127話:子豚姫ダイエット編
パパが倒れたその後。私はタルト兄様に呼び出された。
「そんなに太っているようには見えないけど」
そうだろ? そうだよね? パパの腰が脆弱だったのが悪いって! きっとパパは座り仕事が多くて腰を悪くしていたのだ。私は悪くない。Q.E.D.
「それはそうとして、父上がお前を抱きかかえようとして背脂豚の突進を受けたのは事実だぞ」
つまり、魔女の一撃という意味である。
「タルトも私に痩せろと言うの?」
私が腕を組んで椅子の背もたれによりかかったら、オルビリア造りの木の椅子がみしりと音を立てた。
「椅子も泣いてるぞ」
「ひどい!」
ぴえん。……ちらっ。しかしタルト兄様には冷ややかな目で私を見ている。ぽっちゃり系妹の泣き真似は通じなかった。
しかたねえ。本気を出すか。
きゅるん。
私は両手を軽く握って合わせてあごに当てて、上目遣いでタルト兄様を見つめた。
しかしタルト兄様は呆れた顔で私を見下していた。
私の必殺技が効かないだと……!?
『あご肉がぷにっとしてますよ』
ふっ。私の攻撃が通じないとは、タルト兄様も成長したようだな。
タルト兄様は父上の仕事を手伝い始めてから、ぐんと大人っぽい雰囲気になった。なんか身体もムキムキになってるし。まだ十二歳なのに生意気だぞ。私の中のタルトのイメージはまだガキンチョだったのに、いつの間にかこんなに大きくなりやがって。まだまだちびっこだけど。
ふふん。
私が得意気な顔をしていると、どたんとノックもなしに乱暴にドアが開け放たれた。
「ララー!」
追いかけるメイドを振りほどき、ドレススカートを持ち上げながら私に向かって掛けてくる可憐なお姫様。クソガキ臭しかしなかった妹シリアナはすっかり女の子らしくなっていた。
私はシリアナの両手を手に取り、幼女二人はランラランとその場でくるくる回る。
元から愛らしい顔だとは思っていたが、すっと整った美幼女になりおって。こんなかわいいとロリコンに狙われてしまう。私が守らねば!
「おでぶー!」
シリアナは私の腰肉をむぎゅりとつねった。このクソガキめ。私はシリアナのほっぺをもにゅっとつかむ。すべすべマシュマロほっぺだ。
シリアナも私のほっぺをつまみ返し、メイドたちはシリアナを引き剥がした。
「ララがいじめたー!」
シリアナが目に大粒の涙を浮かべて私を指差す。本物の幼女の涙は強すぎる! 私は敗北した。しかし負けは認めず、ぷいっと顔を背けた。
「こらこらっ! けんかしちゃだめですよーっ! ほら、仲直りですっ!」
「ララのばーか! ぶたー! たるー! ぷにぷにせあぶらっしゃ!」
ぐぬぬ。ティアラは激怒した。必ず、ぶよぶよの脂肪を除かねばならぬと決意した。
ひとまず侍女ルアによって強制仲直りをさせられて、私は旅の疲れを癒やすため夕食までベッドでごろりとした。
『脂肪が悪いとは言いませんが、この付き方は危険ですよ』
ぷにぷにの毛玉がなんか言うてる。こいつは私の心配をしているわけではない。将来的に私の身体を乗っ取ろうと画策しているため、でぶでぶの身体では困るのだろう。
「まあ安心しろ。私は何回もダイエットを成功させてきたことがある」
『何回も……?』
ぎくり。さっそくこの矛盾に気がつくとは、さすがロアーネである。
そう。ダイエットとは減量ではない。素人はそこを違えて失敗をする。何回もダイエットを成功させたとはつまり、何回もダイエットを失敗したと同義なのだ。自虐ネタである。
ダイエットとは一時の減量ではなく、継続した習慣なのだ。ダイエットの目的は色々あるだろう。健康、美容、ファッション、サイズ、かっこよくなりたい、美しくなりたい、パパの腰が破壊されたなど。ダイエットの目標とはそれらであり、痩せるということ自体は目的ではなく手段である。そこを痩せるということを目的と履き違えて素人は失敗する。
だから、絶食や、朝食を抜くとか、炭水化物を抜くダイエットに走ってしまう。痩せると窶れるは違うのだ。
そもそも出発点として、よく言われている、摂取カロリーが消費カロリーを上回れば良いというのが間違いである。そのような浅い考えが広まっているからこそ、ダイエットの失敗が起こるのだ。摂取したエネルギーが全て脂肪になるわけではない。当たり前の話である。カロリーなんて計算しても無駄だ。
『なるほど。核となる単語がわからないのでロアーネには理解できませんが、つまりコポティシアのマジロジクなカルプスな話ですか』
私の思考に知らない異世界語混ぜないで混乱するから! 私はポアーネをもにゅった。
『それで、ティアラ様が子豚姫になった原因はわかったのですか? それを取り除けばよいのでは?』
子豚姫言うな。
その原因はわかっている。そしてそれを除くのは非常に難しい。
「お嬢様ーっ。おやつですよーっ」
「わーい」
ルアが淹れたコーヒーとチョコチップクッキーの組み合わせは最強なのだ。
ペーパーフィルターでもわっと膨らむ粉の感じいいよね。
「お嬢様が考案されたこの三角濾し紙は便利ですねーっ」
ここでのコーヒーの淹れ方は、鍋で布で濾していて面倒そうだったから「ペーパーフィルターないの?」と言う話から作ってみたのだ。うっかり前世記憶で発明品を持ち込んでしまったぜ。
個人的にはトルコ式(粉をカップに入れてそのままお湯を注いじゃう)でもいいんだけど、ルアに下品と言われて却下されてしまった。
「それで、私が太った原因はこのクッキーだ」
私がそう言うと、ルアにクッキーを取り上げられてしまった。ぴえん。
「わかってるなら用意させないでくださいっ」
「待て待て。だけど、適度なおやつは食べた方が太らないのだ」
「またそうやっていいわけしてーっ」
ほんとなんだもんっ! 私は両手のクッキーだけは死守した。
「二十枚も取ってるーっ」
二十枚? 私は両手に一枚ずつ持ってるだけじゃが? ルアの目がおかしくなってしまったらしい。
私はもぐもぐとクッキーを口に放り込み、髪でコーヒーカップを掴んでずずずと飲む。この甘さと苦味が良いのだ。そして髪で掴んだクッキーを三枚目、四枚目と放り込み……。
「なぬっ!?」
みしりっ。思わず私は椅子を鳴らした。体重のせいで勝手に鳴っただけだ。
無意識に私は髪の毛でクッキーを掴んでいた。こ、これは一体……。
「……こんなにクッキーを用意するルアも悪いと思う」
「クッキー足りないと言って魔力撒き散らして暴れるじゃないですかーっ」
そ、そんなことを私が……? 記憶にないぞ? まさか私の意識が幼女に乗っ取られて……!?
『おっさんの中の幼女というやつですか』
いやそっちではなく。
私は私の中の幼女の意思のせいにしようとした。だがそれは違った。私の中に別の意思が存在を感じた。
「こ、これは……。デブの意思……! まさか脂肪に身体を乗っ取られて……!?」
私が拳を固めてわなわなぷるぷるしている間に、髪で掴んだクッキーはルアに没収された。
「太古の人類は、飢餓との戦いであった……」
『また何か始まった』
そして人類の歴史とは、農耕から始まったのだ。
脂質とタンパク質が中心だった人類が、農耕という他の生物にはない力を得た。最初は余った芋を、種を土に蒔くという運任せの畑は、いつしか技術として定着し、安定して炭水化物を得られるようになった。そして人の土地はただの縄張りから領土に発展し、畑の奪い合いから戦争が始まる。そして巨大な土地を得たものは巨額の富と権力を得る。働かなくても食っちゃ寝できるようになった。
「肥えた人類は、デブとの戦いがはじまる……」
『ロアーネは熱いコーヒーより冷たい氷がほしーの』
デブの意思。それは並の精神力では抗えぬ太れという意思。体内に増えすぎた脂肪は「もっと糖質よこせ!」と叫び、脳はそれに支配される。いわば脂肪による暴動。クーデター。食べられる時に食べておけという飢餓への対策。
だがそれを続けると、血糖値を下げるインスリンを出すすい臓が疲弊していく。これが糖尿病だ。
「まだ遅くはない……」
『かなり手遅れだと思いますが』
短期間で膨らんだ脂肪はすぐに落ちる。んにっんにっ。私は椅子から立ち上がりスクワットを始めた。三回で膝が悲鳴を上げたので、髪の毛で支えてずるをした。
「あっ。お嬢様がんにんにするの久しぶりに見ましたねっ」
「んにゅっんにっ……。はぁ……ふぅ……。そう。大事なのは血糖値コントロール……」
食後の運動。それがダイエットの答え。脂肪は使われなかったエネルギーを蓄えるシステム。筋肉を使えば脂肪の原因となる血糖値が下がるのだ。
「ふひぃ。つかれちゃ」
髪の毛を使ったずるをしたスクワットを十回して私は椅子にどかりと座った。椅子はめきゃりと音を立てて脚が折れた。
「ぐえっ」
「お嬢様ーっ!?」
ずぅん。私は床に倒れ、宮殿が揺れた。




