫はタルトの胸に指先を這わせた。いやらしい。
「遺伝的な要素に環境的な原因。三つ以上あるわね」
「そんなに」
魔素を全く取り込めない体質はまず見られないものであった。そりゃあ要因は複数になるか。
「家族に魔法器官不全の症状は?」
「ああ。母が魔力の放出が苦手だ」
ママンはタルトと違って魔素の吸収や魔力変換はできる。しかし魔力を体内に溜め込んでしまう体質だ。私に近づかなかったのもそのせいだし、弟アルテイルくんとずっと離れで暮らしてるのも。
「幼い頃に一人で魔法を使おうとしたことは?」
「……ある」
「よくあるのよね。それで歪んじゃう子」
そういえば昔に、幼い頃からの魔法修行はしないと言われたな。魔法器官も体内組織の一部なのだから、成長前に無茶をすると良くないということか。幼い頃に筋肉付け過ぎると身長が伸びないとも聞くし。
「そして強い魔力を浴び続けた」
「それは記憶にない」
「この地下、何かない?」
あ、ダンジョン! オリビリア宮殿の地下にはダンジョンがある。ということは昔はここに世界樹が生えていたということか。
「他にも、髪の毛がキラキラしてる幼女が近くにいたとか」
竜姫とタルトが私を見た。そんなに見つめるなよ。照れる。
「強い魔力を浴び続けたゆえの防衛反応。もうらめえ、これ以上はこわれちゃうよお、と機能を止める」
わざわざなんだかエロっぽく言うな。
「だが同じように育った妹は使えるぞ」
「それは才能の差」
竜姫はばっさりと切った。並の人間なら心が死ぬぞ。
タルトは並じゃないので「それなら仕方ない」と納得した。強い。
「あと臭い原因は毒ね」
「毒!?」
毒!?
「魔法使い殺しの毒。原料は魔黒炭など色々。少しずつ飲まされていた」
「タルトだけ? 思い当たる節がある?」
「え、ああ、そうだな……」
遊ぶ時以外は一緒じゃない時も多かったしなあ。遊ぶ時……?
「あれは? タルトって庭師の爺さんと仲良かった頃なかったっけ」
「ああ……そういえば庭で取れた薬草茶とか試飲してたな……」
私がまだここに来たばかりの時の、ろくに喋れなかった頃の話だ。
確か私が口を挟んで罪に問わないようにした……あの野郎ッ! いや落ち着け、犯人と決まったわけじゃない。でもあいつ、「長男よりも姫が統治者になるべき」とか言ってたよなあ。臭いなあ。
「いやあの人は違う。一緒に同じものを飲んでいたからな。それよりも俺に付いていた魔法師範の方が怪しい。魔法はいつか使えるようになるの一点張りだった」
なるほど。その手の者こそが詳しいのも道理か。
ちなみに今は庭師は引退してるし、魔法指南役もすでに解任され、二人とも宮殿から姿を見かけなくなった。
「犯人探しはともかく、これはむずかしい」
「治せないってこと?」
「治せないとは言ってない。むずかしい」
「どのくらい?」
「夜にトイレに一人で行くくらい」
ぷるり。私は想像してお股がぷるぷるした。
タルトも顔を青くした。
「それは、むずかしいな」
トイレに一人で行くのはむずかしい。だって私たち、お坊ちゃまとお姫様だもの。
「片手で知恵の輪を解くくらいむずかしい」
「あ、それなら私できる」
「髪の毛使うのはズルよ」
「片手って条件だもん。髪の毛使っちゃダメとは言ってないー」
わいのわいのしてたらタルトに「くだらないことで喧嘩するな」と叱られてしまった。ごもっともである。
「とにかくこれはお手上げ」
「竜姫でも無理ってこと?」
「無理ではない」
「でも今お手上げって」
「できないことはない」
「じゃあできるの?」
「やだ。めんどい」
ああそうだった。こいつは自国の世界樹を「めんどい」から魔力を注ぎ込まない性格破綻者であった。タルト兄様の治療も気まぐれだ。それがすぐにできないものとわかると投げるだろう。私もその気持ちはわかる。だって私も竜王国の世界樹を治しに行くの「めんどい」と思って行かなかったもん。
私と竜姫は顔を見合わせた。ねーっ。
「おいおい。じゃあ俺の魔法は?」
「仕事できるんだからいいじゃん」
「ムキムキなんだからいいじゃん」
私と竜姫は両手を取り合い、きゃっきゃきゃっきゃと回転を始める。竜姫は幼女ダンスの使い手であった。
「くそう。治療するにもとんでもなく厄介ということがわかっただけか」
タルトは起き上がって、ダンベルを手に取った。私があげた物よりも重りが大きくなっている。
「しかしこれで踏ん切りが付く。まだ俺は魔法に未練があったとはな」
「そりゃあ仕方ないよ」
「いや。魔法が使えない者のために魔術なんてものもあるんだ。誘惑に負けてそっちに堕ちたくはない」
聖女ロアーネが良かれと思って広めたものも、今は悪魔の技術のような扱いか。私も機密な技術漏洩には気をつけよう。絶対に漏らさない! 漏らさないぞ!
「ところで、ララ宛ての手紙が来ているが、これはなんだ?」
「なんで開いてるの?」
「検閲した」
「えっち」
乙女の手紙を覗き見るだなんて。ぷんすこ!
「隣の国がババ・ブリッシュ法の実験のデータを求めているぞ」
いっけねー! もう漏らした後だった! 後はいい感じに頼んだ!
ぴゅうん。私は竜姫を連れてタルトの仕事部屋から逃げ出した。