番外編 34回目の世界 その①
こんにちは。
私の名前はサトウ。昔は輪廻転生の神。
今は万物の神として天界に君臨する者さ。
どうして突然そんな私が君たちに話をするのか。それは君たちにある少年のことを知ってもらいたいからだ。
まあ、これはちょっとした私の暇潰しでしかないのだけれど、それでも聞いて欲しい。
カケル。
彼は様々な世界を時に転生し、時に転移した。
今では、異世界を移動することなんてありふれている。そんな中で何度も異世界転生、転移を繰り返す人間は少なくない。
とはいえ、彼はイレギュラーだと私は考えているよ。だって、普通は死の経験、異世界での絶望、苦しみ。
ありとあらゆるものが精神を破壊する。その中で一時的に記憶を失ったとしても、彼の精神は生き残った。まさに貴重な存在と言えるだろう。
では、なぜ彼は正気を保っていられるのか?
今日はその理由のうちの一つを話していきたいと思う。心して聞いて欲しい。
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だが、その前にちょっとした小話を語らせてもらおう。
鶏と卵。どちらが先に生まれたのか。
まあ、今回の話にこの問の答えは関係無い。
まず、卵は鶏から生まれる。鶏は卵から生まれる。その因果関係から、どちらが先なのかという疑問が生まれる。
つまり、そもそも卵と鶏が双方から生まれることがわからなければ、この問題には直面しないのだ。
わかるからこそぶつかる問題。
かの有名な『シュレディンガーの猫』の逆のパターンと言えるだろう。
いや、考え方を変えれば、猫が箱の中にいるとわかっていなければ開けるかどうかの選択も無いわけだし。
これも当てはまることだろう。
問題とは……前の問題を解決した上で成り立つ。
なんだかこれも鶏と卵の話みたいだ。問題と解決が相互に作用している。
つまりこれらのことから問題から解決は一方通行では無いということがわかる。解決の後には次の問題が待っている。
まあ……それが今回の話にどう関わるかは君たち次第だ。
ただこれから語るのは、現在を進む話とは違い。
もう終わった。過去の話なのである。
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ボクの名前はオクリ。
ただの18歳の少年だ。
その昔、『先生』という人物に森で倒れているところを拾われた。
当時は先生が何を喋っているかはわからなかったが、なぜかすぐに言語を覚えることができた。
まるで、これまでずっと言語を覚える機会が多くて、それを覚えることに慣れているかのようだった。
「……おい、オクリ」
「あっ、はい!」
「患者の情報だ。確認しておけ」
そう言って書類を渡される。
この顎に髭を生やした人物が先生である。先生は村で一番の医者だ。
今、ボクは先生の作った病院で助手をしている。働かなくては生きていけないというのもあるが、実際村の人たちを助けられることが嬉しいのだ。
この病院というのも先生が作ったらしく、村の家とは違い、藁ではなく石でできていた。どうやら、なるべく頑丈に作りたかったらしい。
「……先生」
「どうした?」
「この患者にはどういった魔法を使うんです?」
魔法。
この世界の固有な存在。それは感覚的にほとんどの人間が使えた。
人は歩く。話す。食べる。寝る。
魔法を使うのはそういったものと同じようなものなのだ。まあ、複雑な魔法を使えるのはごくわずかなのだが。
「……そうだな。これは一般的な風邪だから、浄化魔法と同時に回復魔法を使うといいかもな」
「わかりました」
言われた通りに、ボクは魔法の準備をする。なぜだかボクはこの世界に来たばかりなのに、これも言語と同様にすぐ身についた。
それどころか、難解なものまで扱えるようになっていた。おかげで村の人たちのために役に立つことができている。
「オクリ」
「はい」
「悪いがこの患者に食事を運んできてくれないか? この情報も目を通しておけよ」
「了解です」
その書類を受けとると、先生は病院の外へ向かう。どうやら王都からやってきた人間たちが先生と話しているらしい。
「…………」
先生は隠れて生きている。どうやら昔、大きな罪を犯したらしく、今は名前を変えているようだった。
「……さて……」
先生が王都の人間と話して、正体がバレたことは一度も無い。だから、心配などしていなかった。
そのため、ボクはその患者のもとに向かった。
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「……失礼します」
そう言って、ボクは部屋に入っていく。
「…………?」
そこにはある一人の少女がベッドにいた。黒い髪を持ち、整った顔立ちをしていたが、その体は弱々しく今にも崩れてしまいそうだった。
「…………あの……」
少女は窓の外を眺めていたが、声をかけるとこちらを向く。
「…………誰?」
「……あっ。え……っと……」
ボクは突然話しかけられたためとまどったが、心を落ち着かせ自分のことを話す。
「ボクはオクリ。ここで先生の助手をしているんだ」
「……先生?」
「うん。先生。……わからないの?」
少女はコクリと頷く。
そんなはずはない。だって先生は必ずすべての患者と顔を合わせるようにしているのだから。
さっき見た書類には、彼女は体が弱く、特に心臓が弱いとしか書かれていなかった。もしや書かれていないが、精神的なダメージを負っているのだろうか。
「……あなた……オクリ?」
「そう。ボクはオクリ」
「……私は……」
少女はゆっくりと言う。
「……サエ……。双葉サエ……」
「……フタバ……サエ?」
なぜだか、ボクはその名前に興味を持った。
「……その前につくフタバって言うのは何?」
「……苗字……家族の名前……」
「……家族……」
苗字と言うものをボクは聞いたことが無かった。無いはずだった。
だが、それがとても新鮮に感じられた。
「そうか……じゃあサエって呼んでいいかな」
「……うん……」
ボクは病院食の焼き魚とごはんを彼女の前に置く。そして、箸を持った彼女の手を支える。
「……サカナ……コメ……」
「うん。魚と米だよ」
彼女の手に触れるとよくわかる。本当に小さく、そして力が弱かった。
「じゃあ、まずはごはんを食べてみようか」
「……うん……」
箸がごはんに触れる。すると……。
ピョイっ
「あっ……」
箸の力で勢いあまり……米粒が飛ぶ。
ピトっ
それがちょうどボクの鼻の上に乗る。
「…………」
サエはボクの顔をじっと見つめる。そして……。
「……ウフフっ……」
「…………え?」
「アハハハっ……」
「…………???」
笑って……くれたのだろうか。
さっきまでなかなか表情を表に出していなかった彼女が……。
「…………はっ」
すると、彼女は笑っていた自分に驚いていた。まるで今まで笑い方すら忘れていたようだった。
「…………」
「…………」
お互いを見つめ合うと、サエはもう一度箸に力を込める。
「……あれ?」
ボクは手を離してみる。
すると、その少女は自然と箸を使えるようになっていった。米を口へ運び、魚をほぐし食べる。
「……えっ……」
またもや少女は自分のしたことに驚いていた。食べ物とボクを交互に見る。
サエはしっかりと病院食をすべて食べきっていた。
それは彼女が人間としての自分を取り戻したかのようだった。
「……それじゃあ、ボクはそろそろ行くよ」
きっと先生が話を終えている頃だろう。
「……待って……」
「…………?」
その少女がボクに言った。
「……あり……がとう……」
その言葉にボクも微笑み返答する。
「どういたしまして」
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「彼女は体だけでなく、心……いや、魂と言った方がいいかな。とにかく魂に異常がある」
「魂……ですか?」
先生は黒く塗った石板を細長い石で削り、図を描いていく。
「……異世界を知っているか?」
「いえ……あまり深くは……」
「こことは別の世界だ。そこから転生した人間。つまりは異世界転生者ってのは、だいたいが記憶を消去されてから転生する」
先生は体の図を描き、そこに何も書かれていない魂の図から矢印を描く。
「だが、まれに……極めて低い確率で、記憶が消去されずに転生する者がいる。」
魂の図にいろいろ書き込む。
「人間の魂ってのは、若い頃ほど覚える速さが大きい。しかし、人間の体ってのは3歳あたりで一度記憶がリセットされると言われている。そんな体に記憶のある魂が入るとどうなるか……」
先生は思いっきり人間の体の図に持っていた石をぶつけ、石板を破壊する。
「すでに年齢を消費した魂、すなわち物事を覚える速度の下がった魂の記憶がリセットされることになる。つまり、物覚えが悪くなる。イコール、生きていくには難しいってわけだ」
「ですが……彼女は箸の使い方だとか、笑い方だって思い出しました。それは……どういうことなんですか?」
「オクリ」
「はい……」
先生は肩をすくめ、口をへの字に曲げる。
「知らん。あくまでこれは仮説でしかないからな。体と魂の関係性だったり、魂がどういう構造をしているかわからないかぎりはどうにもできない」
「……そう……ですか」
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「何をしているの?」
部屋にいる彼女にボクは話しかける。サエは何やら正方形の紙を折っていた。
「……折り紙って言うの……」
「折り紙?」
食事を持っていった日から、暇な時は彼女のもとに訪れることにしている。
だからか、彼女もボクへ気楽に接してくれるようになった。
「……できた」
サエは手に小さな鳥のような物を作っていた。
「すごいね。どうやって作ったんだい?」
「えへへ。これを……こうやって折って……」
少女はその紙を折ってまた作り始める。心なしか、以前よりも元気になったような気がした。
「サエは、誰からこれを教わったの?」
「お母さんから教わった……と思う。今じゃどんな顔をしていて、どんな声だったのかも思い出せないけど……」
彼女の症状は前よりは良くなったけれど、それでも思い出せないことの方が多かった。
「……あれ?」
サエは折り紙を折っていたが、なにやら困惑していた。
新しく覚えたことも忘れてしまうことが多いのだ。
「……ごめん。忘れちゃった」
「…………」
「……オクリ?」
ボクは彼女の手に触れる。そして、紙を折っていく。
なぜかその先の折り方がボクにもわかったのだ。
「そうそう! 確かこうだったんだよ」
「……うん」
彼女は少し首を傾げ問いかける。
「どうしてツルの折り方がわかったの?」
「……さっきサエが折っているところを見たから」
「そうなんだ」
確かに見ていたが一回見ただけで覚えられるほど、ボクは記憶力があっただろうか?
ましてや、初めて見る折り紙を……。
「ねえ。オクリ」
「ん? どうしたの?」
「ありがとう」
「…………?」
ボクにはなぜお礼を言われたのかわからなかった。
「いつも、私のことを心配してくれてたんだよね」
「…………」
「こんなすぐに忘れちゃう私のことを……あなたは見てくれてる」
彼女は触っていたボクの手を握り締め、言う。
「どんなにたくさんのことを忘れても、あなたのことだけは忘れない」
「…………そうかい」
ボクも君のことを絶対に忘れない。
そんな言葉をかけてやれたらどんなに良かっただろうか。しかし、なぜだかその時のボクはそれが言えなかった。
その言葉をかけるには、非常に無責任に感じたのだ。
でも、その代わりに……。
「……ああ。何があっても君のそばにいるよ。そばで君のことを守る。何があっても……」
そんな言葉を言うと、彼女は微笑んだ。
「ありがとう。オクリ先生」
「……オクリ先生?」
「だって、助手をしてるってことは医者を目指してるんでしょ? だから、オクリ先生」
なぜだか嬉しかった。
自分が誰かの役に立てる存在のように思えたことが……。
「……そろそろ仕事に戻らなくちゃ……」
ボクは部屋を出ようとする。そこに……。
「がんばって、オクリ先生」
こちらに手を振る彼女の姿があった。
「うん」
そう言い、ボクは部屋を出ていく。