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対角線に薫る風  作者: KENZIE
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第56話 藤崎小春再び

しばらくスタンドにいたけど、雨はやまなかった。


競技が再開されたのは45分後。

雨勢はやや弱くなっていたけど、コンディションは最悪のままだった。

トラック種目はまだいいけど、ロングジャンプの選手が泥んこになっていた。


そのうち、びしょぬれの美女がスタンドに避難してくる。

水沢さんだ。


「咲希せんぱぁい、大丈夫ですかぁ?」


相変わらず、後輩の女の子に激しくもてている。

5人くらいの女の子がタオルを差し出したり飲み物を渡したりしていた。

一瞬、目が合って水沢さんは軽く会釈してくれたけど、女の子たちには睨まれてしまった。


「ちょっと。何見てんのよ」


その中の一人に文句を言われる。

何だかどこかで見覚えがあると思ったら、あの子だった。

去年、水沢さんと一緒に学祭を見て回っていたときに突っかかってきた子だ。

よほど憧れているのだろう。

ベリーショートの髪型が、水沢さんそっくり。

記憶力に関しては東アジアでワースト10に入る僕だけど、覚えていた。


「そこっ!星島望っ!じろじろ見ないでよね!」


女の子に、名指しで、こんなふうに食ってかかられたのは初めてかもしれない。


「あ、ごめん。えーと、船山さん」


「藤崎よ!藤崎小春!ふしか合ってないじゃない!」


噛みつかれそうになって慌てて離れる。

こんなところで女の子とケンカをしても仕方がない。


「触らぬ神に崇りなし、だ」


「てことは水沢さんが神か」


「だろうな…」


情報通の聡志いわく。

水沢さんの母校、絹山女子高校の関係者を中心に、ファンクラブは形成されているらしい。


藤崎小春は、その中でも中心的な存在。

実態として、水沢咲希ファンクラブというはっきりした組織があるわけではないみたい。

でも、女の子同士、横のつながりというかネットワークがある。

要は、口コミみたいな感じ?

藤崎小春は、その発信源的な人物のようだ。


言動がちょっと行き過ぎていることから、水沢さんも少し困っているようである。


「なるほど。お前、よく知ってるな」


「物知り聡志と呼べ」


「さすが秘密組織の人間は違うな」


「おうよ。ま、よく見ればかわいい顔しているし、ちっとも怖くないけどな」


「いつももっと怖い目にあってるもんな」


「な」


「耐性が付いてるもんな」


「おう」


「あの人、めっちゃ怖いもんな」


暗に示すと、聡志に疑いの眼差しを向けられる。


「おい…、何か言わせようとしてねえか?」


ちっ、ばれたか。


女の子たちは水沢さんを囲んでちやほやし、ドライヤーで髪を乾かしてあげていた。

ガーガーガーガー。

コードのないドライヤーを見たのは初めてだ。

そんなものもあるんだなと思っていると、藤崎小春にまたじろりと睨まれた。


「怖いといえば、宝生さんも怖いよな」


聡志がひそひそと言った。

新入生の、宝生亜美のことだ。

 

宝生亜美は金髪で、眉毛が細くて、猛禽類のようなとんがった目をしている。

一応、短距離の選手。

だが、トラックの上を走るアスリートって感じではない。

盗んだバイクで行く先も分からぬまま暗い夜の帳の中を走るほうが、似合っているような顔だ。


彼女も、水沢さんのファンらしい。

気のせいか、水沢さんと話していると、睨まれているような気もする…。


「なんか、そのうち殴られそうなんだよなぁ」


「大丈夫だろ。上下関係しっかりしてるから」


「そうなの?」


「彼女がいたのはきっとそういう世界だと思うんだ」


「それ以上聞きたくない」


「ある日、猫を轢きました」


「猫?」


「バイクで走っている最中に猫を轢いた」


聡志が何か語り始めたぞ。


「それで?」


「バイクをとめて振り返ってみると、もう猫は生き絶えていた」


「かわいそう」


「そこに現れたのが、たまたま通りかかった水沢さんだった」


「ほう」


「血まみれの猫を、水沢さんは嫌がるそぶりも見せずに無言で抱え上げ、公園の大きな木の下に穴を掘って埋めてあげた。以来、宝生さんは水沢さんにすっかりほれ込んで、水沢さんを追うようにして陸上の世界に身を投じたのだった」


「部分的にリアリティーはあるな…」


「私の命、咲希の姉御に奉げます!」


「アホ」


「きっと、水沢さんを泣かせたら、いきなり男が出てきて囲まれるね!」


聡志は断言したけど、そんなことはないから大丈夫だろう。

絹山一の紳士を自負するこの星島望、女の子を泣かせるようなことはないはずだからだ。

女の子に泣かされることは、まあ、かなりありますけどね。


あー、また思い出しちゃった…。


「囲まれるなら、女の子がいいなあ」


呟くと、聡志は鼻で笑った。


「それは星島には一生無理だ」


「水沢さんに生まれ変わりたい…」


「お。そしたら、おれとデートしてくれよな!」


聡志は楽しそうに言った。

別にいいんだけど、それはあまりにもむなしくないか…。


スタンドで震えていると、みんな終わったので帰ってもよいというおふれが回ってきた。

稲森監督による総括及び僕への説教はまた今度のようだ。


「うー、さむさむ。帰ろうぜ」


聡志が大仰に震えて、それから急に僕を睨んだ。


「ロシア人でも寒いのかってんだろ!」


「まだ何も言ってないだろ…」


バカ話をしながら、聡志と織田君と3人でスタンドを降りていく。


すると、誰かがパタパタと追いかけてきた。

知香ちゃんと真帆ちゃんと水沢さんだった。

 

水沢さんは何度も、後ろのほうを振り返っている。

ファンクラブの女の子をまいてきたらしい。

まるで芸能人のようだが、まあ似たようなものだ。


「星島君、ご飯おごって!」


そう言って、知香ちゃんがポーンと僕の肩を叩いた。


「ん?」


「確か、3食分くらい貸しがあったはずだけど。4食だっけ?」


そう言って、知香ちゃんは自分と真帆ちゃんと水沢さんとを数えるように指差した。

その貸しで、3人まとめてごちそうしなさいっていうことらしい。

 

いや、それはまあいい。

問題は、僕の財布には千円札が2枚しか入っていないということだ。

それだと一人当たり300円くらいにしかならない。


「牛丼並盛ならいいよ」


「えーっ。女の子誘うのに牛丼とかありえないんだけど」


笑いながら、知香ちゃんは僕を殴った。

グーで殴られるようなことは言っていないと思うけど。

まあ、知香ちゃんのストレス解消になるなら別にそれでもいいです…。


「誘った記憶はないけど、お金ないもん」


「星島君ってさ、お金あるときあるの?」


「ないよ。一生このまま」


「うわ、絶対付き合いたくない!」


突如として真帆ちゃんが毒づく。


「まあ、もともと、ぜんっぜんタイプじゃないですけど」


「ふーん。あ、こんなところにジョイスティック」


ぐりぐりとちょんまげを引っ張ると、真帆ちゃんは慌ててじたばたとした。


「ピョーッ!それでマリオは動かせません!」


笑いながらみんなでスタンドを降りていく。

だけど問題は何一つ解決してなくて、僕は聡志の袖を引っ張った。

貧乏人はつらい。


「金くれ」


「バカいえ」


「バカ」


「バカって言えって意味じゃねえよ!」


聡志は地団駄を踏んだ。

びしゃびしゃと水滴がはねるのだ。


「とりあえず車回してきて。濡れるのやだから」


「お前、友達なくすぞ!」


「いいよ。聡志さえいてくれれば大丈夫」


「あ、お…、おうよ…」


バカ…。

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