126話:オルバスタの冬の始まり
かつては大森林であったであろう大地を、山から吹き下ろされた風花が踊る。草原の中に敷かれたコンクリートの道を、馬のいない絢爛な馬車がゆく。職人の手で叩き伸ばされた曲面の美しい黄銅の屋根がみちりと音を立てた。車体と同じく輝く毛並みをした翼の生えたライオンの魔物があくびをして寝返りを打ったのだろう。引き手のいない馬車がかぁんかぁんと甲高い音を奏で、ぷひゅうと蒼い蒸気を放つ。叩くと蒸気を発する魔法鉱物のネコラルによる蒸気機関自動車に揺られ、私たちは実家への帰途に付いていた。
外では木枯らしが吹きすさび、ぴううと風の精霊が鳴き声をあげている。オルビリアに入り、南へ進めば進むほど外の風は雪混じりとなり冷たくなっていった。シビアン山脈のせいで緯度が下がっているはずなのにベイリア帝国の南部の方が寒いのだ。首都近郊では雪は降らず順調に進んでいた旅路も、天候不順による足止めが増えてきた。
魔法による完全暖房された車の中は汗ばむほどに暑い。ふかふかベルベットのソファに染みができる。小窓をちょいと開けると冷たい空気が私の頬を撫でて汗を乾かしていった。
『わ~いひんやり~』
私の頭の上で白毛玉がぽむぽむと跳ねる。ポアポアの身体を乗っ取った古代神官ロアーネが壊れた。私たちの乗っているこのネコラル自動車にはハンドルがなく、魔力を込めた思念、つまり脳波で動く。自動操縦AI扱いされた彼女はついに頭がおかしくなってしまったらしい。あるいはキャラ変かもしれない。マスコットキャラが身体の乗っ取りを企む邪悪な古代生物とか流行らないしな。
『違います。ちょっとぽぽたろうの意識に引っ張られただけです』
なに!? ぽぽたろうお前生きてたのか!
私はぽぽたろうを掴んでもにゅもにゅと揉んだ。てっきりロアーネが乗っ取りぽぽたろうの精神は失われてしまったと思ったのだが。
『以前から言ってるじゃないですか。乗っ取りじゃなくて、魂が混ざっただけです。ティアラ様だって、時々かなり幼女が出てるじゃないですか』
いやだって私は幼女だし……。十歳が幼女かどうかは議論が分かれるところだが。ロリコン的には年齢が二桁はゾーンから外れると思う。一般的には二次性徴が始まっているかどうかだろうか。つまり胸が固くなり、余計なもさもさが生え始めたどうかだ。するならば私はまだ幼女で間違いない。
『おっさん視点で幼女を自覚してる混じり方で気持ち悪いですね』
いやだって、意識はおっさんで身体は幼女なんだから仕方ないだろ……。幼女の意識なんて出してないぞ。出てるとしたらそれはおっさんの中の幼女だ。男なら誰しも頭の中に幼女を飼っている。それをアニマというとかなんとか。しらんけど。
『まさか自覚がないとは。しかし言われてみれば、ロアーネも寒くてウキウキするポアポアの感情を別のものと意識できてませんでしたね。正しく混ざってると言えるのでしょうが』
またロアーネがなんか変なこと言ってる。いや待て、なんか大事なことをさらりと言われてる気がするぞ。確かに今まで何度も出てきた話ではあるが、それってつまり……。
私が無意識に考えないようにしていたことを、頭によぎりそうになったところで、ちょうど外からの声でかき消された。
「セアブラッシャだ!」
セアブラッシャはなんかちょっとかっこいい雰囲気がある言葉だが、豚の魔物だ。ドイツ語でシュヴァインがなんかかっこいい語感なのに豚なのと一緒だ。まあ、かっこいい雰囲気と思ったのは最初だけで、豚と背脂がむすびついでどうしても背脂とイラッシャイが混ざり合ってラーメン屋が頭から離れないので、私は脳内で勝手に背脂豚と翻訳してしまっている。
そんな背脂豚は外気温から守るために身体が脂でねとねとしているのである。だから実際だいたい背脂豚で合ってる。
『そうです。ティアラ様の子どもとしての言動は、元の身体の魂なのでしょうね』
待て、なんの話だポアーネ。こっちの脳内はすでにこってり系ラーメンに移っていたというのに、忘れかけていた話題をぶり返すんじゃない。
『だって、一度忘れたらもう思い出さないではないですか』
いやそうだけど……。ちょうど思考がそれて、やっぱ考えないようにしようという流れだったのに、空気読まない白毛玉め。
すでに私の脳内では、脂でねとねとの豚の魔物と、ラーメンと、幼女と、ぷにぷに系おっさんのイメージが頭の中で混じり合って大変なことになってしまった。なるほどつまりそういうことか。
「スープと麺だけでもラーメンじゃが、チャーシューが乗ってる方がお得なのじゃな」
『なに言ってるんですか?』
チャーシュー麺食べたい。つまりそういうことだ。
さてはて、ネコラル自動車での旅はめちゃくちゃ暇であった。いくらリルフィの膝枕を堪能し放題とはいえ、それはまあ元から日常なわけで、私たちはすぐに会話の話題も尽き、乗り物酔いする私はみんなみたいに車内で読書もできなかった。
つまり、刺激に飢えているのだ。
ということで、私は車の外へ飛び出した。
「姉さま! 危ないですよ!」
魔物とはいえ相手は豚だ。猪ですらない。危ないことはないだろう。ただ、車から降りるときに転がり落ちそうになった。ふう。落ちそうになったというか、頭から落ちたのだが。だが、今の私は髪の毛を自由に操る操毛魔法がある。私の髪に勝手に住み着いたちっこい精霊たちに思念を送ると、髪の毛はわさっと広がり私の頭蓋骨は地面に落ちず割れずに済んだ。そのまま髪の毛でくるりと一回転して、さも「最初からアクロバティックに降りるつもりでしたが?」という雰囲気で立つ。なぜなら私はクール系美少女だから。うっかり車のステップから転がり落ちるなんてドジっ子は似合わないのだ。
ふっ。
「もーっ。お嬢様はドジっ子なんですから、飛び出さないでくださいっ」
ドジっ子ではないのじゃが?
私がぽてぽてと歩き始める前に男の娘リルフィと侍女ルアに左右を固められてしまった。私たちの後ろにすっと気配なく暗殺者のようにリルフィの侍女が立つ。
道の外れで背脂豚と護衛たちが戦っている。背脂豚は脂でねとねとなので炎魔法で簡単に燃え上がる。燃え上がって走り回るので危険だ。氷魔法も動物性の脂のくせに低音で固まらない魔法脂なので効果が薄い。そして物理攻撃も刃が滑って通りにくい。ただのねとねと豚のくせにやっかいなやつだ。
どぉんと猟銃の音が鳴り響き、私の長い虹色の髪がぶわりと巻き上がる。銃声にびくんとした私の心に反応して、髪に住んでいる精霊も一緒にびっくりしたようだ。
背脂豚は首から血を噴き出してどぉんと雪に倒れ、赤くした。
脂でねとねとであろうと銃には勝てなかったようだ。悲しいね。
解体を始めたのでその場から離れようとした。元文明人の現代っ子のおっさんである幼女には刺激的すぎる光景だ。
しかし無神経な近衛のひげもじゃおじさんが私を大声で呼び、目の前でまんまるい背脂豚を見せつけてきた。
「ほら見てみろ! 嬢様みたいにころころ太って美味しそうだろう!」
な!? 失礼すぎるだろこのおっさん!
今思えばこの超絶無神経おじさんに比べれば、いけすかお兄さんはいけ好かないだけでまだましだったかもしれない。おい誰か! この失礼なおっさんをひっ捕らえい!
だが他の若い衆はおっさんの言葉にハハハと空笑いするだけであった。
失礼しちゃうわね! ぷんぷん!
私は馬車型自動車のステップに足を乗せると、それはみしりと音を立てた。
なん……だと……?
私の手を掴んで引っ張り上げたリルフィが苦い顔をしていた。
「もしかして私、太った?」
「え? 今更ですか姉さま」
リルフィなら否定してくれると思ったのに。
続いてルアに「んもー、私が毎日指摘してるじゃないですかーっ。ほんとにずんぐり象に神託ですねっ」と言われてしまった。
同席しているリルフィのメイドは目を開けているのかいないのか、腕と脚を組んですんとすました顔で黙ったままだ。こいつ絶対メイドじゃないだろ。
「ふむ……」
ついに私はぽっちゃりを自覚した。「まだ大丈夫」と思い込んでいたが、どうやら私は豚の魔物と比べられるほどの体型になっていたようだ。改めてドレスを見ると何度も縫い直された跡が見て取れた。
「ふむ……」
故郷のオルビリアはもうすぐだ。
オルバスタ州オルビリア。私の生まれ育った都は鉄道が通り、ド田舎地方都市から栄えてランクアップしている。一時期はスラム街となり始めていた外壁の周りににょきにょきと新しい家が立ち並び、ソーセージと材木くらいしか特産物がなかった街に工場がぽこぽこと生えて、煙突から蒼い煙をもくもくと吹き出していた。街道ではオーギュルト人しか以前は見かけなかったが、今は猫人や耳がエラのようになっている人がコミュニティで固まって歩いていた。
人の流入は良いことばかりではない。昔からの住民は住みづらくなったかもしれない。だけどド田舎がド田舎として観光資源だけで食っていくには、オルビリアには何もなさすぎた。
だからきっと、この変化はいい事だ。
久しぶりの我が家へ付いた。親バカなオルバスタ侯爵ディアルト・フロレンシアは、庭に停まったネコラル自動車のドアの前で両手を広げて私を出迎えた。
「ぱぱー!」
「おお! 大きくなったなぁティアラよ!」
大きく……? いやそんなに背は伸びてないんだけども。
パパはまた少しやつれてしまったように見えるが、元気そうでなによりだ。四本角大山羊によって一度はちぎれた右腕も、今では生活に支障がないくらいにくっついて回復していた。
そんなパパは私を抱きかかえて車から降ろそうとした。悲劇が起きたのはその時であった。
「ふぬぁっ!?」
私を持ち上げようとしたパパの腰がくの字に曲がったまま硬直し、膝から崩れ落ちた。そして私は地面に投げ出された。ごろごろろ。
パパは身体を痙攣させていた。
「ぱぱぁー!」
オルバスタ侯爵重体。危篤。豚の魔物に腰を砕かれる。様々な真偽不明な噂が広まることとなる。
オルビリアにきびしい冬が訪れようとしていた……。




