106話:世界樹の入り口
ビルを彷彿させるような巨大な大樹の周囲にはロープが張られている。観光客たちが日陰の下で日傘を差してその世界樹を見上げている。
そこでは肉と、パンと、チーズと、バターと、カラメルの香りが漂っていた。世界樹までの道にずらりと屋台が並んでいるのだ。
私も甘いチュロスをもぐもぐ咥えながら世界樹を見上げた。
でっけー。
魂は魔力に惹かれるというのがよく分かった。世界樹さんは魔力を輝かせていたりはしていないが、なんだかお腹にびんびん響いてくる。ちょっと途中でジュースを飲み過ぎたかもしれない。
世界樹に触りたい。
その欲望はルアに抱きつきたくなるのと同じだ。おっぱい。それも魔力である。今も隣でぽむぽむしている。世界樹といい勝負だ。
『世界樹さーん』
試しに世界樹さんに魔力を込めて思念を送ってみたけど反応がない。あれ? 植物じゃない? 生きてない……?
待てよ。ファンタジーにおいて世界樹は必ずしも植物とは限らない。古代文明の宇宙船だったり、古代遺跡を中に隠していたりするのだ。どこかに中に入る入口があって、エレベーターで地下に潜り、古代人から世界の謎を唐突に教えてられたりするのだ。全てが判明した。この世界は未来の地球だったのだ……!
さて、私の予想が正しければどこかに入り口があるはず……きょろきょろ。
あ、あった……。
ロープの一部は外せるようになっていて、側にお姉さんが立っていた。一人の男が何やらその係員に提示して、ロープの一部が外された先を歩み、世界樹の幹に触れた。そんな特別サービスもあるのか!
「あれは神官だ。神官は世界樹に触れて信託を受けることができる」
へー。いけすかお兄さんがガイドみたいになっている。もっと詳しいはずの神官が頭の上でチュロス咥えてるのに。ポアポアの身体でお菓子食えるのか……。
それはともかく、選ばれしぷにぷにの民の私ならば、世界樹に触れたらきっと転送されて世界の謎が明かされるに違いないのだ。これは中に入らねばならぬ!
私は両手を挙げてぴょんぴょん跳ねてアピールした。
「私も触りたい!」
「神官じゃないと無理だ」
ちっ。いけすかお兄さんにはかわいさアピールが効かない。これが軍人ってやつか。幼女のハニートラップに引っかからないように訓練されている。
『ロアーネを名乗ったらいけるんじゃないですか?』
「む?」
何その裏技。名前騙っていいのか?
『実際にここにいるのですから、嘘じゃないですし』
本人が言うならいっか。いいのか?
世界樹に手を触れていた神官はなんだか晴れやかな顔で戻ってきた。聖地巡礼完了か。
「あ、ナスナス。遠くに何か見えるよ?」
「ん?」
私はいけすかお兄さんの隙を見て係員にぽててと駆け寄った。
「ロアーネです。世界樹に触りに来ました」
私はロアーネの真似をして少女らしさを前面に出さず、ババアらしい抑揚で話した。
『ババアらしい?』
『なんだかこの辺きもちがいいわー』
相変わらず頭の中へ聞こえてくる一人と一百合の声がやかましい。
「ろ、ロアーネ様でいらっしゃいますか? 本物で?」
「本物だよ」
頭の上の白毛玉がね。
横から男神官が口を出してきた。
「ロアーネ様は昨年亡くなられた。あの方を騙るならばその首が胴体から離れるぞ」
ひっ。
『むぅ。最近の若者はロアーネが姿を変えることを知らないようですね? 教育が必要です』
とか本物が頭の上で愚痴っているので、それをそっくりそのまま言ってみた。
すると男神官は「何を言うか!」と私に掴みかかってきたのだが、係員のお姉さんがそれを止めた。
「ロアーネ様が姿を変えて世に現れることは、今は一般的には知られていないのです」
『ふむ。低位のラヴァー派神官はそうなのですね。やはりキョヌウはダメですね』
私がロアーネの声を復唱しようと思ったら、後ろから首根っこをむんずと掴まれた。ぷらーん。
「精霊姫。何をやっている」
「お嬢様ーっ。揉め事はダメですよーっ」
「わわわ。神官さんを怒らせてはいけないってテーナ教わりました」
テーナのぶりっ子に正体を知った後であるがゆえ若干イラっとしつつ、地面に下ろされた私はぷぅと顔を膨らませていけすかお兄さんに振り返った。
「精霊姫ではなくロアーネです。軍人ごときが失礼ですね」
ぷんすこ!
「ふん。なんだそれは。その幼稚な姿で真似をしているつもりか?」
おかしい……完璧な合法ロリのモノマネだったはずなのに通じないだと……?
だけどルアは騙されたようだ。
「わわっ! お嬢様はロアーネ様になってしまったのですかっ!?」
「うむ。わちじゃよ」
私は両手に腰を当ててふんすとない胸を張った。
『それのどこがロアーネの真似なんですか……』
おかしいな……そっくりだと思うのじゃが……。ルア一人が「わーっ」と手を叩いていて、みんな冷たい視線でわちを見ているのじゃが。
係員のお姉さんがルアに「この方はロアーネ様なのですか?」と尋ねると、ルアは私の頭上を見て「ロアーネ様ですよっ」と答えた。
ナイスルア!
「俺はそんなことは聞いていない」
いけすかお兄さんはさー。話を合わせろよなー。
テーナちゃんは疑わしい目を見せながらにやにやしている。新しいスパイ情報をゲットして嬉しそうだ。
「ロアーネという証拠を出せばいいのですね……。ふむ。なんかない?」
『魔法結晶の魔除けはどうでしょう』
私は胸元からたこ焼きのような魔除けアクセサリを取り出してお姉さんに見せた。
「これは?」
「ロアーネが作った魔除けです」
「確かに高度な魔法防御式が組まれているようですが……これがロアーネ様が作られたものだとしても本人の確認にはなりませんよね?」
あ、そりゃそうか。
「やはり偽物か! その変な髪! もしや魔物ではあるまいな!」
男神官が私を魔物扱いしてきた。失礼な! いや、ラヴァー派は精霊も魔物扱いするんだっけか。合ってるな。正解!
「俺が知っているのは、精霊姫はロアーネ様と共に行動をしていたということだけだ。何を隠している?」
「だから、わちがロアーネになったのじゃ! 世界樹に触ってみたいのじゃ! むすー」
『ロアーネのイメージが下がりますから、その言動止めて下さい。止めろ』
大丈夫だ。ロアーネのイメージなんて元々悪いから。キョヌウ派に囲まれたこの状況、本人なら噛み付いて回っているはず。狂犬だし。
「どう見ても偽物ですが、この自信は一体……」
「偽物だ! さっさと捕まえてしまえ!」
むぅ困ったな。本当に偽物なんだけどなぁ。
「そうだっ! お月見の祈りの踊りを見せればいいのではないでしょうかっ!」
ルアが変なこと言い出した。
「なるほど。ではそれで判断いたしましょう」
「変な踊りをしたら即座に捕まえてやる!」
しょうがないなあ。で、踊りってどうやるんだ? 何度か見たことはあるけど覚えてないぞ。
『しょうがないないですね。まず両手の指を当てて祈りを捧げ、空へ掲げてください。そして右足を出して、腰をひねって、両手を広げて……』
ロアーネの指示を聞いて、お月見で踊る姿を思い出しながら、身体を動かしていく。んにっんにっ。
「こ、これは……」
「酷い……」
「動きは正しいのにめちゃくちゃです……。どう判断すれば……」
こっちは一所懸命なんだぞ! んにっんにっ。
「もう止めだ! 偽物に違いない!」
「いえ待ちなさい! ひ、光が……! 世界樹の祝福が集まっています!」
何やら私の周りがキラキラしてきた。
そういえば以前もこんなことあったなぁ。このキラキラは精体? だとするとお月見の踊りは魔力を集める踊りなのだろうか。
『いえ、知りませんが』
知らないんかい! いや、昔も知らないって言ってたけども。あの時は歌を歌ったんだっけか。
『ぽーてちぽてちぽーてち』
いやそっちではなく。やめろ。私の頭の中で変な歌を歌うでないロアーネ。
「大変失礼いたしました。動きはぎこちないながらも踊りは大まかに合っておりましたし、何より世界樹の祝福が与えられたのが何よりの証拠でございます」
ポアーネをむにむにしていたら、なんだか入る許可が出ていた。やったー!
では早速。
みんなが注目する中、私は世界樹に手を伸ばす。
ふふん。私が世界樹に招かれて突然転送されたらみんなびっくりするだろうな。
「ぬあっ!?」
私の身体が幹に引き寄せられる! そ、そういうタイプの入り方!?
私は両手を広げて世界樹に抱きつく形となった。めちーん。
そして意識がふわふわしてくる。
魔力がぐいぐい吸われるぅ! 祭壇に触れた時のようだ! て、転送はまだかッ! このままでは……!
びゅるるっ。
ああ。心地よい気分だ。全裸で露天風呂に入って西日の日光浴をしながら東の星空の満月を見上げるような。
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私は意識を失ったようだ。気を失ったことに気がついたのは目が覚めた後であった。
ここは、食べ物の香り漂う世界樹の広場ではない。カビ臭い暗い部屋。どこだ。どれだけ時間が経った? 転送されたのか?
誰かが目の前に立っている。誰だ。
「ようやく目覚めたか」
その声は。お、お前は……。いけすかお兄さん……。なぜここに……。
「そうか。ナスナスが古代人だったのだな……」
「古代人? 何を言っている寝ぼけているのか」
ふん。この期におよんでしらばっくれおって。
「ここはどこだ?」
「留置所だ。貴女は世界樹に小便をした容疑で捕まった」
ふむ。思ってた展開と違うな?