17話:お忍びデート
パパとイチャイチャして過ごしていた夏の終りの頃。パパから「街に行かないか」と誘われた。
そんなの、行くしかないじゃないか!
街は普通に宮殿の外壁の先にあるのに、お姫様な私は街へ行った事がなかった。
しかし街へ行くとはどういうことかと思ったら、どうやらお忍びで遊びに行くらしい。パパは旅人風に、私は町娘風な服に着替えた。しかし、風なだけでどう見ても素材も仕立ても良い。こんなの用意していた辺り、前々から計画していたことのようだ。パパは満足そうなので言わないけどこんなのバレバレである。
しかもパパはギターを抱えている。ただ街でちょっと買い食いするデートじゃないの? デートって言っちゃった。きゃっ。おっさん同士、居酒屋の方が合いそうである。
お忍びといっても、なんちゃってお忍びかと思っていた。だけど本当に馬にも乗らないし、従者もいない。すでに危険がないように街に部下が入り込んでいるかもしれないが、私の視界には護衛がいない。そもそもパパは強いので、ガチガチに護衛がいなくても自分の身は守れるだろうけど、右手はまだちゃんと使えないし大丈夫かな。そもそもギターを抱えてるし。
侍女リアは私の出立までハラハラオロオロしていた。最後まで「私がいないと漏らした時に困ります」と主張していた。漏らすの前提かよ。ゆるいのは自覚してるけど。男の頃との感覚の違いにまだ慣れないのだよ。
街に下りるのは楽しみではあるけど、懸念もあった。汚くて臭かったら嫌だなぁと。
冷静に考えてみてほしい。文明が十分に発達仕切った平成の頃だって汚い街は汚かった。昭和の終わりなんか黒いゴミ袋をカラスが突っつく光景が街の普通だったのだ。鼻がひん曲がるかもしれない。
だが、予想に反して街はきれいだった。もしかして私を連れて行くゆえに、街の美化清掃令でも出したのだろうか。
私は元日本人としてもそこまできれい好きというわけではない。夏場でもなければ三日くらい風呂に入らなくても平気だし、埃が積もってても「うわっ」て思う程度である。そんな私でも宮殿では「ちょっと待てよ」と言いたくなる衛生観念だった。もちろん家の中はメイドさんが掃除しているのできれいである。だがみんな手洗いをちゃんとしない。ゆるさぬ。私は主張した。「土の中には悪い精霊がいる」と。目に見えない細菌がどうこう言っても通じないと思うし、言葉もわからないからそう言った。だがその反応は「またお嬢様が変なこと言い出した」という笑顔を向けられただけであった。そして改善はしたものの、目に見える汚れを落として終わりという手洗いしか行われなかった。当然である。エイジス教の経典には「二十秒かけて流水で手を洗いなさい」なんて書かれていないのだから。なので宗教を使った。私はそれをロアーネに太陽の国での教えと主張し、彼女は経典内の一節の「大地の不浄は月の光で浄化される」を用いた。それを引用して手洗いの大切さを説いたのである。そして納得の行く衛生環境になったものの、「泥だらけになって外で遊ぶくせに、他人の手洗いを異常に気にする変な子」という目でメイドたちに見られた。こうして私の変な子評価は積み重ねられていったのである。
閑話休題。
石造りのタイルの道に、ゴミ一つ、落ち葉一つない。臭くもない。裏通りに入ったらわからないけど、少なくとも大通りから噴水広場まで、ゲームの世界かよというくらいオブジェクトが少なかった。もちろん、良い土地だから富裕層向けの店舗や事務所ばかりなので元々きれいなのかもしれない。ゲームの世界みたいと思ったのは、思ったより文明的だと感じたのも大きい。宮殿ほどの大きさではないが、新しい建物には板ガラスも使われている。さらにはレストランもある。ってことは、地球の西暦でいったら思った以上に時代が新しいぞ。魔法があるから独自の文明進化をしてきたのだろうとは思っていた。だが予想以上に、普通に発展している。
なんか、テーマパークみたいな感覚になってきたぞ。るんるん気分になってきた。楽しい!
道行く人の身なりも、古い映画のような感じだけども、すごくきれいでしっかりしている。そりゃあ昼間から大通り歩いてる人なんだから変な人はいないか。むしろ変な人は私達である。ギターを担いだ妙に身なりの良い旅芸人風の髭のおじさんと、虹色の髪の毛をふわふわさせた町娘風異幼女である。
ふと、ガラスに映った自分の姿を見て「これあかんやろ」と今さら気づいてしまった。今さら戻れないけど。今さらなのだ。すでに街行く人の視線は集中している。
そんな中で平然とパパは広場でギターケースからギターを取り出し、ぺろんぽろんとチューニングを始めた。まさかとは思ったけど、弾くのか? 弾きだした。
ますます私達は注目を集める。お忍びではなかったのか。というか、私は一体どうしたらいいのか。
パパは私に帽子を渡した。シルクハットの角を丸めたような乗馬帽だ。
私がそれを手に抱えていると、私の下に紳士がやってきてにこりとほほえみ、茶色い硬貨を帽子の中へ入れた。眺めて見ると、手に硬貨を持つ者がちらほらと見える。私は帽子を手に、ちょこちょこと半円状の人垣の中を歩いて回ると、次々と硬貨が入れられていく。わぁい。
なんだこれ。なんでストリートミュージシャンしてるの?
いや待てよ。なんか前世の世界の領主か何かでも、お忍び演奏するエピソードがあったような……。確か、街の人にはバレバレだったはず。うむ。バレバレだろう。だって、パパの格好は旅芸人風でも、お金を入れる富裕層の紳士よりも上等な生地なんだもの。
しばらくパパは演奏を続け、私は帽子を持ってお金を稼いで回る。パパは満足したのか一礼し、ギターを仕舞った。
広場の外れから、お肉の焼ける臭いがする。こ、これは……。パパと一緒に屋台の串肉を買った。
これこれ! やっぱ異世界ファンタジーといったらこれだよ!
がぶぅ。
美味くねえ! 硬い! しょっぱい! 臭い!
くっ……お忍びのお姫様が屋台の串肉に齧りついて「美味しいですわ!」と叫ぶのは空想だったとでも言うのか! そりゃそうか。日本のスーパーの値引きセールのお肉でも市販のタレをかけたら宮殿のお肉より美味しいもの。さらに二束三文の屋台のお肉が宮殿料理のお肉より上なわけがない。
「パパ、これくしゃい」
「はははっ! 外のお肉はそういうものだ。血がたっぷり入ってるからね」
だったら血抜き処理すればいいのに。いやしかしそうか。宮殿に出てくるソーセージでも、血入りのブラッドソーセージだった。血は栄養が豊富なのだ。まだこの屋台で買うような層はその栄養が必要ということか。
しかしこれだって貧民の食事というわけではない。そう考えると捨てることもできぬ。むぐぐ……。しかしお姫様幼女の歯では噛めないのだ!
ちらりと私の視界の端に、丁稚と思われる少年がいた。その子は私のことをちらちらと見ていた。これだ!
「お肉あげるー」
戸惑う少年に押し付けるようにして串肉を渡してパパの下へ逃げた。よし!
硬貨数枚の油で汚れた手は、金貨が必要そうな絹のハンカチで拭いて、パパの手を繋いで宮殿へ帰る。お姫様は庶民の味にご不満のご様子。おうちの血抜きされたお肉をご所望だ。
結局残りのお金は使わずに持ち帰り、全て私のお小遣いになった。んふふー。まずはきれいに石鹸で洗おう。潔癖というわけではない。でもほら、やっぱり汚いじゃん? そして私に、手と一緒に硬貨を洗う変な子の称号が追加された。でも、お金のことがわかってなくて、キラキラの石と同じようなものと思っている、と思われている気がする。
これで、シリアナとリルフィと一緒に、お店屋さんごっこができるぞ! そのために洗ったのだ。
そして再びパパからお忍びデートに誘われた。
そこで私はちょっと思ったことがある。この前、お店屋さんごっこで売り物として、じゃがいもを使ったのだ。倉庫にまだいっぱいあるから。
実際、街に持っていって売ったらいいんじゃね?
例の裏庭で作った《じゃがいも》を入れた籠をパパが背負って出発。ギターとじゃがいもを背負った髭イケメン。この地域オルバスタの諸侯とバレバレな人がお忍びのつもりで街を歩くとどうなるか。二度見する。
ギター演奏の隣でじゃがいもを売る虹色の髪の美幼女が現れるとどうなるか。みんな引く。
しかしそれでも、一人二人と興味本位で一個二個と買っていく。謎の巨大じゃがいもである。そりゃあ怪しい幼女が売っていても気になるだろう。
私はパパの演奏に合わせて歌うように呼び込みをした。
「いらさーいいらさーい。やすいよーやすいよー。なんと一玉、百テリア! こんな大きな芋がたったの銅貨四枚! 中は金色、茹でればホクホク。塩を振りかけるだけでも美味しいお芋! おいもーおいもだよー」
さて。
私は考えなしに芋を売っただけだった。ちょっと楽しそうだったから。
次に街に行った時には、パパの演奏より芋を求められた。でも残りはそんななかったし、パパがじゃがいも背負うの大変そうだし、売るのは今回限りとお客様へ告げた。
すると、食べずに作付けする者が現れたようだ。
こうしてこの《じゃがいも》は令嬢芋の名で世間に広まっていったのである。