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異世界転生失敗奇譚  作者: 八田弘樹
人魚の哀怨歌
3/14

魔物が唄う島

 俺は河口誠という。

 しがない中学教師で歳は二五歳。前年で教員免許を取得して、さあこれからと思った矢先、これである。

 どうやら俺は異世界へ転生してきたらしい。

 巷で最近流行っている、事故死したら異世界へ転生して、最強ステータスを手に入れて第二の満喫ライフを! というもののようで、その雛形で使われる境遇と俺の現状とがだいぶ酷似している。

 まさか本当にこんなことがあるとは。ことに我が身に降りかかって来ようとは夢にも思わなかったわけだ。

 俺も最強なステータスを手に入れて、誰にも邪魔されない痛快で快活な異世界満喫ライフを味わえる!

 しかし、そんなせん妄に浮かされていたのもつかの間の話である。

 俺の場合はそういった痛快で満開な異世界満喫ライフとは程遠かった。

 血も凍るような怨嗟と邪念が渦巻く、恐怖と戦慄に血塗られた寒々しい事件の数々に常に身を震わせながら、複雑にもつれた深い陰りの沼に、これから深く身を沈めることとなるのだ。


 この世界には、各々が持っている特性——スキルというものが存在すると、先ほどの少女がいう。

 ちなみに俺が持っているスキルは、

「【名推理】と【事件体質】?」

「そうです! 頭の上に、今まさに浮かんで見えます!」

 少女は嬉々として俺の頭上を指差して叫ぶ。そう言われ、つられて空を仰ぐも自分では全く確認できない。

「はあ、一体どう見えてるの、それ?」

「ううんとですねぇ——」

 少女の名前はリセ。と呼ぶことにした。

 正確にいえば、 聞いたは良いものの、およそ人が発しているとは思えぬ奇怪な音をした言葉に、ただただ圧倒されてしまった始末である。しかし想像してほしい。小鳥のさえずりとも、イルカの鳴き声ともつかないあの異様で奇怪な声を。あれはまさに鳥肌物である。

 結局、その奇妙な動物のさえずりのような音から、名前らしい名前のイントネーションを拾うことのできなかった俺は、ふと頭に浮かんだリセという女性の名前を彼女にあてた。(名前の由来をこの場で口外するのは非常にはばかられるので、一言眠らない夜の住人から拝借したとだけ述べる)

 リセという名をあてたはいいものの、彼女はひどく不満げで(当然といえば当然だが)物言いたげな様子でしかめっ面をしていたのだが、長いからこれで頼む、という俺のしつこい言葉に、しぶしぶ了承したのである。

 リセは俺の頭の上を左見右見して、なにやら考えあぐねているようで、

「——うまく説明できませんね、白っぽい文字で宙に浮かんでるんですよ」

「はあ、そうなの」

「ええ、そうですよ」

 あきれたような表情で薄ら笑いを口の端に浮かべるリセに対して、なんの感慨も湧かないのは、今置かれている状況に思考が追いついていないからだろう。

「えーまあ、だいたいスキルを発動しているときは常に浮かんでいます」

「え? じゃあなに。俺、今、発動してんの?」

「してますね。【名推理】と【事件体質】」

「なんにも変わんないんだけど」

「そんなもんですよ。スキルなんて体質みたいなものですから。あの人は汗っかき、とかこの人はわきが臭い、とかそんな感じです」

 なんだか全くありがたみのない話である。一瞬でもスキルという響きにときめいた事を深く後悔した。そんなものは湿ったポテトチップスほどに価値もない。

 しかし彼女いわく、中にはかなり有用なものもあるらしく、例えば品物の価値を目利きできる鑑識眼など、炎に絶対耐性を持つ耐火体質など、スキルにもかなり優劣がつき、有用なスキルであればあるほど、職についた時の給与も高くつくし、選択できる職種の幅もかなり差があるという。

 なんだかそうした特性が目に見える分、いっそう酷な気がして素直に頷きかねる話である。

 異世界でも現世も、能力による社会のカースト制度は存在するところを見ると、異世界へ来た事を手放しでは喜べない。

 草原の中を歩きながら、適当な話をするうちに彼女の目指す先がわかった。

 どうやらこの先に小さな港があるようだ、が、いくえも続く小さい草原の丘は非常に見通しが悪く、見渡しても草のしか目につかない。

 目がダメなら音でもと思い、耳を澄ましてみるものの、草が風になぶられてさんざめくばかりで、潮の音すら聞こえない。

 先の見えない進歩にはほとほと閉口する。

 すると突然、

「あっ」

 不意にリセが小さく声をあげ、ぱっと弾かれたように走り出した。前方の隆起した小さな丘を駆け上がる。

「見えましたよ、先生! 港です」

「え?」

 なぜわかったのか少し疑問に思いながらも、港が見えるというので、彼女に続き、丘を登ってみると、何重にも小さく盛り上がった草丘の先、地平線付近に村の影がかすかに見えた。

 軽く見積もっても1キロはあるだろう。まだまだ先ではないか。

 しかし、なぜ海があるとわかったのだろうか。不審に思い、隣にいるリセの顔を覗き込むと、

「あ、先生。今、なんでわかった? って思ってますね?」

「え、あ、はあ」

「それはですね、先生。私の頭の上を見てください」

「頭の、上ぇ?」

 我ながら間抜けな声で、言われるままにリセの頭上を見ると、

「【慧眼】? と【遠耳】?」

「えぇ? ケーガン? トーミミ? なんですかそれ」

「いやだって、そう書いてあるもん」

 リセははぁと嘆息したのち、あきれた様子で俺を見つめ、

「はぁ、先生ってわけわからない事いいますね」

 ある程度の日本語は通じるようだが、こう言った単語はどうやら通じないらしい。不思議な言語文化である。

「俺としては、リセちゃんの方がわけわからないけどな。だいたい先生ってなんだ」

「だって先生は先生でしょ? 探偵の方は皆先生って呼ばれてるよ。港の人も先生って呼んでるし」

「え、なに? 港の人も俺のこと知ってるの?」

「そりゃね。お告げがあったし」

「お告げぇ?」

 俺は思いがけずすっとんきょうな声を上げる。その声に、リセは喉の奥でククっと笑い、

「神様の啓示って言ったらいいのでしょうか。百年に一回、今、世界でもっとも必要なモノを神様が選んで、必要な力を与えたのちに、この草原に落としていくんです。そんでもって、それがみんなの夢に、お告げとして出てくるんですよ。そして今回、先生が選ばれたってこと!」

 嫌にまとわりつくような、甘くこそばゆい声でリセが言う。まるで綿菓子を耳の中へ突っ込まれたかのような、一種くすぐったさにも似たじれったさを耳に覚える。

「俺、そんなたいそうな力もらってないと思うけど」

「もらってますよ! ほら、【事件体質】!」

「それ、全然ポジティブな力じゃないからね」

 【事件体質】とは俗にいう探偵の宿命みたいなものだろう。

 某少年探偵や某高校生探偵の周りで、異常なほど事件が起きるそれと同じである。そんなものは人を不幸にする呪いと一緒だ。噛んだガムよろしく、ちり紙に包んで捨ててしまうのが一番いいだろう。

 そもそも俺は頭もいい方じゃないのに、何を推理しろというんだ。

 どうせ呼ぶんなら、もっと頭の良さそうなやつにしろよな。

 胸中を虚しくこだまする悪態をよそに、ぐだぐだと続く丘を何回か忘れるほど超えると、やがて小さな港へたどり着いた。

 港の入り口には幅、高さそれぞれ3mほどの大きな木製のアーチが掛かっていて、中央には塗装が剥げて錆びついた人の頭ほどのベルがぶら下がっている。

 アーチには何やら書かれているが、何語なのかわからないため読めない。

 リセにも聞いてみたものの彼女も読めないという。この辺りの人々は古代の時代から続く民族であるため、一般大衆に使用される文字は書けないのだそうだ。

 アーチをくぐって、港へ足を踏み入れてすぐ、アーチの脇に立っていた憲兵であろう者がこちらへ駆けてきた。

 全身鉄の鎧を纏った人が、間の抜けた金属音を立ててこちらへやってくる姿に、思わず笑わずにはいられない。時代錯誤もはなはだしいとは、まさにこのことである。とはいえ、この世界の時代が現世のどのあたりに位置するのか未だ不明であるため、錯誤しているのかどうかはよくわからないが。

 しかし出会う人がみな、ハロウィンに行われる渋谷の仮装パーティがごとく、徹底したコスプレスタイルときたものだ。

 異世界だとわかっていても、どこか間の抜けた感じがしてひどく可笑しい。

「ああ、タヌキだ。おかえり」

「なっ! タヌキじゃありませんから!」

 悪態をつく青年の憲兵に反駁するリセのやり取りを見るに、どうやら顔見知りのようだ。

「急にこんな辺境までやってきて何かと思えば、おっさん拾ってきただけかぁ? よほど男に困ってるようだな」

「困ってません」

「あっそ、まあなんでもいいや。とりあえず、ほれ、許可書は?」

「え、え? きょかしょ?」

 憲兵の言葉をおうむ返しについもらしてしまう。

 その瞬間、憲兵のおもてからさっと笑みが抜け、表情を一気に曇らせる。

「おい、まさか通行許可書を持ってないのか? こいつ不法——」

 そのおりから、リセが憲兵の耳元へ近づき、なにやら耳打ちをする。

 その時の憲兵の顔たるや見ものだった。

 見る見るうちに顔から血の気が失せて真っ青になったかと思うと、今度はおもてに紅潮をさっと走らせて、

「——こ、こ、こ、これは失礼しました! せ、先生とも知らずに私は! 大変申し訳ございません!」

 お告げの人というのは、この世界にとって相当大きな存在なのだろう。現にこうした辺境の港でも名が立つほどに知れ渡っているうえ、憲兵のこの反応である。

 唐突なお告げの人の出現に泡を食ったようで、肩をかたかた震わせている。

「いえ、憲兵さんも職務を全うされての事ですから……」

 彼の気の毒な姿に、俺は微苦笑を浮かべてその場をさっと流し、

「それよりリセちゃん、これからどうするの?」

「そうですねぇ……休んで行きたいのは山々なんですが……」

 リセはいきなり神妙な表情になり、素早く憲兵へ視線を走らせる。

 その視線につられるように憲兵もぐっと顔を強張らせる。

「お告げ人が来たら、まず真っ先にあの島へ向かうように、とお告げであったな」

「はい、そうですね。船は準備できているんですか?」

「ああ、あのお告げ以降、いつでも出せるようにしてある」

「ではさっそく向かいましょう……先生、そうそうに一仕事打ってもらうことになりそうです。楽しみですね」

 リセは艶然とした笑みを浮かべて、そう述べた。

 私はリセのそのおよそ年齢に似つかわしくない微笑に、思わず冷たい戦慄が背中を走るのを禁じ得なかった。

「さあ行きましょう、魔物が唄う島へ」

 憲兵に連れられるまま港町へと通されると、町の人がどこから噂を嗅ぎつけてきたのか、町の大通りは大勢の人で道を挟んで溢れかえっていた。皆が鬨の声を上げて、我々の到来を祝福しているようである。

 しかし、まあなかなかにへんてこな光景だ、と思った。みながみな、例に漏れず中世ヨーロッパを思わせるコスプレしているのだ。

 そのことについてはもういちいち触れない方がいいだろう。逐一気にしていてはこちらがおかしくなりそうだ。

「おれってこんなに人気なの?」

 傍を歩くリセに周りをはばかりつつ小声で尋ねる。

「そりゃあそうですよ。一応救世主って扱いですからね」

「探偵って救世主になれるの?」

「さあ、それは先生次第じゃないですか? 場合によっちゃ少なくとも人は救えるかもしれませんよ」

「人を救うってそんな大げさな……」

「大げさだろうが、こげさだろうが、やってもらわないと困るんです」

「はあ」

 大量の住人に見送られ、船着場へたどり着くと、顔の半分以上が白ひげに覆われたおじいさんが一人佇んでいた。その傍にはそこそこ綺麗な小型ボートが停泊しており、船へ乗るよう促される。

 導かれるまま、船へ乗った我々は、やがて動き出した船とともに、地平線へ向けてまっすぐと旅立ったのである。

 白と蒼茫の縞模様が揺曳する海をかっ裂きながら突き進むことおよそ二時間、地平線の中央から岩のようなものが小さな突起が姿を現した。

 船が進むごとに島の風貌が明らかとなっていく、岩山が地平線を割るように、まっすぐ空へと伸びていき、しだいに島が形をなしていく。

「あれがシリェーナ島?」

 シリェーナ島、というのが最初に向かう島の名前である。

 リセが言うには、シリェーナ島にはある言い伝えがあるのだそうだ。

 なんでも、そこに住む住人は魔獣セイレーンの子孫であるという。

 セイレーンといえば、俺も少しだけ聞いたことがある。大昔の伝記で、セイレーンは歌で船員を次々に惑わして、船を沈めてしまう海の悪魔として恐れられていたらしい。それがモチーフとなっており、よくRPGなどのゲーム内で、モンスターや召喚獣として登場することがある。まあ現世での設定とここでは勝手が異なるだろうから、セイレーンの説明はここまでにしておこう。

 シリェーナ島の人々はセイレーンからみな呪いを受けているとリセは言った。

「言い伝えによると、島で一休みしていたセイレーンは、島の原住していたモンスターに乱暴され、一つの命を宿したそうです。その事を深く嘆き悲しんだセイレーンはその涙とともに、子を産み落とし、昏い海に沈んで眠りについた」

「子を産み落とした……」

「そうなんですよ。しかもそれだけじゃありません。数十年経って、ようやく心の傷が癒えたセイレーンが再びお天道様を拝もうと、海の底から這い上がってきたんです。海原へ顔を出して、悠々と泳ぐと疲れてしまって、また島で一休みするわけです。そこへまた……」

「心無いモンスターに襲われてしまうと?」

「あーちょっと違いますね。モンスターじゃなくて人、だったんです。その人、というのは過去に自分が産み落としていった子供なんですよ」

リセは白く波立ってうねる海原へ目を走らせながら、

「しかも今度は、それでは終わらずセイレーンを島の中まで連れ去って、陵辱の限りを尽くして、次々に子供を産ませた」

「そりゃまたむごいことを……」

 海を割り進める船の水尾を眺めながら、俺は感慨深く答える。先ほどからリセの声音が無意識に強張りつつある事に気付きつつもあえてそれには触れず、リセに視線を向けて先を促す。

「仕方ないと言えば仕方ないですよね。セイレーンが産み落とした子供は雄でして、子孫を残すにはどうしても雌が必要ですからね。と、まあそんな感じでセイレーンの息子はセイレーンに三人の子供を産ませて、また海に返したわけです。それでその時にセイレーンは三つの涙を落としていったのです」

「ん、ちょっとまって? 涙って?」

「ああ、ごめんなさい。いい忘れてました。シリェーナ島には『セイレーンの涙』という4つの秘宝があるんです」

「セイレーンの涙?」

「はい、なにやら、セイレーンが悲劇にも産み落とすことになった子供と一緒に流した涙が宝石になったもの、だそうです」

 リセが海原からおもむろにこちらへ視線を向ける。恐怖とも悲しみともつかぬものがリセの瞳の中でふらりと揺れている。

「なんでもその秘宝には、セイレーンの恨み歌が込められているそうです」

 その刹那、背筋を薄気味悪い嫌な気配がなぞるのを感じ、思わず肌が粟立たずにはいられなかった。

「これがシリェーナ島に言い伝えられている伝説です。っていってももっと厳かに遠回しで言い伝えられてるんですけどね、今のはだいぶ簡素且つ端折ってます」

 リセは軽く笑って頭をぽりぽり掻いているものの、その表情はまだどこか硬く、ほのかな慄然の色を残している事に俺は気づいた。

 魔物同士がまぐわい生まれた一人の男が、またも母である魔物とまぐわって三人の子供を孕ませた悪魔の島。

 それが今から向かう島なのである。

「そうなると、その島へ真っ先に向かえというお告げは、今から何か起きるから解決しろ、という事なんだね」

「そうです。お告げによると、なにやらこの島でとびきりビックなことが起こるとのことですよ」

「へえ……それって絶対喜ばしいことじゃないよね? うんざりする話だわぁ、できれば俺はゆっくりひと心地つきたいんだけど」

「安心してください。お告げ人となれば格別の宿がご提供されることでしょう。なにしろお告げ人のご登場ですもん。ご馳走も期待ですね!」

「なんでリセちゃんがよろこぶんだよ」

「そりゃ喜びますよ。有名人のおこぼれを預かることができるんですから、ね」

「はあ、まあ相方となると、そうなるよなぁ。あーあーもちょっと、大人っぽいグラマラスな女の子がよかったなぁ。なんでリセちゃんなのかなぁ」

「そんなぁー。これでも私は前の村では一番の美人って言われてたんですからね?」

リセはいかにも心外といった様子で腹立たしげに言うと、

「だいたい私だって、もっとハンサムで紳士な先生がよかったですよ。それがこんな、みずぼらしい風采の上がらない殿方だなんて」

「はあ!?」

 思いもよらぬリセの反撃に少しだけ腹が立った。というものの、言い返す言葉が何も見つからず、結局反駁せず言われるがままとなる。

 なんだか悔しさが胃の腑に残って釈然としない。が、子供の言うことだ。適当に流しておくのがいい。これも中学教師で学んだ教訓の一つである。

「でも、海なんてひさびさです」

 唐突にそう切り出したのはリセであった。

「ひさびさって?」

「私、幼い頃は海の近くに住んでいたんですよ。それをある時、村の人に拾われて、そこから村で過ごす様になりました。だからこうして海を眺めていると……なんだか感慨深いものがありますね」

リセはくくと喉の奥で小さく笑い、デッキの手すりに両腕を乗せると、

「私、捨て子なんですよ」

「捨て子……」

 リセは白い泡の流線型を描いては溶ける紺碧の海に目を落として、

「はい、父も母もわからず、気づけば砂浜に建てられた小さな小屋の中でした。私は誰から生まれて、どこから来たのか。それを知りたいと常々思っています」

「そう」

 こんな幼いのになかなか気苦労が絶えないんだな、この子は。そう思うと、先ほどリセに対して口にした言葉が急に残酷に思えて、ひどく居た堪れなくなる。

「あー先生! 今子供なのに苦労してんなぁ、って思いましたね?」

クスクスと笑うリセの頭上に【慧眼】の白い文字が浮かぶ。

「いやいや、そんなこと思ってないよ? 中学生ならもう大人だもんな」

「ちゅーがくせー? なんですかそれ」

「いや、知らないならいい。とにかく子供じゃないのはわかったから」

 ふーんとリサは鼻を鳴らして、憮然の色をおもてに浮かべ、

「じゃあ先生、私が何歳か、当ててみてくださいよ」

「何歳って……そりゃあ……」

 適当に流そうとしたものの、彫りの深い不敵な微笑みを浮かべるリセに、出かかった言葉を不意に引っ込める。このままやられっぱなしではつまらない。

 だいたい、こんなあけすけで簡単な質問をしてくると言うことは、絶対に当てられない自信があるということだろう。見え透いた罠である。

 こう見えても実は成人なんですぅ、という女子を大学で腐る程みてきた俺にとっては、この程度の問題など造作もない。おそらく彼女は恐ろしく童顔であるが、歳は二十二、三といったところだろう。

 って、何真剣に考えてんだか。馬鹿馬鹿しい。こんなの子供の遊びだ。

 しょうもないから、やっぱり適当に的外れな答えを言って流そう。

「そうだね、七十二歳、かな?」

 適当な笑みを浮かべて軽口を叩いてみせる。

 七十二歳だなんてあり得ないだろと心中で一笑に付すと、突如、リセの様子が豹変した。さっと血の気が失せたと思うと、動揺の光を瞳に宿してわなわなと身震いさせ、

「え……う、うそ…。なんで、わかったんですか?」

「え、え、ええ!?」

「だって……私、そのこと誰にも言ったことないのに……」

 リセが慄然とした様子で俺を見る。怯えとも畏敬とも違った複雑な感情に揺れていた。まるで狐に化かされたタヌキのようである。

 彼女が言うに、彼女の種族は長命らしく、したがって成長も緩やかであるらしい。彼女の種族の七十代はヒューマノイドの年齢でいうとおよそ十二歳前後だそうだ。

「ま、まあ一応、【名推理】持ってるし、ね?」

「あ、ああ。やっぱりあなたは本物なんですね」

 出し抜けにリセが俺の両手をガシッと掴む。触れたリセの手は思った以上に小さく、頬を打つ寒々しい潮風よりも冷ややかなものだった。

「是非とも、私の出自の秘密もお暴き下さい。どうか」

「いや、そんなこと言われても……」

 このリセの出自が、のちに起こるシリェーナ島のおぞましい血で血を洗う事件に重大な関係を及ぼす事になろうとは、この時の俺はつゆとも思わなかったのである。

「おおーい、先生がたー! もうすぐつきますぞ!」

 舳先の方へ向き直ると、先ほどあった地平線に小さく見えていた島は、すでに眼前に屹然と立ちはだかっていた。

 島の上空には、銀を燻したような重苦しい雲が島へと垂れ下がり、まるで蛇がゆっくりと島全体を包み込むようにとぐろを巻いているようである。

 そんなただならぬ妖気と邪念が渦巻く不穏な島へ、水尾を引きつつ徐々に吸い込まれていく船の中、島を漂うなんとも言えない薄気味悪い禍々しさと、寒々としたどす黒い怨念の気配に、思わず戦慄が全身を這いずり回るのを抑えずにはいられなかった。

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