第51話 春
やがて、春のにおいと同時に、別れと出会いの季節が近付いてくる。
納会の日。
駅裏の居酒屋に、新見を除く絹山大学陸上部員およそ52名が勢ぞろいした。
聡志と2人で少し早めに到着すると、2階の和室にずらりと料理が並べてあった。
居酒屋といっても、チェーン店ではなくて、個人経営の店。
毎年、納会はここで行われているが、料理がうまい。
ボリュームもたっぷり。
飲むよりも食う、それがうちの常識です。
「ほしじまーっ。ここ、ここ」
杏子さんが手を振って自分の隣を示す。
まだ始まっていないのに勝手に飲んでいるらしい。
ビール瓶が何本も並んでいる。
明日は卒業式だというのに、ペースが早い。
杏子さんの隣に座ると、前に座っていた水沢さんに会釈される。
「お、お邪魔します」
水沢さんの右隣が知香ちゃん。
杏子さんの右に千晶さん。
女の子ばかりでちょっと恥ずかしい。
「ま、ま、ま、駆けつけ1回」
「1回?」
「フレンチキッス。ん、ん、いつもみたいに」
「し、して、してません。してませんからね!」
若干動揺しつつもとりあえずお約束。
笑いが起きたところで杏子さんにビールを注がれる。
アルコールなんか、久しぶりだ。
「そのかけあい見れなくなるのさみしいなあ」
聡志が言うと、杏子さんが僕の頭をすりすりと撫でた。
「そうなのよ。星島もさみしい?」
「ええ。まあ…」
「そっかあ」
あの日、確かに僕は杏子さんと一つになった。
だけど、その後は何もなかった。
杏子さんはいつもどおりで、夢だったかと思う。
でも、滑らかな肌の感触もしなやかな肉体も体内の温かさも、鮮明に覚えている。
杏子さんは無性に優しくて、無性に温かかった。
そして、僕を許してくれた。
でも、杏子さんがどんなつもりでそうしたのか、僕には分からなかった。
あれこれ想像しながらちびちびビールを飲んでいると、徐々に人が集まってきた。
6時からということだったが、その時間になっても空席が目立った。
遅れてくる人もいるのだろう。
時間なので、一応、始めることにしたらしく高柳キャプテンが立ち上がる。
「えー。まだ来てない人がいますが、絹山大学陸上競技部納会を始めたいと思います」
一堂、万雷の拍手。
口笛を吹いているものもいて、早くも盛り上がっている状態だ。
「4年生の皆さん、今まで本当にお世話になりました。卒業して陸上をやめる方も、続けていく方も、心の中に絹山魂を持って頑張ってください。そして、きっとまた、どこかの競技場でお会いしましょう。では、絹山大学陸上競技部員の未来に、乾杯!」
残念な高柳さんにしては珍しく、キャプテンにふさわしい素晴らしい音頭だった。
全員が乾杯して、大きな拍手が起きる。
あとは、結婚式のようにいろんな人からのあいさつがあるわけでもなく、無礼講だった。
まずは料理。
目指すは肉だ。
大皿に盛られたから揚げが、次々と胃袋の中に消えていく。
ジャガイモとベーコンのやつもうまい。
ぺらぺらのベーコンじゃなくて、ゴロゴロのベーコンだ。
しょうゆバター風味。
それと、ビーフンのサラダもうまい。
全部うまい!
ちなみに店主さんは、絹大のOB。
元公式野球部で、栄養や食材にもこだわっているという。
絹大の体育会系の宴会は、大抵この店。
うまいしお腹いっぱいになるし、安いもの。
まあ、ジャガイモとか鶏肉とかビーフンとか、出てくるのは安い食材ばかり。
中トロとかカルビとかはありません。
おいしいからいいけどね!
「枝豆ウマー!」
夢中になって聡志が食べている。
冷凍のやつじゃなくて、とりたて、ゆでたて。
そんなのうまいに決まってる…!
「星島、世話になったな」
4年生の槍投げ選手、田畑幸雄さんがビール瓶を手に回ってくる。
納会では、4年生が下級生のところを回るしきたり。
杏子さんも、いつの間にやら立ち上がって向こうのほうでおしゃべりしている。
「こ、こちらこそお世話になりました」
半分残っていたビールを飲み干すと、3分の1だけ注がれる。
3分の1ルールもうち独自かも。
それをぐいっと飲み干すと、頭をぐりぐりと撫でられる。
「星島君!まー飲んで飲んで」
次に来たのは、女子100mハードルの山川恵美さん。
ビールを注がれて、ぐいっと飲むと頭をぐりぐり撫でられる。
「星島!まー飲め!」
次はロングジャンプの石井明さん。
飲むと、また頭をぐりぐり撫でられる。
なんか慰められてるみたい。
新見の事件があったから、元気付けようとしてくれてるのかも。
さすが4年生、大人だなあと思った。
もし僕が、織田君辺りと役割を交代したらどうだろうか。
織田君を慰めて元気付けてやること、できるだろうか。
そういうキャラじゃないし、うまくいかないかも…。
「星島」
次にやってきたのは、前キャプテンの柏木さん。
「お、お世話になりました」
「村上にふられたんだってな」
鼻の穴にビールが入った。
向こうのほうで杏子さんとその取り巻きが、こっちを見ながらニヤニヤヒソヒソしている。
思わずバタンとひっくり返ってしまう。
もうやだ、あんな先輩…。




