183話:雪巨人
今日は底冷えする寒さだ。と思ったら、すぐに雪がちらつき始めた。戻ることも検討したら、私たちは進むことを選んだ。この先に旅人が泊まる小屋があるという。
姫騎士ローリエと知らないおっさん三人が加わり、旅の速度は大幅に遅れた。おっさんずが針金羊の死体を担いでいるせいもある。良い金になるので道端に置いて行く選択肢はないとのことだ。だったらそれを持って元の町へ帰って欲しかったのだが……。
小屋に着いた頃には辺り一面が白くなっていた。ぎゅいっぎゅいっと雪を踏みしめて進み、姫騎士ローリエは小屋の扉を開ける。ドアベルががらんごろんと鳴り、「いらっしゃい。お寒いでしょう。早く入りなさい」と店主が現れた。小屋と聞いていたが、驚くほどまともなペンションだ。それがこんな辺鄙な所に建っているとは。
「六人だが部屋は開いているか? 三人部屋を二つ頼む。あと馬が二頭」
ん? 男女で分かれるのはいいとして、なんか勝手に姫騎士が私たちの部屋に泊まろうとしてる?
宿主人に呼ばれた少年が私たちの横を抜け、馬の手綱を引っ張り厩舎へ連れて行った。
「それと食事を頼む。おおいそこの者たち。暖炉の前を開けてくれないか。雪の中を歩いてきた女の子がいるんだ」
私とテーナは馬に乗っていたので歩いていた女子は姫騎士だけだが。嘘は言っていないな。
姫騎士と私たちに次いで、おっさんずが魔獣の死体を抱えて宿に入ると、主人の顔は引き攣った。そして「持っていく者などいないからそれは外に置いて雪をかけておけ」と言った。おっさんずは舌打ちしながらも素直にそれに従った。
その間、姫騎士は先客の六人を暖炉の前からどかすと、姫騎士は暖炉の前に椅子を置いて私を座らせた。きっとこいつはロリコンだと思う。
「家の中だ。外套を取ろう。こ、これは……!?」
あっ。姫騎士にフードとマスクを取られ、私の美貌があらわとなってしまった。
「虹の髪の少女。そして先日の月に昇る虹の橋。これは偶然ではない! この子はまさか神の国の子!?」
私の虹色の髪で宿の中がざわついた。ふふん。バレちまったか。
背後でガタガタと椅子が鳴った。外から宿に戻ってきたおっさんずがうろたえている。
「そ、その虹色の髪はまさか……」
「いいや、そんなわけねーべさ……」
「なあ。お尋ね者のオルバスタの姫がこんなところにうろついてるわけが……」
ビビクンッ。お、お尋ね者!? 私賞金首だったの!?
私がおろおろし始めると、テーナから念話が飛んできた。
「(落ち着いて。虹色の髪の少女なんてどこにだっているわ)」
「(いないと思うけど)」
くそっ。やっぱりテーナはポンコツだ。嘘が下手すぎる。あまりにもポンコツすぎて逆に落ち着いてきた。よく考えたらおっさんずが私を拐おうとしたところで返り討ちにすればいいのだ。
拐う……。ぷるるっ。私は昔の誘拐事件を思い出して少し漏らした。
「それにしても冷えるな。おい主人。薪を増やしてくれ」
姫騎士がそう言うと、宿主人は息子に言いつけるから戻るのを待てと言った。
そしてその息子が頭に雪帽子を乗せたまま慌てて家に駆け込んできた。
「お、親父! 雪巨人だ! 雪巨人が出た!」
「なんだと!?」
なんだと!?
雪巨人。小さい頃から聞かされてきた魔物。冬が来るのは雪巨人が起きるから。雪が降るのは雪巨人が歩くから。冬が終わるのは雪巨人が眠るから。雪毛玉はそれの鼻息。雪毛玉を潰すと雪巨人は息ができなくなって眠くなり春が来る。
ただの寝物語だが、それは本当に存在する。
「変なこと言って客を驚かせるな! 薪取ってこい!」
「やだよ! 本当にいるんだって! こっちに近づいてきている! 早く逃げなきゃ!」
息子を叩いて利かせようとした宿主人の腕を、姫騎士が掴んだ。
「主人。わたくしが見に行く。民を守るのが騎士の仕事だ」
「し、しかし……」
「子どもは見えぬものが見えてしまうものだ。木枯らしが魔物の吐息に、木々のざわめきが巨人の影に。ふふっ。行ってくるよ。安心したまえ」
姫騎士はそう言って外へ出ていった。しばらくするとぷるぷるしながら戻ってきた。
「雪巨人本当におりゅう……」
宿は騒然となった。
「早く逃げるぞ! 荷物をまとめろ!」
「逃げるったってこの雪の中どこへいくんだよ!」
「どこだっていい! この雪だって雪巨人せいだ! 雪のないところまで走れ!」
わちゃわちゃわちゃわちゃ。私はその様子を眺めながら、ココアをちびちび飲んだ。
おっさんずは魂が抜けたような姫騎士ローリエを呼びつけて、酒を注げと命令する横暴を始めた。気が動転している姫騎士はおっさんずにいいなりになって酒を運んでお酌し始めた。
テーナは動かない私を見ながら、椅子から立ったり座ったりしている。
「(なんでそんな落ち着いてるんですかぁ!?)」
「(だって慌ててもしょうがないじゃん)」
「(そりゃそうですけどぉ!? 金冠牛)を倒した時のアレでやっつけてくださいよぉ!」
「(だって余計なことをするなって言ったのはテーナじゃん)」
「(これは余計なことじゃないでしょう!?)」
もうテーナはわがままだなあ。テーナは青くなったり赤くなったり、窓を開けたり閉じたり、私の周りで変な踊りを始めたりした。落ち着きなよ。
そして、私と同じく落ち着いた様子で酒を呷っていたおっさんずが、突然がたりと立ち上がった。
「おめぇら。命を燃やす時だ。今だ。死時だ」
「おう。わかってらあボス。最後まで付いていきまさあ」
「最後の酒は姫騎士が注いだ酒か。悪くねえ」
おっさんのボスは私の席に来て、ちゃらりとネックレスを置いた。
「俺の嫁が作った魔除けだ。受け取れメスガキ。もう俺には必要ないからな。そして早くここから逃げろ。俺たちが時間を稼ぐ」
「待ちなさい!」
姫騎士ローリエが剣を抜いた。
「わたくしも行くわ。貴方達のような人に守られるだなんて気分が悪いもの」
姫騎士とおっさんずはドアへ向かう。
「へ。おめぇじゃ守護天使にはなれねえよ」
「かー! まさかこいつと死に場所を共にするとはあねえ」
「どうせなら最後に一発ヤらせろや」
「今ここで切り伏せるわよ」
やれやれ。私はおっさんの残した魔除けを手に取った。満月を象った手彫りの木に小さくほぼ透明な魔法結晶が埋められていた。それを手に、外へ出た途端にまつ毛が凍りついた。なんだこれ。さっぶ!? そして吹雪の中で山のような影がそびえ立っていた。こっわ! ぷるるるっ。私は心が挫けそうになった。
「あれ倒したらほんとに吹雪止むの」
「ええ多分。そうであってほしいわね」
「知らんのかい!」
「だって雪巨人なんておとぎ話の魔物じゃない! 知らないわよ!」
しゃあない。そのおとぎ話を信じてぶっ放すか。
私は魔除けを構える。
しかし疑念が二つ残る。
あの巨体、本当に倒せるのか? そしてもう一つは……。
いや考えるのは止めよう。今することは集中すること。魔法とは意志のぶつけ合い。倒せるのかと少しでも不安に思ったら倒せない。だからアレは強い。
むむむ。困ったな。倒せるイメージが沸かない。それならばイメージを変えよう。倒すのではなく……。そう……。
使う魔法が、込める意思が決まると、みゅるみゅるみゅるっと魔力が手に集まってくるのを感じる。これならいける。いけるわ。温かいのが沢山出そう。
「春なんだから! いい加減にもう寝なさーい!」
じょばばばばっ。手から私の魔力が花を咲かせながら放たれた。その光はいつもの虹色とは違い陽光。朝日のように輝いた。
――雪巨人を倒すのは間違いだ。おとぎ話は言っていた。雪巨人は冬に起きて、春に眠る魔物。それが示すのは不死身性。雪巨人は厄災そのもの。殺すものではなく眠らせるもの。――
私の魔法を受けた雪巨人は熱湯を浴びた雪だるまのごとく溶けていった。そしてその身体から陽気が溢れ出し、自身の熱でさらに溶けて崩れていく。崩れる巨体が地面に付く頃には霧となり、その霧は虹色に輝きを放ち霧散した。
空を多い闇を作り出していた厚い雲も、ちぎれるように消え去った。西の空から夕日が差し込む。
暖かい風が雪の上を走りながら雪を溶かしていく。私の足元はすでにびしょびしょだ。
背後からカタリと音が鳴る。振り返ると少年が窓から私を覗いていた。
「少年。今見たのは黙っていてくれるか?」
私はおっさんから貰った魔除けを少年に渡した。薄くぼんやりした色だったその小さい魔法結晶は、トパーズのように煌めいていた。