表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生失敗奇譚  作者: 八田弘樹
人魚の哀怨歌
2/14

緑の海の中で

 遡ること数日前。

「するとあなたはどうしてここにいるのか、わからないというのですか?」

「はあ、だからそうだと何度もいってるじゃないか。ここはどこなんだ? それに君は誰でどこのどなたなんだ?」

「ここですか? ここは見ての通り草原ですよ」

「そういうことを聞いてるんじゃない。どこの草原なんだい? だってそこに歩いてる……ありゃなんだ? 見たことないヘンテコな生き物だし。なんで猫なのに足が六本も生えてるんだ」

「ネコ? なんですかそれは。あなた、本当にさっきから変なことばかりいいますね」

「へんって……君」

 俺が目を覚ましたとき、あたりの景色が自分の知っているものとおおよそ違っていた。いままで二五年間生きてきたなかでも、これほどまでに素晴らしい景色は見たことがない。見わたす限りつづく山丘は、燦々たる陽光にかがやきながらおだやかな風に吹かれてさやさやとうたっている。快いみどりの香りと、湿った土の甘い匂いが鼻にきて、どうにも心のうちに安らかなる平穏を感じずにはいられない。空はいっぺんの雲もなく、山丘をたたえる緑に群青の陰影をなげうち、時として水晶のように光るかと思われた。そして隣にこの女性——というより少女というほうが正解であろう、見た目もそうだが、雰囲気にしてもどこか垢抜けない無邪気さを含んでいるため、大人の女性とはぜんぜん程遠いのである。

 背丈140cmほどで、まったく身丈にあっていない金糸の刺繍をあしらった真っ赤なゴシックドレスを身に纏っている。歳が十二、三と非常に幼くみえるのはこのせいもあってのことだろう。ビー玉のような丸くで大きな目には、金色の瞳を宿していて、目尻は下がり気味で可愛らしく、それが異様にタヌキっぽくうつる。さりとて、鼻筋はすらっとまっすぐ伸びているため、顔立ちは非常に整っているのである。

 俺はこれほど器量の良い女の子がいるのかと、息を飲まずにはいられなかった。

 そして彼女に驚いた点はもうひとつある。それは彼女の耳だ。頭頂に二つ、山なりとなってそびえる、綿のようなもふもふとした茶色い耳だ。これがあるがために、ことさらタヌキをほうふつせざるを得ない。

 息をのむほどの綺麗な景色、ヘンテコな生物、そしてきわめつけがコスプレを装った娘、この時点で俺はいま見ているこの映像を夢であると断定せざるをえなかった。しかし、これが夢でなく現実であると気づくのにそれほど時間はかかならなかった。

「さっきから黙りこくってどうしたんですか? もしかして私の美しさに見惚れちゃいましたか?」

「え? いや……」

「いやだなぁ、先生ったら。本気にしちゃって」

「き、君! いま、先生って?」

「ええ、おっしゃいましたとも。先生は先生でしょう?」

「なんでそれを?」

「だってここにいまこうしていらっしゃるじゃないですか。それが、先生が先生であるなによりの証ですよ」

「はあ? どういうこと?」

「本当にここにいる意味が、先生にはわからないとおっしゃるんですね。まあいいでしょう。代々ここに降りたった方は、なにやらひどい恍惚状態にあるとききます。先生が現状を認識できないのは仕方がないことなのです。なので私が直々にご説明いたしますよ、歩きながらね」

「はあ、歩くって、どこに?」

「それも今から説明いたします」

 こうしてあてもわからぬまま女性に連れられ、はてしない山丘を歩かされることになるのだった。

俺の名前は川口誠という。しがない中学教師で歳は二五歳。前年で教員免許をとって、子供たちをあいてに教鞭をとろうとやっきになっていた元青年である。教鞭をとることに強い憧れをいだいていた俺は、教壇にたつ姿を夢みるあまり、学校にうず巻くどすぐろい思春期の、矛盾をおおくはらんだ生生しい悪意を見抜くことができず、理想と現実の齟齬そごに深くくるしむこととなった。

 そんな俺が最後におぼえている光景は、東京の六本木にあるとあるバーで飲んでいたところである。さんざん生徒の親御にしぼられた俺は、行きつけのバーでマスター相手にかたらい酒を決めこんでいたのだ。が、しかし、どうやら深酒がたたったようで、泥にしずんでいくように、深くやすらかなる眠りにつくはめになったのである。そして、目が覚めて起きてみればこの景色に、この女性である。

 ああ、享年二十五歳、はたらき盛りにしてみまかることになろうとは!

 しかも、急性アルコール中毒というなんと頓馬な死にかただろうか。

 死すれば六界のいずれかを輪廻する、と仏教の教えにあるが、この世界は六界のどれに該当するのだろうか。とりあえず四悪趣ではないことは確かである。なぜといって、悪事に思いあたる節もないし、あたりをみるに、四悪趣に通づるようなどくどくしい見ためは、この世界のどこからも感じないからである。今後は酒を極力ひかえて第二生を生きぬこうと心にきめるのだった。

 閑話休題、かたわらの女性——名前はわからない。正確にいえば、聞いたはいいが、およそ人が発しているとは思えぬ奇天烈な声に、ただただ圧倒されてしまったのである。想像できるだろうか、小鳥のさえずりとも、イルカの鳴き声ともつかないあの異様な声音を。あれをきいて肌が粟立たないものがいるのならば、それがどんな人物なのか一度見てみたい。結局、彼女の言語を理解することがかなわなかった俺は、行きつけのバーにいた店員のひとりである利世りせという女から名前を拝借することにした。女性は大いに眉をつりあげて、瞳を譴責けんせきの色にそめながら、不満をあらわにしていたが、俺が委細構わずその名で呼びつづけると、女性、いや、リセはとうとうそれを糾すことを諦めたようで、リセという名で定着したのだった。

 さて、リセから聞くにここは悠久の丘といわれる場所であるらしい。この世界には六つの大陸が存在していて、そのうちの最南端にある大陸の、そのまた南の奥ばった僻地がここなのだという。こんな辺鄙へんぴな場所になぜリセがわざわざ来たのかをたずねたところ、

「私もえらばれたんですよ。先生の助手として」

「助手ってなんの助手?」

「それはひとまず置いておきましょう。さて、カワグチ先生、まだ正気に返っていないところ悪いんですが、これからあなたには行ってもらわなきゃいけないところがあります」

「はあ、それはどこかな? 正直どこへいっても正気とやらに返る気が……いや、なんでもない。それで?」

「あ、ええ……。はい、それはシリェーナ島と呼ばれる場所なんですけど」

「なにその島、美味しい食べ物でもあるの? 歓をつくされるならよろこんでいくよ。酒はいらないけどね」

「はあ、なにいってるんですか。先生ってほんと意味わからないことばかりいいますね。先生が島に行くということはつまり」

 リセはもったいつけるように背を向けてふり仰ぎ、

「……事件を解決しに、ですよ!」

 不敵に笑った少女の顔にさっと一陣の風がふいて、前髪を勢いよくはためかせる。俺の混乱はいよいよここに極まった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ