第一話 旅立ち
「ギルバート、レオ、ミッシェル。お前たちのような若い子供にヴァレンシア王国への使者としての役目をおわせてすまん。この村の悲惨な状況を王国へと伝え、対応して貰えるように頼んだぞ」
「任せてよ村長! いい返事をみんなに届けるから、それまで待っててくれ」
「道中は例の魔物に遭遇しないよう、必ず明るい公道に沿って行くんだぞ。くれぐれも近道しようと、別のルートで行かないように……って、おい! お前ら最後まで話を聞け!」
出発の前夜も一時間以上にわたって聞かされた村長の話を、村の入り口でもう一度聞くのはごめんだ。
一緒に使者に任命されたレオとミッシェルも、同じ気持ちだったのだろう。互いに目を合わせて意思を伝えあい、せーので村長に背を向け、駆け足で村を出る。
「二週間前に使者として送ったタロとフートのように戻ってこないのは許さんからな! お前らの元気な姿をまた見せてくれ!」
後ろから聞こえる村長のよく通る大きな声が、しばらく聞けなくなる少し寂しい気もする。
しかし、そんなことよりも初めて王国に行くわくわく、ドキドキのほうが一回りも二回りも大きい。
だいたい、一週間に満たない別れで村のみんなは大袈裟だ。
しばらく走った後、村が見えなくなったあたりで歩きに変える。
まだ走っても良かったのだが、左肩を叩かれて振り向くと、既に息が上がって、額から汗が流れ出ているレオが止まれと目で訴えてきたのでしょうがない。
博識で、聡明なレオも完璧というわけではなく、俺とミッシェルと比べて運動面はかなり頼りない。
さっきからたまに止まって息を整えているレオは、あまり会話に参加していないし、疲れのせいで頭が回っていないのかもしれない。
走って、歩いて、走って、歩いてを繰り返しているうちに、再び肩を――今度は強めに――掴まれ、無理やり足を止められる。
激しく肩を上下に動かして、ゼーハーと息をしているレオは相当疲れているようだ。
「この先に地図にある簡易宿場があるはず。そんなに急がなくても、今夜はそこで過ごすんだ。走るよりも明日に体力を残しておいた方がいい」
「賛成」「わかった!」
上手く丸め込まれた感はあるが、言っていることは正しい。
二つ返事で賛同し、ついでに木陰で三十分程度休むことにする。
三人とも――主にレオが序盤で飛ばしすぎたせいで体力の消耗が激しく、草むらに寝っ転がって暖かい日の光を浴びると直ぐに眠気が来た。
少し休んだら再び出発して宿を目指す――
「ギル、起きろ! やばいぞこれ!」
「んっ……だから食べれないって……」
「早く起きろ、ギル!」
強めの衝撃が左頬に入り、一気に眠りから覚める。
辺りは薄暗く、冷たい風が完全に脳を覚醒させる。
薄暗く……? 冷たい風……?
「夕方になってる!」
太陽が西に沈みかけ、すっかり出発前と見える景色が変わっている。
ミッシェルはまだ半分夢の中でウトウトしている。
しっかり者のレオでさえ、眼鏡が傾き、よだれの跡がつきっぱなしと、今さっき起きたことがわかる様子だ。
つまるところ、俺たちは寝すぎたらしい。
「だいぶ遅れは取り戻したけど、宿まではまだ遠い……」
走りながら計画の修正をしているのだろう、レオが握った左手の親指と人差し指を顎にあてて、小さな声でぶつぶつとつぶやいている。
居眠りにより、時間を大幅にロスした俺たちは全速力で宿までの道を進み始めたが、太陽はもうほとんど見えず、すっかり暗くなってきた。
「それなら、この森を突っ切っちゃえば早いんじゃない?」
「それはダメだ。村長に公道から出るなって言われただろ」
レオの声が聞こえてたのか、ミッシェルが私天才! とでも言いたそうな顔で提案するが、その案は俺も浮かんでいた。今、俺たちが歩いている公道は大きな森をぐるっと囲むように続いている。もし森を一直線に突っ切れば、大幅な時間短縮につながる。
しかし、レオの言う通り村長の忠告に逆らうことになってしまう。
食い気味に否定されたミッシェルはしょんぼりしてしまったが、正論なので仕方がない。
「でもそれ以外に打開策ないよな。馬があれば早いけど、そもそも俺たち乗れないし……。やっぱり森を突っ切るしかないんじゃないか?」
無策で公道を走ってるだけでは、たかだか数十分しか短縮できない。そういうわけで、俺もミッシェルの案には賛成だ。
しばらく黙りこくって考えていたレオは、この状況と珍しくミスをしてしまったことが重なったためなのか、普段なら絶対に最後まで否定したであろう、村長の忠告を無視して俺たちの案を取ることを選んだ。
「森の中、しかも夜は魔物が出やすい。発見したり、襲われたら戦わずにすぐに逃げる。寄り道しないで、夜になるまでに最短ルートで森を出よう」
レオの指示に俺とミッシェルはコクコクと頷いて同意する。
ランプを取り出し、明かりをつけて光を確保。
念のため、俺は長年使っている剣を右手に持つ。
戦わないで逃げる、が約束だが、いざという時のために持っておくことに越したことはない。
それぞれが準備を済まし、森の中に入る。
中はひんやりとしていて、生い茂った大きな葉が夕暮れの光を遮り、薄暗い不気味な雰囲気を作り出している。
森の中には何度か狩りのお供で入ったことはあるが、それは日が出ている日中のことで、村の外でランプがないと先が見えないような暗い空間に飛び込むのは初めてだ。
冷たい空気や、そよそよと風で揺れる樹々の葉が擦れあう音、時々聞こえる動物の声は、昼と夜で同じとは思えず、今は不安と恐怖を感じる。
他の二人も同じようで、おしゃべりのミッシェルでさえ口を全く開かなくなってしまった。
ランプの明かりで視界は確保できているが、公道のように走るのは、足元が不安定な森の中では危険が伴うので、早歩きで森を抜けていく。
レオの話だと、何もなければ三十分くらいで反対側に出れるらしい。
持ち運べる時計は高価なもので、移動中は太陽の位置で大まかな時間を把握するのだが、太陽が見えない森の中では自分たちの感覚だけが頼りだ。
今どのくらい時間がたって、どのくらい進んだかが分からない状況が不安を掻き立て、早く森を抜けたい気持ちが段々と歩を進めるスピードを上げていく。
「いたっ!」
後ろから短い痛みを訴える声が聞こえ、先頭で進むルートを微調整しながら先導していたレオと、真ん中にいた俺が同時に振り向くと、右足首を抑えて歯を食いしばっているミッシェルがしゃがみ込んでいる。
「血が出ているじゃないか。早く止血しないと」
素早く駆け寄ったレオが、背中に抱えた荷物から布を取り出して、慣れた手つきで傷口を塞ぐ。
「足止めちゃってごめん。早く進もうと前だけ見ちゃって、足元の尖った枝に気付かなかった……」
「謝らなくていい。僕が進むスピードを調整するべきだった。少し休んで動けるようになったら、ゆっくりまた進んでいこう」
レオの提案に頷いて同意し、すぐそばで見つけた切り株に腰を下ろして、ミッシェルの痛みが引くまで待つ。
鋭利な枝が深くまで皮膚を切り裂いたらしく、少し時間が経つと、薄茶色の布は赤黒い血の色で染まり、その度に完全に血が止まるまでレオが布を巻きなおす。
「今何時ぐらいかな。まだ夜になってないよね」
「わからない。森の中がかなり暗くなっているけど、外はまだ太陽が沈む前のはず」
「そっか。少し前から動物の声が急に聞こえなくなったり、寒気がしてきたりしたから、夜になって冷え込んでみんな寝ちゃったのかと思った」
ミッシェルの言う通り、確かに時々聞こえてきた動物の声が途絶えている。
寒気というのも、冷たい風が吹き込むことによる寒さとは違う気がするものを感じる。
うまく言葉で言い表せないが、嫌な予感……そんな表現が当てはまりそうな第六感的な何か。
再び黙り込み、静かな空気が形成され、自然の音がよく聞こえるようになる。
ヴァァァァァァアァァァァァァ
ビクッ、と切り株に座って休めていたことで弛緩しきっていた身体が跳ね上がる。
レオとミッシェルも聞こえたのだろう、同じように警戒の色を見せる。
ヴァァァァァ……ヴァァアアアアアアア
聞き間違いじゃない。馬とも牛とも違う、低く不気味な呻き声が聞こえる。
しかも一度目より大分近い距離から。
「何かが近づいてきている! 早く森を出よう! ミッシェル行けるか!?」
「大丈夫。血は止まったし、動けるよ!」
聞いたことがない何かの声に危険を感じ取り、レオを先頭に急いでこの場から離れる。
足元によく注意しながら、一刻も早く森を抜けようと、歩きから早歩きに。
「ギル、レオ! 後ろから何か近づいてくる!」
「振り向くな! 走れ!」
ヴァァアアアアアアアァァァアアアアア
レオとミッシェルの真ん中にいる俺も背後から何かが近づいてくる気配を感じ取り、スピードを上げる。
さっきの悪寒が激しくなり、全速力による体力的な疲れと合わさって動悸が激しくなる。
いつもは一番最初に根を上げるレオも、異常事態に必死なのか、息遣いが荒くなりながらも、走る足を止める気配はない。
不気味な呻き声は聞こえなくなり、落ち葉と小さな枝が散らばる茶色い土を踏み抜くガサガサ、ボキボキと、騒がしい音が聴覚を支配していく。
「ミッシェル、足は大丈夫か?」
かなり走ったところで背後の気配はなくなり、確認もかねて後ろを振り向く。
そこにミッシェルの姿はなかった。
「ミッシェル!?」
もしかすると、さっきの傷口が開いて休んでいるのかもしれない。足を止めたのがどのくらい前かわからないが、俺たちからそう遠くない場所にいるはずだ。
俺の声に反応したレオも振り向き、いるはずの女の子が見えないことに驚いて止まっている。
少しの間止んでいる呻き声の主も気になる今、ミッシェルをすぐに見つけなければならない。
「俺が探してくる。レオはそこで待っていてくれ」
「待て! 離れ離れになるのは得策じゃない!」
制止するレオを振り切って、独断で元来た道を駆け抜ける。
ここまでノンストップで走ってきたレオの体力はもうほとんど残っていないだろう。
レオがいい案を考え着くのを待つ時間も今はない。
今は確実に俺が一人で行った方が早い。
「ミッシェル! 聞こえたら返事をしてくれ! ミッシェル! 聞こえるか!」
返事が帰ってこない。痛みで声が出せないのか、それとも他のアクシデントで動けないのか……。
数分走ったところで、ランプが照らす地面に大きな黄色いリボンが落ちているのを見つける。
これはミッシェルがいつも髪に付けているお気に入りのものだ。
近くを照らして更なる手掛かりを探すと、来た道とは違う方向に、食糧が点々と列になって落ちているのを見つけた。
それらをたどっていくと、今度は荷物入れがボロボロになって落ちている。
走っているうちに落として、それを拾ってるうちに置いて行かれた? でも、荷物入れ自体が落ちているのはおかしい。怪我している足で荷物を抱えるのができなくなり、投げ捨てた? いくら自由奔放なミッシェルでも、料理人を夢見る少女だ。そんな粗末で無謀なことはしない。
複数の可能性を探るが、どれもこの状況を正しく説明できるものではない。
方向がわからない森の中で、これ以上通ってきた道を外れるのは危険が伴うが、散らばる荷物が成す列の先へと進む。
思考は進んではいけないと訴えている。しかし、身体はそれを無視して足を動かす。
無意識で放棄していた、あってはならない、あってほしくない最悪の可能性を先へ先へと進みながら思い浮かべる。
その可能性が現実となって、俺の目の前に現れた。
黒い靄に囲まれた人型のそれは、俺に背を向けて何かを食べている。
ゴリゴリと固いものを砕く音と、グチャグチャと肉を噛みしめる音が静かな森の中に響く。
「ミッシェルなのか?」
仰向けに倒れている女の子は間違いようもなくミッシェルだった。
縮れた短い黒髪や、お気に入りと言っていたピンク色の靴がここからでも確認できる。
ただ、今日着ていた白いブラウスだけは数分前とは変わっていた。
新しくおろしたという真っ白な服はお腹のあたりでどす黒い血で赤く染まっている。
そもそもお腹があるはずの場所は大きな穴が開いていて、そこから長いソーセージのようなものがこぼれ落ちている。
おそらくレオが前に語っていた腸というものだ。
それは本来は外からは見えない、人間の内部にある器官のはずだ。
何が起こっているのか理解する前に身体が動く。
目の前のこいつは倒さなければならない。
左手に握ったランプを放り捨てて、両手で剣を持って、黒い靄に覆われた人型の何かに向かって走りだす。
ランプが地面に落ちて、ガラスが割れる音で食事に夢中になっていた人型が振り向き、気味の悪い光が形作る目が俺をとらえるがもう遅い。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
藁人形相手に何度も練習した単純な動き。
腹の底から気合の雄叫びをだし、右上に剣を振りかぶり、首を狙って左下に剣を振り下ろす。
父の形見として村長から貰った、腕の長さほどある愛剣が人型の首を切り裂き、藁人形と同じように綺麗に頭と胴を切り離した。
「ヴァァァァ……」
森の中で聞いた呻き声の正体はこいつだったのだろう。短く同じような声を発しながら地面に崩れ落ちる。
足元に転がってきた首を見ると、ずっと全体を囲んでいた黒い靄が消えている。
暗がりの中、黒い靄が晴れた首を見下ろすとそれは普通の人間の顔に見える。
しかし、それをよく確認する暇など俺にはない。
首とは違い、黒い靄が掛かったままの胴体を蹴り除け、その先にいるミッシェルのもとに駆け寄る。
「ミッシェル返事をしてくれ。まだ寝るのは早いぞ。こっから森を抜けて、宿まで行かなきゃいけないんだ。ほら、レオを待たせているから走って合流しよう。あいつ意外と怖がりだからな。一人で森に置き去りにしたままだと泣いちゃうかも……」
目を閉じたまま動かないミッシェルの上半身を起こし、脇に俺の頭を通して持ち上げる。
意識がないミッシェルの全体重が一気にのしかかってよろけたところを、ドロッとした何かに足を取られ転倒してしまう。
足に付着したそれを指で取り、顔の近くに持っていく。不快な匂いがするそれは、間違いなく血だ。
今まで目を背けていたミッシェルの身体を見ると、お腹だけではなく、手足も血で染まっている。
ミッシェルを抱えた時に触れた素肌は氷のように冷たかった。
思考が徐々にクリアになり、俺は何が起こったかを理解した。
「死ぬなよ……料理人になるんだろミッシェル。王国に行って色んな料理に触れるのを楽しみにしてたじゃねえか。死ぬんじゃねえよ……」
ぐったりとしたミッシェルを抱きしめ、その冷たい肌を全身で感じると、嫌でも死を認識してしまう。
悲しみ、絶望、様々な負の感情が涙となって俺の目から流れ出る。
昼寝をして寝過ごさず、時間に余裕をもって公道を歩いていれば。
たとえ急いでいても、森の中に入らずに、他の選択肢を選んでいれば。
俺がもっと後ろに気を配って、異変をいち早く察知していれば。
今頃三人で暖かな宿で夜を過ごしていただろうか――
「ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
後ろで思わず耳を塞いでしまうほどの咆哮が聞こえ、咄嗟に首を回して振り向く。
黒い靄で覆われた頭の無い人型が右手を振り下ろすところが辛うじて見えた。
「ガァァァッ」
頭を殴打された衝撃で吹っ飛ばされ、地面を転がり回り、木に激突してようやく止まる。
震える右手で頭を撫でると、真っ赤な液体が手のひら一面に付着した。
それが俺の頭から流れ出る血だと認識した途端、視界がぼやけ、意識が曖昧になる。
俺も死ぬのかな……。一人残したレオに申し訳ねえ。一人すら守れず、何が二人を守るだ。ああ、もっと俺が強ければ。もっと俺に力があれば……。
「この魔物の頭を落としたのをは君か?」
朦朧とする意識で微かに女性の声が聞こえた。
重い瞼を無理やり開けると、俺に背を向けた女性が背丈ほどもある長さの刀を、黒い靄に向かって横一線に切りつけたところだった。
直後、眩しい光が切り付けられた黒い靄の胴体を照らし、爆音とともに身体が粉々に四散した。
「もう大丈夫。お友達は残念だったが、君は助かる……って、かなり出血しているじゃないか! 早く止血して医者に見せないとやばいな。意識はあるか? そうだ、他にこの森に入った友達はいるか?」
レオ……レオを助けてください。
「くそっ、意識はないか。なんでこんな時に限って単独任務なんだ……」
あれ、俺、喋れてないのか……? レオが一人なんだ。助けてく……。
第一話を最後までお読みくださった皆様、ありがとうございます。
ダークファンタジーらしく、じわじわと伏線を回収し、物語が進むにつれて濃くなってくる。
そんな作品を目指しています。
応援してもらえると嬉しいです。