第45話 近くて遠いもの
「…………」
目覚めると、そこはエルの屋敷だった。どうやら気絶した俺はここまで運ばれたらしい。
「…………ん?」
ベッドで寝ていた俺は横の人物が気になった。
「エル?」
その青髪の少女はヨダレを垂らしながら寝ていた。ずっとそばで見守ってくれていたのだろうか。
「…………」
なんとなく、あの変な海で聞こえた声を覚えている。それはこいつの必死に心配する声だった。
「……ありがとうな。お前のおかげで俺はまた誰かを救うことができた」
魔法で一枚のハンカチを作り出す。それでそいつの口のヨダレを拭く。
「……ん……あ」
「おはよう。エル」
しばらく辺りを見回していた。そして、さっきまで自分の口が拭かれていたのを思い出す。
「……ふぇ!」
「ん?」
「ああああああああああああああああああああああああ!」
ヨダレを垂らしていたことがよほど恥ずかしかったのだろうか。エルはその場で絶叫する。
「……なっ! 何勝手に私の口に触ってんのよ!」
「いや、だってヨダレがあったから」
「んがあああああああああああああああああああああ」
すると、叫ぶのにも疲れたようで、エルはその場に座り込む。
「…………で?」
「ん? どうかしたか?」
「体調は大丈夫なの?」
それを聞かれると、俺は体の調子を確かめる。どうやら、特に異常は無いようだ。
「まあ、大丈夫だろう。なんつったって俺は異世界を350回近く移動してきたおとk」
ゴギっ
「あ痛たたたたたたたたたたたた!」
腰の辺りがすごく痛い。
「……しばらくは安静にしておいた方が良さそうね」
「まあ、一週間ぐらい無理しなかったら問題無さそうだしな」
「…………」
エルは首を傾げ、俺の発言を奇妙に思う。
「……少し質問していい?」
「おう」
「……どうして突然、医学や薬学の知識を使えるようになっていたの?」
そういえば、あまり深くは考えていなかった。
「……そうだな」
変な海の中でつかんだ光がそれだった。タナカに抜き取られた記憶の形にそっくりだったのだ。
だが、こんなことを言っても信じてもらえないだろう。
俺はある質問をしてみることにする。
「なあ。エル」
「ん?」
「お前って恋をしたことあるか?」
「…………は?」
なぜか顔を真っ赤にする。
聞いちゃいけないことだったか?
「なっなななな何のつもりよ!? そんなこと聞いて……」
「嫌なら答えなくていいんだ。俺の興味の問題だし」
「そう……なの?」
「そうだな……」
俺はちょっとした昔話をする。
「俺が異世界を渡り始めて34回目の世界のこと。俺がオクリって名前だった時の話だ」
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「そんなことがあったんだ……」
「ああ」
俺はその世界で出会った少女サエのことや、サエが死んでからは医者として人を助けていたことを話した。
「医学や薬学は、その時に身につけたものなんだ」
「…………」
すると、エルがあることを質問をしてくる。なぜかその声は不安そうなものだった。
「……カケルは……今でもそのサエって人が好きなの?」
「…………」
一つ間を置いてから、俺は言う。
「……わからないんだ」
「……え?」
「……今のカケルは……その時のオクリとは同一人物とも言えるし、長い時間を過ごして……記憶もところどころ失って、まったく違う人間になったとも言える」
「……どういうこと?」
「つまりイコールでも、ノットイコールでもない。ニアリーイコールってことだ。限りなく近いけど、それでも少し違う存在なんだ。だから、サエのことが今でも好きかどうか、俺にはわからない」
しかし、心の中に込み上げてくるものがあった。
「たぶん……俺の中のオクリはまだ彼女のことが好きなんだろうな。正直、今の俺には顔と名前しかわからない。どんなことを一緒にしたのかも覚えていない。記憶はタナカのやつに返しちまったからな」
だからこそ、断言しなくちゃいけないことがある。
「カケルとして考えると……俺はサエのことが好きでは無いし、嫌いでも無い。……会ったことも無い人間だしな」
「そう……なんだ」
エルは嬉しいのか、悲しいのか、よくわからない表情をする。
「それでも……」
「……?」
「サエが死んでから、そういった人間を救おうとしたオクリの意志は絶対に忘れちゃいけない。それだけは……絶対……」
俺自身が過去の俺自身を裏切るわけにはいかない。
……少し話が重くなってしまった。
この話も今となっては昔のことだ。そんなに気にすることでもない。
……そんなに……。
「さて……とっ」
俺はベッドから立ち上がる。すると、エルが心配してくる。
「まだ寝てた方が……」
「大丈夫だって。それに……いつまでも寝てられるかよ」
そして、その部屋の扉を開ける。
ビュンっ!
…………え?
俺の腹に誰かが抱きついてくる。
昨日からよく抱きつかれるなあ。俺。
ゴギっ!
「あ痛たたたたたたたたた!」
「4000年生きたお兄さん。……一緒に遊ぼう?」
グギっ!
「痛い痛い痛い! 頼むから離してくれ!」
「あらあら。それはごめんなさい」
抱きついてきた少女が俺を放す。そいつは小麦色と青色の髪が混ざった髪をしていた。歳は……エルより二歳ほど年上だろうか。
楽天的な声で俺に話しかける。
「お兄さん。私と遊びましょう」
「……ああ? 何言ってんの?」
「だから、遊びましょう?」
「…………」
なんかこの子もやばそうだなあ。
「……何するんだ?」
「そうだねえ。私の部屋でエッチなことしましょう?」
「……おう……エッチなこ…………」
それを言いかけた俺は改めて言われたことの意味を確認する。
「エッチなこと!?」
「そうです!」
つまり、それは童貞を卒業できるって解釈でいいんですね?
「よしっ! じゃあ早くあなたの部屋へ行きましょう!」
「何変なこと考えてんのよ!」
「ごぶっ!」
エルの蹴りが俺の腰を直撃する。ほんと容赦ないな。この女。
「あら? エルじゃない」
「……アグネーゼお姉様」
アグネーゼ……お姉様……? 名前だけしか聞いたことが無かったけど。
このいかにも発言がビッチの女が?
「初めまして、私はアグネーゼ。今は19歳。高等魔法学院に通う二年生です!」