第42話 彼女がやってくる
「…………」
「…………」
目の前にウィルとステファニーが座っている。気まずいのか、お互い黙ったままだった。
「……んじゃあ、とりあえず乾杯するか」
俺がグラスを上げると、皆もグラスを上げる。
「かんぱーい!」
グラスとグラスがぶつかり、心地よく軽い音が鳴る。それとは違い、場の空気はいまだに重かった。
「……あはは」
すると、突然ウィルが笑いながら話し出す。
「完敗した人が、乾杯する……なんて……あはは」
…………。
「……ごめん。忘れて……」
たぶん場を盛り上げようとしたのだろう。でも、その言葉は逆に場を寒くした。
「…………」
「…………」
二人はなかなか話さなかった。見ていると互いに話そうとしているのだが、うまく話題が切り出せないようだった。
「ねえ。カケル」
エルが小声で俺に話しかける。
「どうすんの? この状況」
「どうすると言われても……」
今、何をしても場の空気を変えられない自信がある。こればかりは俺も割り込むわけにはいかない。
「……あの」
ステファニーが話し出す。
「……あの時……つい逃げ出しちゃってごめん」
「……大丈夫だよ。もう慣れてることだから……」
いろいろウィルの闇を感じたが、今の会話で話しやすくなったようだった。
「……この前のレストランでも話したことなんだけど……騎士として洞窟に行った時……」
ウィルは自然と話す。もう、緊張はしていないようだった。
ステファニーも少しずつ微笑み始め、話に加わっていった。
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しばらくした後、パーティーは終わった。その後、人がいなくなっても話している。
俺とエルはいったん席をはずして、遠くから見守っているだけだった。
「……ははっ。洞窟の魔物が襲いかかってきたんだけど……僕の剣で一掃できたんだ」
「すごいね」
「……でも、僕はカケル君に勝てなかった。どんなに努力しても追いつけないところがあるってわかった」
ウィルは再び俯く。いろいろと抑えられないものがあったのだ。
きっと今日まで剣術の鍛練をしていたのだろう。あの剣の威力は鍛練を怠っているものには成せない技だった。
「……やっぱり……僕はすごく弱い……」
「そんなこと無い」
「…………え」
ステファニーはウィルにその言葉を放つ。
「あなたが戦っているところはすごくかっこよかった。ちゃんと相手のことを考えて、戦っているところは……」
「ステファニーさん……」
「たぶん、誰でもできることじゃないと思う。相手を思う優しさを持った人じゃないと……。だから……」
ステファニーは口もとに笑みを浮かべる。
「……私と……」
そう言いかけたが、少し間を置き、言い直す。
「……オレと……一緒にいてくれないか?」
ウィルには、まったく想像できない言葉だった。それを聞き、ウィルの目もとから涙が溢れる。
こらえていた涙を……。
「……くっ……」
それを拭い、ウィルもステファニーに微笑む。
「ありがとう。ステファニー」
その時だった。
「お遊びはその辺りにしておいてくれるかしら?」
その声はウィルの心を脅す。
いや……ウィルだけではない。俺も、心臓に刃物を突きつけられたような感覚を味わった。
ウィルは慌てて、その声の方向を向く。声の主は会場の入り口から入ってくる。
「……母……さん……」
…………え?
あの母親がここに来たの?
「…………カケル?」
隣でエルが俺に話しかける。だが、それがわからなくなるぐらい、俺の心は怯えていた。
今、このタイミングでウィルの母親、シャーロットさんがやってくる。それはなぜか……。
……俺、死ぬんじゃね?
「ちょっと待ってええええ!」
俺は必死にシャーロットさんの目の前に駆け出す。
「お願いします! 許してください! 確かに二週間は過ぎちゃったけどあともう少しでどうにかなりそうなんです! だから」
ドシュっ!
…………え?
俺の右半分の体に強い衝撃が響く。
竜のしっぽのような物がシャーロットさんから生え、それに叩きつけられたのだ。
さっきのウィルとの戦いで、だいぶ体力を消耗したからか、避ける余裕が無かった。
ビュウウウンっ!
勢いよく吹き飛ばされる。そして、ステージの方に倒れる。
「……あれ……」
あまりの痛みに体がうまく動かせなかった。それどころか、意識も薄れていく。
「カケル!」
消えゆく意識の中で、エルの声が聞こえる。しかし、それもだんだんと小さくなり……。
何も聞こえなくなった。
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慌ててエルはカケルのもとに向かい、抱きかかえる。
「カケル! しっかりして!」
幸い意識を失っているだけだった。
それを見たステファニーは恐怖を感じた。
「……あ……ああ……」
「悪いけど、これからあなたを試させてもらうわ。本当にウィルにふさわしい相手なのかを……」
シャーロットの腰あたりから生えているしっぽは、よりステファニーに恐怖を与える。
「すごいでしょう。これ。……遺伝子操作の実験の成果よ」
シャーロットはステファニーのもとに歩いていく。しかし、前にウィルが立ち塞がる。
「……どいてくれるかしら? ウィル」
「……ごめん。母さん」
ウィルは先ほど使っていた木剣を手に持つ。
「……悪いけど、ステファニーさんに触れさせるわけにはいかない」
「あら……言い方が悪かったわね」
シャーロットは目を細めながら、狂気的に言う。
「どきなさい。ウィル。……お母さん、あなたを傷つけたくないの」
「……無理だ」
「残念だわ」
瞬間。ウィルにそのしっぽが振りかざされる。ウィルはそれを避け、シャーロットに近づく。
だが……。
ビシッ!
「……くそっ!」
シャーロットの足の形状が変化し、鷲の爪のような形になっていた。それがウィルの剣を止める。
彼女の反応速度はウィル以上だった。
ドシュっ!
「がはっ!」
反応に遅れ、腹にしっぽが炸裂する。その衝撃で遠くに飛ばされる。
ウィルは体勢を整え、地面に着地する。
「…………」
――痛……すぎる――
先ほどの戦いの疲労も残っているのだが、それ以上に隙を狙われ攻撃を当てられたことが辛かった。
シャーロットはウィルの性格や癖をすべて理解していた。当然である。20年以上、共に生活してきたのだから。
でも……。
――母さんの知らない僕だっている――
背後にステファニーがいる。その思いがウィルの心を支えてくれた。
そんなウィルをシャーロットは不思議に思う。
「……どうして……そこまで戦うの?」
「…………」
ウィルは昔から決めていたことを言う。
「怯えている人がいる。戦う理由はそれで十分だ」
「そう……。正義感が強いのね」
シャーロットは自らの鞄から注射器を取り出す。そして、その鞄を会場の隅へ放り投げる。
「でも……正義感だけじゃあ幸せになれないわ。時に貪欲に、自分の欲するままに動いていいのよ」
「……そうかもしれない」
ウィルは剣を握りしめる。
「でも……今はその時じゃない!」
「いいえ。その時よ」
シャーロットは自分の腕に注射器を刺し込む。
「今から教えてあげるわ」
彼女の肉体が変化していく。体に鱗ができ始め、手も足と同様に鷲の爪のようになる。
やがて、その体はドラゴンの姿になった。いかにも、口から火を吹き、街を破壊しそうな見た目である。
「……仕方ないわね」
「……うん。……仕方ない」
ウィルは母親をにらみつける。ここまで育ててくれたのはこの母親だ。
――でも、僕の守りたいものを傷つけようとするなら……――
「あなたを止めて、ステファニーさんを守る!」