170話:さよならロアーネ。
ずぽっ。私のお尻がトイレにハマってしまった。トイレが熊人も使える大人サイズであったからだ。
私がんにんにと脱出を試みていると、扉の外が騒がしくなった。
「アイシア様! 火急ご報告いたします! 森で大規模な火災が発生しております!」
やったのかロアーネ!?
「クソ! ロアーネの奴か!?」
アイシアも私と同じ想像をしたようだ。あいつなら結界を突破するためにやりかねない、と。まあ事実、アイシアは私の身体を乗っ取ろうとしていたので、ロアーネの判断は正しいのだろう。もし私が抵抗できてなかったら手遅れであったが。
「いえ! 火の手は西側から上がっております! ティンクス帝国の手によるものかと!」
「憶測で喋るな! どこの者であれ敵は敵! 排除するぞ!」
ふむ。非常事態のようだな。んにっんにっ。余計にはまった。
「ちょっと待ってー! たすけ……」
待て。このまま扉を開けられたら、私はまぬけにもお尻がはまったお姫様と思われてしまう。事実そうなのであるが、扉の外には大人数が集まっている。せめて男にはこの姿を見られたくない。
そうだ。私は無線会話機をポーチから取り出した。
『もしもし熊さん。ちょっとアイシアに代わって。うん。そちらが緊急事態なのは聞こえてきた。しかしいま私は動くことができない。ああそうだ。まだしばらく時間がかかるだろう。あや違う便秘じゃない。美少女はうんちしないからな。は? アイシアはするの? そんなばかな世界の理に反する。まあそんなことはいい。いま私は動けない。私のメイドだけを置いて離れてくれないか。いや、護衛などいらない。そうだ。私はソルティアと二人きりになる必要がある。見せられないことでもあるのかと? そうだ。そういうことだ。いや、豊穣魔法は関係ない。ああ。トイレを破壊しないことは約束する。ではな。幸運を祈る』
アイシアたちはトイレから出て、離れていったようだ。
私は髪の毛を使って扉をドドンガドンと叩いた。
「にゅにゅ姫ちゃん。どうしましたー?」
「はまった」
扉を開けたソルティアちゃんは、私の姿を見てケラケラと笑った。
「たしゅけて」
「そうはならんやろー」
なっとるやろがい! ソルティアちゃんが変な言葉を使ったのは私の影響である。
ソルティアちゃんは私の手を引っ張った。うんこらしょ。それでも大きなお尻は抜けません。
「いたたたた! たんま! お尻取れちゃう!」
「取れないから困ってるんでしょー。便座を壊しますか?」
いやだめだ。私は壊さないと約束したのだ。壊したら「なんで壊したの?」と聞かれることは必然だ。
「そうだ! 何かぬるぬるしたものを持ってきて!」
「かしこまりっ!」
ソルティアちゃんは蜂蜜を持ってきた。
私は髪の毛で自分のドレススカートをたくし上げて巾着状になる。ソルティアちゃんは、その私の腰に蜂蜜をぬりぬりした。
そして手を拭き、私の腋の下に手を入れて抱え上げた。
「んんんー!」
すぽーん。
ソルティアちゃんは床にお尻をぶつけ、私は髪の毛で逆立ちした。足首に引っかかっていたおパンツが、するすると膝に落ちてくる。
腰に塗られた蜂蜜の拭き取り待ちである。私の頭に血が上って倒れるか、時間との勝負である。でなければ、ドレススカートが蜂蜜まみれになり、私は甘い香りの幼女になる。
処理は終わった。
私たちがトイレと言う名の牢獄から抜け出すと、辺りはすでに暗くなり始めていた。
山の向こうから赤い炎に照らされた黒い煙が空へ立ち昇っている。今度はキャンプファイアではない。見える距離なのだから思った以上に近い。
街中では見知った熊人が声を上げて指示をしていた。
「ヴァウストは町に残ったの」
「ティアラ殿。このような事態になりもうしわげねぇだす」
「それで、敵は?」
「ティアラ殿は賓客。逃がしますんで、わたすと一緒に行ぎましょう」
そう? じゃあ帰るか……。いや。
「水臭い。私をアヒルメスタに誘ったのは貴方ではないですか。私も仲間として共に戦います」
きりっ。私はアイシアのメインヒロインムーブをコピーした。
「にゅにゅ姫様ー。勝手なことなさるとソルティアも叱られますけどぉ」
そう? じゃあやっぱ帰るか……。いや。
「ならロアーネに許可貰おうか。それなら文句言われないはず。おーい! にゃんこー!」
ということで、私とソルティアとヴァウストは、火の手とは逆方向の鍾乳洞ダンジョンへ急ぎ足で戻った。
途中、ウニスケの実をここに置いてきたことを思い出す。
にゃんこから降りて、私は真面目モードになる。キリッ。
「すぐに追いかけますから先に行っててくだち」
メインヒロインモードになった私に、二人は疑問を抱かずに従ってくれた。アイシアコピーモード便利だ。
私はネコラル水晶の中に囲まれたウニスケに手を伸ばした。回収しようと思ったら、なんかこの半日足らずで根付いてらっしゃる……。
「ウニスケジュニア。ここでいいの?」
ウニスケジュニアはぷるるんと震えた。じゃあいっか……。
私はウニスケジュニアに別れを告げて二人を追いかけた。
ダンジョンから出て、遺跡の門へ向かう。こんな時間だからみんな麓の町に撤収したかと思ったが、どうやら半数はここに残りキャンプの用意をしていたようだ。その中にはポアーネもいた。
「遅かった、いや、早かったですね」
「よかったー。ロアーネが犯人じゃなかった!」
私はロアーネが犯人ではないと信じながらも確信が持てなかった。五分五分くらいでありえるなと思っていた。
「どうやらまた失礼なことを考えてますね? なるほど。森が燃えている、と」
な、なぜそれを。やはりお前……。
「先触れを走らせておいただす」
なんだよ。先に聞いて知ってただけじゃねえかこの毛玉め。むにむに。
「それで、ロアーネの力が必要となったわけですね?」
いや違うけど。一応権力者であるロアーネに手助けの許可貰おうと思っただけだけど。
私は事後承諾は良くないということを覚えたのだ。ロアーネが良いって言ってた! と言えば、パパンも私を叱ることはないだろう。
「では行きましょうか」
え? 来るの? 何ができるんだこの毛玉……。
とはいえ、何が起こるかわからないこの状況。ロアーネが来てくれるのは心強い。アイシアと会わせたら面白そうだし。仲直りするかもしれないし。
ポアーネは私の頭の上に乗った。私は門をくぐる。すると、頭の上がバチンと弾かれてポアーネはころころころりんと地面を転がった。
「あのこれ」
「無理だす」
無理だった。
「待ってください。どうやらこの時が来たようですね」
どの時だよ。私はすでにポアーネを置いていく算段でいた。付いてきても毛玉だし。
「ロアーネの力を授けます。こっちへ戻ってください」
「こいつ私の身体を乗っ取る気だ!?」
私はぷるぷるした。一日に二度もジジイとババアに身体乗っ取りを企まわれるとは恐怖しかない。
「ご安心ください。ポアーネをティアラ様の器に加えても精神に影響はありません。乗っ取りにはならないです。むしろロアーネの意思が消滅します」
「まじか」
まじか。消えるのロアーネ?
「ロアーネはこの世界で成すことを成しました。そして今や時代はロアーネを必要としておりません。後はティアラ様の中でこの世界の行く末を見守らせて頂こうと思います」
なんか。なぜだが私は涙腺にうるっと来てしまった。
エイジス歴1703年。ロアーネはそれだけの時を生きてきた。そしていま私のために……。私に託そうとしている。
「いいの? ロアーネ」
「ええ」
「痛くしない?」
「とうに準備は整っておりますので、後はティアラ様が受け入れるだけです」
うっ。ロアーネ、本当に消えちゃうの? むにむに。
「まあ、ほんのちょっと私の意思は残るかもしれませんが」
きっと嘘だ。
「ロアーネ。エイジス様ってどんな人だったの?」
「覚えてませんよ。そんな昔のこと」
そうだろうか。ロアーネは私とエイジス様を重ねて見ていたのではないだろうか。きっとそんな気がする。
ポアーネは再び私の頭の上に乗った。
「ではいきますよ」
「え? もう?」
私の頭の上が熱くなる。私の魔力に抵抗はない。私の髪に精霊が住み着いた時のように、自然と溶け込んでいくのを感じた。
さよならロアーネ。
頭の上から毛玉の重みが消えた。雪が溶けたかのように消えた。
『じゃ、いこっかー』
頭の中からのんきな声が聞こえた!?
くそ! あいつ騙しやがったな!? いや騙してないか、少し残るかもと言ってたな。くそ!
『まーだー?』
しかもぽぽたろう成分強めで残ってやがる。まるで頭の中に幼女が入り込んでしまったかのようだ。
ふむ。それは、それで。
「行こう」
私は門の向こうのソルティアとヴァウスト、そして頭の中の元ポアーネに宣言し、足を進めた。
バチン!
私は結界に弾かれてひっくり返り、お尻を地面にぶつけた。




