137話:旅行中の湖にて
新年を迎え、春となった。雪解けを待ち、十一歳となった私は馬車に乗って南へ向かっている。
新年の前の流星の月。珍しい国から手紙が来たぞとタルトに渡された。
その国はイキデンマイン公国。はてどこだろうと思ったら、オルバスタの南の先。クリトリヒ帝国の西の端とハイメン連邦の東の端の間。シビアン山脈の一角の小さい国。そこから届いた手紙の送り主は、魔法学校の同級生だったピンクブロンドのソルティアちゃんからであった。
「田舎道きもちわりゅう……」
ベイリア首都リンディロンからオルビリアへのネコラル車の長旅で、私は乗り物酔いを克服したと思っていた。しかし、それはネコラル車のクッション性と、リルフィの膝枕のクッション性と、道路がまだマシな作りだったというだけで、田舎のオルビリアからさらに南のシビアン山脈へ向かう道は、どったんがったんずっとんばっこんであった。
さらに今回はリルフィは同行しない。代わりにルアの膝枕に顔を埋めている。すーはー。男の娘の膝枕より年頃の女の子の膝枕の方がクッション性は高かった。むにゅんむにゅん。
しかし私はセクハラして楽しんでいるわけではない。気持ち悪くなるとうつ伏せが楽だから仕方ないのだ。
「ヌアナクスさんから気分が良くなる薬を頂いておりますが」
いやそれ絶対またナクナム関係の品じゃん。
ナクナム香で私はパパや小さな弟の前で醜態を晒してしまったらしい。記憶にないけど。
パパは薬物を疑ったが、やはりナクナムは人間には影響はないようで、部屋にいた三歳のアルテイルも平然としていた。
そう、ナクナムは人間には煙を吸っても食べて飲んでもごろにゃんと酩酊するようなことはない。ナクナムは猫人だけごろにゃんさせる、イヌハッカやマタタビのようなものだ。
そこで新たに広まった噂が「精霊姫、猫人疑惑」であった。さらに、私とシリアナが猫耳尻尾を付けて街中を遊んでかけていたことを目撃されたことによって広まりが加速したのであった。
閑話休題。
リルフィはいないが、向かいの席にはカンバとサビちゃんが座っている。
「ルア。疲れたら交代しますヨ」
「大丈夫ですよっ。カンバさん」
「カンバ、太もも、肉、すくない」
カンバを膝枕で寝転がる、メイド服姿のサビちゃんが文句を言った。ふへへいいだろう。ルアはむにゅむにゅだぞ。
珍しくカンバが私の旅に付いてきたのは、ルアの婚約騒動のせいではない。ただ春のシビアン山脈の麓の景色の絵を描きたかっただけであった。カンバは私の侍女でありながら、普段は絵を描かせて私のカード事業の中心だったり、精神魔法でパパやママの負担を軽くしていたり、自由にさせているから、いつもどおりではある。
カンバってなんか、私の遊び相手って感じなんだよなぁ。
そしてサビちゃんであるが、ちょっとした思惑から宮殿のメイドとして雇うことになった。
一つ、孤児院の子どもたちにやる気と希望を持たせるためだ。あの困ったちゃんのサビちゃんが雇われるなら私も、と言った感じで奮起してほしい。
二つ、あのサビちゃんがメイドなんかできるはずないと思って雇った。これはルアの侍女の後釜を諦めさせるためである。くくく、簡単には引き継ぎをさせない。サビちゃんの教育に苦しむが良い!
三つ、サビちゃんの盗人技能である。シーフキャットサビちゃんは忍者の素質がある。猫で忍者といったらメイドだろう。誰が決めた? 私が決めた。
サビちゃんには後々、諜報員として働いてもらおう。
サビちゃんはのんきにくわわとあくびをした。働かなそう。
しかしこのサビちゃん。慣れない宮殿でのメイド暮らしで、私が思ったより悪さをしなかった。壺を割ったり絨毯を引っ掻いたりするかと思ったのに。時々失敗はするけれど、素直に尻尾をしなあんとさせて反省していた。顔は「わたしやってないもん」と逸らしていたが。その様子を見たメイドが「飼い主に似ている」と漏らしたのはまことに心外である。ぷいっ。
そんなサビちゃん。少しずつベイリア語を覚えて、片言で話せるくらいになっていた。
サビちゃんを連れてきたのは、ちょっとした気まぐれだ。ソルティアちゃんからの手紙には「兎狩りをしませんか」というお誘いであったからだ。サビちゃんの能力がすごく活かせそうなイベントである。
ごとでんごとでん。退屈な馬車旅。春になったのに窓からはまだまだ冷え込む風がぴゅるりと吹き込んでくる。
カンバはそんな窓の外の景色をスケッチしていた。
「なに描いてるの?」
「ホーチン湖ですヨ」
え、ちんこ?
起き上がって窓の外を見ると、エメラルド色のきれいな湖がきらめいていた。そして湖に沿って赤茶けたレンガのかわいい家が立ち並んでいる。
おお! 町だ!
ごったんがったんしていた道が、やっと人里の、お尻が痛くならない整備された道へと変わる。
なんかあれだな! これぞまさに私が思っていた中世ファンタジーの世界だな! そうそうこういうのでいいんだよ! まさにオープンワールドゲームな風景。突発イベントが発生して討伐依頼とかされちゃうんだ。
「今日はこの町に泊まりますよっ」
いやそれは困る。アニメ・ゲームみたいな町だわぁいと思っても、そこで泊まりたいかどうかは別だ。急に文明レベルを、「トイレは壺で」とされても文明人の私は恥ずかしくておしっこは出ない。うんちは美少女なので元から存在しない。
まあ、私が泊まるのはそこらの民宿ではなく、町長のお屋敷なのでおトイレは問題なかった。
さらに嬉しいことに夕食で珍しいものが出た。
「おしゃかなだぁ!」
湖で取れる新鮮なお魚。塩漬けや干物ではない獲りたて煮立てほやほやであった。
「むぎゅむぎゅ」
「お嬢様が焼き魚を好むだなんて知りませんでしたっ」
「オルビリアではめったに食べられませんでしたネ」
実のところ、煮魚はそんなに好きではない。しかし旅でいつもと違うものが食べられるのは嬉しいものだ。
サビちゃんも煮魚を慣れないフォークでつつきながら食べて首を傾げている。味付けが濃すぎるらしい。
「明日は塩焼きが食べたい」
「そ、そんなものでよろしいのですか? ご希望でしたら用意いたしますが……」
町長さんは恐縮してしまった。しかし新鮮な魚といったらやはり塩焼きだと思う。淡水魚なのでもちろん刺し身とは言わない。
さて、町長さんの話は精霊姫の四本角大山羊退治の話を切り出した。そういえばあの時は二匹同時に現れて、一匹は南の国境沿いに逃げたという話だったか。どうやらこの湖の近くにも現れたようだ。
町長さんは私の魔法が凄い天才賢い偉いと褒め称える。えへへ。
散々持ち上げた後に繰り出した話題は、湖に首の長い魔物が顔を覗かせるという話であった。
ネッシー……いや、ホッチー……?
そいつが漁業の邪魔をして困っているんです、と。
ふむ。ふむ?
あれ? これいま私の前に選択肢が出てる? クエストが発生してる?
【魔物退治の町長の依頼を受ける】
【依頼を断って先を急ぐ】
【そんなことよりおしっこいきたい】
選択肢を幻視した。もちろん一択である。
「お花を摘みに行ってきにゅにゅ」
「お、お花でございますか?」
「おトイレだそうでス」
中座しつれい。おほほほほ。私はルアに運ばれていった。
ふう。
凹んだ球体にタッチして、水をざばあと流す。すっきりんこ。
で、だ。
私が食堂に戻ると、町長が執事に耳打ちをされていた。
「間違いないか?」
執事の頷きのあと、町長は私の姿を確認して微笑んだ。
ふむ。勝手にイベントが進んでいるな?
「ちょうど良い時に戻られましたな精霊姫さま。湖の魔物を見に行きませぬか?」
ま、まあ見に行くだけならいいけど……。
湖面の上に夕日に照らされぬるぬるしている魔物の頭がにょっきり生えていた。ちんぽやん。
「ほら! あいつです!」
ぬぼーとした表情でホッチーはぬるーと泳いでいた。凶暴そうに見えないし放って置いていいんじゃないかな……。
「ボートに乗って退治に行きましょう!」
いやそれは無理だ。さきほど食べた煮魚が魚の餌になるぞ。
すでにやる気消沈ちんになっている私の目に突然飛び込んできたのは雷光。目がぁ! そしてどがぁんという衝撃音。
私は後ろにひっくり返り、サビちゃんはふぎゃあと逃げ出した。
「なんじゃあ!?」
「ああやって電撃を発するのです」
うわあ。思ったより害があった。ぬぼーっとした顔に騙された。
感電した魚が浮き上がり、ホッチーは首を曲げてそれをぱくぱくと飲み込んでいった。
確かに漁業は困りそうだなぁ。
「お願いします! こんな辺境の地、討伐隊も来ないのです!」
でかい湖の中だしなあ。ボートに大砲を乗せるのも無理だし、パパの精鋭部隊でも退治は難しいだろう。
ああ、だから私に泣きついているのか。
しょうがないにゃあ。やれやれ。私はやれやれ系主人公になった。
私はパンツを抜いだ。
「な、何を……?」
「ここから魔法を撃つ」
「と、届くのですか?」
目視できているのだからなんとかなる。
ルアは人よけをして、カンバはさっと足元に壺を置いた。けっきょく壺か。
私はUSSRの精霊姫カードを取り出し、サビちゃんにバッグを預けた。
「恨みはないが目をチカチカさせおった詫びにちんでもらう。さらばホッチー!」
手のひらの魔法結晶化したカードに魔力が集まる。
むんっ! 私はぷにぷにのお腹に力を入れた。ちろり。おかしい、おまたが濡れない。
むむ、出力が足りない……? そうだ、さっき出したばかりであった。
こ、これでは漏れない!
予定外の漏れなさに焦る。しかし、このまま撃つしかない。
「まにゅっくあろー!」
しかもちょっと噛んだ。
まにゅっくあろーはにゅるんとした感じで私の手から放出された。一応ホッチーに届いたが、なんかにゅるんとしていた。にゅるんとしているため、いつもの空を切り裂くような威力はない。ぴゅるるるるとすぐに勢いを無くして放物線を描いた。
「し、失敗した……」
まさか、おトイレにいく選択肢が失敗だったなんて!
魔法を撃ち込まれたホッチーが湖に激しい波を起こしながら私に近づいてきた。
お、怒ってる……? いや、ホッチーは変わらずぬぼーっとした顔であった。だが、いきなり魔力ぶっかけされて怒らないはずがない。
ひええ。私はルアに担がれながら湖から離れる。その間にホッチーは湖岸に乗り上げた。
どがあんと再び激しい爆雷音が響く。振り返ると、岸のボートが雷撃で燃え上がっていた。
や、やっぱ怒ってらっしゃる!
『ありがとー』
強い魔力思念が飛んできた。一体どこから。そんなの決まっている、ホッチーだ。
ホッチーはひれをぱたぱたさせながら湖の中に帰っていった。
い、一体なんなんだ……。
「なんだったのでしょうかっ」
聞かれてもわからん。
しかしあれだ。ぬぼーっとした顔に騙されてもいいのかもしれない。
「えと、どういうことでしょうか、精霊姫さま……」
戻ってきた町長は私に尋ねた。
なんで私が責めれられる感じになってるの? 私、退治するとは言ってないし。知らない。ぷいっ。
私はクールビューティーキャラを取り戻し、言い訳をひねり出す。
「あれは善性の魔物。いや、精霊。湖の精霊。だから討伐なんて考えてはいけない。むしろ崇めるべき対象。信仰を失ってはいけない」
私が思いついた言葉を並べると、町長は目を見開いた顔のままだばだばと泣き出した。それどういう感情? こわっ。
そして慟哭を上げる町長の肩に、色黒のおっさんが手を乗せた。
「精霊姫さまのおっしゃる通りべさ。人の都合で湖の主さまを殺そうなんて罰当たりさあ。商会と手を組んだ漁業組合なんざ主さまに食われちまえばいいんさ。精霊姫さまに任せればなんとかしてくれるって、オレの言った通りだったべ?」
いや知らんけど。
知らないおっさんは私の手を掴んでむりやり握手をし、酒を煽りながら若者たちに喝を入れていた。
いや誰だよあのおっさん。
私はイベントフラグ管理が甘いゲームをした心境になってしまった。




