第34話 いざ合宿
突然だったので、それからが大変だった。
とりあえず、一度、準備のため解散。
昼前に絹山駅に集まって、聡志の車で出発することになった。
このフットワークの軽さが、大学生のいいところだと思う。
まあ今回は杏子さんに強制されたからなんだけど、それにしても、女子はいろいろ準備がありそうなものなのに大丈夫なのだろうか。
「ちょっと。星島、どこ触ってんの!」
「わ、わざとじゃないですよ」
聡志の車は大きいので、荷物を積んで、2列目、3列目に2人ずつ乗ることになった。
聡志が運転で、図体のでかい加奈が助手席。
2列目にミキちゃんと千晶さん、3列目に杏子さんと僕。
乗り込むときにちょっとよろけて、杏子さんのお尻のあたりを触ってしまった。
「触ってもいいけど2人のときにして!」
「違いますってば」
返事をすると、杏子さんが僕の腕に手を沿えて寄りかかってきた。
また何かされるのかと思ったけど、そうではなくて眠かったらしい。
「ちょっと寝る」
「あ、はい」
「肩貸してね」
肯定も否定もできなかった。
バックミラーごしに聡志と目が合ったけど、お互いに何も言わなかった。
「あ」
一瞬、静かになったと思ったら、杏子さんはすぐに顔を上げた。
「お昼は丼ものがいいよネ?」
でた。
ぎこちない女王…。
「丼もの?」
「天どんか何かがいいと思わない?」
「あ、そういやサンドイッチは?」
「サンドイッチね。サンドイッチもいいけど、丼とかよくない?」
僕の太ももをぺしぺし叩きながら、杏子さんは訴えた。
顔がものすごく近くて緊張する。
「じゃあ牛丼ですね」
「いや、牛丼でもいいんだけどさ、天丼もいいでしょ?」
「牛丼にしましょう」
「やだよ、牛丼なんて」
追い詰められて、日本中の、おそらく1千万人単位の人間をあっさりと敵に回す杏子さん。
「あれでしょ。星島の言ってるのって、一杯100円だか200円だかのやつでしょ」
「100円はないですけど…」
「天どんがいいんじゃないかな?美味しいかき揚げとかもあるし。加奈も天どん食べたいでしょ?」
「かき揚げっ!天どんっ!」
助手席で加奈が、応援団のマーチみたいにリズムよく腕を振りながら声を上げる。
「かっき揚げ天どんっ!かっき揚げ天どんっ!」
「ほら、加奈もそう言ってるし?」
「まあ加奈には何の権限もないですけどね」
「後輩が食べたいものを食べさせて、先輩がお金を払う。これ体育会系の常識だよね?」
「でも、なんか、いつも杏子さん食べたいものになってるような…」
「う、うるさいうるさいうるさーいっ!」
じたばたと争う。
いや、別に天どんに反対しているわけじゃないんですけどね。
からかうのが楽しいだけです。
もちろん、店に連絡するのは千晶さんの役目だった。
杏子さんの場合、天ぷらならここ、パスタならここ、焼き肉ならここかここというふうに全部決まっていて、それらの店の電話番号がすべて千晶さんの携帯に入っているらしい。
何というか、杏子さん、千晶さんなしで生きていけるのだろうか。
それは分からないが、連れていってもらった店で食べた天丼はものすごくおいしかった。
まず、外れがない。
千晶さんの携帯に入っている店のリストが欲しいなと思った。
「うー。食べた食べた」
満腹になって、ご機嫌の杏子さんwith食いしん坊ズを乗せて、車は走っていく。
目的地までは、ほんの1時間弱の道のりだ。
杏子さんちの別荘は、海が見渡せる小高い丘の上にあった。
近くにテニスコートがあって、野球のグラウンドもある。
その気になれば本気で合宿ができそうなところだった。
絹山から近いのもいい感じだ。
1時間くらいなら、おしゃべりしていればすぐに着く。
「2階、客室だから好きなとこ使って」
白い別荘、大きな玄関から中に入る。
広い廊下がどこまでも続いていて、宮廷のように幅広の階段が2階に伸びていた。
ふかふかのじゅうたんだ。
ホテルみたいな感じで、壁には立派な洋画が掛けられていた。
怖いので、いくらするのか値段を聞くのはやめておいた。
「ちょっと休憩したら泳ぎいこ」
「あ、はい」
「ほら、荷物置いといで」
促されて、みんなでおっかなびっくり2階に上がる。
いくつか部屋を見たけどどれも同じで、6畳くらいのこぢんまりした洋間だ。
ベッドやテレビ、サイドボードなどが置かれている、シンプルな部屋。
半分くらいは二人用の部屋で、少し広めのスペースにきれいなベッドが2つ置かれていた。
「わーい。あたしここーっ!」
加奈が大騒ぎしながら角部屋に入っていく。
人数以上に部屋があるのであぶれることはない。
階段を上がってすぐの部屋に入ると、荷物を置いて、僕は階段を下りていった。
空いている左手のドアの内側を覗いてみる。
そこはリビングで、10人ぐらい座れそうなソファーに杏子さんが座っていた。
「広いなあ」
シンプルすぎる感想。
片側が全部ガラス窓で、芝生の庭の向こうの海を一望することができた。
日当たりがよくて、リビング全体が明るい感じだった。
そのぶん暑そうだけど、テラスから海風が吹き込んできていて、思いのほか涼しかった。
「星島、スポドリ。冷蔵庫」
杏子さんはテレビを見ていたけど、半分、振り向いてそう言った。
「はあ。どこかな?」
「右向いて、そっち」
「あ」
リビングに入って左側に、バーみたいなカウンターがある。
その奥がキッチンになっていた。
外国映画でよく見るようなオーブンがついている。
大きな冷蔵庫のどこを開けていいかわからず、とりあえず一番下を開けると野菜がいっぱい入っていた。
真ん中を開けるとずらっと飲み物が並んでいる。
死ぬほどビールが入っているのが気にかかるところだ。
「何か野菜とか入ってますよ」
リビングに戻り、スポーツドリンクを手渡しながら聞くと、杏子さんは僕を見上げた。
「ノブコさんかな」
「ノブコさん?」
「管理人。朝、電話しといたから」
「ふうん」
ちょっと離れて座ると、杏子さんはミキちゃんみたいに眉を持ち上げた。
「なんで離れて座るのよ」
「え、いや、他意はないけど」
「横座りなさい」
言われるままに杏子さんの横に座り直す。
また何かされるのかなと思ったけど、杏子さんは軽く僕に寄りかかっただけだった。
じっと大型テレビに視線を注いでいる。
良く見ると、睫毛がすごく長かった。
みんなが下りてきて、世界陸上をテレビで見終わってから、僕たちは水着に着替えた。
杏子さんに指図されて、聡志と2人、倉庫から大きな白いパラソルとビーチチェアを4つずつ引っ張りだしてくる。
それを玄関の前に置いて待っていると、女性陣が出てきた。
「これでよかったですか」
「うん。サンキューサンキュー」
坂を100mも下りればビーチなので、水着に軽く上着を羽織っている感じだ。
加奈は腰にひらひらの付いた花柄のビキニ。
千晶さんは、赤い刺しゅうの入った白いワンピースですごくかわいらしい。
杏子さんは、派手な水着かと思いきや、意外にも黒いシックなビキニだった。
セレブみたいですごく似合っている。
やたらと筋肉質なのはご愛嬌。
「ほら、星島、よだれ出てるって」
杏子さんがニヒヒと笑う。
「で、出てませんよ」
慌てて口元を手でぬぐう。
出てなかった。
「ミキの水着見たら鼻血出るかもよ」
「鼻血?」
「もうね、ほとんど全裸。胸なんかもう乳首だけ隠れてる感じ?」
想像して、それだけで鼻血が出そうになった。
ガチャリとドアが開く音がして、僕たちの視線がそこに集中する。
だけどミキちゃんは、全裸どころか、私服のままで、水着に着替えてもいなかった。
みんなの視線を見て、不思議そうに左の眉を持ち上げる。
「何?」
「あ、その、水着じゃないなって思って」
「泳がないから」
「あ、そう…」
ちょっとがっかりしていると、僕の顔を見て杏子さんがウヒヒと笑った。
「何、星島、そんなにミキの水着見たかったの?」
「いや、別にそんなの見たくはないんですけど」
おや、おかしいぞ。
なぜかものすごく失礼な感じになってしまった…。
「いや、見たくないってわけじゃないんだよ。そうじゃなくてね」
「何言ってるの?」
眉毛を持ち上げるミキちゃん。ため息をつかれてしまいました…。




