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対角線に薫る風  作者: KENZIE
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第36話 遥か遠く気高き世界

その日、夕方まで遊んで、ご飯を食べてちょっと飲んで、11時ごろには寝た。

遊び疲れたのもあったけど、朝早く起きたものだから眠くて仕方なかったのだ。


翌日、目が覚めたのは朝6時半だった。

トイレに行こうと思って、欠伸をしながら部屋を出ると何か1階から物音が聞こえた。

誰が何をしているのか、何となく分かった。


用を足して、肩を回しながら下りていく。

リビングのドアを開けると、ソファーに座っていたミキちゃんが半分だけ振り向いた。

やはり、世界陸上を見ていたようだ。


「早いのね」


それはこっちのセリフだがまあそれはどうでもいい。


「おはよ。ずっと起きてたの?」


「まさか」


ちょうど、午前中のセッションをやっているところだった。


「よいしょっと」


ミキちゃんの隣に座る。

ちょっと近いかなと思ったけど、ミキちゃんはちらっと僕を見ただけで何も言わなかった。


午前中のセッションの最後の競技は男子100mの予選だった。

優勝候補は、世界記録保持者、ジャマイカのキングダム・テイラー。

しかし、29歳という年齢もあり、若干のパフォーマンスの低下は否めない。

世界記録を樹立したのも3年前の話だ。


その対抗馬が、トリニダード・トバコのクインシー・ロジャースだ。

既に、欧州のダイヤモンドグランプリでは、何度もテイラーに土を付けている。

まだ世界大会でのメダルこそないが、一気に世界の頂点へと駆け上ろうという構えだ。


「うーん…」


予選は、どちらも問題なく通過した。

男子は明日、準決勝と決勝が行われる。どちらも非常に楽しみだ。

はるか高き最高峰の戦いである。


ちなみに、日本記録保持者の本間隆一は予選敗退。

北海道ACの玉城豊も予選落ち。

 

唯一、栄邦工業大学4年の後藤俊介だけが準決勝に進出した。

後藤俊介は、今年でインカレ4連覇を目指している、大学ナンバーワンのスプリンターだ。

同じ大学生だし、一応、ライバルと言ってもいいのかもしれない。

レベルが全然違うので、比較してもしょうがないけど…。


「サンドイッチでも食べる?」


いったん放送が終わると、ミキちゃんが言ってくれた。

何だか少し上機嫌のようだった。


「食べる!つくってくれるの?」


喜んで聞くと、腰を浮かしかけていたミキちゃんがパチリと瞬きをして僕を見た。

軽く眉毛を動かして、また腰を下ろす。


「そうよね。よく考えたら、別に私がつくる義理はないわよね」


「ミキちゃん、今日も美人だね」


「よく言うわ。サンドイッチでいい?」


「わーい」


とりあえずつくってもらえるようだ。


最近、ミキちゃんとの距離がほんのちょっとだけ近付いたような気がする。

2センチくらいだと思うけど、僕にとっては大いなる2センチなのだ。

だって、朝からミキちゃんにご飯をつくってもらえるなんて、まるで夢のようではないか。


テレビを見ながらサンドイッチを待っていると、リビングのドアがガチャリと開いた。

みんな早いなと思って振り返ると、にゃむにゃむと目を擦りながら、ピンクのパジャマ姿の加奈がリビングに入ってきたところだった。


「あ、のぞむくん、おはよ」


「おはよ」


「あはは。みんな寝てると思ってた。着替えてくる!」


いっちょまえに、パジャマ姿を見られるのが恥ずかしいらしい。

 

リビングのドアを開けっ放しにしたまま、加奈は慌ててバタバタと階段を上っていった。

立っていってそのドアを閉める。

欠伸をしながらソファーに戻ると、キッチンからミキちゃんがひょいと顔を出した。


「誰?前原さん?」


「あ、うん」


「前原さんも食べるかしら」


「たぶん大量に食べると思う」


しばらくすると、ジャージに着替えた加奈が下りてきた。

再度、キッチンからミキちゃんが顔を出して、加奈は慌ててぺこりと頭を下げる。

二人の関係は相変わらずで、あれだけ一緒に練習しているのにちっとも仲良くならない。

つくってくれるものは喜んで食べるくせに。


「おはようございます」


「サンドイッチ食べる?」


「あ、朝練終わってからいただきます」


「そう。じゃあつくっておくから」


「はい」


でも、最初のころよりは全然マシかな?

普通にしゃべれるようになってきたみたいだし。

最初はひどかったもんな…。


「はわわわわ…」


くいくいと肩のストレッチをしながら、加奈は大きく欠伸をした。

僕はちょっと足を組み替えてジャージ姿の加奈を見た。


「朝練って、何すんの」


「え。のぞむくん、知らないの?」


「む?」


「朝練っていうのは、朝にする練習で…」


「んなことは分かってるよ」


「のぞむくんもする?」


「え、いや、しないけど」


「そっかあ。あたし毎日やってるんだよ」


「偉いじゃん」


「もっと感情こめて褒めて!アルパチーノみたいに!」


笑って身をくねらせながら、恐ろしく難しい要求をぶつけてくる。


「はいはい。偉い偉い」


「よーし!じゃ、行ってくるね」


「今のでよかったのか…」


加奈は帽子をかぶって、また大きく欠伸をしながら玄関から外に出ていった。

何となくそれを見送って、再びテレビ画面に目を戻す。

ニュース番組のスポーツコーナーで、男子100m予選のリプレイが流れていた。

キングダム・テイラーの姿が一瞬、加奈に重なった。


世界最速のスプリンターに向けて、ドラマは始まろうとしていた。

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