第十八話 十五歳
あり得ない速さで目の間に現れたアメリアは、対応ができず棒立ちの俺の首に月影の峰の部分を当てる。
「勝負ありだね」
ニコッと笑ったアメリアが俺の肩にポン、と手を当て、そのまま月影を引っ込める。
これが本番、敵との戦闘なら俺は首を飛ばされ、魔人としての第二の生を終えていた。
わかってはいたが、レベルが違いすぎる。
本当に俺はこの人のように強くなれるのだろうか。
「何か今の一戦目でわかったことはある?」
呆然と立ち尽くす俺に、鞘に月影を納めたアメリアが質問を促してくる。
聞きたいことなら沢山ある。
魔装武器や黒翼を俺が使えるのか。
しかし、それをたとえ伝えたところで、確実にこのままだとアメリアの速度に対応できずに初手で負ける。
となると、まず俺が習得すべきなのは人間には到底不可能な速さで移動する方法だ。
「俺でもアメリアさんのように速く動くことってできますか?」
「早速、いい質問だね。答えはイエス。君も直ぐできるよ」
アメリアが頷き、黒いローブを翻して部屋の奥の所定の位置に戻る。
そのまま俺に向かって空いている両手をめいいっぱい広げる。
「今度はギルバート君が攻撃していいよ。峰打ちとかじゃなくて、ズバッと思いっ切り斬っちゃって」
「いやいやいや! これおもちゃじゃなくて、真剣ですよ! 当たったら大怪我どこか死ぬ可能性だって――」
「いいから。私を信じて斬りかかってきて」
本当に背中に備えた長刀を抜く気はないらしく、アメリアは両手を広げたまま動く気配はない。
一戦目の真面目な雰囲気とは変わって、顔には笑顔を浮かべているが、それは斬りかかるのを渋る俺に対しての安心してというメッセージなのだろう。
優しく不安を包み込むのような微笑みからは冗談めいたものを感じない。
アメリアはふざけている訳ではなく、俺を舐め切っている訳でもなく、この行為にも俺を導く意図があるのだろう。
だからといって本物の剣で無防備な人間――正確には魔人を斬る気は全く起きない。
藁人形で何度もイメージはしてきたものの、人を斬った経験は一度もない。
魔物を人間とカウントするとしたら、人を斬ったことになるが、どっちにせよあの時は身体が勝手に動いた結果だ。
アメリアとの一戦目は、どこか心の奥に俺の剣が届くはずがないという思いがあった。
意図して人を斬るということがこんなにも難しいとは思わなかった。
愛剣を握る両手が小刻みに震え、前に進もうとしても足が地にべったりと張り付いて離れようとしない。
光に照らされ鋭く輝く銀の刃で、透き通る雪色の肌を斬ってしまえば――
「何を渋ってるのよ。大丈夫、私は死なない」
俺の思考を見透かしたかのように、アメリアが真っ直ぐブロンズの瞳をこちらに向けて語り掛けてくる。
アメリアに何か考えがあるのはわかる。
仮に俺が全力でアメリアを斬っても、彼女が死ぬようなことは無いだろうな、とも思う。
でも……それでも……。
脳で理解しているはずが、身体が全く動かない。
「つい一週間まで普通の村の子供だったギルバート君にいきなり私を斬れってのは酷な話だったかな……。ごめんね、ちょっと急ぎすぎちゃったかも」
剣を握ったまま踏み出せずにいた俺の目の前に、再び一瞬でアメリアが現れる。
右腕を俺の頭に乗せ、ゆっくりと優しく撫でる。
「まだ十五歳だもんね……」
「アメリアさんも十六歳じゃないですか。そんなに変わりませんよ」
「私は実質二十六歳だもん。君より大分年上だよ」
「じゃあアメリアお姉さんの方がいいかもしれませんね」
「あっ、それいいかも! 年上って感じするし。今度からそれで呼んでよ」
「断固拒否します」
ちぇーっ、と不満げに口を尖らせ、アメリアは俺の頭を撫でていた手を放した。
何気ない会話をしているうちに不思議と緊張が解け、自然と強張っていた身体が弛緩する。
「じゃあ気を取り直して基礎練習に切り替えよう。私が見てるから、目の前に魔物がいると思って、思いっきり、全力で斬ってみて」
奥の壁に寄りかかって腕を組むアメリアが、いつのまにか普段の穏やかな雰囲気に戻っているのに気づく。
実践の戦闘訓練は止め、俺の動きを見てくれるらしい。
生身の相手ではなく、空想の敵を斬る素振りなら、俺も気兼ねなく剣を振ることができる。
目を閉じて、視覚から入る情報を遮断し、一撃のみに集中する。
イメージは唯一俺が見たことのある魔物——ミッシェルを殺した魔物だ。
悲しみ、怒り、憎悪、後悔……様々な思いが両手に伝わり、愛剣の柄を握る両手の力が強くなる。
森の中で一度、あいつの首を斬り落とした時とは段違いに、何故か今の愛剣は軽い。
俺が魔人化の影響で一週間寝ていた時に改造されたのか、それとも魔人になって身体能力が底上げされたのか。
なんにせよ、今の俺は前より数段に早く剣を振れるし、数倍威力も強いはずだ。
イメージした揺らめく不気味な黒い靄を纏う魔物が今、まさに目の前で俺を目掛けて左手を振り被っている。
大振りで、左手と同時に半身ごと仰け反る魔物の首はがら空きだ。
そのタイミングを逃さず、魔物が攻撃してくる前に、素早く渾身の一撃を魔物に振り下ろす。
ドゴッ――
全力を籠めた一振りが敵の首を確実に捉え、硬い肌と鉄製の剣が鈍い音を響かせた。
どうやら当たり所が悪いらしく、森の中で成功したように、一発で断頭することはできなかったようだ。
それでも、確かな手ごたえが重い衝撃を通して身体に伝わってくる。
「ん? 衝撃……?」
俺が斬ったのは空想の魔物だったはず。
頭の中では目の前に魔物がいるが、実際には何もない空間だ。
それなのに、俺が放った一撃にはまるで人でも斬ったかのような衝撃が伴った。
恐る恐る、固く閉ざした瞼を開ける。
「ねっ? 大丈夫って言ったでしょ?」
開けた視界で捉えたのは、俺の愛剣をニコニコしながら首で受け止めるアメリアだった。
第十八話を最後までお読みくださった皆様、ありがとうございます。
ギルバート修行編、もう少しだけ続きます。
ゆっくりと着実に成長する本作の主人公を見守ってください。