第64話 ピヨピヨ軍団
翌週、僕は個人選手権に出場した。
関カレやインカレと比べると一枚レベルが落ちるが、それでもタフな大会だ。
その中で、初日の予選は10秒51で2着。
2日目の準決勝は10秒43で1着。
決勝は10秒47で3着という成績を収めた。
優勝はできなかったけど、軽い向かい風の中、10秒4台で2本走れたことは大きな自信になった。
春季トライアルの10秒36がフロックではないことが分かったからだ。
それに、公認記録では10秒49が自己ベストだったから、それを破ったことにもなる。
「うはよーっす」
「ういーっす」
練習前、部室で着替えていると織田君が入ってきた。
右手に陸上競技ジャーナルを持っている。
僕は別に何も言わなかったんだけど、見たそうな顔をしていたのか、僕に差し出してくる。
「読みますか?」
「あ、うん。サンキュー」
今月号は、高総体の各地区ブロックの結果がメイン記事だ。
巻頭カラーで特集されていて、「武藤清春(埼玉星明)10秒19で全国へ!」の文字が躍っている。
次から次へと、新幹線みたいな後輩が出てくるのは困ったものだ…。
個人選手権のリザルトは1ページだけ載っていたが、特に注目すべき内容ではなかった。
男子100mのところに「3位の星島は、今まで目立った活躍はないが伸び盛りの選手だ」と何の確証もない希望的憶測が書いてあったぐらいだ。
でも、ちょっとうれしいぞ!
もっとも、女子100mで見事に優勝した真帆ちゃんのほうが扱いが大きい。
11秒78。
ちょんまげ頭の写真まで載ってやがる…。
「さー。練習練習練習」
肩をぐるぐる回しながら本間君が入ってくる。
こっちはこっちで、7月に世界ジュニアを控えていて、最近、気合いが入っているようだ。
直前にはドイツで調整するらしい。
ドイツですぜ、旦那。
うらやましいったらありゃしない。
大会にグレードを付けるとすれば、オリンピックや世界陸上が最高レベルに当たる。
世界ジュニアや世界ユースはその次で、次世代のスターたちが争うハイレベルな大会だ。
(世界ジュニアかあ…)
羨ましいが、僕はとにかく目の前のレースを戦っていくしかない。
とにかく一歩一歩、こつこつと前進していくしかないのだ。
「よーし。やりますか」
珍しく空気キャプテンの十文字が仕切って、短距離グループでの全体練習。
それが終わると個人練習だ。
雨が降りそうだったけど、いつものようにトラックの隅のほうに集まる。
村上道場だ。
そこに、1年生の2人、ベースマン寺崎と宝生亜美が初参加した。
「よろしくっす」
「よろしく」
ベースマン寺崎は上背があり、インターハイで準決勝まで進んだ選手。
だけど、それほどの実績を持つ選手ではない。
デザインとか好きみたいで、今日も米ナスマンTシャツを着ている。
色違いで何枚かつくったらしい。
気にいったのか、知香ちゃんがたまに着ている。
「ちっす」
「ち、ちっす…」
宝生亜美は、線が細く、金髪で目つきの鋭いスプリンターだ。
まるで猛禽類である。
どちらかといえば、スプリンターよりストリートファイターという感じだ。
どこで道を間違えたのだろうか…。
藤崎小春ほどではないが、水沢さんと仲がいいというだけで、僕を敵視しているみたい。
ときどき睨んでいるような気がする。
例えば、今…。
「お、織田君見てあげてね」
「おれすか」
聡志は離れたところで知らんぷりをしている。
真帆ちゃんは、宝生さんとあまり仲が良くないようだ。
加奈は関カレで肉離れを発症してから別メニュー中。
それ以前に、加奈は人に教えるとか無理。
必然的に、面倒を見るのは僕か織田君の役目なのだが、宝生さんはふんと鼻を鳴らした。
「別にいいよ。適当に一人でやってるから」
大学生なのに、思春期の中学生みたいだった。
「ん?」
「いいって、わざわざ見てもらわなくても」
言い草に、織田君ではなくて、真帆ちゃんがカチンときたらしい。
あからさまに顔色が変わったので、僕は慌ててちょんまげをつかもうと右手を伸ばした。
気付かれて、振り向きざまびしっと手を払われてしまう。
左手を伸ばすと、左手もびしっと払われる。
また右手、左手とびしばし攻防を続けると、だんだん楽しくなってきたのか、真帆ちゃんはきゃあきゃあと声を上げて逃げながら笑顔を見せた。
「何してるのよ」
ミキちゃんがやってきて、ふざけている僕たちを睨みつける。
あっという間に、真帆ちゃんの笑顔は凍りついてしまった。
「いえ、宝生さんが、わざわざ見てもらわなくても一人で練習するからいいって」
真帆ちゃんがピヨピヨと告げ口すると、ミキちゃんが眉毛を持ち上げて宝生さんを見た。
ミキちゃんが怖いのは、なぜだろう。
怖いもの知らずに見える宝生さんも、ミキちゃんに圧倒されて思わず息を呑んだ。
「どういうこと?」
「な、何でもない」
「何でも、ない?」
半歩、ミキちゃんが近寄って、半歩、宝生さんが下がる。
社交ダンスみたい。
「にゃ、何でもないです」
「何でもないっていうのは?」
「じょ、冗談です、ごめんなさい」
ミキちゃんが、じろりと僕たちを睨み付ける。
そのまま何も言わずに戻っていったが、宝生さんは涙目で、ぷるぷる震えていた。
さっきまで猛禽類だったのが、ひよこになっている。
「こ、こ、こ、コエーっ」
笑いが起きる。
宝生さんとも、何とかうまくやっていけそうな気がした。




