195話:竜人
鳥だ。いやワイバーンだ。錆色飛竜ではない。小さい。ドレイクか?
それが空から宮殿に近づいてくる。
近づいてきてわかった。あれは人だ。竜であって人。竜人の翼が赤い魔力の軌跡を残しながら滑空してくる。
宮殿の庭にいる私たちの前に着陸しようとしていた。
「危ない!」
私とトカータは髪を抑えながら慌てて二歩三歩下がる。
両手と翼を横に広げてかっこよく着地した竜人は、私が庭に掘っていた落とし穴にずぼっとはまった。中にはトカータの水魔法を入れて泥が詰まっている。安全性を考慮した結果だ。
しかし粘土が高い泥が多すぎたようだ。腰まで落とし穴にはまった竜人は手と翼を丁の字にしたまま動かない。
「は、はうあーゆー?」
私は竜王国語もどきで話しかけてみた。つまり英語である。
竜人は翼を赤く輝かせ、羽ばたいた。ぶわりと土埃が巻き上がる。しかし身体は動かない。ふむ。どうやら泥ががっちりと身体を掴んでしまっているようだ。
私は髪の毛を竜人の脇に伸ばして掴み、すぽーんと引き抜いた。ぷらーん。
「グァッグーグァッゴァッ」
ふうむなるほど。トカータ。水魔法で服の泥を落としてあげて。
竜人さんは竜要素多めであった。竜王国が英語に近いかどうか以前の問題だった。そして皮膚が鱗で覆われてるタイプほどの竜人さんなのに胸元ひらひらのタキシードを着て、頭に角が飛び出す穴あき帽子をしていた。この様子だともしかしたら変温なのかもしれない。空飛ぶのって寒いしなあ。
髪の毛で持ち上げられたまま洗濯された竜人さんは、なんだか動かないままでいる。そして何もしゃべらない。ふうむ。このままでは体温が下がりすぎてしまうかもしれない。お風呂に入れよう。
私は宮殿の中に竜人さんを運び込み、驚く門番やメイドさんを後目に、お風呂場へ向かった。
「竜王国の使者が参ったと聞き……どういう状況?」
おっと皇女。いいところへ来た。ちょっとお風呂のお湯炊きをしてくんない?
「皇女に下働きさせようなんて、あなたくらいなもんだわ」
そう言いながら皇女はマアフルとシーダを連れて、一緒に来てくれた。
トリプル火力で一気にお風呂が沸いた。皇女待って。落ち着いて。やりすぎ。私へのイライラを湯船に向けないで。
ホカホカになったお風呂に固まってしまった竜人をぽいっちょした。
ふう。初めてメイドさんらしい仕事をした気がする。
「これ、外交問題にならないかしら?」
「え? 仲良くなったんでしょ?」
「だからよ。あなた、お友達もこんな風に扱うわけ? 扱いそうね」
褒められちゃった。
固まってしまった龍神さんはまぶたをピクピクと動かしキョロキョロとし始めた。どうやら起きたらしい。
「ああすまない。寝てしまったようだ。空は寒くてね。ありがとうメイドさん方」
竜人さんは綺麗なティンクス語を話した。グァグァ言ってたのは寒さのせいだったか。
「いえいえどうも。こちらは皇女殿下です」
「皇女です。こうじょよろしく」
お湯炊きをしていた皇女はいたずら娘の笑顔で笑った。あっこの状況ちょっと楽しんでるなこいつ。
皇女と聞いて竜人さんは湯船で跳ね起きた。そのせいでお湯がぴぴぴっと跳ぶ。
「こ、これは大変失礼をいたしました」
おろおろする竜人さんが少しかわいそうになってきた。
よし。助け舟を出すか。
「処刑。処刑する?」
いや私じゃないぞ。無口クール系美少女侍女のテーダの発言だ。たまに喋ったと思ったら言葉が尖すぎる。
「そうね。今夜はワニ肉料理がいいかしら」
なんて皇女も悪ノリを始めたので、マアフルは「いい加減をし!」すぱぁんすぱぁんすぱぁんと皇女とシーダと私の頭を叩いた。なんで私も?
皇女や侍女連中は引っ込んで、後はメイドさんに任せる。みんなは応接間へ行ったが、私は一人扉の前で待った。
……おっそいな。一人髪の毛を使った新技を開発する。しゅっしゅ。
がちゃりと扉が開き、竜人さんが出てきた。どうやらメイドさん方は服を乾かしていたようだ。
私は出てきた竜人さんに片手を挙げて話しかけた。
「ないすとぅーみーちゅー」
いえーいえーと竜人さんに握手を試みる。私が英語を話せるとわかると、竜人さんはぺらぺーらのほにゃらーらと話しかけてきた。私は無言でこくりとうなずく。
「はばないすでー」
私は手を振って別れた。
ふむ。そもそも英語わからんかったわー!
多分英語。きっと英語。でもなんか違う。ティンクス語とかも混じってた。つまりあれだ。英語だとしても私が知ってる現代英語とは違う。この世界の日本であるヤフン語でさえ「ん?」となることが多かったのだ。
これはあれだな。竜王国語を習得するのは無理だな。逆に前世知識が邪魔するやつ。
ちらりと竜人さんを振り返ると、背中がもっこりしていた。尻尾がないと思ったら背中にまわして服の中に入れてたのか……。そういう文化?
さて。シュランドをハメるための落とし穴作りの再開するかと思ったら、エントランスで呼び止められてしまった。どうやら私も応接間へ呼ばれているらしい。びびくん。落とし穴を掘ったのが私とバレてしまったのか?
私はどうにか逃げ出す手を考えた。ふうむ。ないな。私は大人しく連行されることにした。黙秘権を行使するしかない。すんっ。
私はシュランドの隣に座るように誘導されたが、皇女の隣に座った。両手に花状態などさせない!
「彼女がオルバスタの精霊姫だ」
「おお。彼女がそうでしたか。虹色の髪と聞いておりましたが、虹というよりネオコルのような輝きですね」
ネ…? ん? ネコラル? あれ碧くないか? だいぶ違うと思うのだが……トカゲだからかな。
それで何のようだ? そもそもいきなり宮殿の庭に着陸する使者って? そして皇族と対面するって? すごく偉そうな人だな。ふむ。落とし穴のことはないしょにしとこう。
「そう緊張しなくても良いです。そうですね。私のことはオジサンと呼んでください」
「オジサン」
「はい。オジサンですよー」
オジサンは両手を広げて、にこやかな笑顔で牙を見せた。
なんだろう。なんかすごく絡め取られそうな気がする。ぷるり。蛇に睨まれたぷるぷる幼女みたいな感じだ。
シュランドが「からかうのはその変に」と言ってオジサンを制する。もしかして私と皇女の悪ノリの仕返しだろうか。私は巻き込まれだけど。
「さて本題だが。精霊姫は回りくどいのが苦手だったな。単刀直入に言うと、ウンブルトン竜王国へ行かないだろうか?」
「行かない」
ぷいっ。私は顔を背けた。
私は知っている。かの国はメシマズなことを。それは様々な要因があるだろう。大航海時代や、産業革命で農民が工員になったりとか。それがこの世界でも同じとは限らない。しかし決定的なことが一つある。人間と、めっちゃトカゲよりの竜人が同じ味覚とは思えない。猫人のごはんは薄味だったが、それ以上の格差がきっとあるだろう。
「そうですか。振られてしまいましたな」
オジサンの額に手を当てる仕草が演技くさい。さらりと爪を見せて脅している?
顔を背けたままの私のほっぺを、隣の皇女がぷにぷにしてきた。
「あら? ニュニュは行かないの? 旅行好きなのかと思ってたわ」
旅行は嫌いである。汽車も馬車もいやいやである。首都ラパームまでの馬での旅は……大変だったけど……なんだかんだで大人数で楽しかったな。
「ぜひとも竜姫陛下にお会いさせてみたかったのですが……」
ふむ……。ドラゴン娘……。ありだな。私の髪の毛の触手がにゅにゅっと動いた。
しかしトカゲ成分が多めだとなあ。しかし猫人のように、人間要素が強い種族の可能性もあるな。しかしううむ……。やはり何か隠しているな。
「目的は?」
私がそう聞くと、オジサンは「ははっ」と笑い、紅茶をぺろろっと飲んだ。舌が長くて外に出せないと飲めないようだ。
「見た目の愛らしさと違って手厳しい。おわかりでしょうに、私の口から聞きたい、と」
しらんけど。
言いよどむオジサンの代わりに、隣の隣のシュランドが答えた。
「世界樹だ」
びびくんっ。やはり、世界樹の種、いやウニ助のことはすでに伝わっている!?
オジサンは覚悟した様子で身体を前傾させた。
「ティンクス帝国の世界樹を復活させたと聞き及びました」
「我の見立てでは一時しのぎだがな」
「いいえ。私はわかっています。かの年の錆色飛竜」の南下の異常行動は貴女が引き起こしたということを」
皇女が「な!?」という顔で私に振り向いた。
私がどう返すか悩んでいると、皇女からもやもやと煙のエフェクトが出てきた。せ、せっかく仲良くなれたのに! こ、こいつめ!
皇女の追求からどう言い逃れようか言い淀んでいると、オジサンが次の言葉で皇女を止めた。
「精霊姫は世界樹を作ったそうですね?」
「世界樹を作……? 聞き間違いかしら?」
「そう。精霊姫が世界樹を作り、錆色飛竜を刺激した。それは、繋ぎ止められなかった私たちの責任です」
だが。と、オジサンは立ち上がった。
「恥を偲んでもう一度頼みたい! 竜王国を救うために、世界樹を作ってくれないか!」
私はこくりとうなずいた。
「お断りしにゅにゅ」
オジサンはがたりとソファに腰を落とした。