第36話 壊すべき選択がそこにあった
「……んにゃ?」
可愛げな声を出しながらエルは目覚める。
「…………」
「大丈夫か?」
そんな彼女に声をかけるも、寝ぼけて反応が薄い。
「…………え」
エルは急に顔を赤くし、こちらを見る。
「ああああああああああああああああああああああああああ!」
なぜか叫び出した。思春期にはいろいろあるのだろうか。
とにかくエルが元気なことも確認できたし、そろそろ戻ろう。
そう考えたのだが、劇場の方から人がたくさんやってくる。どうやら演劇は終わってしまったようだった。
「……良かったの?」
「あ?」
突然のエルの質問に俺は戸惑う。
「何がだ?」
「お姉様よりも私を優先して……」
まあ、特に深い理由は無いのだが……。
単純にウィルたちに問題は無さそうだと思ったから、エルの方に気を使って良いと思っただけである。
「まあ……お前にはいろいろ感謝してるしな」
「……え?」
「お前が俺をこの世界に召喚してくれなくちゃ、俺はウィルやルル、この世界の皆に出会えなかった。なんかさ、今すごく楽しいんだよ」
俺はただ思ったことを伝えているだけだった。
「だから、ありがとうな。エル」
「…………へ?」
バシっ!
「え?」
突然俺の顔が手で押される。
「……べ、別に感謝されたくてやった訳じゃないし! むしろ私が興味があるからやった訳だし! 全然何も言わなくていいから!」
ずいぶん可愛いこと言ってるけど、今首がすごい方向むいてるからね? そろそろ解放してくれ。
エルは顔をこっちに向けていないため、俺がどういう状況か理解していない。
とりあえず、俺はエルの手をつかみ顔から引き剥がす。
「とにかく大丈夫なのはわかったから、劇場に戻るぞ?」
「……ふえっ!」
俺はエルの手をつかんだまま、劇場に向かう。
その時だった。
バシっ!
俺の前に誰かが当たった。劇場から出てきた人であろう。
「あ、すみませ……え?」
「……あ……ああ……」
そいつはステファニーだった。なぜか彼女は泣いていた。
俺の顔を見たあと、道へ走り出す。
「おい! 待て!」
俺の言葉を聞かず、ステファニーは見えない場所まで走っていった。
「……なんなんだ?」
「ねえ、カケル」
「……どうした?」
「あれ……」
エルは指をさす。その方向を俺は眺める。
「……え?」
そこにはパンツを被ったウィルの姿があった。
「何があった?」
すると、目の前の空間からモナが現れる。
「私が話しましょう」
その少女を見て、エルは俺に質問してくる。
「……カケル、この人誰?」
「ウィルの妹のモナだ」
俺は事情をモナに聞いてみることにする。
「頼む。教えてくれ。いったい何があった?」
「ええ。それは劇場から客が出ていった時のこと」
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それからも、兄さんとステファニーさんは席に座っていました。
「ウィル、面白かったね」
「ええ。そうですね」
その時、なぜか兄さんは真剣な表情をしました。
「……ステファニーさん」
「どうしたの?」
「話さなくちゃ……いけないことがあります」
兄さんは立ち上がり、服のポケットからあるものを取り出しました。
「……え?」
それは女性物の下着、パンツでした。
「……なんでウィルがそれを持っているの?」
「僕は……ロリコンの変態なんです」
「……え?」
兄さんはそれを頭に被り、覚悟を決めた表情でステファニーさんを見つめていました。
「僕は、小さい女の子を見ると興奮してしまうんです。主に、15歳以下の少女を見ると……。時にその少女のいろんな様子を見て、それらを写真におさめたいと思ったぐらいです。近くに行くと漂う甘い香りを嗅ぎたいと思うレベルです。さっきも、役者の子の、露出した肌をじっと眺めていました」
そのウィルの姿を見て、ステファニーさんの顔はどんどん青くなっていきました。誰だってそうなると思います。
目の前にパンツを被った変態がいるのだから。
「そんな僕とこれからも友達でいてくれますか?」
兄さんはそんな言葉をステファニーさんに投げかけました。あまりの質問に彼女は動揺していました。
「……その」
「…………」
「……ごめんなさい」
ステファニーさんはそう言い、劇場の外へ走っていきました。
兄さんはパンツを被ったまま、その場に立ち尽くしていました。
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バシュンっ!
「ぼえっ!」
俺はウィルの脇腹にドロップキックをかます。
「お前……いくらなんでも欲望語りすぎだろ!」
「……うん」
ウィルは脇腹を押さえながら、ピクピク震えている。
「それにパンツ被るのはアウトだろうが……」
俺は被っていたパンツを取り上げる。すると、モナが恥ずかしそうにこちらを見つめる。
「……なんだ?」
「……あの……そのパンツ、私のなんで……あんまり外に出さないでもらえると助かるんですが……」
「……ああ、悪い」
そう言って、俺は自分のポケットにパンツをしまう。
パシュウウンっ!
「ぐえっ!」
俺の背中にエルのドロップキックが炸裂する。
「さりげなくパンツを盗るな!」
「…………」
この女……なかなか鋭いな。
俺はパンツをモナの前に出す。そいつはそれを受け取り、すぐにしまった。
とりあえず、俺は立ち上がりウィルの方に向かう。
「……おい」
ウィルの胸ぐらをつかみ、聞く。
「なんであんなこと言ったんだ?」
「それは……」
そいつは微笑み、理由を話す。
「……嘘を……つきたくなかったんだ」
「あ?」
「彼女が優しく接してくれているのは……本当の僕じゃない。全部、偽りの僕なんだ。だから、彼女に本当の僕を知ってほしかった。その上で、友達でいてほしかったんだ」
「…………」
その気持ちは……わからなくもない。
「んで? それで振られた気分はどうだ?」
「……ははっ。それ聞いちゃうかい?」
「ああ」
そいつは自分たちが座っていた席を眺める。きっと、今日のことを思い出しているのだろう。
「……わかっていたことだよ。僕らロリコンは、世間一般で見ればただの変態さ。そんな僕らを認めてくれる人間なんていない」
「……んで?」
「……今日は……楽しかった。……でも、皮肉な話さ。それを体感できたのは、僕が自分の欲望を抑えたから楽しめたのさ」
ウィルの口もとが微笑んでいた。だが、その目は悲しそうな目をしていた。
……そう。
「……そう……感じるってことは。僕自身がやっぱり普通にならなくちゃダメなんだよね。きっと……」
「…………」
「今日で目が覚めた……。明日からは、普通の人間として……生きようと思うよ」
瞬間。
俺の拳がウィルにぶち当たる。そのまま、ウィルを壁に叩きつけた。
「……ふざけたこと……言ってんじゃねえよ」
「……え」
「てめえ自身が、てめえを否定してんじゃねえよ!」
殴った拳は俺にも痛みを与える。だが、そんなことはあまり気にしていなかった。
「何かを好きって言えるのは……その何かがある時だけだ」
そう……その大切なものがある時だけ。
「それが無くなっちまったら、もう好きだとか嫌いだとかの問題じゃないんだよ! ただ、虚しいだけなんだよ! そんなの!」
大切なものは無くなった後に気づくと言う。
俺は何度もその経験をした。
例え、ここでウィルがロリコンでなくなったとしても、きっとその後ウィルは一生……何かが足りない人生になっているだろう。
そんなことはさせない。そんな後悔は絶対にさせない。
「おい! ウィル」
壁に打ち付けられたそいつはその場に座り込んでいた。
「お前にとってロリは……そんな簡単に捨てていいものだったのか? お前は! そんな人生過ごしたいのか!?」
「……そんなの……」
ウィルはゆっくりと口を開け、言う。
「違うに決まってるだろ!」
「じゃあ! 簡単に捨ててんじゃねよ! 立ち上がって証明してみせろよ!」
ウィルは脚に力を入れ、大地に立つ。そして、俺の方に向かってくる。
「それでも! 捨てなくちゃいけないんだよ!」
バシュっ!
ウィルの拳が俺の顔を弾く。何度も何度も俺を殴る。
「ロリコンであることを肯定してくれる人間なんていない! どんなに気をつけていても! 民衆は僕をただの犯罪者予備軍だと思うだろうね! そう思われるぐらいなら、僕は一人で良かった!」
その声は涙がこもった声だった。
「なんで僕に、誰かといることの幸せを感じさせたんだ! せっかく忘れていたのに! せっかくロリコンとして、一人で生きる決心がついていたのに! こんな思いをするぐらいなら! いっそステファニーさんには会わなければ良かったよ! どうして、会わせたんだよ!」
何度も何度も俺を殴り続ける。そんなこいつを俺は殴る気になれなかった。
こいつにステファニーを会わせたのは……単にステファニーの気持ちを汲んだ話だったからだ。
ウィルの気持ちなんて、いっさい考えていなかったのだ。
「なんで僕が苦しまなくちゃいけないんだ! どうしてこんな葛藤を抱かなくちゃいけないんだよ!」
「そん……なの……」
「……!」
俺はウィルの拳を受け止める。
……葛藤……なのだ。
「お前がロリと同じぐらい、大切なものができちまったからだろうが」
「…………ちくしょう」
ウィルのその声はとても弱々しかった。図星だったのだ。その場に座り込んでしまった。
「……無責任だって……わかっているんだ。あの時、合コンをしたのは僕だ……。それなのに……君のせいにしようとしている。本当に僕はどうしようもないやつだ……」
最初から……レストランでウィルがステファニーに会ってから、こいつはおかしかった。なぜか、普段よりも頑張って話していたのだ。
「ウィル……」
「……カケル君……」
俺はそいつの前に手を出す。
「お前はロリコンでいることを取るか、それともステファニーを取るか、それはお前が決めることだ」
「……うん」
「だが……どっちも取ることができるとしたら?」
「……え?」
俺のやることは変わらなかった。
ただ、ステファニーだけでなく、今度はウィルの分も面倒を見てやらなくちゃいけないってことだ。
「ははっ」
成功する確率は限りなく低い。だが……。
「ウィル、お前にロリコンでありながら、ステファニーに告白させてやる!」
「……そんなこと……」
ウィルは俺を見上げていた。
「そんなことできるのかい?」
「ああ。俺に任せろ」
…………。
殴られたことで、忘れていた記憶を思い出す。
昔、俺はある少女に恋をした。
だが、ある時、その少女と自分、どちらかしか助けられない状況になった時があった。
その時、結局俺は自分を選んだ。俺はクズ野郎だ。
愛しているだの、絶対に助けるだの言っておきながら、結局彼女を救えなかった。それどころか、自分を優先してしまった。
そのことを俺は一生後悔している。自分はたとえ死んでも、別の世界に転生できるというのに……。
ただ……自分を選択していても……結局変わらなかったと思う。
別の世界へ転生して……彼女には会えなくなっていた。その時、心がポッカリ穴が空いて、虚しさを感じていただろう。
でも……。
「ウィル……」
もしも、どちらも助かるぐらいの力があったら、彼女と幸せに暮らせていたのだろうか。
「俺が……」
その力を……今の俺は持っている。
「必ず俺がステファニーをお前の彼女にしてやる!」
俺は……過去に勝ちたい。そう思ったんだ。
「だから! 俺を信じてくれ!」
「……くっ……うう……」
そいつは涙を流しながら、俺の手をつかんだ。