第85話 失われた記憶
「おお……」
家に入ると、そこは意外に普通だった。木の柱があり、それを支えに大理石で作られた壁が特徴的だった。
そして、今はルルの部屋にいる。
「お茶です」
「おう。サンキューな」
ルルに渡されたお茶を飲み始める。
周りを眺めると、腐女子の持ちそうなものは見当たらなかった。……もしや、普段隠しているから、場所も忘れているとか?
「ねえ。ルル。少し手伝って」
すると、部屋の扉の奥から、先ほどあいさつをしたルルの母親の声がした。その母親はルルとは違い黒い髪だった。
とても、整った顔をしていた。きっと、ルルも将来ああなるのだろう。
「はーい」
ルルは返事をすると、部屋を出ていく。
「それじゃあ、カケルさん。変なことしないでくださいね」
「大丈夫だっての。俺を誰だと思ってる」
「一度暴走したら止まらない変態カケル」
……何も言い返せない。事実だからだ。
「…………」
しかし、変態行為……例えば、レストランの一件を考えると、いろいろと矛盾がある。あいつが頭の中でホモホモしいことを考えていなければ、俺は脅せてないし。
そういったところはどうなっているんだろうか。
「……さて」
ルルがいなくなって、さっそく部屋を探索する。
これはあくまで、あいつのためを思って探索するのだ。だから、決してやましいことがあるわけではない。
そう……やましくない。やましくない。
「まずはタンスから探してみるか」
「あっ! お兄ちゃん。姉ちゃんのタンスをあけようとしてる!」
「……えっ」
そこには、ルルと同じような銀髪の幼い少年がいた。
「いーけないんだー。いけないんだー。おかーさんにいっちゃーおー」
「ちょっと待て!」
俺は少年の口を押さえ、部屋に連れ込む。
「今、言っちゃったらマジで俺が社会的に死ぬんだよ」
「……しゃかいてき……ってなあに?」
「…………」
この子、おそらく8歳か9歳といったところだろうか。
一旦少年を放し、自分のことを話す。
「お兄さんはカケルって言うんだ。よろしく」
「……カケルさん?」
そういえば、この子、どこかで見たような……。
「あ! おふろでずっと姉ちゃんのおっぱいずっとみてた人!」
「……ぐふっ!」
……心が痛い。
そうだ。こいつはルルの弟だ。そういえば、銭湯で一度顔を見ているんだった。
「……ズットミテナイヨ。ホントダヨ」
「へ? そーなの?」
ちょっと胸の大きさが気になっただけだ。大丈夫。
俺、健全。
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「オレはハル! ゆめはホモウみたくかっこよくなること!」
「……そうか。……ホモウみたくね」
きっと、心が綺麗な少年には、あのアニメが健全のものに見えるのだろう。だが、実際見てみると、謎の性的な描写がところどころ見られる。
正直、親は見てほしくないと思う。
…………。
「なあ。ハル。最近、お姉ちゃんはそのホモウの話をするのか?」
「へ?」
ハルは少し考えた後、元気よく言う。
「まえはいっしょに見てたんだ! でも、いまは姉ちゃんにみるのをやめるようにいわれるんだ。なんでだろう」
「……見るのをやめる……か」
姉だから、弟のことを心配して言ったのだろうか。きっと、自分が教えたことを覚えていないのだろう。
いったいこの現象はなぜ起きているんだ?
まあ、ハルが話してくれたおかげでルルがどこまで忘れているのか見当がついた。
「ハル。ありがとな。いろいろと重要なことが聞けた」
「…………?」
「そんなお前にご褒美だ」
俺は生成魔法でプラスチックを作り出す。そして、それを変形魔法で形を変えていく。
「じゃーん! ホモウの完成だ」
「わあ! すっげえー!」
それをハルに手渡す。
「……いいの?」
「ああ。いろいろ教えてくれた礼だ」
「ありがとう! キング・オブ・ザ・DT!」
「……それ、どこまで広まってる?」
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「姉ちゃん! カケルのお兄ちゃんにホモウ作ってもらった!」
「あら、そう。ちゃんとお礼言った?」
「うん!」
ルルにそれを伝えたハルは、母親のところにも自慢しに行く。
そんなハルと入れかわりで、ルルが部屋に戻ってくる。
「……元気な弟だな」
「ほんとですよ。変なヒーローを好きになったみたいですし」
「…………」
いや、お前が変って言っちゃう?
「あの……カケルさん」
「ん? どうした?」
「……私、何か忘れてるんですか?」
「…………」
その時、ルルがこちらを向くと、彼女の表情は何か寂しさを含んでいた。
そう……だったのか。
「……なんだか、大切なことを忘れている気がするんです」
「そうか……」
矛盾を……最も感じていたのは本人だったのだ。思えば、俺が家に行くのを了承したのも、それが理由なのだ。普通なら、好きでもない男を家に上げたりしないだろう。
「教えて下さい! 私、何を忘れているんですか?」
こちらに必死に語りかける声から、ルルの焦りが伝わってくる。
――オクリ先生――
唐突にサエのことを思い出す。何かを忘れることの辛さは、彼女を通してわかっていた。
「……知りたいのか?」
「はい」
それは覚悟ができている目だった。自分がどんなことを忘れていても、突き進める覚悟だ。
「……お前は」
俺はそのことを伝える。
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「……そうだったんですか」
「ああ」
こいつが腐女子であったことを伝えた。
「……でも、いい機会だったのかもしれませんね」
「…………?」
「そんな趣味を持っていたら、いろんな人に迷惑をかけます。実際、カケルさんにも迷惑をかけたのでしょう?」
「……俺は……」
「……私は、これから真面目に生きて、楽しく過ごす。それ以上の幸せは望みません」
「…………」
「だから……」
ルルは口元に笑顔を作り、それを言う。
「カケルさんは気にしなくて大丈夫です。放っておいてください」
「…………」
そう言うと、ルルは再び部屋の外へ出ようとする。そんなルルに問いかける。
「……お前は……それでいいのか?」
「はい。いいんです」
笑顔でそう返答する。
「…………」
部屋に一人で取り残されたまま、俺は呆然と立ち尽くすままだった。
あの笑顔には、心からの気持ちがこもっていなかった。おそらく、無意識に無くしてしまったことを悲しんでいるのだ。
……俺はなんと、愚かな男だろうか。一人の少女に、励ます言葉も言えない。
なんと……愚かだろうか。
「……ルル」