第二話 死or忠誠
「うわああああああああああああああああああああああああああああああ」
悪夢を見た。ミッシェルが殺され、レオが酷い怪我をしたまま連れ去られる夢。
思わず飛び起きて、分厚い掛け布団を両手で押しのける。
頬に冷たいものを感じ、手の甲で拭う。どうやら涙を流していたようだ。
眠りから覚めても森の中で起こった惨劇を思いだし、また涙がこぼれ出そうになる。
あれが悪夢で終わるならいい。
ただ、はっきりと覚えている昨夜の光景は現実に他ならない。
再び布団を掛けなおし、ふかふかの枕に頭を預ける。
このままもう一度眠りに付いて、そのままずっと起きずに寝ていたい。
そうすれば、現実を受け入れないで済む……。
村では敷布団で寝ているため、ふかふかのベッドの感触が心地よく、直ぐに眠気が――
「なんで俺、ベッドで寝てるんだ?」
確かに俺は森の中で倒れた。
だとしたら今、俺はどこにいるんだろう。
状況を整理すべく辺りを見渡す。
全体的に余分なものがなく、すっきりとした横長の部屋。四方を取り囲む白い壁に、薄茶色のシックな時計が一つ掛けられていて、時計の針は長針が十二を、短針が八を指している。窓がないため、外の様子が分からず、朝か夜かははっきりしないが、丁度ぴったり八時らしい。部屋全体の基調である白色と反して入り口のドアだけ黒色に塗られていてかなり目立つ。
そして今寝ているベッドと反対の壁に二人掛けのソファ、その上には俺の荷物が置かれている。ソファの前には低い縦長のテーブルが置かれていて、その上にはびっしりと文字が書き込まれた書類たちが広げられている。
窓は無いが部屋はとても明るい。天井の真ん中に強く光り輝く物体が埋められていて、村では見たことが無いものだが、それがこの部屋の照明なのだろう。
ゆっくりと身体を起こして、ベッドから出る。
ソファの横に立掛けられた鏡を見つけ、目の前に立つ。
映った自分の姿は宿を出発した服装とは違い、真っ白なパジャマを着ていた。
そして、頭には包帯が髪の毛の上からぐるぐると巻かれている。
どうやら森の中で意識を失った後、誰かが俺をここまで運んで介抱してくれたらしい。
その誰かはおそらく……。
「あれ、起きた?」
黒いドアを開けて女性が部屋に入ってきた。
一瞬、身構えてしまったが、よく見ると外見から森の中で魔物を長刀で一刀両断して倒した人だとわかる。
その長刀は今は身に着けていないが、薄れる意識の中で見た後ろ姿と目の前の女性の姿は一致している。
おそらく、俺をここまで運んで助けてくれたのも彼女だろう。
ドアを閉め、鏡の前に棒立ちしたままの俺の前まで来ると、片手で握られていてるコップを笑顔で突き出してきた。
おそらく飲めということなのだろう。ありがたく受け取って、中に入った黒い液体を飲む。
「にがあ……」
匂いで予想が着いたが、これは大人がよく飲んでいるコーヒーだろう。
一度、飲ませてもらった事があるが、なぜこんなに苦いものを好んで飲むのか理解できなかった。
ただ、一口飲んだとたんに猛烈な空腹に襲われ、腹の足しにしようと苦みを我慢して一気に飲み干す。
空になったカップを机に置いて、ごちそうさまでしたと短く礼を言う。
「子供にはまだ早かったかな。なんせ、まだ君は起きていないと思っていたから。私の分しか持ってきてなかったものを君に渡すしかなかったんだ」
あんたも子供じゃないか、と思ったが、口に出すとめんどくさそうなで、喉の先まで出た言葉を飲み込む。
ハハハハ、と一人で高笑いするこの女性は俺と歳がそう離れていないと思う。
敬語を使うべきか迷うが、子ども扱いされたのが癪で、タメ口で話すことを決める。
年齢確認よりもまずは俺の意識が途切れた後のことが知りたい。
「昨夜は助けてくれてありがとう。もう一人、俺と同じような背格好の男の子を見なかった? レオっていうんだけど、特徴は黒っぽい茶髪で、眼鏡をかけていて……」
「待て待て待て。まずは自己紹介でしょ。私はアメリア。君は?」
一刻も早くレオの安否を確認したかったが、ここで彼女の言葉を無視して自分の質問に答えてもらうなんてことは、おそらく命の恩人である人の前ではできない。
ソファにどすんと勢いよく座ったアメリアと名乗る女性の隣に座るわけにもいかず、仕方なく対面のベッドにもたれかかるように床に座り、自己紹介をする。
「ギルバート。トイトピーという村から来た」
「ギルバート君ね、よろしく。荷物勝手に見させてもらったけど、使者としてヴァレンシア王国に向かう途中だったんだよね。若いのに偉いねえ」
さっきから子ども扱いされているが、長い足を組んでソファに座る彼女の外見はかなり若い。
腰まで届く長い黒髪に大きなブロンズの瞳、薄い桜色の唇に高い鼻と、美人の要素が詰め込まれた顔立ちからは、長刀を振り回して魔物を切り裂く姿を想像できない。
俺より少し大きいくらいの身長、女性らしい細い腕と、長くスラっとした脚で昨夜のような豪快な戦闘ができるものなのか。
何より肩から垂れ下がった長い髪が乗っかった大きな胸がシャツの上からでも強烈な主張をしている。
まじまじと全身を眺める視線に気付いたのか、アメリアさんがニコッと笑顔で俺と目線を合わせてきた。
急に恥ずかしくなって、思わず目を背けてしまう。
「俺、十五だけど。アメリアもそのくらいだよね。子ども扱いやめてよ」
「アメリアさん、よ。私十六。年上ね」
ニコニコしながら誇らしげに年上アピールをするアメリアは、とてもお姉さんといった感じではないが、逆らってタメで話し続けたら、機嫌を損ねて何も教えてくれない、なんてこともありえそうだ。
同じようなもんじゃん! と反抗するのはやめて、ここは敬語で通そうと考えを改めなおす。
俺のつまらないプライドよりも、昨夜の出来事の結末を知っているであろうアメリアに色々聞くことが優先事項だ。
さん付けを心の中でもう一度確認し、質問するために俺が言葉を出す前に、アメリアが口を開いた。
「それでギルバート君。聞きたいことが色々あるだろうけど、まず私から二つ簡潔に言わせてもらうね。一つ、レオ君という君の友達は見ていない」
「そうですか……。その、ミッシェルは……?」
「女の子のお友達のことかな? 残念ながら彼女は私が駆け付けた時には既に亡くなっていたからね……。その場でできる限り丁重に弔っておいたよ」
俺を気遣ってか、アメリアは優しい口調で心で渦巻く負の感情を包み込むように話してくれた。
森に置き去りにしてしまったレオは、魔物がアメリアによって倒されたために命の危険はないだろうが、俺を探して森の中を彷徨っているかもしれない。その途中でミッシェルの死を知ることはないとわかり、ほんの少し安心する。
ただ、俺とミッシェルがいないまま、一人で使者としてヴァレンシア王国へ向かうことはしないだろう。
村長から受け取った王国の通行許可書と請願書は、俺の荷物に入っている。
冷静になったレオは一度村に戻るはずだ。
何が起こったか伝えられた村のみんなは、どんな反応をするだろうか。
「二つ目。君が森の中で魔物に出会ったのは三日前。そして、その三日で色々あったんだ」
三日……森の中で意識が途切れてから、知らない部屋で目覚めた間に一日ではなく、三日が過ぎていた?
確かに、起きてから空腹をとてつもなく感じる。
ほぼ初対面の女性にいきなりご飯をねだるわけにもいかず、我慢していたが、コーヒー一杯でお腹が満たされることはなく、三日飲食を取っていないことを感じたとたんにグ――と長めに腹の虫が鳴る。
慌ててお腹を押さえたが、部屋中に響いた情けない音にクスっと笑ったアメリアがソファから立ち上がると、ソファの前の机に散らばった書類から、一枚を手に取り俺に差し出してきた。
羞恥心で耳が赤くなるのを感じながら、渡された紙に目を向けると、そこには大きな文字でトイトピー村周辺の魔物出現、及び襲撃について、と書かれている。
「襲撃!? どういうことですか! 村のみんなは無事なんですか!」
何度見ても変わらないプリントされた文字が、空腹や羞恥心を意識から弾き出した。
今まで村の離れで遭遇するだけだった魔物が、村を襲ったということだろうか。
昨夜、俺が対峙した魔物が複数襲ってきたら、村の大人が戦ったとしても負けてしまうだろう。
王国騎士たちに村の周辺警備や戦闘を頼りきっていた村民は、騎士たちのように戦い慣れしていない。
二週間ほど前に、使者として王国へ向かったまま行方不明のタロとフートが村一番の強さだったが、その二人がいなくなった今、小さい時から剣を振っていた俺が村の中で一番強いと自分でも思う。
そういうわけで、村には魔物と戦えるような人はいない。
村長が子供三人だけで王国への使者として向かわせたのは、俺の剣の腕を買ってくれたこともあるだろう。
もちろん、レオが色々誇張して、それっぽく俺が使者に適任だということを話してくれたことが大きいのだが。
書類を俺に渡した後、ベッドに座ったアメリアは下を向いて頭を横に振った。
「私の仲間がトイトピーに着いた時にはもう……。おそらく魔物に襲われたのだろう。村に生き残っていた人は一人もいなかったと聞いたよ」
突きつけられた事実に、起こってしまった出来事が次々とフラッシュバックする。
ミッシェルを失い、村のみんなも死んでしまった。
たぶん、村に戻ったレオもその中に……。
溜まっていた様々な感情が一気に押し寄せ、涙が溢れ出る。
ソファから場所を変え、俺の隣に静かに座ったアメリアがズボンからハンカチを取り出して俺の涙を拭いてくれた。
子供扱いされるのは好きではないが、この人の俺への接し方は優しさがとても感じられ、成されるがまま、ぐしゃぐしゃに濡れた頬を委ねた。
「アメリアさん。俺、村に戻ります。この目で確認しないと……」
しばらくして涙が乾くと、最後の水滴をを自分で拭い、立ち上がって黒いドアに向かう。
もしかしたら村の外に逃げて生き残った人が帰っているかもしれないし、魔物がまだいるなら俺が仇を打たなければならない。
たとえ、そこで死んだとしても。
金色のドアノブを捻って部屋の外に出ようとすると、アメリアがその細い腕からは想像がつかない力強さで取っ手を握った俺の腕を掴んで無理やりドアから引き離されてしまった。
アメリアはドアの前に立ち塞がる格好になる。
「外に出してください。村までの道を教えてもらえれば、勝手に一人で行くから……」
「ダメ」
俺の目を真っ直ぐ捉えるアメリアの顔は全く笑っていない。
優しい口調で話していた、さっきまでとは雰囲気が違う。
一体、外に出ることに何の問題があるのかわからないが、アメリアの表情は強張っている。
俺が戸惑ったまま様子をうかがっていると、大きく息を吸ってはいたアメリアがまっすぐ俺を見つめ、口を開いた。
「ギルバート君。落ち着いて、よく聞いて。ここに来た以上、君には二つの選択肢しかないの。死か忠誠の二つだけ。今、ここで選んで」
第二話を最後までお読みくださった皆様、ありがとうございます。
あらすじ回収!