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対角線に薫る風  作者: KENZIE
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第99話 長谷川美樹

チャレンジ陸上が終わってしまったので、僕のシーズンも終わりをむかえようとしていた。


あとは、大きいところでは、10月初旬に国体、中旬に多田記念陸上がある。

11月のアジア大会でシーズンを締めくくるような感じだ。

しかし、僕はどれにも出れません。

もう一戦、日本選手権リレーがあるだけなので、個人としてはもうレースがない。


「ういーっす」


翌週の曇り空の土曜日、部室に行くと、更衣室から織田君が出てくるところだった。


「うーっす。織田君、陸ジ買った?」


「ありますよ。見ます?」


「うん。ちょっと見せて」


一緒に戻って、織田君はロッカーから陸上競技ジャーナルを取り出して僕に渡してくれた。


織田君が更衣室を出ていって、僕はベンチに座るとぱらぱらとページをめくった。

インカレリザルト特集号。

表紙の4分の1が加奈で、残りが本間君だった。


「うむむむ」


何だか無性に悔しいが仕方あるまい。


一応、記事にはちょっとだけ僕の名前も出ていた。

ええと、「3位の星島は今まで目立った活躍はないが伸び盛りの選手だ」だって。

何か前も同じようなことを書かれていた気がする。


テンプレか?


「おっす」


記事を読んでいると、聡志がやってきた。


「おっす、ロシア人」


「山梨な。着替えねえの?」


聡志は灰色のロッカーを開けて、肩口に赤いラインが入った白いジャージに着替え始めた。

伝統のジャージだ。


「今、休憩中」


「練習前にか!」


「それが日本流」


女子のほうは、加奈のことがちょっとだけ特集されていた。

大型スプリンターということで、背の高さがピックアップされている。

あと、チュニジアからの帰国子女ということも。

実績もないしタイムが平凡すぎるので、そのくらいしか書けることがないのだ。


それと、新見と千晶さんと加奈と、3人の比較紹介みたいなものも書かれていた。

絹山大学三羽ガラスみたいな感じ。


女子100mの歴代記録も載っている。


11秒23 新見沙耶(絹山大学)

11秒36 山本幸恵ライテックス

11秒38 山田千晶(絹山大学)

11秒39 飯田真紀(北海道AC)

11秒41 前原加奈(絹山大学)


千晶さんがチャレンジ陸上で一気に3位に上がり、こんな感じになっている。

オセロだったらひっくり返る。

上位5人が絹山大学になっているところだ。


目立つのは、いかに新見が突出しているかである。

ほかの選手も頑張っているが、やはり、新見に戻ってきてほしい。

僕だけではなく、みんなそう思っていることだろう。


「む…?」


そのときだった。

何の気なしに、歴代記録を目で追っていた僕の目が、9位のところでとまった。


11秒49 長谷川美樹(南陽平中学)


長谷川美樹。

長谷川美樹…?

どこかで、聞いたような名前だ。


「あれ」


僕の声に、聡志が振り返る。


「ん?」


「あ、うん、いや」


「何だよ」


「いや、ほら。なんだっけ」


「だから何がだよ」


いつだったか、忘れたけど。

どこでだったか、忘れたけど。

誰だったのか、忘れたけど。

どんな顔だったのか、すっかり忘れたけど。


つまり、ほとんど全部忘れたけども。


とにかく、ミキちゃんの中学時代の知り合いが?

両親が離婚して?

長谷川から村上になっただとか?

僕と結婚したのかとか?

確か、そんなことを言っていたような気がする。

カップルに見られてうれしくて、何となく覚えていた。


ということは、もしかして。

これは、ミキちゃん?


僕はあれこれ思い出しながら、茫然と紙面を眺めた。


「え、これ、ひょっとして?」


「あーん?」


「聡志、これ、これ」


怪訝な表情で、聡志が陸上競技ジャーナルを覗き込む。

聡志は僕の指さす場所を見て、それから不思議そうな僕で顔を見た。


「何だよ」


「これ、ミキちゃんのこと?」


「そうだよ」


「マジで?」


「え、お前、知らなかったの?」


呆れ顔の聡志。


「え、これ、え、ミキちゃん?」


「そうだよ。え、マジで知らなかった?」


「知らなかった」


「それ、1年のときの記録だぞ」


「は?1年?中学1年?」


「そう」


「マジで!?」


こんな馬鹿げた記録はない。

小学校を出たばかりの女子が、未だに日本歴代9位に残る記録を叩き出したわけである。

正確に言えば当時は日本歴代5位だったわけだが、何しろものすごいことだ。


「天才スプリンターって騒がれただろ」


「覚えてない…」


「星島って本当、記憶力ないな。中学1年の世界記録だぞ」


「あっ…、いたっ!そういやなんか騒がれてた気がする!」


「しかも向かい風0.5m」


「はにゃもっ…!」


思わず変な声を上げてしまう。


化け物だ。

それしか表現できる言葉がない。


僕はぱらぱらと記録室のページをめくった。

中学1年の歴代2位の記録が、12秒12。

中学1年の女子としては、それでも恐ろしく速い。

しかし、ミキちゃんの記録はもう、向こう千年は破られそうにない。


何しろ、高校記録でさえ11秒53なのだ。

新見沙耶が高校3年生のときに出した記録を、中学1年で0秒04も上回っている。

ありえない…。


「もったいないよな。ケガさえなければ」


「ケガは知ってたけど…」


「足首がちゃんと動かないらしいよ。交通事故か何だったかで」


そう言えば、よく足首をひねってる。

そうだったのか。

全然、知らなかった…。


僕はぼんやりと着替えを済ませ、部室を出た。

僕を見つけた加奈がいつものように軽口を叩いてきたけど、心ここにあらずだった。

なぜか、空が、いつもより高く遠く見えた。

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