番外編 34回目の世界 その②
あれから、彼女とは何度も話した。
しだいにボクは彼女に引かれていった。
体は弱いけれど、それでも支えてくれる彼女が……ボクの中では必要不可欠な存在になっていた。
ボスっ
「いてっ」
「おい。聞いてんのか?」
ボクのおでこに小石が当てられる。そういえば、今は先生の話を聞いている最中だった。
「……不思議なもんだな。こんなやつのことは覚えていられるなんて……」
「ボクのことだけじゃないですよ。ちゃんと彼女はいろんなことを思い出してきてますし……」
「…………まあ、それならいいんだけどな」
「…………?」
先生は次々と石板にいろんなことを書き始める。それをボクは手元の粘土の板に書き写す。
「……まあ、彼女の心はだんだんと良い方向に進んでるんだが、そうなると次の問題に直面する」
「次の問題って?」
先生はサクランボの実を描き、その隣に大きなドラゴンを描く。
「ドラゴンにとって、こんな飯で満足できると思うか?」
「いえ……そんなことは……」
すると、近くに小さな蟻を描く。
「じゃあ逆にこの一匹の蟻にとって、このサクランボは?」
「食べきれないぐらいの食料でしょうね」
「そうだ。このとおり、物にはそれに合った大きさが存在する。彼女の場合、心だけが元気な状態だ。きっとそのうち負担が出てくる。心と現実の差が彼女を苦しめる」
先生はハートのマークを描く。そして、それの横に『=?』と書く。
「ただ、俺には人の心についての知識が足りない。そこで、彼女を支えてやれるのはお前だけ……というわけだ」
「そうなんですかね」
なんかいろいろと腑に落ちない部分もあるが。
「まあ、ボクにできることなら……」
もとから、サエのことを守ると決めていたため、特に異論は無かった。
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「これはシュリケンって言うんだよ。こっちはタヌキで……」
サエはボクにいろんな折り紙の作り方を教えてくれた。同時に、ボクは彼女が折り方を忘れた時に助けてあげていた。
「こう……でいいのかい?」
「うん。それでいいんだよ」
彼女が教えてくれたとおりにできたことが嬉しかった。これじゃあ、どっちが世話をしているのかわからないな。
「ねえ。オクリ先生……」
「どうしたの?」
「オクリ先生って彼女いるの?」
「…………ん?」
その質問を予想できるわけが無かった。
「ええ!? どうしたの? 急に……」
「どうなの……」
「そりゃあいないけど……」
この世界に来て人を助けるばかりで……そういったことにあまり関わったことがなかった。
「そう……なんだ……」
「…………」
「……? オクリ先生?」
この世界で?
「大丈夫? オクリ先生」
「いや……うん……大丈夫だよ……」
そう言いつつも、ボクは冷や汗が止まらなかった。何か、重要なことを忘れている気がする。
いや、重要なんてレベルの話じゃない……。
何か、自分にとって必要な存在を……。
「ごめん。サエ。ちょっと顔洗ってくる」
「えっ……うん……」
ボクはその病室から出て洗面台に向かう。
「…………なんなんだろう」
桶に水を汲み、顔にかける。そして、それを布で拭く。
そして、目の前の鏡を見つめる。
「…………」
昔から奇妙だった。
どうしてボクは森で倒れていたのか。確か先生が出会った時、ボクは妙な服装をしていたと言っていた。
異世界から転移する時も記憶を失うのだろうか。
異世界から……。
「なんなんだ。本当に……」
ボクは顔を横に振る。そして、頭を冷静にする。
「……戻るか」
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「……雨……」
壁を眺めると、水滴が染み込んでいた。それは村では普通のことだった。
「ごめんね。遅くなって……」
ボクはサエの病室に入る。
「オクリ先生。大丈夫?」
「うん。もう全然元気だよ」
ボクは彼女の近くの椅子に座る。そして、折り紙をする彼女の姿を見ていた。
……やはり、前よりもサエの雰囲気が明るくなっている。
「ねえ。オクリ先生。ここってどう折るんだっけ」
「ああ。ここが三角形になるように折ればいいんだよ」
「そうなんだあ」
彼女は微笑みながら、言われたとおりに紙を折る。
「やっぱりオクリ先生はすごいねえ」
「そうかな」
「ありがとう。折り紙を私に教えてくれて……」
「どういたしまして」
…………。
「…………え?」
冷静に考えると、おかしなことだった。
「……サエ。今、なんて言った?」
「え? ありがとうって……」
「そこじゃなくて……」
今、言ったのだ。
「折り紙を教えてくれてありがとうって……」
「…………サエ。君に最初に折り紙を教えたのって……誰?」
できれば、ちゃんとその人を言ってほしい。
そうすれば、順調に回復しているってわかるのだから……。
「……? オクリ先生でしょ?」
「……え?」
その時、ボクは確信した。
症状は……回復していなかったのだ。
「まさか……」
ボクが関わらないことをすべて。
彼女は忘れていた。
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「魂ってのは……まだ未知の存在だ」
「…………」
「そんなものの異常を俺たちがどうこうできるわけ無いだろ?」
「……でも……!」
カチャっ
瞬間。ボクの首に小さな石器が突きつけられる。
「悪いが、まだ素人のお前に好き勝手やらせるわけにはいかない。おとなしく彼女のそばにいるだけでいい。それ以上は何もするな……」
「……はい」
この人は患者のためなら命をかけてでも救う人間だ。だから先生のことをボクは尊敬している。
だが……。
「彼女は……助かるんですか? このまま生きていけるんですか?」
「無理だ」
先生は即答する。
「記憶が持たないし、それ以前に体の方がやばいだろうな。特に心臓はそろそろ止まりつつある」
そんな彼に向かって怒りを覚えた。この人は最初から助ける気などなかったのだ。
だが、同時に無力な自分を呪う。先生は知識があるからこそ、救えないと決断したのだ。
そんな人に逆らうのはあまりにも自分勝手すぎる。
「だから……せめてあいつが死ぬまで、一緒にいてやれ」
「……わかりました」
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口では認めたが、それでも何か方法はないかと考えてしまう。
ボクはそんなことを思いながら、病院を歩く。
「オクリ先生?」
「……サエ」
「ちょうどトイレに行ってたんだ」
「……そうなんだ」
彼女は松葉づえで立ち、元気に微笑みながら言う。
「……少し……話さない?」
「……うん」
ボクらは病室の中に入る。彼女はベッドに座り、ボクも近くの椅子に座ろうとする。
しかし……。
「ねえ。こっちに座ったら?」
「…………え?」
サエはベッドの空いた位置をポンポン叩く。
「いいのかい?」
「うん。体が小さいのに、結構広いベッド使わせてもらってるからね……」
ボクはベッドの上に座る。中に羊毛が入っているからか、とてもふわふわしていて良い感触だった。
「……オクリ先生」
「……どうしたの?」
「さっき……私のこと話してたんだよね」
「…………」
聞いていたのか。
「お母さんのこと……思い出せないんだ」
「……うん」
「顔とか声だけじゃなく、どんなことを一緒にしたのか。どういう人だったのか……」
「…………」
「……ねえ。私、どんなことが……あってもあなたのことは……忘れ……ない……か……ら……」
だんだんと彼女の声がおぼつかなくなっていく。ボクはそんな彼女をこちらに抱き寄せる。
「……オクリ……先生?」
「大丈夫」
抱き締めるとわかった。彼女の体はとても震えていた。
ボクと先生の話を聞いてから……いや……ずっと前、記憶を失っていくとわかってから……。
ずっと彼女は怖かったのだ。いつか何もわからなくなってしまう自分が……。
「君が……ボクを忘れたとしても……」
ボクは彼女に言う。
「ボクが君に今までのことを思い出させる」
「……う……うう……」
彼女は泣いていた。
辛かっただろうに。すごく……怖かっただろうに。
きっと、表に見せなかっただけで、心の中ではずっと悩んでいたのだ。
……これが心と現実の差か。
先生が言っていたのはこのことだったのか。
「…………」
もしも……もしも輪廻転生の神様がいるのだとしたら。もしも、その人の手違いで彼女がこんな目に合っているのなら。
その神様は……。
「……いったいどんな人なんだろうな」
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ボクは彼女を救う方法を模索する。だが、どうしても見つけることができなかった。
「はあ……」
気分転換に外へ出る。そして、病院の庭で遊ぶ子どもたちを眺めていた。
「…………」
本当にボクにサエを救うことができるのだろうか。サエを、あそこで遊ぶ少年たちと同じぐらい元気な体を与えられるだろうか。
ボクは悩んでいた。悩み悩みまくった。
「危ない!」
「…………え?」
考え事をしていたからか、向かってくるものに反応が遅れる。
それは硬い小さなボールだった。きっと子どもたちが遊ぶ時に使っていたものだろう。
ゴツンっ
「あ……」
そのボールはボクの頭を直撃する。
その時だった。
「…………は?」
一気に大量の画像が頭に流れ込んでくる。それは数々の記憶の断片だった。
画像は光となり、ボクの魂の中に入り込む。
「あ……ああ……」
突然、激しい頭痛に襲われる。
ボクはそれに耐えきれずに意識を失った。
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気がつくと、ボクは病院のベンチで寝かせられていた。
「大丈夫か?」
「……先……生」
先生は水をこちらに差し出す。ボクはそれを受け取り、口に含む
「悪いが、病室は満室でね。お前の寝るベッドは無い」
「ええ……」
ゴツゴツした石のベンチは、あのふわふわしたベッドの感触を思い出させる。
「んで? 働けそうなのか?」
「……あっ……はい」
「じゃあ、頑張れよ。オクリ」
「…………?」
ボクはオクリと呼ばれた。そのことに違和感を持った。
その名前よりも、さらに長い間呼ばれた名前があった気がする。
「……カケル?」
そうだ。ボクはカケルという名前だ。
でも、なんかこの名前も今では違うような……。
「……あっ……」
ボクは先生の置いた資料を見る。それらの患者の症状を理解する。
「……あれ? こんなに理解するのが速かったことってあったっけ?」
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ボクはどうやら、今まで33個の異世界を旅してきたらしい。
そのおかげで、魔法や言語の理解が速かったようだ。
「…………」
もしかしたら、サエを救う手がかりがこの33個の世界に眠っているかもしれない。
そう思ったが、なかなか解決策が見つからなかった。
「……どうすれば……」
とりあえず、先生には黙っておいた方がいいかな。先生はすでに諦めていると思ってるわけだし……。
何か……何かないのだろうか。
別の世界の魔法は……別の世界でしか使えない。それは当然の話だった。
「……ん?」
ふと、折り紙のことを思い出す。
折り紙は、崩せば元の一枚の紙に戻る。そして、別のものに作り替えることができる。
……魔法でも同じことができるんじゃないだろうか。
数々の世界の魔法は、基本的な部分が酷似していた。つまり、別の世界の魔法をここの世界の魔法で再現することができるのではないだろうか。
「……試してみるしかないか……」
ボクはその日からたくさんの魔法を研究した。まずは彼女の心臓を治すための魔法を探した。