145話:ヌッコロシアム
すっきりしたところでワインではないものが入ったワイングラスを取りに戻ったら、数字が飛び交っていた。
「2100じゃあ!」
「2200!」
「むう、2250!」
「2400じゃ!」
……競りが始まっとん。
もしやまさか、私のおしっこグラスを求めて金貨を投げつけあっているのか? この国はもうだめかもしれん。私は故郷を捨てる覚悟をした。
入った扉からこっそり逃げ出そうとした私はナスナスに捕まった。わ、私を売るつもりか!?
「魔法結晶はオルバスタ侯爵に預けたのだがな。魔法省のジジイが買い取ると騒ぎ出してこの状況だ」
ああ。おしっこじゃなくて魔法結晶の方だったか。美少女のおしっこで競りを始める国の終わりかと思ってた。
して。私の証拠隠滅するべくしとは?
お、ナスナスの手に発泡するうす黄色の液体が。ナスナスはそのグラスをぐいと飲み干した。おおい!?
「なんだ?」
「い、いや……にゃんでもない……」
私はその場から逃げ出した。あんな真面目そうな顔をしてまさか……。もう誰も信じられない。ぷるぷる。
いやまあ。発泡白ワインだったわけだが。なんだシャンパンか。ふう。ナスナスがそういう趣味の変態なのかと思ってしまったよ。
疑いが晴れたところで、翌日、視察団はオルヴァルト高原のネコラル排煙処理研究所へ向かった。工場に立ち入ると、ネコラルを叩くかあんかあんと甲高い金属音が聞こえてくる。
ネコラル蒸気機関は、ネコラルを真鍮で叩いた時に発する魔力蒸気の圧力によってピストン運動を生み出す。簡単に言うと、真鍮ハンマーが左側で叩く、蒸気(左)が出る、その力でハンマーが右側を叩く、蒸気(右)が出る、その力でハンマーが左側を……という動きだ。
なぜ真鍮製かというと、叩いた時に火花を出さないためのようだ。ネコラル蒸気は可燃性ガスであり、高圧下では火花で引火し爆発を起こすとか。肥溜め爆発事件はネコラルガスとメタンガスのダブルうんこ爆発だったわけだ。
じいちゃん博士がネコラルの特性を熱弁するが、みんなの興味はネコラル蒸気によるうんこの魔法結晶化だ。視察団はネコラル語りを遮って魔法結晶化についての質問を博士に浴びせるが、じいちゃん博士はのらりくらりと「研究中じゃ」とかわしていく。
実のところ、うんこが魔法結晶化する現象はよくわかっていなかった。別の僻地に第二研究所を建てたのだが、そちらではガスが蓋を持ち上げうんこ臭のネコラルガスが噴出する惨事になった。爆発するよりはマシだが。そして魔法結晶化も起こっていなかった。では爆発がきっかけだったのではないかと、わざと爆発を起こす過激な実験も行われた。多大なるうんこ犠牲者を出したこの実験に置いても、うんこを爆発させても残ったものはうんこというクソみたいな結果で終わった。
夢のような技術である、このネコラルガスによるうんこの魔法結晶化は、偶然の産物とわかった。
だが研究者たちは私よりも賢い。この地でうんこ魔法結晶ができる原因は、第二研究所を建てる前にすでに推測が立っていた。
魔法結晶は魔素が濃いダンジョンで発掘される。
つまり、オルヴァルト高原ダンジョンなのだ。そういえばそうだった。しかも私は追加で畑に魔力をぶっこんでいた。
そんな場所なので、うんこにネコラル蒸気の魔力を混ぜたら魔法結晶化した。ここの肥はすでに魔力が高い状態だったわけだ。過冷却の水が衝撃で凍りつくように、過魔力のうんこにさらにネコラルガスを混ぜることで固まったというわけだ。
研究所を見た後はニャータウンへご案内だ。
視察団は胸を張って猫人たちを見下そうとしているが、実際見下されているのは彼らだ。ただでさえ巨体の猫人たち。その中でも猫人町を造るためにドカタが集まる町。さらに彼らは、過去の少ない賃金と食料で働かされているような猫人の生活環境ではない。丘のふもとには研究所のババ・ブリッシュ法で作られた魔法結晶を肥料にして育った麦やダイジュや令嬢芋が育てられている。そんな栄養価の高い食べ物を取り始めた彼らの肉体は2メートルを超す巨漢となった。
まだ食糧事情が安定していたとは言えないこの国の人間男性の平均身長は、170センチメートルほどであった。貴族の食事はマシであったが、それでも魔法器官にタンパク質が使われるせいで平民との身長差はさほどなかった。
そんなわけで、ムキムキでチンピラな猫人が脅かすようにくわっと牙を見せつけると、視察団はぶるりと身体を震わせた。ナスナスですら緊張した面持ちで、すぐに魔法を使えるように構えていた。
そんな中で平然としていた私は、さぞ肝っ玉がでかく見えたことだろう。あるいは、ノー天気ぷにぷに幼女だから何も恐れがないように見えたか。
そして、チンピラでも遠慮して脇に避ける中、道の真ん中で腕を組み立ち塞ぐ男がいた。ナクナムの王である。
「ヌヌ姫よぉ。この白い猿どもは今夜の宴の肉かあ?」
「こんなの食べたらお腹壊すよ。めっ」
「がはははっ! ちげえねえ!」
ヌアナクスは私の身体を掴んで運んだ。ぷらーん。
背後から「お、おい、精霊姫が連れ去られてしまったぞ」と慌てる声が聞こえてくる。
ナスナスには前もって、「麻薬組織の長みたいな奴だから手を出しちゃだめだよ」と言ってある。真っ先に攻撃を仕掛けそうだからな。
「付いてこい。歓迎してやる」
ぬっしぬっし歩くヌアナクスの手から私はにゅるりと抜け出して、髪の毛を使って肩によじ登った。まるで偉そうにしているくせにクソみたいな死に方をする漫画キャラみたいなポジションだ。
そしてやって来たのは円形闘技場ヌッコロシアムである。私が名付けた。
「さあて。ヌヌ姫に頼まれたからあんたらを町に入れたが、あんたらが俺たちを信用していないように、俺たちもあんたらを信用しちゃいねえ。だから俺たちの流儀で歓迎してやる。一人代表を出せ。強え男だ」
視察団はすっと目をそらした。彼らにとっての歓迎とは、肉とお酒と女で囲むものである。「タイマンはろうぜ!」と言ったところで乗るようなアホはない。
「俺が戦おう。相手はお前か?」
と、なると、出てくるアホはナスナスくらいである。
「いいや、相手はこいつだ。おい、ネブロ!」
「へい」
ヌアナクスに指名された猫人はすっとしたフォルムの男だった。一見他の猫人よりも貧弱に見えるが、彼はしなやかな筋肉を持ちスピードとスタミナがある優秀な戦士だ。
「ふん。偉そうにしてるくせに部下に戦わせるのか」
「けけけっ。親分と戦いたいならまずはトップになることだな!」
私はヌアナクスの肩の上から小者キャラになって言い放つ。ここからの景色はみんなを見下せて良い気分だあなあ!
ナスナスは指を額に当てて頭を振った。大丈夫? 頭いたいの? ストレス溜めない方が良いよ?
「で、いつ始めるんだ? 俺はいつでもいいぞ。今すぐでも」
「おうおう威勢の良いガキだな。嫌いじゃあねえが、後ろのお守りのことも考えるんだな」
視察団はぷるると震えている。ナスナスは後ろを振り返って舌打ちをした。そういうとこだぞ。だからぷにぷに幼女と婚約させられて厄介払いされそうになるんだぞ。
「開始は一時間後だ」
「ほう。猫人は短気だと聞いていたが、待てができるのだな」
ナスナスがそう挑発すると、対戦相手のネブロはしゃあと牙を剥いた。
そんな挑発でムキになるなんてまだまだ若猫……ヌアナクスも血管ピクピクさせていた。そして「確実に殺せ」とネブロに言い残し、後にした。煽り耐性ねえなこいつ。
「で、ヌヌ姫よお。どのくらい強えんだ。あの男は」
「まあまあ強いよ。私ほどじゃないけど」
「ふん。ならば期待しておくか。ヌヌ姫の番になる男の強さを」
あ、その話もう無くなったんで。すまん。




