第73話 中央アジアとかの人
1時間くらいで杏子さんちの別荘に到着して、少し休憩した後、僕たちは海に突撃した。
例によって、小さなビーチには誰もいなかった。
海の家も自動販売機もないし、閑散としているけど、芋洗いするよりはよほどいい。
まさに穴場という感じがする。
「うーみーっ!」
加奈が海に走っていく。去年も見たような光景だ。
遅れてみんなが歩いていって、例によって僕と聡志はパラソルと椅子を設置する。
4つずつ並べると、わりと壮観だ。
「よーし。10キロくらい泳いでくる」
「ベラルーシって海ないんだっけ」
「山梨にもねえけどな!」
変な捨てぜりふを残して聡志も海に向かっていく。
山梨くらいならいいけど、海まで何千キロも離れている場所に住んでいる人は、一生、海を見ることができないかもしれない。
なぜかそんなことを思った。
みんなが波と戯れる中、ミキちゃんは僕の近くで長い髪をなびかせていた。
「どうぞ」
勧めると、ミキちゃんはビーチチェアに寝そべった。
今年も、泳がないのか普段着のままだった。
「何か飲む?」
「要らない」
「そか…」
「泳いできたら?」
「うん。もうちょっと休憩してから」
「そう」
ミキちゃんはいつもどおりだったけど、潮の香りがして、何となく気持ちが浮ついた。
隣に横になると、浜風が、僕の素肌の上を転がって大陸へと流れていった。
来年も、みんなで来れるだろうか。
僕も来年は4年生だ。
来年の今ごろは、就職のことで頭がいっぱいになっているかもしれない。
インカレに向けて張り切っているころだろうか。
ドイツ語が取れずに苦しんでいる可能性もあるけど…。
「ミキちゃん、卒業したらどうするの?」
念のため、聞いてみる。
ミキちゃんはちらりと僕のほうを見て、またどこか遠くを見つめた。
「さあ。どうしようかしら」
「まだ決めてない?」
「そうね。大学院にいくか、地元に帰るか…」
「ミキちゃん、神奈川だよね」
「そうよ」
「そっか。近いからいつでも遊びに行けるかな」
「ふうん。留年するつもり?」
「あ、いや、そうじゃないけど」
「星島君こそどうするの?」
「まだ決めてない」
「私のことより——」
「自分のことですね、はい」
波打ち際から杏子さんが走ってきて僕にヒトデを投げつけた。
よく分からないが楽しそうに笑って、また海のほうに走っていく。
再来年は分からないが、来年はきっと、みんなでこうやっていられるに違いない。
そう信じたかった。
スポーツの世界で、プロとして生計を立てていけるものは実はそう多くない。
ぱっと思いつくところでは、野球、相撲、サッカーだろうか。
競馬とか競輪とか競艇とか?あとはオートレースもそうだ。
ゴルフとかボクシングとか、プロでも生計を立てるのはきついとよく聞く。
どのスポーツでも、高いギャラをもらっているのはごく一握りの人間だけだと思う。
そして陸上は、プロですらない。
基本、アマチュアなのだ。
例えば僕が宮城県に帰って就職したとする。
そこの会社に陸上部がなかったら、全部自分でやらなくてはいけない。
定時まで働いてそのあとに練習するとか。
出社前に練習するとか、休日に練習するだとか、そんな感じになる。
コーチもいないし練習場も自分で探さねばならない。
要するに、趣味で陸上をやっているのと同じことである。
ところが、実業団から誘われて就職したとする。
プロとは違うので、給料はあくまでも仕事の報酬としてもらう。
スポーツの報酬としてお金をもらっているわけではない。
しかし、陸上部があって、コーチがいる。
練習用トラックや、各種施設もあるだろう。
仕事は免除されたり毎日午前中だけとかだったり、だいぶ優遇されるわけだ。
「実業団に誘ってもらえるように、インカレ出てアピールしたいな」
せっかくこうやって必死に練習しているんだから、卒業してもいい環境で続けていきたい。
ま、今は日光浴してるだけなんだけど。
「そうね。頑張って」
あまり、興味がないのだろうか。
ミキちゃんは眩しそうに高い空を見上げ、風を感じているだけだった。
少し黙っていると、波打ち際から水沢さんが歩いてくる。
白い肌に、チョコレートブラウンのビキニが映えていて、ビーチを歩くだけで絵になった。
とにかく、今日も脚が長い。
長すぎちゃってすごいんです…。
「泳がれないんですか」
丁寧に言って、僕の隣のビーチチェアに腰掛ける。
ちらりとミキちゃんを見たけど、何も言わないので僕がまとめて答えた。
「まあ、もうちょっと、のんびり」
「そうですか」
加奈が走って戻ってきて、荷物をごそごそして何か取り出す。
名前は忘れたけど、イルカらしい。
やっぱり2匹いると思って、よく見ると1匹はシャチだった。
僕らのほうを見て、えへへと笑う。
ポンプを懸命に踏んで空気を入れると、加奈は両手で抱えてまた海に突撃していった。
ちょっと、楽しそうだ。
「星島さん、泳ぎのほうはどうなんですか?」
短い髪をタオルで拭きながら、水沢さんが僕を見た。
そういう質問を僕にすること自体、最早、愚かとも言える。
「ふふん。何を隠そう、仲浜の戻りガツオとはおれのこと…!」
陸上より水泳の道に進むべきだった…、とは言わないけど泳ぐのは割と得意だ。
高校の小さな25mプールで、ターンをしてからのほうが圧倒的に早かったので戻りガツオと呼ばれていたのだが、実のところ誰も呼んでなくて、心の中で勝手に思っていただけなんだけど、それはまあどうでもいいですね、はい。
「運動神経いいんですね」
「そうでもないよ。球技がいまいち苦手」
「あ、私もです」
しばらく水沢さんとおしゃべりをしていると、ミキちゃんがすいっと立ち上がった。
黙って見ていると、ズボンの砂を軽く払って、それから僕の視線に気付いてじろりと睨む。
何だか微妙に不機嫌そうだった。
「何よ」
「え、いや、どこか行くのかと思って」
「別にいいでしょ、私がどこに行ったって」
ぷいっとそっぽを向いて、ずんずんと砂浜を上がって別荘のほうに戻っていく。
水沢さんとばかりしゃべっていたので嫉妬した…、というわけではないだろう。
それだったらうれしいんだけどね。




