番外編 最初の世界
救急車のサイレンが鳴り響く。
暗い空の中、空に描かれているオリオン座が目に入る。冬の空というものは、本当に美しい。
そんな景色を目にする中、俺は自分の状況に気がつく。自分の体が……。
まったく動かせないこの状況に。
「ああ。……そういうことか……」
近くにへこんだ自動車があることに気づく。その自動車のへこみが自分とぶつかったために発生したものだとわかるには、少し時間がかかった
……そもそも、痛みを感じていないからか、あまり現実味が無いのだ。頭の中が物理的にも精神的にもめちゃくちゃになっていて、もう考えること自体が面倒だ。
「もう……寝たい……」
地面が冷たく感じるのは、冬だからだろうか。それとも、だんだんと自分が死に向かっている影響だろうか。
まあ……どっちにしても、関係無いことだ。
「……最後に……父さんにおんがえししたかったな」
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「…………あれ?」
不思議と暖かくなっていく。さっきまであんなに冷たくて、寂しい世界だったのに……。
特に……頬のあたりが……あったか……。
「え?」
「ん?」
違和感が俺を襲う。この頬の感触は……。
「これは! 女の子のふとももではないか!?」
「あちゃー。これは残念なことをしたね」
「…………」
どうやら、ある人物に膝枕をされているようだった。
「私は性別が無いんだよ。ごめんね」
俺はひとまず起き上がり、状況を確認する。そこは真っ白で何も無い場所だった。
目の前には、確かに男とも女ともとれるような、そんな中性的な見た目のやつがいた。
「……えっ……と、あんたは?」
「私はサトウ。輪廻転生をつかさどる神さ」
「輪廻……転生……?」
……夢でも見ているのだろうか。
だとしても、悪趣味な夢だ。これから、死ぬ人間が見るには、あまりに欲望丸出しな夢である。
見せつけられているようで嫌な気分になる。
「……とりあえず、二度寝するか」
「いや! ちょっとちょっと! 話を聞いてよ!」
「……ええ? だって、どうせ俺の願望が作った夢だろ? なんなら、この後は……異世界に転生させてあげるー……みたいなことを言い出すに決まってるだろ」
「えっ。すごい。よくわかったね」
「…………」
ああ。やっぱりここは俺の夢なのか。
なら、とっとと覚めてほしい。
「そうだ! ここが夢じゃないことを証明すれば、いいんだね?」
「……あ? 証明?」
訳のわからないことを言うそいつに俺は問いかける。
「どうやって証明するってんだよ」
「そうだねえ。夢の中って、なんかぼんやりしてて、ゆるゆるな世界観じゃん」
「そりゃあ、まあな」
「じゃあ。ここで現実味が出るように、私があなたの経歴を言っていくよー。それなら、文句が無いでしょ?」
「…………」
まあ、妥当な証明の仕方だろう。
「んじゃ、頼む」
「はーい。じゃあ、産まれたところから言ってくね」
何やら、トイレットペーパーを取り出し、そこに書かれていることを読み出す。さすがにトイレットペーパーに俺の人生をまとめないでほしい。
「2004年、数多カケル、東京都で産まれる。それから、あまりに平凡な人生を過ごし、ちゃくちゃくと成長していく」
「……うん。そうだな」
数多カケル。それが俺の本名なのは確かだ。
「そして、2010年、交通事故により両親が他界。よって、君は地方の施設に入れられることになった」
「…………」
両親の顔は覚えてはいるが、どんなことを一緒にしたのかは幼い頃だったから思い出せない。ただ、優しい両親だったことは覚えている。
まあ、同じ交通事故で死ぬとは思わなかったが……。
「うん。それからある人物に引き取られ、学校に通わせてもらったんだね」
「ああ」
その人物こそが今の父親である。いろいろと出来の悪い俺の世話をしてもらった。やっと良い大学に入って、おんがえしできると思ったのにな……。
まさか、死んでしまうなんて。
「うん。そして、彼の雇った人物に轢いてもらったと……これで終わりだね」
「……ん?」
俺は一瞬、そいつの言っていることがわからなかった。
「今、なんて言った?」
「……へ? これで終わりだよって」
「いや、そうじゃなくて……」
確かに俺の成長の過程が一気に吹っ飛ばされていることにも驚いてはいるが……。
「だから、君のお父さんが雇った人間に轢かれたんだよ? 君」
「……は?」
状況がまったく理解できなかった。
……父さんの雇った人間に轢かれた? 俺が?
「おいおい。いくらなんでも死ぬ前の夢にしては悪趣味にも程があるだろ。なあ、そろそろ目が覚めてもいいんじゃないか?」
俺はだんだんと嫌な汗をかいてきた。いっそのこと、何も知らないまま、存在が消えるのも良いと思った。
しかし、そんな俺の気も知らずにその神とやらは言う。
「へえ。このぐらいがやり過ぎねえ。じゃあ、この先の出来事を聞いたら君はショック死でもしちゃうかな。あっ、もう死んでるか。あははっ」
ガシっ
気がつくと、俺はそいつの胸ぐらをつかんでいた。
「……話せよ」
「じゃあ……この手も離してもらえるかな」
「……ああ」
とっさに手が出てしまったのは、どうしても俺が現実を受け入れられなかったからだ。
さすがに……今まで尊敬していた人物が俺を殺した張本人だなんて、そんなことは信じたくなかった。
それでも、俺は……。
「……続けてくれ」
疑ってしまった。父さんを。
「まず、君のお父さんは、裏で君を生命保険に入れていたんだ」
「……いやいや、何言ってんだ?」
俺はその時点で神の言ったことを否定したかった。
「本人の承諾も無しにそんなこと……」
「できるよ。だって、君のお父さんはヤクザだとかそういう裏の世界に精通してたからね」
「……は?」
俺は今までの生活を思い出してみた。そういえば、知らない大人が父さんに会いに来ることが度々あった。
「いや……だが……なんで俺なんだ!? なんで、わざわざ俺を引き取った!? 他にも施設にはたくさん子どもがいた! いろいろ不可解すぎるだろ!」
「えっ……わからないの?」
「……は?」
キョトンとする神に向けて怒りが込み上げてくる。いっそ、ここでぶちまけて、スッキリしたいものだ。
しかし、神は俺にそんな余裕は与えない。
「……両親の遺産」
「…………」
「君に相続されるよね」
「…………」
怒りをぶちまけることもできずに、俺はただ黙っていた。
「裏で人の命を奪い……殺すことは意外と簡単。でも、意外と痕跡が残りやすいんだよ。だから、何人も生命保険にかけて殺すよりも、遺産を相続している一人を殺す方が証拠は消しやすい」
「……で」
その時点で、俺の理想の父親像はとっくに崩れ去っていた。
「その男は……どうなったんだ?」
「……その男って、君のお父さん?」
「…………」
俺は無言のまま、小さく頷く。
「うーん。たぶん二年後ぐらいにバレて捕まると思うよ。そのヤクザ経由でね」
「……そうか」
「気分が良くない?」
「……別に」
もうどうでも良かった。
結果として、自分は死に、もう何をしても無駄だから。
「……でもまあ」
俺はその神を見つめ、微笑を浮かべながら言う。
「ありがとうな」
「……なんで?」
「……なんていうかな」
俺にもよくわからなかった。ただ……。
「……最後に全部知れたってのは、唯一の救いになった」
「…………」
「……結局、利用されるだけの最悪の人生だったことには変わりないけれど、それでもどういう因果で最悪になったかを知れたから、気持ちが楽になったんだ」
正直、気が狂いそうになるぐらい絶望してる。本当は泣き叫びたいのかもしれない。
ただ……最後ぐらいは気持ちよく終わりたかったのかもしれない。
でもまあ……。
「何も知らずに平和に死ぬよりは……本当は利用されてたってことを知った方が俺は良かった」
「……そうなんだ」
その神は笑みを浮かべ、俺を見つめる。
俺はそいつに言う。
「なあ……サトウだったっけ。今度生まれ変わったら、幸せになりたいな。誰かに愛されて……愛せるような幸せな一生を過ごしたい」
贅沢な願望だった。
だが、文字どおりの『神頼み』をするのも悪くなかった。
「…………」
……そろそろ消えてもいいや。ところで、俺はいつ消えるのだろうか。
「……できるよ」
「…………」
一瞬、そいつの言っていることがわからなかった。
「……は?」
「できるよ。あなたは幸せになれる」
俺は首を傾げながら、サトウを見つめる。
「何言って……」
「おめでとう……。あなたは選ばれたんだよ」
サトウは背中から翼を生やし、宙に浮く。
そして、俺の手に触れて言う。
「言ったでしょ? 君を異世界に転生させることができるんだよ」
「……異世界に……転生?」
「そうだね。サービスで記憶を保ったままにしてあげる」
「記憶を……保ったまま?」
その言葉を聞いた途端……俺の瞳から……。
「……ああ」
信じられないほどの涙が溢れてきた。
「……俺は……幸せになれるのか?」
「うん。なれるさ。きっと……」
その神は天使とも悪魔ともとれるような笑みを俺に向ける。
「……がんばってね」