第92話 炎という名の魂
少女、アンジェリカは両手にナイフを持ち、こちらをにらみつける。
「……王子」
そして、その手に持つナイフを投げる。そのナイフはさっきとは比べられないぐらいの速さでこちらに向かってくる。
……しだいに彼女はナイフを投げなくなった。代わりに生成魔法で作られた無数のナイフがこちらに向かってくる。
「……アンジェリカ」
思えば、お前の笑顔で救われた時が何度もあった。タクローと戦った時だって、お前のことを思い出さなければ死んでいたかもしれない。
「……根元魔法『タレスの選定』」
床が変形し、俺の前に壁を作る。それは向かってくるナイフを次々と防いでいく。
「ああああああああああああああああああああ!」
叫び声と共に、彼女はさらにナイフを向かわせる。俺は作った壁を踏み台にし、彼女のもとに飛び込む。
そして……。
「……派生型、投影魔法」
……ありとあらゆる動きを俺はまとう。
「……根元魔法『ヘラクレイトスの再演』」
俺は目にも止まらぬ速さでナイフを次々に避けていく。前までは集中しなければ出せなかった無音の動きを、自分自身に焼きつけていく。
そう。一度見た物体の動きを、自分の体で再現する。
それが、『ヘラクレイトスの再演』の効果。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
いくつか、向かってくるナイフをつかみとる。そして、それを先ほど使った『選定』の能力で、一つの剣にする。
ナイフを時に避け、時に弾きながら、アンジェリカのもとに向かっていく。
通りすぎたナイフは俺の後ろの壁や、上の天井に突き刺さる。一度でも当たれば、体は粉々に砕け散るだろう。
だが……それでも、彼女のもとに走っていく。
「アンジェリカああああああああああああああ!」
「……もう嫌だ」
「……っ!」
少女は涙を流していた。手で顔を押さえているが、その涙はどんどんこぼれ落ちていく。
「……ある世界に行ったよ。その世界は……身分なんてものは無くて……平和な世界に思えた」
彼女の言葉を聞きながら、その近くに向かって走る。
「……でも、そんな中でも、やっぱりタクロー君みたいな苦しんでいる人がいた。……なんで……どうして人間は苦しまなくちゃいけないの? どうして……幸せに生きちゃいけないの?」
「……それは……」
「…………?」
「人間は苦しさっていう壁を乗り越えて、初めて幸せになれるからだ」
ザシュっ! ズシャっ!
いくつか、ナイフが肩に刺さるが、進み続ける。
「そんなの……」
少女は表情が強ばりながらも、強く言う。
「……乗り越える力なんて残ってないよ!」
突然、少女から一定の距離を取り、ナイフが止まる。作られたナイフはその位置で止まり続け、密集する。
おそらく、次の攻撃で終わらせるつもりなのだ。
……でも……!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
無音の動きに……。
「もっと! 速度を!」
音の波をイメージしろ。そして、その波に乗れ!
「はあああああああああああああああああああああ!」
蹴られた床が衝撃で大きくへこむ。
「……どうして……平和に生きられないのかな」
少女が呟いた瞬間。
数えきれないほどのナイフが俺の方に向かってくる。
……大丈夫だ。
「たどり着ける!」
『再演』の能力を使い、次々とそのナイフを避けていく。音速を越えるその体は、徐々に重くなっていく。
それでも……。
「……壊れるまで走れ!」
ジャリンっ! ジュリンっ!
ナイフが俺の体をかすり、傷をつける。それは彼女に近づくには、しょうがないことだった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
剣が空気を斬る音を放ちながら、俺とともに彼女のもとに向かう。
そして……アンジェリカのもとにたどり着いた。
「まだ! まだ、私には時間を止める力が……」
アンジェリカは気がついた。すでに俺の動きが無音の動きでは無くなっていることに……。
「……まさか!」
おそらく彼女には俺の動きが、初めて剣を握った初心者の動きに見えたのだろう。
当然のことだ。
「これが……『ヘラクレイトスの再演』だ」
ギルドの試験で戦った少女の動きを再現しただけなのだから。
「……アンジェリカ!」
その剣は、アンジェリカの首もとにやってくる。
「…………!」
彼女は涙を流しながらも、口元に笑みを浮かべていた。その笑みは、彼女の心からの笑みだった。
まるで……死を望むかのような……。
――オクリ先生――
「……っ!」
――生まれ変わったら……――
「……まだ……」
俺は強く剣を握り締める。
「まだ生きれるだろうが、お前は!」
……『選定』!
俺の剣は液体となり、彼女の首を通り抜けていく。
「……王……子?」
ゴヅンっ!
俺は自分の額を、彼女の額にぶつける。
「いっ……たい!」
「ふざけんなよ! 苦しさを乗り越えるのに、力なんていらねえよ!」
「……っ!」
「お前の乗り越えたいと思う信念だけで十分だ!」
頭突きをした勢いで、俺と彼女は離れる。
「がはっ!」
床に打ちつけられ、体は潰れたカエルのように寝そべる。
「……ぐっ……は……」
それだけではなく、口から大量の血が吹き出る。『再演』であり得ない動きをしたため、体に相当の負担がかかっていたのだ。
「……アン……ジェリカ」
俺の頭突きが効いているのか、彼女も座り込み、頭を押さえたままだった。
「……う……うう」
「なあ……アンジェリカ。こんなこと、お前が恨んでいる俺が言うのはおかしいけどよ……」
体の動きが鈍い。だが……それでも、彼女に言いたいことがあった。
「……その恨みを……誰かを殺すことじゃなくて……誰かを助けるために使わないか?」
「……王子」
誰だって……自分の家族がひどい目にあったら、そんな目に会わせた人間を殺したいと思う。
だが……恨みが恨みしか産まないなんて……そんなの悲しすぎる。
「なあ……アンジェリカ」
「……王……子」
ガゴっ
そんな時……天井の破片が彼女のところに落ちてくる。その破片はそんなに大きくは無かったが、頭に当たれば命に関わるほどの大きさだった。
「……っ! アンジェリカ!」