Sixth End Game
「はぁ、良かった良かった……」
私は小さなコキプリ、青年コキプリを退治し、すっかり気をよくしていた。
あとは寝るだけ。
私はベッドに寝転がると、動画投稿サイト、マイパイプを開いた。
「あはは」
お勧めに表示された動画を適当に見る。
「あはは……」
それは、突然の出来事だった。
人間の視界というのは、予想以上に広い。
曰く、草食動物は肉食動物に逃走経路を読まれないため、黒目が大きいという。
曰く、草食動物の目は外側についていることが多く、とりわけ、シマウマなどは視野がとても広いと聞く。
人間の目は草食動物とは異なる。視野はそこまでは広くない。
果たして、何故そうなのだろうか。
コキプリという世界共通の敵に対して視野を狭くしている理由は何なのか。
私は一体何と戦っているんだろう。
何かが、動いた。
ぎゃあ、とも、うわぁ、とも言えない、何か恐ろしい声が、私の喉から出た。
そう。
私の視界の端に、何か動く黒いものが見えたのである。
「ぎゃああああああああああぁぁぁぁぁぁ!」
どんな声を出したのか、よく覚えていない。くぁwせdrftgyふじこlp、とかだったかもしれない。
とにもかくにも、短く、それでいて途轍もない大声を出した私に恐れ、コキプリは一瞬、姿を消した。
あれはコキプリだった。間違いない。間違いなく、コキプリだった。姿こそ消えたものの、私が見間違えるはずもない。
ベッドと言う聖域から下界をふ、と見下ろした時、そいつはいたのだ。
私の家は都合上、引っ越し前と比べて部屋の形がいびつになり、カーペットが敷きづらくなった。
正方形だったリビングは少々いびつになり、変なところに柱があるせいで、カーペットを満足に敷くことが出来なくなった。
そのため、一つのカーペットを折り曲げて二つ敷いていたのだが、それが良くなかった。
コキプリはカーペットとカーペットの間から顔をのぞかせた。
そう。執筆活動をしている今まさに、ここである。
私は今まで、こんな恐ろしいものが潜むカーペットの上で執筆活動を行っていたのか。小説を書いていたのか。
恐ろしい。考えるだけでも恐ろしい。いつコキプリとニアミスしてもおかしくなかった。たまたまベッドの上にいるときにコキプリが顔を出してくれのは、本当の本当の本当に幸いだった。
カーペットを二つ並べれば、自然空間ができる。二つのカーペットのちょうど隙間から、奴は顔を出していた。
なるほど、思えば、いままでコキプリベイビーはこのカーペットの隙間の近くで良く発見されていた気がする。
実をいえば、この週末にカーペットをあらためようと思っていた矢先だった。
案外カーペットの中にコキプリが潜んでいるかもしれない、などと思っていたのは、やはり正しかった。
血の気が一気に引いていく。
一体このカーペットの中に何匹のコキプリがいるのだろうか。
カーペットの中からコキプリが生まれたことは当然のことだが、その卵はどこから来たものなのか。冬を超え、前回のコキプリマザーが残したものが一年越しに孵化したと考えていたが、どうも違うようだ。
もしかすると先ほど顔をのぞかせたコキプリクイーン。あいつが卵を産み付け、カーペットの中で孵化させたのかもしれない。
恐ろしい。恐ろしすぎる。
地獄だ。間違いなく、ここが地獄の最前線だ。
死を、感じる。
行く末に、割れても叶え、死の誓い
詩を、感じる。
カーペットから顔を出したコキプリ、ここでは通称コキプリクイーンとする。コキプリクイーンは、今まで見たコキプリの中でも、最大サイズだった。
これ以上ないだろう、と思われた去年のコキプリマザーを少し大きくしたくらいのサイズだった。
死んでしまいたい。
通常、コキプリが成虫、コキプリマザーになるまでには一年半から二年かかるらしい。
前回のコキプリマザーが現れたときは成虫からやって来たのか、あるいはここで育ったのか。
そしてこのクイーンはどこからやって来て、どこで育ったのか。
私の大きな悲鳴に恐れおののいたクイーンはいったんカーペットの中に姿を隠した。
私はコキプリクイーンと出くわさないよう、猛ダッシュで別部屋からコキプリズンを取ってきた。
この時のために、私は大量の武器を用意した。
戦士が武器を忘れるようなことがあってはならない。
武器の手入れは入念にしろ。そしていつでも使えるようにしろ。
そう言っていた、先生の言葉が思い出される。
そんな先生はいないのですが。
私はコキプリズンを二箱開け、都合十のコキプリズンを生成した。
「食らえ!」
私はコキプリが先ほど顔を出したカーペットの隙間の四方にコキプリズンを置いた。
完璧だ。
令和の一休さんが、誕生した瞬間だった。
コキプリズンには誘因餌が置いてある。
ほいほいとコキプリが出てきた瞬間、このエサの餌食になり、速攻で捕まえられるはずだ。
私はクイーンの再登場を心待ちにした。
そしてその時はやって来た。
「きゃーーーー! こっち見てーーーー! クイーン様―――!」
そんな心のファンたちが騒ぎ出す。
クイーンは四方に囲まれたコキプリズンを、ないがしろにした。
驚くことに、クイーンはコキプリズンを全てすり抜け、私の部屋を冒険しだした。
「Damn it!!!!!」
心の中の異国の兵士が舌打ちをする。
信じられない。やつは知能を持っている。今まで考えられなかった、知能を持つコキプリが誕生したのだ。
おそらく今後、あいつは「ジョージ」と叫びながら人間は撲殺していくことだろう。
終わった。
もう終わりだ……。
私はとにもかくにも、クイーンの足取りを追うため、スマホを取り出した。
輝度をマックスまで上げ、机の下を照らす。
いた。
コキプリが、いた。
コキプリは机の下をこそこそと歩いていた。
スマホ。それは人類が開発した、ここ数十年で途轍もないライフスタイルの変革を生んだ奇跡の産物である。
そしてスマホにはカメラがある。
輝度をマックスにしてスマホからコキプリを見ることで、いくつかの利点がある。
まず。
コキプリは体表が黒く、動く。輝度をマックスにすることでコキプリの足取りが簡単につかめる。
肉眼では黒い場所に黒いものが動いている、という感覚だが、スマホを通せば明るい場所で黒い何かが動いている、という認識で観察することが出来る。
そして次に、首を使わなくてもいい。
小学生のころ、異性にモテモテだったA子ちゃんは手鏡を使い、廊下の奥に自分を狙っている同級生がいるかどうかを確認するという、熟練の殺し屋のような恐ろしい子だったが、あれとほとんど同じシステムといっていいだろう。
スマホを通して机の下を把握するには、手だけを下に持っていけばいい。画角の変更も簡単だ。
しかし、首を使えばどうしても、コキプリと近づかなければいけない。
どこにいるかもわからないコキプリに首から突っ込んでいくのは、下策も下策。
とんでもない失態なのだ。
クイーンは尚も机の下を動いている。
そしてしばらくして、死角に入った。
「オーケーオーケー」
そっちがそのつもりならこちらにも考えようというものがある。
私は余ったコキプリズンをクイーンが動きそうな場所へと投げて置いた。
そして聖域、ベッドの上から、クイーンが罠にかかるのを待つ。
前回もそうしたはずだ。
今まで何度となくコキプリと交戦し、分かったことがある。
まず一つ。
奴らは音に敏感だ。とりわけ、私の短く鋭い悲鳴などに、大きくひるむ。
私がコキプリを視認したときに出した音で、クイーンは大きく後退した。そして暗闇に溶け込んだ。
二つ目に、
奴らは基本憶病だ。人間に向かって突進してきたりはしない。こちらの存在を知ればすぐさま逃げ出す。それこそあの恐ろしい速度ではあるが
コキプリが人間と同じサイズならば、その走りは新幹線にも匹敵する、と聞いたことがある気がする。
そして三つ目。
奴らは狡猾で、疑り深い。
基本的に奴らが走るのは、我々人類から逃げている時だ。
私の部屋を冒険しているときなどにあの速さでは動いていない。
少し歩いては止まり、少し歩いては止まる。スマホを通して観察していたが、歩き、止まる。歩き、止まる。その繰り返しだった。熟練のFPSプレイヤーのそれとほぼ同じと言ってもいいだろう。
四つ目。
奴らはやはり、明るい場所を嫌う。
どう頑張っても、奴らは明るい場所を好まない。昼に出会ったことがあるのは、コキプリベイビーだけだった。物陰を隠れながら動くように感じる。
それが、私が今までコキプリと交戦して学んだ真実だ。
私はコキプリとの今までの歴史を振り返っていた。
時刻は既に一時。就寝を決めた二三時半からすでに、一時間半が経過している。
コキプリはまだ現れない。
だが、安心はできない。
いつどこからやって来るか分からないからだ。
ベッドの上すらも聖域とはいいがたい。安心安全だとは、言い難い。
あのサイズの、信じられない大きさのコキプリクイーンをすぐそばにしてやすやすと眠れるような神経は持ち合わせていない。
今この瞬間にも、私が背にしている壁からコキプリが這い上がってくるかもしれない。
ベッドの足元側の壁から這い上がってくるかもしれない。
背にしているほうはもちろん隙間はないはずだが、奴らはどこからでもやって来る。
特に足元の壁からはやって来る確率が少々高い。隙間がありすぎるからだ。
一時半。
もう眠くなってきた。
コキプリの姿は見えない。今どこにいるんだろう。
時たま衣擦れのような、小さな音が聞こえてくる気がする。
それはコキプリの足跡か、あるいは私の幻聴か。
あまりにも小さな音すぎて、コキプリの足跡なのか、雑音なのかが判断できない。
脳の動きが、悪くなってきている。
二時。
まだ終わらない。
私は未だにベッドの上で座り、コキプリが罠にかかるのを待っている。
コキプリを前にしたときに取る対策はたくさんある。コキプリを目にしないために取る対策もたくさんある。
殺虫スプレー、虫取り網、叩く、潰す、逃がす、etc..。
だが、最も誰にでも出来て、効果的なのはやはりコキプリズンなのではないだろうか。
コキプリがあらかじめ通ると考えられる場所に罠を張る。
そうすれば自らが手を下すことなく、奴を倒すことが出来る。
二時半。
私はセルファーにコキプリとの壮絶な戦いを書いていた。
読者の方からの反応もあった。
ここで私は一つの考えが頭に浮かんだ。
釣りみたいだな……。
と。
五人組の国民的アイドルグループのリーダーは釣りが好きだ。
釣りでは、何時間も餌を構えたまま、ぼうっとしている時間がある。
コキプリがコキプリズンにかかる時間を待っているこの時間も、いわば釣りと言えるのではないだろうか。
今どこにいるのかも分からないコキプリが罠にかかるのを待っているこの時間も、やはり釣りなのではないだろうか。
あまりにも眠く、ぼうっとした頭で考える。
短針は三の針を刺した。
その時だった。
ガサゴソガサゴソガサゴソガサゴソ。
「!!!!!!!!!!!!!!!??????????????」
途轍もなく大きな音が、ベッドの足元辺りから、した。
今までの衣擦れのようなかすかなそれとはまったく違う、異質で大きな、雑音。
恐ろしい死を告げるベル。
そんな音が、した。
ガサゴソガサゴソガサゴソガサゴソ。
音は鳴りやまない。
勝った。
私はその瞬間、即座に気がついた。
私は勝った!
そう。コキプリがコキプリズンにかかったのである。
ベッドの足元辺りの地面に置いたコキプリズン。
それは一年ほど前にコキプリマザーが出た時に設置したコキプリズンであり、なんどか中を見て見たが、何も入っていなかった。
まさかここには来ないだろう。そんな思いで放っておいたコキプリズンに、やつがかかったのである。
まちがいない。一年前の交戦の時も、コキプリズンにかかった時の音はこんなだった。
体長の大きいコキプリがプリズンにかかったときは、とんでもなく大きな音がするのである。もがこうとする大きな音が、するのである。
勝った。
勝ったんだ……。
体中から力が抜けていく。
私は勝ったんだ……。
この三時間以上になる長丁場の試合に、私は勝った。
だが、安心してはいけない。このコキプリズンは一年以上前の異物だ。粘着力が弱まっている可能性もある。
カサコソカサコソ。
そんなことは、ないようだった。
やった。
やったんだ!
数分ほどカサコソという音を聞き、私は勝利の雄たけびを上げた。
死せる孔明生ける仲達を走らす。
死してもなお、令和の公明、利苗が放ったレガシーは機能したのだ。
私の勝利だ!
私はガッツポーズをした。
別に私が起きている必要はなかった。これはかかるべくしてかかった、と皆さんは思うだろう。だが、それは違う。
私は三時間、電気をつけたままひたすら根気よく待った。電気がついている以上、コキプリは自由闊達には動けない。
動ける場所にも、限りがある。暗闇に染まった場所でしか、動くことが出来ない。電気がついているからこそ、逃走経路は限られ、それが結果的にコキプリをつかまえることにいたったのである。
私の根気が、勝ったのである。
孔明も驚くべき頭脳戦。いずれ火星に降り立ち人間どもを根絶やしにするであろうコキプリの登場を、私が食い止めたのである。
令和の孔明は、ここにいたのである。
三顧の礼をしても尽くせない何かが、私にはあったのである。
セルファーで読者の方にコキプリを退治した旨を伝えると、私は床に就いた。
もう寝よう。
もう疲れたよ、コキラッシュ……。
一日に二度コキプリと交戦なんてことは初めてだ。
私は起きすぎで疲れた体を休ませるべく、すやすやと眠りについた。
明日はカーペットをはがそう。
そう決意を胸にして……。