176話:反抗期
妹の様子が変なのだ……。
妹とはもちろんシリアナのことだ。フリーダム幼女のはずのシリアナが部屋に引きこもっている。確かに危険な目に遭って怪我をしてパパとタルト兄様に謹慎を告げられたが、それは家から出るなという話だ。シリアナにとって家とはどこか――それは宮殿の敷地全てである。つまりシリアナは今まで通りママの住んでいる離れで弟アルテイルくんと大人しく遊んでなさい、ということのはずなのだ。しかしシリアナは宮殿の方の部屋に引きこもってしまった。
思ったよりもお腹の怪我の状態が良くないのかもしれない……。私は罪にさいなまれた。少女のお腹にキラキラ虹色魔法結晶を埋め込んでしまったのだ。いくらキラキラ好きの乙女だといっても、自分のお腹に埋め込まれるのは話が違うであろう。例えば男の子は誰でもパイプいっぱいメカは好きなはずだが、自分の身体がスチームパンクになるのは話が違う。
そういったわけで差し入れをしつつ部屋へお見舞いに行ったりしていたのだが、シリアナは上の空でケーキをまるごともぐもぐ平らげてしまった。なんということだ。このままではシリアナが丸くなってしまう。
そんなある日。天気の良い日にシリアナの侍女に「外へお散歩に連れ出してみたら」と告げてみた。彼女は見事に会話を誘導し、シリアナ自ら外へ出たいと言い出すことに成功した。そう。外へ連れ出したい彼女は逆に部屋に軟禁しているかのように扱ったのだ。子どもは外へ出ちゃダメというと出たくなるのだ。
そんなわけでやっと外へ出たシリアナであったが、めまいを起こして再び部屋に引きこもってしまった。あわわわわ。そんなに怪我がひどかったらしい。私はおろおろした。おろおろ。
そんなわけで私はロアーネに助けを求めた。困った時のロアーネ頼りである。おーいなんとかしてくれー。私は脳内に呼びかけた。最近おそとひんやりしてきていいかんじー。ダメだ。こいつ意識がぽぽたろうに負けている。私の脳内ポアーネは役に立たなかった。
おそらくは、元々ロアーネの対人コミュニケーション能力がゴミなのだろう。きっと私と同レベルだ。誰が同レベルですか。
「と、いうわけなんだがタルトよ」
私はタルトのお仕事部屋に押しかけてソファにずでんと腰掛けて足を組んだ。
タルトはペンを走らせる手を止め、両手を天井に伸ばして背中を反らした。
「シリアナは外が怖くなったのだろう」
「外が?」
「そういうお前はなんでいつも通りなんだ?」
「いつも通り?」
私はお腹のお肉をぷにっとつまんだ。ぷにぷにだが以前より痩せている。本当に詰まった脂肪だと固くなる。ぷにぷには痩せた証拠である。脂肪が付き始めた証拠では? うるさい。これから冬になるんだから仕方ないだろ。子どもは褐色脂肪細胞が多いのだ。
「敵の親玉に襲われたと言ってたろう。怖くはないのか?」
「怖い……?」
はて。言われてみれば以前の私なら思い出しお漏らししてしまいそうな戦いだったかもしれない。ずいぶんと図太くなられましたね。そう、私は成長したのだ。さっきから時々脳内にロアーネが混じってくるな。ちょっと黙っとけ。
「どうだ? カンバ」
いつの間にか私の背後にエプロン姿のカンバが立っていた。久しぶりじゃん。彼女はすっかり画家……いや、イラストレーターになってしまった。ちなみにエプロン姿であるがメイドさんスタイルではない。ドレスで絵を描くのは支障が出るので、つまり作業服……仕事着だ。
「はい。わたくしの精神魔法の影響かと思いまス」
「ほわっつ?」
覚えていらっしゃらないのですか? いま私のことアホってゆった? 言ってませんけど。
脳内ロアーネと脳内問答していたら、忘れていた光景が蘇った。ぷにぷに幼女誘拐事件。血と肉と豚の臭い。私は急に吐き気をもよおした。
な、何をしたカンバ……?
「まだ何もしておりませんヨ。ティアラ様はやはり魔法が効きすぎるようでス。まだアノ時の昔の魔法の効果が残っている……いえ、むしろ影響が強くなられているとハ」
アホですからね。アホちゃうわ。
つまりは、だ。私はずっと恐怖を感じない魔法をキめている状態だったというわけか。そうだったかな? 別に怖いという感情を失っていたわけではないけど。確かに感じにくくなっていたかもしれない。アホちゃうわ。何も言ってませんけど。いい加減やかましいので、脳内ポアーネを脳内冷蔵庫にぽいっと詰めて蓋をした。
ええとつまり。私が今のほほんとしているのはカンバの精神魔法のおかげで、シリアナは刺された恐怖のトラウマ負ってるってこと? なるほど。なるほどね? 言われてみればその通りだ。敵とはいえ私が直接的に人を殺っちゃったのにのほほんとしているのもカンバの精神魔法がかかっているからか。元の私は虫も殺せぬかよわいおっさん。殺虫剤使えば殺せるけど。それでも後処理にティッシュは必須である。
しかしこれで解決したな。
「なんだ良かった。じゃあシリアナのことはカンバに任せればいいのね」
「精神魔法はそうホイホイ使うべきものではありませン」
なんだと? いや、私はめっちゃホイホイかけられてた気がするんだけど?
「精神魔法は指先に刺さった棘を引き抜くようなものでス。その傷痕は治りませン。いえ、魔法の力で埋めるものではありませン」
シリアナのお腹の傷を魔法の力で埋めちゃった私には耳が痛い。
「つまり、時間がかかるってことね」
「まあしばらくあの様子で大人しくしてもらう方が俺は助かるけどな」
「まったくあの子は、タルト兄様にはお手数をおかけしますわねえ」
「俺の手をわずらわせているのは九割方お前のせいだがな」
そんなことないもん。私は膨れた。そしてタルトにばすっとデコピン威力の魔力弾を額に撃ち込んで部屋から逃げ出した。すたたたっ。
さて向かうは妹シリアナの部屋だ。私はこっそりと扉を薄く開けて中の様子をうかがった。
「ララ?」
びびくんっ。すぐに見つかってしまい、私はぽりぽりと頭をかきながら扉の隙間からにゅるっと入室した。
「なに?」
あのーそのー。本日もお日柄は良く……。私は人差し指をつんつんしてもじもじした。元気づけようと思ってちょっと覗いてみたら、予想外に妹シリアナは元気な様子であった。
「何してるのかなって」
「別に何もしてないよ! ばかー! きらいー!」
きらい!? がーん。
私はぽぽしろうを投げつけられて部屋から追い出されてしまった。
なんということでしょう……。妹が反抗期になってしまった。さもありなん。妹は難しいお年頃だ。そうか。もしかしたら外に出て具合が悪くなったのも、トラウマとかではなく、そういうアレかも。そう、始まっててもおかしくないお年頃だ。私のぷにぷにボディにはまだ来てないアレだ。
そうだ。この時代の生理って大変なのでは……? 使い捨てナプキンなど当然ないので、布を洗って使い回すのだろう。それはインドのナプキンおじさん映画のように、不衛生な環境に違いない。私たちはお姫様だから綺麗な布もメイドさんの洗濯魔法でじゃぼじゃぼ洗って使えるが、一般市民は大変なのではないだろうか。私はシリアナに「嫌い」と言われたショックのあまり、思考を逃避させた。生理用品で一儲け……。高分子吸水ポリマーってどうやって作るんだろう。ナプキンが作れれば私のお漏らし問題も解決するな。よし!
私は後ろに立つ、すでに女の子の身体になっているだろう私の侍女のソルティアちゃんに尋ねた。
「ねえ。女の子の、その、月のあれって、布で、それなの?」
そういえば、私はこの世界の月経に当たる言葉を知らなかったのでわちゃわちゃした。
「月の……布……? エイジス教の野獣肉のお祈りのことですか?」
山育ちの狩猟王族のソルティアちゃんに、全然違う伝わり方をしてしまった……。
「ほら。女の子は大人になると、毎月具合が悪くなるでしょ? シリアナもそれかな~って」
「毎月具合が悪くなるのですか~? シリアナ様にそういう持病があるとは聞いておりませんけど」
なぬ持病だと? もしやソルティアちゃんも遅いタイプか? そして性知識も疎いタイプ……。それじゃ話にならん。おーいカンバー!
私はシリアナの部屋に仕事に来たカンバに尋ねた。
「月の病ですカ? 月の満ち欠けによる魔力病のことでスよネ?」
「あっ。なるほど~。布ってそういうことでしたか! にゅにゅちゃん語をすぐに理解なされるとは、さすが先輩です!」
カンバとソルティアちゃんが盛り上がっているが、私は付いていけなくなってしまった。そして違うとも言いづらい。もしかしたら、この世界では月経を魔力病とされているのかもしれないし……。これは、どう判断したらいいのだ……?
私がおろおろしている間に、どうやら私の発言で、シリアナは二人が解釈した月齢病ではないかということになってしまった。こくり……。私はうなずいた。
部屋の前で騒いでいたせいか、シリアナの侍女が部屋から出てきた。シリアナが月齢病であることは即座に否定された。三人のメイドさんの視線が私に刺さる。こくり……。私はうなずいた。
「女の子の股から血がどばーって出るの、なんていうの?」
私は諦めてストレートに尋ねた。
そしたら、シリアナの侍女にがばりとドレスをめくりあげられた。ちゃうねん。私のことじゃなくて。脳内ポアーネ! 助けて!
「ララ様が怪我してるわけじゃあ無さそうだね。あんたら、この子の言ってることがわかるかい?」
「にゅにゅちゃんの言ってることはいつも半分くらいわかりませんから~」
なぬ?
「発想が突飛ですかラ。もしかしたら猫人の生態かもしれませン。猫の男性器には棘が付いていますかラ」
「さすが先輩!」
「なあるほどねえ。猫人の会話を聞いてきたっちゅーことかい」
なぜか私は、猫人のエロ会話を盗み聞きしたことを侍女に尋ねる、セクハラ変態おじさん幼女ということにされてしまった。ふええ。私月経のことを聞きたかっただけだよぉ……。しかも割りと深刻な意味で。いや、深刻じゃないな。今の話から、やはり明らかにシリアナは月経が原因の体調不良ではないようだ。やはりつまりトラウマが原因……。ならば月経なんかよりもっと深刻か。
私が神妙な顔をしていると、カンバの精神魔法による治療の話に移っていた。
しかし私は何か引っかかる。いくら私が見た目ロリぷに幼女とはいえ、一応、戸籍上は12歳である。いや本当は拾われた時に5歳ということにされたので、私がこの世界に意識を得てからは7歳なのだが。だとするとほぼ見た目通りの身体なのだが。そこはそう、置いといて、仮にも12歳。ルアが私の侍女に来た時と同じ歳である。ついでにソルティアちゃんが私の侍女になった時も12歳だったはず。待てよ。みんな私と違ってしっかりしすぎじゃないか? そう、つまりこの世界の12歳は働いてもおかしくない歳である。つまり何が言いたいかというと、ほぼ大人なのである。
小さい子どもに月経のことを話すのをはぐらかすならわかるけど、もうすぐ13歳の大人のレディの私に隠すのはおかしくない?
そこで私がたどり着いた結論は、この世界の女性には月経がないということである。そう、気づけば確かに、私の周りの女性、特に侍女たち、リア、カンバ、ルア、ソルティア。生理で悩んでいる様子はなかった。それに宮殿で働くメイドさんたち。彼女らも具合が悪そうにしている子など見かけることなく、みんな日々しゃきしゃきと働いている。体調や機嫌が悪い……というような様子を見せる女の子はいなかった。
月経がない世界……。待てよ、それは素晴らしいことなのではないか? 女の子の身体の最大の欠点が無いわけだ。かつて貧弱な人類は一度滅びかけた。その時に得た能力が常時発情する身体である。つまり兎と同レベルに動物界の最下級だったわけだ。とにかく一年中産めよ増やせよしないといけないほど追い込まれていたということだ。人類は一度百人未満にまで減ったという説もある。そのため世界中の人間の遺伝子はほぼ同一。人間の祖先は南アフリカに収束すると言われる。――しかしそれは前世の地球での話だ。魔法という武器を持つこの世界の人間は、もう少し自然の驚異は少なかったのかもしれない。この世界には魔素によって凶悪な力を持った魔物や魔獣という驚異はある。しかし爪も牙も持たない人間はそもそも、野獣に引っかかれたり、噛まれたり、体当たりされたり、踏まれたり、蹴られたりしただけで死ぬ。素手では草食動物の鹿にだって勝てない。サイズ的に大きく差のある鼠にさえちょっと噛まれただけで人は死ぬ。うわ……人類弱すぎ……。そう考えると魔法使いという人類の庇護者はとてつもない力を持った存在であったであろう。人体が年中発情して個体数を増やさなくてもええよとなるくらいには……。そういえばこの世界で売春宿というものを見たことがない。子どもの私の目に入らないようにしていた、というわけでもなく、私はこのオルバスタの街をあちこち散歩で探索している。え……エロがない世界だと……!?
今さら気づいたこの世界の真実に困惑した。ぷるぷる……。思わず私は漏らした。
「にゅにゅちゃん!?」
ソルティアちゃんの土魔法が、私のお股に固着した。これが土魔法による私のお漏らし対策の答えであった。土魔法による吸水ナプキンである。出した後に風魔法で乾かすよりもスマートだ。
シリアナの侍女が私の頭を撫でた。
「シリアナ様は色々悩んでるみたいでさあ。さっきのも本心じゃあないんだよ。わかっとくれ」
うん? ああそうそう。私はシリアナに追い出されたのだった。がーん。私は改めてダメージを受けた。
あ、これそのショックで漏らしたと思われた感じ? ちょっと言い訳をするにも面倒な感じなやつ……。もういいや。すんっ。私は色々と諦めて脳内から悩みを消した。
「あっ。これにゅにゅちゃんが変なこと考えてる時の顔ですー」
「さっきの股から血の話のことかねえ?」
「股から血……シリアナ様のお腹の怪我……はっ! まさか! そういうことですカ!?」
カンバが何かに気づいたようだ。こくり……。私はうなずいた。
「そんな慌てて、どうゆうことだい!?」
「シリアナ様の不調は精神的なものだけではないかもしれませン。下腹部が膨らんでいたりしませんカ?」
「言われてみれば、最近ぽっこりしてる気がするねえ」
シリアナの侍女の言葉に、カンバは自分の顎に拳を当てた。どうやら謎が解けたらしい。
「ティアラ様は魔法でお腹の怪我を塞ぎましタが、中に血が溜まっているのかもしれませン」
「な、なんだってぇ!?」
こくり……。私はうなずいた。